「福岡・アートの旅 2日目のこと(その4)」のつづきは、「福岡・アートの旅」シリーズの最終回、石橋美術館での「石橋美術館物語 1956 久留米からはじまる」の見聞録です。
今はなき石橋美術館と、この展覧会は、フライヤーから転載しますと、
石橋美術館は、60年前の1956(昭和31)年4月26日、石橋文化センターの中心施設として開館しました。その運営を、1977年より石橋財団がおこなってきましたが、今秋より久留米市に引き継ぐことになります。それにともない、名称も久留米市美術館へと変わることが発表されました。
石橋美術館は、東西の名画を見られる美術館として、青木繁・坂本繁二郎・古賀春江ら久留米出身の画家たちを紹介する美術館として、また、さまざまなイベントを通して楽しんでもらう場として、周囲の美術館環境の変化に合わせながら活動を続けてきました。石橋美術館という名称での最後の展覧会となる本展では、60年の活動を石橋財団コレクションでたどります。
青木繁、坂本繁二郎、藤島武二らのお馴染みの作品に加え、現在休館中のブリヂストン美術館から、セザンヌ、ピカソ、ルノワール、モネらの絵画たちも応援に駆けつけます。
という次第と趣向です。
ブリヂストン美術館が休館に入る前に石橋美術館からの出張作品と共に石橋コレクションの「大棚ざらえ」的に開催された「ベスト・オブ・ザ・ベスト」展(2015/1/31~5/17)(見聞録はこちら)の石橋美術館版といった風の展覧会で、ブリヂストン美術館から「応援に駆けつけた」作品(32点)を含め、久しぶりに石橋コレクションを堪能しました。
こちらの記事で、
地方自治体の美術館のコレクションは、一般的に、地元ゆかりの作品、超有名なアーティストの作品、そして、その美術館ひいきのアーティストの作品群で構成されているもの
と書きました。
石橋美術館は、建物こそ久留米市の所有(1956年にブリヂストンの創立25周年を記念して石橋正二郎さんから寄贈された石橋文化センターの一部)でしたが、維持・運営は収蔵品を所有する石橋財団に「丸投げ」でしたからその収蔵品は「地方自治体の美術館のコレクション」とは言えませんけれど、まさしく「地元ゆかりの作品、超有名なアーティストの作品、そして、その美術館ひいきのアーティストの作品群で構成」されていました。
ただ、その作品のレベルと数はハンパない
そもそも石橋コレクションの発端が、
(石橋正二郎が)本格的に絵画収集を始めるきっかけとなったのは、正二郎の高等小学校時代の図画教師だった洋画家・坂本繁二郎との再会でした。若くして夭折した同郷の画家・青木繁の作品の散逸を惜しんだ坂本は、正次郎に青木の作品を集めて美術館をつくってほしいと語ったいいます。その言葉に感じ入った正次郎は、青木を中心として日本近代洋画の収集を始め、およそ10年間で《海の幸》など青木の代表作を購入、コレクションを形成していきました。(「ベスト・オブ・ザ・ベスト」展のリーフレットより)
だそうで、国内外の名作に加えて、地元・久留米出身の青木繁・坂本繁二郎・古賀春江、そして正次郎さんひいきの藤島武二の多くの作品を収蔵・展示していることが、石橋美術館の特徴だったのだろうと思います。
その石橋美術館が久留米市美術館になって、正真正銘、石橋財団の手を離れると、久留米の石橋コレクションはどうなるのでしょうか?
こちらのサイトによれば、
(石橋財団の久留米)撤退の理由として、同財団は「公益財団法人化に伴う全面的な事業見直しの結果(…中略…)収蔵品を東京で一元管理するようにしたい」とある
だそうで、背景の一つにブリヂストン美術館の建て替えがありそうですが、石橋財団と久留米市との間で何かがあった、または何かが欠けた気がしないでもありません。
60年間にわたって、「そこにある」存在だった久留米の石橋コレクションが東京に行ってしまう…。
久留米の美術ファンの喪失感たるや、相当なものだと推察します
石橋財団に甘えっぱなしで、石橋美術館の維持・運営を丸投げしていた久留米市にも問題があるとは思いますが、石橋正二郎さんが存命だったら、どんな反応をされるのでしょうかねぇ…
そういえば、あさって10月11日、久留米を含む衆議院福岡6区の補欠選挙が告示されます。
この補欠選挙は、石橋正二郎さんの孫、鳩山邦夫さん(こちらの記事に登場)の死去に伴うもので、
自民党は(9月)30日、鳩山邦夫元総務相の死去に伴う衆院福岡6区補欠選挙(11日告示、23日投開票)で公認候補を擁立しない方針を党福岡県連に伝えた。補選には、党本部に公認を求めていた林芳正元農林水産相秘書の蔵内謙氏と、鳩山氏の次男で前福岡県大川市長の二郎氏が出馬を表明。両氏は無所属で出馬する意向で、分裂選挙が確実となった。党執行部は勝者を追加公認する方針だ。
だとか。
鳩山二郎さんがどんな方か存じ上げませんけれど、父上同様、福岡6区から立候補する道理が判らない 祖母方の曾祖父が地元出身だからというのは、何とも時代がかってると思うのだけど…。
そもそも、どうして大川市長なんだ?
石橋文化センターには、広大な庭園も付属しておりまして、散策してみたいところだったのですが、帰りの飛行機を考えれば、あまり余裕はありません
いつのことになるのか、はたまた、その機会はあるのか判りませんが、石橋文化センターの庭園は「また今度」ということで、帰りは路線バスに乗って、西鉄久留米駅へと向かいました。
そして、西鉄天神大牟田線の特急電車に悠々と座って西鉄福岡(天神)駅まで行き、コインロッカーから荷物を取りだし、
地下鉄天神駅⇒地下鉄空港線⇒福岡空港⇒飛行機⇒羽田空港⇒空港リムジンバス⇒自宅最寄り駅前⇒徒歩⇒自宅
と、順調に自宅へと帰着したのでありました。
めでたし、めでたし。
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