またもや書きたいネタが溜まってきてしまっていますので、ちょっと焦りながら、「名古屋旅行記(その7)」のつづき、トヨタ産業技術記念館・自動車館のお話です。
自動車館に入ると出迎えてくれるのは、古い学校や役所を彷彿とさせる、なんとなく懐かしみを覚える廊下。(写真は2006年に撮ったもの)
豊田喜一郎は1933年に豊田自動織機製作所内に自動車部を設立し、翌1934年に「材料試験室」と「試作工場」を同社構内に建設、同年4月に操業開始した。現・愛知製鋼(株)刈谷工場内に残されていたこれらの建物を、日本の自動車工業黎明期の産業遺産として保存・公開するため、当館開設10周年記念事業の一環として2004年に部分移築し再現した。
とあります。
その、
ここでは、鉄鋼材料をはじめ自動車を構成する各種材料の試験・研究が行われ、外国の自動車用材料についても分析が行われた。生産の現場に対して、自社生産する材料や外部から購入する材料の企画とその検査基準を提供することも、この材料試験室の重要な役割であった。
という「材料試験室」がこちら。
パクリまくりの中国企業への批判にたいして、
日本人だって真似してるじゃないか
という反論もあるようですが、実際、日本の近代産業が先進国の製品の模倣から始まり、長い間「Made in Japan」が「安かろう悪かろう」のイメージを背負っていたのは事実で、「バック・トゥ・ザ・フューチャー パート3」で、故障したデロリアンから壊れた半導体チップを取り出した1955年のドクが、
メイド・イン・ジャパン、、、、はぁ~ん
と鼻で笑うシーンを思い出します。
すぐさま、1985年のマーティーが「日本製ってクールだぜ」と反論するのではありますが…
でも、単にベンチマーク製品そっくりのモノを作ることだけに満足しなかったところが、「日本のあり方」そのものでありまして、トヨタの場合、鋳造に適した材料が見つからないということで、専門の製鋼会社を作ってしまったというのですから
この辺の話は、後ほど蒸し返すことにしまして、先に進みましょう。
「試作工場」の外観は、何のへんてつもない「小屋」みたいなものでした。
中では、作業員さん(の人形)が、木型に合わせて外板を叩きだしていました。
こうして組み上げられた「A1型試作乗用車」のボディ(塗装済み)が美しい
こんな「小屋」から世界に冠たるトヨタ自動車が始まったんだと感慨にふけりながら先に進みますと、明るく、巨大なスペースが広がっています。
明るさの秘訣は、のこぎり屋根にあります。
今でこそただの箱のような面白みのない工場ばかりですが、一昔前までは、工場といえばのこぎり屋根のイメージでした。
どうして昔の工場の屋根がのこぎり状になっていたかといいますと、外光を取り入れるためです。
雨風に弱いという弱点がある一方、北側に向けて垂直に立ったガラス窓から安定的に外光が入ってくる仕組み(?)になっています。
外光を取り入れるなら、南側が良さそうな気がしますけれど、陽のぬくもりではなく安定した外光を取り入れるには北側の窓の方が適しています。
写真スタジオ(下の写真は江戸東京たてもの園にある「常盤台写真場」)の採光窓が北側を向いているのも同様の理由だとか
「技術」と呼ぶにはあまりにもシンプルですが、これもまたすぐれた「創意工夫」だと思います。