新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

首都高速5号線(部分)の通行止めが続いています

2013-01-16 22:04:24 | 日記・エッセイ・コラム

けさ、基本的に電車で出勤するつもりで、でも、状況によってはクルマで出勤できるよう、クルマのキーを持って自宅を出ました。


そして、駐車場に降りてみると、、、、う~む、カッチンカッチンに凍っています


クルマを出す分には勢いをつければなんとかなりそうですが、夜になってもこのままだと、「車庫入れ」相当難しそう…


そんなわけで、きょうも電車で出勤しました。
首都高速5号線と埼玉大宮線は、高島平以北通行止めが続いていたことですしネ。
普段、私が使うのは埼玉大宮線の浦和南ランプですが、状況によっては新大宮BPを走って高島平ランプから首都高速に乗ることもありますので、高島平まで通行止めでもさほど影響がなさそうですが、こんなときは新大宮BPメチャ混みしているに違いありませんし。


    


きょうの電車通勤、往路はきのうよりかなり順調で(きのうも電車は順調でしたが、最後のバスが…)、復路は、赤羽駅信号機トラブルが発生したとかで、十条駅10分以上停まるアクシデントが発生して、明日こそはクルマ通勤を復活させたいと強く思って帰って来ました。


部屋に入る前に駐車場の状況をチェックしますと、、、、相変わらず私の駐車スペースの前はカッチンカッチンに凍っています。
でも、明日はクルマで出勤するつもり。そろそろ氷も緩むことでしょうし。


ただ、首都高速がねぇ~
ほとんどの区間で通行止めが解除されたというのに、ホレっ


130116_1_01 21:15現在、唯一通行止めが続いているのが、普段私が使っている5号線(一部)と埼玉大宮線
きょうの日中よりは通行止め区間が短くなっているとはいえ、相変わらず戸田ランプ以北通行止めです


130116_1_02 なぜにここだけ通行止め?
高速道路(高速国道)に繋がっていない盲腸線だからと、プライオリティが低いのでしょ、K.I.T


あす、出勤する頃には浦和南ランプが使えるようになっているとうれしいのですがねぇ…


130116_1_03 【追記】夜が明けると、首都高速5号線と埼玉大宮線も「上りだけ」開通していました
あとは駐車場か…
(2013/01/17 05:45)


つづき:2013/01/17 きょうの通勤&退勤の「難関」

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明日の出勤も電車かな…?

2013-01-15 22:51:22 | ニュース

いやはや昨日のには参りました…
きのう、ブログをアップした後、よせば良いのに、が降りしきる中、大宮までブランチ&買い物に出かけたのですが、


130115_1_01


用事を済ませて、帰ろうとしたら電車止まっていました


入線していた電車に乗り込んで発車を待ったのですが、動く気配がないもので、一旦、電車を降りて、駅そばを食したり、一旦、改札を出て(通常、Suicaだと入場した駅で出場する場合は窓口で入場記録を消してもらわないとならないのですが、きのうは特例措置だった模様)お茶したりして時間をつぶしたのですが、はますますドンドコ降っているし、京浜東北線では架線が切れたなんて情報が入ってきて、大宮駅を発着するJR線で動いているのは新幹線川越線だけと、こりゃまずい状況だと認識しました。


タクシーで帰ろうにも、タクシー乗り場にはとんでもない長さの行列ができているし、帰宅する方法が思いつきません


こうなったら、歩いて帰るか?


かつてさいたまスーパーアリーナでのMISIAのライヴ後のオフ会@さいたま新都心終電を逃してひどい目に遭った記憶が蘇ってちょいとは躊躇したのですが、他に手段はないし、せっかくの休日の午後をムダにするのももったいないので、歩いて帰ることにしました。


電車だとほんの10分わずか160円で帰れる距離なのですが、雪でぐしゃぐしゃの道を歩くと(歩いた距離は約8km)、結局、1時間半かかりました


靴も、靴下も、コーデュロイパンツの裾もぐっしょぐしょにして歩きながら思いました。明日(1/15)の出勤は電車だな、と…


   


そして今朝、起きるなり、日本道路交通情報センターのサイト首都高速の状況をチェックしました。


すると、、、、


130115_1_02 おぉっ、黒い線(通行止)だらけ


いつも使っている首都高速5号線(上り)板橋JCTまで通行止だし、中央環状線(内回り)3号線(下り)富ヶ谷から通行止
さらに、東名高速の下りもチェーン規制です


もう、迷うことなく、っつうか、予定どおり電車で出勤でしょ。


という次第で、ダイヤ通りに運行されていたJR埼京線小田急線と、そして、ダイヤとは無関係に道路状況に身を委ねて運行されていた路線バスを乗り継いで出勤しました。
ドア・トゥ・ドア2時間30分を要しましたけれど、まぁ、今朝の出勤としてはマシなほうでしょ


   


んでもって、明日の出勤はどうしましょうか…


きょうの日中、思ったほどは融けなかったし、明日はかなり冷え込むようですから、電車かなぁ…


130115_1_03


今日の帰宅時の観察では、明日は大きな通りだけを選んで走ればクルマで行けないこともなさそうですが、自宅近辺、とりわけ私の駐車スペース周辺がカチンカチン凍っていましたから、無理しないで電車で出勤した方が良さそうな気がします。


最終的な決断は明朝に下します。


つづき:2013/01/16 首都高速5号線(部分)の通行止めが続いています

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「松本竣介展」と「美術にぶるっ!」は今日が千秋楽

2013-01-14 10:36:29 | 美術館・博物館・アート

「世田谷美術館の松本竣介展は1月14日まで」のつづきです。
下の写真は、世田谷美術館のある砧公園でみかけた「エビゾリの練習にうってつけのベンチ」

それはさておき、きのうのブログで、この展覧会の構成が、

松本竣介の画風の変化と、彼が繰り返し描いたモチーフと描き方の違いを目の当たりにできる

と書いたのですが、それをちょいと追ってみましょう。

「太く黒い線がルオーを連想させ」る作品につづくのは、松本竣介版「青の時代」ともいうべき(?)緑と青が多用された作品群で、「Ⅰ-3.郊外:蒼い面」「Ⅰ-4.街と人:モンタージュ」のコーナーはほぼ一色に染まった感がありまして、なんとも心地良い…
もっとも、すべてが緑と青ではありませんで、こちら「黒い花」(1940年・岩手県立美術館蔵)は静かに燃えるようなが網膜を染め上げます(お持ち帰りしたかった作品の一つ)。

立ち並ぶ建物と行き交う群衆が描かれた1930年代末の作品群を見終えて第二会場に移ると、作風がガラリと変わります。

松本竣介盛岡中学入学直後に聴覚を失います。このため、徴兵されることはなかったわけですが、周りの友人・知人が次々と徴兵される中で自分が取り残される感覚はあったでしょうし、画壇まで戦時体制に組み込まれる時代の流れへの反発もあったのでしょう。
そんな状況が、「自分一人でも生きていくぞ」「家族と生きていくぞという意思がにじみ出るような「立てる像」「二人像」「五人像」を描かせたような気がします。

そして、風景画にはもっと劇的な変化が生じていました。
人気(ひとけ)が消えているのです。風景の中に登場する人物は0~3人程度で、しかもシルエットで描かれています。

フライヤーに使われている「Y市の橋」(1943年・東京国立近代美術館蔵)も、

130114_1_03

人がまったく描かれない以上に寂しさが伝わってくる気がします。
それは、「丸内風景」(1942年・花巻市博物館蔵)や、

130114_1_04

「議事堂のある風景」(1942年・岩手県立美術館蔵)や、

130114_1_05

開催時期が被ってしまった「美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」@東京国立近代美術館(こちらも1月14日まで)で展示中の「並木道」も…。

カメラで撮影する際、思い切り絞り込んでシャッター速度を遅くすると、動いているものはブレて、止まっているものだけクリアに写ります
このシルエットになっているのは、人びとが行き交う中で一人佇んで風景をスケッチしている松本竣介その人なのかもしれませんな。

   

松本竣介が繰り返し描いたモチーフ「Y市の橋」「ニコライ堂」から私が一番気に入った作品を並べておきましょう。

まず、「Y市の橋」

 

1946年といいますから戦後の作品(京都国立近代美術館蔵)です。

ちなみに「Y市の橋」のモデルは、横浜市西区にある「月見橋」こちらのサイト「41」)だそうな。

次に「ニコライ堂」はこちら。

130114_1_07

「月並み」かもしれませんが、「ニコライ堂と聖橋」(1941年・東京国立近代美術館蔵)です。

   

「Ⅲ.後期:風景」の最後のセクション「Ⅲ-9. 焼跡」に展示されていた「郊外(焼跡風景)」(1946-47年・岩手県立美術館蔵)に衝撃を受けました。

130114_1_08_2

空襲で焼き払われた街のスケッチを元に描かれた作品ですが、津波に襲われた東北の太平洋岸を連想してしまいます…

   

戦争が終わり、本人にその気持ちがあったかどうか判りませんが、徴兵されないことや戦争画を描いて軍部に協力しないことの後ろめたさのようなことから解放されて、松本竣介には新たな地平が広がっているはずでした。

130114_1_09 事実、またもや作風がガラリと変わって、「美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」で観た「建物」(1948年・東京国立近代美術館蔵)(記事はこちら)とか、こちらの「裸婦」(1947年・東京国立近代美術館蔵)とか、わたし的にはかなり魅力的な作品が描かれたのですが…。

図録に載っている年譜から1948年の稿を転載します。

1948年(昭和23年) 36歳
元日、床上げし、一家で正月を祝う。
この頃『諷刺雑誌VAN』『花』などの雑誌の挿絵を手がける。
2月、自由美術会員新作展に出品。
同月26日、次女・京子誕生。
この頃から、外出より帰ると疲労が見られ(肺結核を患っていたとされる)、周囲から休養をすすめられるが、制作活動を続ける。
5月、高熱をおして、絶筆《彫刻と女福岡市美術館蔵)》《建物大川美術館蔵)》《
建物》を完成。義妹・栄子らの手により第2回美術団体連合展会場に搬入される。
6月8日、気管支喘息による心臓衰弱のため自宅で死去。法名「浄心院釈竣亮居士」。
現在、島根県松江市奥谷町の真光寺に、妻禎子(2011年11月逝去)とともに眠る。

という次第…

きのうの記事で、

この展覧会の構成を「起承転結」になぞらえれば、「Ⅰ.前期」「Ⅱ.後期:人物」と「Ⅲ.後期:風景」「Ⅳ.展開期」にあたると思いますが、「」がありません。

と書きましたが、大勢の観客で賑わうこの回顧展が「」なのかもしれません

生誕100年を記念して昨年4月から岩手県立美術館神奈川県立近代美術館 葉山宮城県美術館島根県立美術館世田谷美術館と巡回してきた「松本竣介展」は、きょうでお終い
一堂に会していた作品はそれぞれの収蔵先に帰って行きます。
またいつか、どこかで松本竣介の作品に出会いたいものです。

   

世田谷美術館で買ってきた図録ポストカードをバッグから取り出すと、ポストカードが入っていた紙袋に1cm×2cmほどの小さなスタンプが捺されていることに気づきました。

130114_1_10

おぉ、これは「Ⅱ-6.童画」(子息・莞クンが4~5歳の頃に描いた鉛筆画を元にした作品群)に展示されていた「電気機関車」(1943-46年頃・神奈川県立近代美術館蔵)をモチーフにしたスタンプ

130114_1_11

いいですねぇ~、こういう遊びごころ

ふと外を見ると、天気予報どおり、が降りしきっています
きのう出かけておいてよかった…

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世田谷美術館の松本竣介展は1月14日まで

2013-01-13 21:59:06 | 美術館・博物館・アート

きょうは、こちら「絶対に行くぞと宣言していた世田谷美術館での「生誕100年 松本竣介展」を観てきました。

130113_1_01

朝の9時ちょい前に自宅を出発して、いつもの帰宅ルートを逆に、笹目通り⇒環八を南下。
いつもこんなに空いているといいのにな…と思うほどスムーズに、でも千歳台交差点は赤信号で…
途中、ファミレスでゆっくりと朝食を摂り、世田谷美術館専用駐車場にクルマを止め、美術館に着いたのは10:15頃でした。

130113_1_02

約2ヶ月ぶりの世田谷美術館、驚いたことにかなり混んでいました
どこかで作品を観たことはあったかもしれないけれど、私が「松本竣介」という画家を知ったのは今年8月にNHK 日曜美術館で放映された「沈黙の風景 ~松本竣介 ひとりぼっちの闘い~」がきっかけだったわけで、正直、これほど多くの人がに関心を持っているとは思いもよりませんでした(単に私が無知だっただけかもしれませんが…

さらに自分の無知を曝しますと、松本竣介が彫刻家の舟越保武(このブログでは何度も登場)と旧知の間柄で、っつうか、旧制盛岡中学校(現・盛岡第一高校、今もバンカラなのだろうか…)の同期生で、二人展や麻生三郎を加えた三人展を何度か開催していたというのも驚きでした。
いずれにしても、いつか岩手県立美術館に行ってコレクションを拝見しなくては

話を「生誕100年 松本竣介展」に戻しましょう。

130113_1_03 展示は、

Ⅰ.前期
Ⅱ.後期:人物
Ⅲ.後期:風景
Ⅳ.展開期

大まかに時代順と分かれ、更に「Ⅲ.後期:風景」を例に採り上げれば、こんな風にモチーフ別に整理されていました。

Ⅲ-1. 市街風景
Ⅲ-2. 建物
Ⅲ-3. 街路
Ⅲ-4. 運河
Ⅲ-.5. 鉄橋付近
Ⅲ-6. 工場
Ⅲ-7. Y市の橋
Ⅲ-8. ニコライ堂
Ⅲ-9. 焼跡

松本竣介の画風の変化と、彼が繰り返し描いたモチーフと描き方の違いを目の当たりにできる良くできた構成だったと思います。

偶然ながらこの展覧会と同様に「生誕100年記念」と冠した「瑛九展」を観たとき(記事はこちら)、瑛九というアーティストの「作風」はとても一言では言い表せない、人によっては別人の作品かと見まごうほど変化しうることと思い知らされましたが、松本竣介もまさにそうした変遷を繰り返した画家の一人であることを知ることができました。

この展覧会の構成を「起承転結」になぞらえれば、「Ⅰ.前期」が、「Ⅱ.後期:人物」と「Ⅲ.後期:風景」が、「Ⅳ.展開期」がにあたると思いますが、「」がありません。

その話はもうちょい後にするとしまして松本竣介の(短い)生涯にわたる作品群を観ていると、私の小さな引き出しから様々なアーティストの名前が浮かんできました。
初期の作品は太く黒い線ルオーを連想させましたし、こちらの作品「街」は、

130113_1_04

全体的にシャガールっぽい印象がある一方、左下に描かれた男性は、

130113_1_05jpgわが敬愛するベン・シャーンを彷彿とさせるし、こちらの作品「セーラー服の少女」は、

130113_1_06奈良美智っぽかったりして…。

でも、やはり松本竣介は松本竣介で、代表作「立てる像」

130113_1_07 存在感たるや…

まだまだ書きたいところなのですが、きょうはここでお終い。
明日、つづきを書きます。

取り急ぎっつうか、この記事のタイトル「世田谷美術館の松本竣介展は1月14日まで」のとおりです。
お急ぎください

つづき:2013/01/14 「松本竣介展」と「美術にぶるっ!」は今日が千秋楽

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2012年4Qの「いつも赤信号な交差点」ランキング

2013-01-12 13:58:26 | タウンウオッチング

年が変わったことですから、「いつも赤信号な交差点」(初出はこちらの記事)の2012年4Q(第4四半期:10-12月)のランキングをまとめました。
もっとも、「第4四半期」といっても、データを取り始めたのはこちらで書いたように去年の10月22日でしたから、「2ヶ月と1週間」の集計です。


で、渋滞を除いて赤信号に引っかかる確率が高い「いつも赤信号な交差点」ベスト10(ワースト10?)は、


1位:土支田(笹目通り) 100%
2位:千歳台(環八) 93.1%

3位:宮の前(R246) 64.0%
4位:中の橋(環八) 61.9%
5位:有馬四丁目(R246) 60.0%
6位:世田谷清掃工場前(環八) 58.6%
7位:東工大入口(R246) 57.9%
8位:観蔵院入口(笹目通り) 54.5%
9位:環八神明通り(環八) 52.6%
10位:名無し[牛房歩道橋南](笹目通り) 52.4%


でございました
そうそう、側道から大きな通りに合流する「瀬田(64.5%)」「笹目橋(78.6%)」は、ランキングから除外しています。


また、複数の交差点のユニット「いつも赤信号な区間」を構成してる地点のランキングはこんな風になっています。


1位:谷原周辺の5交差点(笹目通り) 92.6%
2位:世田谷清掃工場前 & 大蔵一丁目(環八) 79.3%
3位:東電荻窪支社前 & 荻窪白山神社北(環八) 74.1%
4位:牛房歩道橋前後の2交差点(笹目通り) 73.9%
5位:環八神明通り⇒南荻窪一丁目南⇒川南(環八) 72.2%


ちなみに「5位」「環八神明通り⇒南荻窪一丁目南⇒川南」は、R246の「東工大入口⇒つくし野」に次ぐ渋滞ポイントでして、渋滞まで加味した「いつも止められる区間」度は、環八神明通り⇒南荻窪一丁目南⇒川南81.5%「東工大入口⇒つくし野」87.9%という高率になってしまいます。


こんなわけで、私の帰り道で鬱陶しく思っている区間は、1位渋滞プラス「いつも赤信号」上位に食い込んだ「東工大入口⇒つくし野⇒長津田⇒宮の前」(R246)、


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2位がクルマの流れを止めようとしているとしか思えない度しがたい信号制御をしている「高松六丁目(最近、赤丸急上昇[死語か])⇒土支田⇒名無しの三叉路⇒名無し[牛房歩道橋南]⇒名無し[牛房歩道橋北]⇒名無し[坂上歩道橋手前]」(笹目通り)、


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大きな地図で見る


3位がなぜか連発で止められることの多い「有馬四丁目⇒有馬病院入口」(R246)がワースト3です。


<iframe width="400" scrolling="no" height="300" frameborder="0" src="https://local.google.co.jp/?ie=UTF8&amp;t=m&amp;brcurrent=3,0x6018f6f5b67a8443:0xb350bbce15c1dc9b,1&amp;ll=35.577283,139.581406&amp;spn=0.005236,0.008562&amp;z=16&amp;output=embed" marginwidth="0" marginheight="0"> </iframe>

大きな地図で見る


なお、環八の川南を先頭にした渋滞(酷いときには千歳台辺りまで繋がっている…)はさじを投げています


   


日経新聞中嶋一貴さんがコラムを書いていて、去年11月6日、「なぜクルマを運転する機会が減ったのだろう」と題する記事で、


移動の自由を与えてくれる道具である車は、「動いてなんぼ」だと僕は思っています。だから、渋滞が嫌いです。できるだけ、止まらず、走っていたいのです。ところが、日本では様々な交通ルールや道路事情から、「無駄に止まる」ことが多いのではないでしょうか。
(中略)
 欧州と日本のドライブ環境の違いで感じる最大の違いは、欧州では「車は走って動くもの」という前提で道路が作られていることです。信号は少なく、その代わりに町中には「ラウンドアバウト」があります。ラウンドアバウトは円の中心に近い車が先に行きたい方向に行く優先権を持つという仕組みなのですが、車が他にいなければ止まらなくてもいいので自由に動けます。運転手の主体性に任されているという状況には感動しました。
信号という仕組みは、赤で止まり青で進むというシンプルなものですが、車も歩行者もあまり考えることなく、半ば機械的に赤で止まり、青で進むというのは危険なことだと思います。
日本は一時停止も多い。徐行すれば済むようなところを、一時停止させられてしまう。しかも、完全に止まっていないという理由で罰金を取られることさえあります。自分では安全運転をしていると思っていても、そういう細かいところで違反切符を切られてしまうと、運転する気も次第にうせてきます。
最高速度100キロでしか走れない日本の高速道路。一律の制限速度には事故が起きた場合の被害を減らすという利点があるのかもしれません。しかし、自分の責任で安全確保につとめながら、移動する自由を楽しむという車の本質を犠牲にしてはいないでしょうか。


と書いていらっしゃいました。
かなり同意しながらこのコラムを読んで、しばし考えてみると妙な信号制御は警察(公安委員会)だけのせいではない気がしてきます。
自律的な運転ができないドライバーがいること、警察がドライバーを信用していないこと、事故が起これば警察や道路管理者の責任が追及されがちなこと、こんなことが重層して「交通は規制すべきもの」となってしまっているのかと思います。
毎朝、渋滞の中、首都高速5号線志村料金所を通過して、6列の車列がものの見事に2列に収斂していく儀式に参加していると、たまには変なクルマ(首都圏以外のナンバーのクルマや、数人が乗り込んだ1BOX車に多い)もいますけれど、もっとドライバーを信頼しても良いと思うのですがねぇ…


<iframe width="400" scrolling="no" height="300" frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" src="https://local.google.co.jp/?ie=UTF8&amp;t=k&amp;brcurrent=3,0x6018eccdc2b487eb:0x9aefecd1cce6cf29,1&amp;ll=35.774124,139.685894&amp;spn=0.001306,0.00214&amp;z=18&amp;output=embed"> </iframe>
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さて、今後、この「いつも赤信号な交差点」は、月〆めで、直今3ヶ月を集計してみようと思っています。


注目(?)は、①土支田の「いつも赤信号」はいつまでつづくのか②世田谷清掃工場前の「復権」はあるのか③高松六丁目が上位に食い込んでくるのか、の3点です。


【追記】Google マップを追加しました。(2013/01/12 21:48)

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ドラマ「火怨・北の英雄 アテルイ伝」にはがっかり

2013-01-11 23:52:12 | テレビ番組

昨年末からNHK一所懸命に番宣していた番組が二つありまして、一つは綾瀬はるか主演の大河ドラマ「八重の桜」で、もう一つが、大沢たかお主演のBS時代劇「火怨・北の英雄 アテルイ伝」でした(主演2人の組み合わせ、否応なく「JIN -仁-」を思い出します)。


130111_1_01 私は「八重の桜」に勝るとも劣ることなく「火怨・北の英雄 アテルイ伝」に期待しておりました
なにせ、私には蝦夷(えみし)が流れていると信じていますから(ただし、根拠なし…
原作の高橋克彦「火怨 北の耀星アテルイ」を読んでいますしねぇ。


しっかと自宅のブルーレイ・レコーダーで録画予約しておいて、きょう、帰宅すると早速見始めたのですが…。


のっけから違和感が…
なんで東日本大震災に絡める?
出演者の方言がかなぁ~り不自然


と、一気にテンションがダウン


そして、本編に入ればなんとかなるかと思いきや、、、、、


冒頭に輪をかけて酷い


脚本演出も、昔見せられた「小中学生用の教育ドラマ」レベルのデキ…
ものの10分ほどで見続けるのが鬱陶しくなってしまいました
語弊があるかもしれませんが、めったにドラマを作る機会のない地方のTV局「開局●●周年記念」とかなんとかで背伸びして制作したドラマみたいな感じです。


今現在、ブルーレイ・レコーダーには「火怨・北の英雄 アテルイ伝」第1回が残っているんですけど、どうしましょうか…


とりあえず通して観て、それから録画を続けるか、さっさと録画予約をキャンセルするかを決めることにします。

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気がつけば、随分とご無沙汰していました

2013-01-10 22:26:31 | 演芸・演劇

きょう、帰宅するとカトケン(加藤健一)さんからのDMが届いていました。
次の公演のご案内でございます。


130110_1_01 おぉ、戸田恵子さんとの二人芝居ですかぁ


演目は、ロシアの劇作家、アレクセイ・アルブーゾフ「八月のラブソング」
フライヤーによれば、


2013年最初のカトケンワールドは、
世界的にヒットした名作ラブ・コメディに、戸田恵子と加藤健一が挑戦!
沢山の痛みや悲しみを乗り越えてきたあなたに贈る、
ちょっとビターな大人のラブ・ストーリー。
もう一度、恋してみませんか?


ですって
私が「沢山の痛みや悲しみを乗り越えてきた」かどうかは別として、そそられますなぁ~


こりゃ、観に行くしかないでしょ
戸田さんの声、大好きだし


ふと気がつきました。カトケンの芝居って、随分とご無沙汰していました
2011年7月の「滝沢家の内乱」以来…


よしっ、行くぞ「八月のラブソング」

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東博に初もうで2013(その3)

2013-01-08 22:34:16 | 美術館・博物館・アート

「東博に初もうで2013(その2)」のつづきは、予告どおり、リニューアルなった東京国立博物館(東博)東洋館(アジア・ギャラリー)です。


130108_1_02


東洋館の見た目は全然変わっていませんが、中は新築っぽい
とりわけ、1階のロビーから見た「中国の仏像」が、ふおぉ~


130108_1_03 ほの暗い館内に石仏菩薩立像、中国山西省長子県付近、北斉時代・天保3年(552))が浮かび上がって、幻想的です
この仏さんの手前右側にいらっしゃる観音菩薩立像(中国河北省、随時代・開皇5年(585))がまた…


130108_1_04 何だか、石窟に迷い込んで石仏に出会った感じ


この2体に限らず、総じてライティングが見事です
東京国立博物館ニュース号外によれば、


展示ケース内の照明器具は、LEDを用いました。「中国の絵画・書跡」では、LED照明の色温度も調整することができます。また、独立展示ケースは天板もガラスで制作したので、天井からの自由な証明が可能に。作品はより美しく輝くことでしょう。


だそうで、確かに自慢の照明が作品を引き立てています
例えば、「ニュース」の号外にも載せられているこちらの作品、


130108_1_05


エジプト プトレマイオス朝時代(BC304~BC30年)「鴇像」なんて、現物は、


130108_1_06


私のつたない写真の業をもってしても、こんなに魅力的に見えます


これはもう、生で観るしかありませんゾ


今回は、閉館時間が迫っていて東洋館はさらっと観ただけですが、こりゃ楽しい
取り急ぎ気に入った作品を載せておきましょう。


こちらは、イラン出土の「彩文土器 馬形リュトン(BC 1千年紀)。


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とぼけた感じがよござんす


こちらの「緑釉犬」(中国・後漢時代(2~3世紀))も良い味を出しています。


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また、約2年前に東博での「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」展(記事はこちら)で観た「舎利容器」(6~7世紀)も、しげしげと拝見


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「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」展のときはこれほどじっくりと観られなかったよなぁ~。


次に東博に来るときには、もっと腰を据えて東洋館を見物させていただきます

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いつものデザインに復帰

2013-01-07 21:36:27 | 日記・エッセイ・コラム

このブログでは、元旦からデザインを「お正月バージョン」にしていました。


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んでもって、松の内が明けるというので、「お正月バージョン」からいつもの「雨上がりバージョン」に戻しました。
やはりこちらの方が落ち着きます


私はブログ人テンプレートを使っているのですが、テンプレートによって1行に納められる文字数やピクセル数が異なっていて、テンプレートを変えるとところどころレイアウトが乱れてしまうんですな
今年使った「お正月バージョン」も、「雨上がりバージョン」より微妙に幅が狭くて、過去の記事ではレイアウトが妙なことになっていましたが、これで私が意図したレイアウトに戻りました
ちょいと一安心です。

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東博に初もうで2013(その2)

2013-01-06 18:17:26 | 美術館・博物館・アート

「東博に初もうで2013(その1)」のつづきも東京国立博物館(東博)本館(日本ギャラリー)2階からお送りします。


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この日の本館2階は、松林図屏風(英文名だと“Pine Trees”と味も素っ気もない)や風神雷神図屏風(こちらは“Wind God and Thunder God”とそのまんま)だけでなく、絵画を堪能できました。
まずは、全作品を観るのはフェルメールの現存作品制覇よりも遙かに難しいと思われる「佐竹本三十六歌仙絵巻断簡」(お暇なら、こちらの記事もご参照方)から住吉明神


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正直申し上げて、背景を知らなければ「どうしてこの作品が重要文化財?」と思いそうな作品でした。
次は、歌川広重肉筆画3連発


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右から順に「東都御殿山・真乳山図」(ペア)、「御馬献上行列図」、「富嶽図」です。
このうち「御馬献上行列図」は、毎年八朔(旧暦の8月1日)に天皇の御前に披露(駒牽:こまひき)する馬を献上するための行列を描いたもののようです。


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かの名作「東海道五十三次」は、広重が御馬献上の一行として京に上ったときに描かれたとか、一行に加わるには広重の身分(同心)が低いとか、実際に旅行したにしては事実と異なる絵があるとか、諸説紛々でありますが、そんな話を思い出しながらこの絵を観るのもまた一興です。


お次は英一蝶「富士山図」


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あまり一蝶っぽくない作品ですな。


130106_2_06 書画の最後は、一休さんこと一休宗純の「杜甫騎驢図賛」。

なんと書いてあるのかと、ネットをさ迷いつつ調べた結果、以下のような七言絶句と判明しました。


日短乾坤一腐儒
残生七十吟鬚雪
不騎官馬只騎驢
漠々蜀江風色癯


「腐儒」とは「役立たずの学者」「癯(ク)」「やせる」という意味のようで、しっかりと読み下せなくても、もの悲しさが漂います


そういえばこちらの記事に登場した李白とこちらの杜甫について、高校の漢文の先生曰く、


(詩の中で)李白はしょっちゅう酒を飲んでるし、杜甫は泣いている


とのこと。随分昔のことを思い出しました。


   


本館2階で観た作品の最後は、特集陳列「巳・蛇・ヘビ」からこちら。


130106_2_07 「飛天十二支八花鏡」(随~唐時代・7世紀)です。

説明板には、


これは12の干支の動物を、中央の四角い枠の中に表した鏡で、蛇は下の右端にいる。


ということで、確かにの間にヘビがいます。

でも、ヘビ絡みでこの作品を展示するのはちょいとズルいかも…。何せ、どの干支でも使えますから…。


「その3」は、リニューアルした東洋館からお伝えします。


つづき:2013/01/08 東博に初もうで2013(その3)

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