新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

頼朝さんはかっこよかった!(その4:完結編)

2011-08-05 15:10:57 | MISIA

頼朝さんはかっこよかった!(その3)」のつづき、完結編です。

ここで2日間の旅程を書いておきます。

初日が、

自宅羽田空港福岡空港(⇒地下鉄空港線天神駅
⇒ホテル西鉄福岡(天神)駅西鉄天神大牟田線西鉄二日市駅
⇒西鉄太宰府線太宰府駅九州国立博物館(九博)⇒太宰府天満宮
太宰府駅⇒西鉄太宰府線西鉄二日市駅西鉄天神大牟田線
西鉄福岡(天神)駅⇒ホテル

そして2日目は、

ホテル天神駅地下鉄空港線西新駅福岡市博物館
西新駅地下鉄空港線福岡空港(羽田空港自宅

でした。

福岡に出かけるにあたって、太宰府に行くことは当然のこととして(旅行の目的が九博で頼朝さんにお目にかかることでしたから)、その他のスケジュールは白紙でした。
帰りの飛行機の出発は13:00と、かなり早い便に設定したもので、2日目の午前中はどうしようか…と熟慮の末、金印を観に福岡市博物館に行くことにしました。

110805_2_1漢委奴國王印」は、去年の福岡遠征記(こちら)で書いたように、中学校の歴史の授業で実物大の模型をもてあそんだ他、大博通りの歩道にある巨大なレプリカを観たし、九博の「文化交流展示」でも実物大の模型を観てきたばかりですが、いかんせん、本物を観たことがありません

ということで、荷物は地下鉄・西新駅(「にし」と読むのですナ)のコインロッカーに入れ、福岡市博物館を目指して地上に出ました。

初めての西新は、博多とも天神とも違う、建坪率の低い、落ち着いた街並みと新しい高層マンションが目につきました。この地区に住もうとしたら、結構お高いのではなかろうかという印象を持ちましたが、実際はどうなのでしょうか?

それはともかく、西新の街に降りたって最初にカメラに収めた西新の風景がこちら。

110805_2_2

篆書で「修猷館」と彫り込まれた、いかにも由緒ありげな門です。
調べるまでもなく、すぐ隣りにある福岡県立修猷館高等学校の旧校門なのだろうと推察できます。

この修猷館高校の隣りには西南学院大と、なるほど、西新は文教地区なんだなと思い至りました。

110805_2_3

西南学院大といえば、そう MISIAが通っていた大学

せっかくMISIAゆかりの地区に来たのだからと、近くのローソンで、当選していたTHE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUESTのチケットのうち、とりあえず大宮公演の分を発券しました

110805_2_4

   

今回の旅行では地図やガイドブックなしで歩き回ったもので、福岡市博物館の位置がよく判りません。そこで時々ケータイの地図アプリを見ながら歩いて行きますと、、、、

到着しました

110805_2_5

でも、様子が変です(カメラの設定も変だ…)。
入口が入口っぽくありません。

110805_2_6

かなり地味で、なんとなく通用口っぽい…
それでもズンズン入っていくと、、、

110805_2_7

ほわぁ~ なんとバブリーな空間
それでいて常設展の入場料は200円

110805_2_8

大丈夫か、福岡市 やって行けるのか、福岡市
まぁ、これは余計な心配ですな

それよりも、この入場券といただいたリーフレットを見て、私が入ってきた入口はやはり通用口だったらしいことに気づきました

   

さて、肝心の展示は、目玉の金印はもちろんのこと(観客が少ないため、ガラスケースにぎりぎりまで近づいて思う存分眺められました)、地方の博物館らしく、「郷土の歴史」を楽しく勉強できました。

とりわけ眼福だったのは、黒田節で有名な大槍・日本号(全長3.2m超)と、黒田長政公の具足の現物

110805_2_9 黒田長政公の具足と言えば、バイキングを連想するような大きな角が生えた兜大水牛脇立兜というらしい)と、右の「黒田長政像」に描かれているいかにも空気抵抗の大きそうな兜を思い浮かべます。

この肖像画にも描かれている「一の谷形兜」という名の兜を観ることができました。

110805_2_9a

この兜、前から強い風が吹いたら、首が後ろにカックンしそうだし、かなり重そうです
ところが、一見、鉄板かと思うこの兜の飾りは、ヒノキの薄板を曲げて、それに銀箔を捺しているのだとか。
なるほど、それなら見かけと違って軽そうです。
防御面ではさえ頑丈に作っておけば良いわけですし。

この他、ジオラマ好きの私が萌え上がった展示は、「マチ・ムラ・ウラの交流」コーナーに展示されていた、山笠が建物の軒をかすめて(いや、ぶつかっていると思う)小路に曲がっていこうとする博多祇園山笠のジオラマでした。

福岡市博物館では特別展「吉村作治の古代七つの文明展」も開催されていましたが、昼食の時間を削ってまで観たいとは思わず、常設展示だけでお終い

   

そして、入場したときとは別の、今度は正面入口から外に出ました。

110805_2_9c

いやはや、やはりバブリーな施設です

110805_2_9b

これほど壮大な市立博物館の一番の目玉収蔵品が、あの小さな金印だというのは、なかなか感慨深いモノがあります。

こうして訪問を終えた私は西新駅まで戻り、コインロッカーから荷物を取りだして、家路についたのでありました。

西新駅福岡市博物館の私が歩いたルートは、

110805_2_9d

でした。
う~む、、ローソンTOMJSQのチケットを発券したあと、西新通り交差点を左折するべきだった…。

110805_2_9e

サザエさん発案の地」の案内板が設置されている西新通り交差点には、ちゃんと地図まであったというのに、私としたことが…
おおぉ~、4列目」と、TOMJSQ大宮公演での座席に舞い上がっていたせいでしょ、K.I.T…

ということで、ほぼ1日半の福岡旅行はこうして目的を果たして終了したのでありました。
めでたしめでたし

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頼朝さんはかっこよかった!(その3)

2011-08-05 10:26:11 | 旅行記

南九州旅行記が未完ですが、先に先週の福岡旅行記をお終いまで書いてしまうことにして、7月29日の記事「頼朝さんはかっこよかった!(その2)」のつづきです。

九州国立博物館(九博)の特別展「よみがえる国宝」は、(その1)(その2)で書いたように、かなり堪能いたしました。

110804_2_1

そうそう。日本の古い美術品の展覧会の常として、会期中の展示替えが頻繁で、せっかく出かけたのに、一番観たかった作品が無ぁ~い~ なんてことがありがちです。
お出かけ前に「作品目録」で展示予定を確認することをお薦めします。ちなみに「頼朝さん」の展示は既に終了しています

ところが、作品目録では展示されているはずだったのに、展示ケースがぽっかりと空白になっていたところがありました。
それは、米国のヒューストン美術館収蔵の「日吉山王祭礼図屏風」。
東日本大震災の影響で期日までに持ってくることができなかった云々といったお詫びが掲げられていました。
こんなところにも東日本大震災の影響が及んでいるとは思いもよりませんでした。
細かな事情は判らないにしても、素直に現実を受け入れつつも、せめて複製画くらい、いや簡単なコピーでもいいですから、何かを展示しておいて欲しかったと思う私でした。

で、今時点、特別展「よみがえる国宝」で「日吉山王祭礼図屏風」が展示されているかどうかは、私には判りません。九博のHPを見ても、「日吉山王祭礼図屏風」に関する情報(展示しているor展示していない)が皆無なのは、いったいどうしたことでしょうか

そもそも、九博のHPを見る限り、私が九博にでかけた7月28日に「日吉山王祭礼図屏風」が展示されていなかったことすら、何の記述も無い

   

110804_2_2 まぁ、「日吉山王祭礼図屏風」を巡る突っ込みはこの辺にしておきまして、九博の場合は「文化交流展示」と呼ばれる常設展のことをちょいと書きます。この展示の中に、「トピック展示」(東博でいうところの「特集陳列」のようなもの)がありまして、この日は「斉明天皇と飛鳥」が開催中でした(8月28日まで)。

斉明天皇は、中大兄皇子こと天智天皇大海人皇子こと天武天皇の母君、つまり女性の天皇です。
しかも、2度にわたって天皇に即位したことから、皇極天皇という諡も持っていらっしゃる方です。

日本史で習う「大化の改新」の発端となった蘇我入鹿暗殺事件乙巳の変)が起こったのは皇極天皇在位中のことで、譲位(日本初の「天皇譲位」らしい)した異父弟の孝徳天皇が亡くなったあと、日本で初めて重祚(=退位した後、再び天皇に即位すること)し、唐・新羅連合軍に滅ぼされた百済の再興支援に向かう途中、福岡・朝倉で崩御されたとか。

額田王の歌として万葉集に収録されている

熟田津爾船乗世武登月待者潮毛加奈比沼今者許芸乞菜
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかないぬ今は漕ぎ出でな

は、この時の朝鮮遠征に向かう途中に斉明天皇が詠んだものという有力な説があるそうです。

九州の地と縁の深い斉明天皇の生涯を追うこの展示で一番目を引いたのは、リーフレットにも使われている明日香村・酒船石遺跡亀形石造物の実物大模型でした。

私、4年前の「天皇賞<春>観戦 & 明日香・斑鳩ツアー」の時、現物を観てきました。
その時の写真がこちら

110804_2_3

もう一枚、近づいて撮った写真。

110804_2_4

この明日香・斑鳩探訪は、天候にも恵まれて、ホント楽しかった…

それはともかくも、九博に展示されていた「亀形石造物」の模型を観たおばさまが、「あっ、亀石
って、これは「亀形石造物」で、「亀石」ではありません
明日香の「亀石」はこちらです

110804_2_5

ありゃりゃ、九博ネタのはずが、明日香ネタになってしまいました…
まぁ、1400年近く前のお話ですから、4年前のことなんか、誤差の範囲内です(←意味不明)。

というわけで、トピック展示「斉明天皇と飛鳥」はいろいろ感慨深いものがありましたが、「文化交流展示」全体としては、昨年1月にやってきたときと同様にボチボチ…の印象でした。

   

110804_2_6 九博の館外に出て、ソフトクリームを食した後、散策路を歩いてみました。

110804_2_7 暑さは首都圏とさほど変わらないものの、福岡は湿度が低い感じで、私としては好ましい天候です

しかも、こんな緑陰を歩くと何とも爽やかで快適

トンボがひらひらと飛び交って(危なげなもいましたけど…)、さらに、ときおり、グオン、グオンという怪しげな鳴き声が聞こえてきていました。もしかしてウシガエルか?
まさしく「声はすれども姿は見えず」でありました。

110804_2_8 ここで見かけたこちらはハグロトンボでしょうか?

で、移築・復元された浦ノ田遺跡の横目に先に進んでいきますと、きれいに整備されていた散策路の様子が変わり、草ぼうぼう

110804_2_9 上に載せた地図によれば、この散策路は県道までつながっているはずで、ベンチも置かれていますから、散策路から外れているわけでもありません。

もっと先まで行ってみたい気持ちもありましたが、ここで引き返すことにしました。
なにせ、こんな看板まであったもので…

110804_2_9aヘビといえば、私の父方の祖父は大のヘビ嫌いでした。

私の「あいうえお」の絵本の「」に載っていたヘビのイラストに紙を貼ってしまったくらい。

父によると、そんなヘビ嫌いの祖父がマムシ酒を愛飲していた時代があったそうで、そんな時でも、一升瓶に入れたマムシが見えないよう一升瓶に紙を貼っていたそうな。

マムシは嫌いだけど、マムシ酒は好き
なんともアンビバレントなおじいちゃんです

   

ということで、九博を後にして、太宰府天満宮にお参り。太宰府天満宮で撮った写真を数枚ご紹介いたしましょう。

まず、立派な石灯籠

110804_2_9b彫り込まれた寄進者のお名前は、「麻生太吉
もしかして…と調べると、やはり麻生太郎元総理大臣ひいおじいちゃんでした。
さすがは麻生財閥ですなぁ。

次は、目を剝く狛犬

目を剝くのは見ている私だけではなく、狛犬さん自身も目を剝いています

110804_2_9c相方の吽形も同じ目をしているのは当然として、拝殿の前のペアも、こんな目をしていらっしゃいました。

110804_2_9d太宰府天満宮に来たのは、これが3回目でしたが、初めて気がつきました。
私の「獅子・狛犬コレクション」においしい作品が加わりました

太宰府天満宮の目玉の木ともいうべき飛梅は、きれいに剪定されていました。

110804_2_9eこれにて太宰府訪問を終え、福岡に戻ったのでありました。

 

 

つづき:2011/08/05 頼朝さんはかっこよかった!(その4:完結編)

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