私が毎日のように乗っているJR埼京線の車両には、りんかい線(東京高速臨海鉄道)所属の車両を除いて、こんな文字が書かれています。

「定員144」、、、じゃなくて
、「宮ハエ」
この車両が大宮支社川越車両センターに所属していることを表しています。
川越⇒かわごえ⇒カハゴエ⇒ハエ
というわけ。旧仮名遣いなんですな。
国鉄・川越(カハゴエ)駅が開業した1940年当時、「カワ」は川崎駅(1872年開業
)、「カコ」は金子駅(1931年開業)、「カエ」は高円寺(カウエンジ)駅(1922年開業)、「ハコ」は函館駅(1907年に国有化)で既に使われていて、やむなく「ハエ」になってしまったらしい。
でも、川崎(カハサキ)が「カワ」なら川越も「ワエ」でいいじゃないかと思う私です。

前置きが長くなりました
2月13日に決行した川越の街歩きのことを書きます。2月14日の記事「『二引』が二連発(その1)」のつづきのようなものです。
川越市役所の駐車場
にクルマ
を駐めた私は、小江戸川越観光協会のHPからダウンロードした「散策ガイドMAP(PDFは8.5Mbyte)」から1枚だけプリントアウトした地図を持って、まずは蔵造りの街並みで有名な一番街へと向かいました。
と、川越市役所の前に銅像があることに気づきました。
唐人傘を被り、左手に弓、右手に枝(山吹でしょう)を持っているといえば、、、やはり太田道灌さんの像でした。
太田道灌が江戸城を築いた(15世紀央)ことは知っていましたが、江戸城に先立って川越城を築いていたことは知りませんでした
太田道灌の像といえば、旧都庁のシンボルで、現在は東京国際フォーラムに鎮座されている銅像が思い浮かびます。
ちょいと調べると、旧都庁(府庁)に最初の太田道灌像(渡辺長男:作)が設置されたのは1924年。この像は太平洋戦争中の金属供出で溶かされてしまい、現在の像(渡辺長男の弟・朝倉文夫の作)が1956年、そして川越市役所前のこの銅像が設置されたのは1972年のようです。
だからどうした? と聞かれても困ります…
また、この記事を書くにあたっていろいろ調べていると、川越城は国立歴史民俗博物館が所蔵している「江戸図屏風」にも描かれていることが判りました。
さっそく、川越に出かける約1週間前に観てきたばかり
の「江戸図屏風(複製)」の写真を見直しますと、ありました


さて、ようやく歩き始めることにしましょう。
私が川越の街歩きを始めたのは9:30頃でした。
なんとも早い時間で、商店街も、閉まっている店や、開店準備真っ盛りの店がほとんどです。
でも、時間が早いメリットも大きい
クルマ
の数が少ないのですよ。ほら

通りを挟んだ反対側から建物を撮影するのもラクラクです

川越の蔵造りって、屋根のボリューム感が相当なものです。棟の両端に取り付けられている鬼瓦(“鬼”ではなく“州浜”のデザイン)がモリモリ
ところで、この川越の蔵造りの街並みについてWikipediaにはこのように記述されています。
町の3分の1を焼失した1893年(明治26年)の川越大火で焼け残ったのが江戸期の蔵造り建築であったので、その後、各商家が倣った。かつては200棟を超える蔵造りの町屋が建ち並び、川越商人の財力を示した。高価な黒漆喰をふんだんに用いているのが川越の見世蔵の大きな特徴である。
江戸期の建物と19世紀末以降に建てられた建物が渾然一体となっているんですな。
と、視線に飛び込んできたのは「ネコの群れ」

一瞬、ここに住んでいる人が趣味でヤマト運輸のマスコットを飾っているのかと思いましたが、ヤマト運輸のホントの営業拠点でした。

違和感なくマチナカに溶け込んでいます。
ヤマト運輸にとって宿命のライバル、郵便局も負けてはいません。

郵便ポストまで特別製です
おっと、川越のシンボル、時の鐘を紹介しておかねば

川越の街の面白いところは、こんな「小江戸」の街並みだけでなく、もうちょっと時代が下ったレトロな街並みもあること。そちらの話はまた後日
つづき:2011/02/26 「かはごえ」は素敵な街でした(大正浪漫編)