新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

徒然煙草@「徒然草」展 (後編)

2014-08-11 16:26:16 | 本と雑誌

6月23日に「徒然煙草@『徒然草』展 (前編)」という記事を書いて、

というところで、「後編」につづきます。

としめました。
そのうちに「後編」を書こうと思いつつも、ゴールデンウィークの「紀伊半島旅行記」の真っ最中でしたし、仕事で時間と気力をかなり消費していたもので、なかなかつづきを書くことができませんでした。
『徒然草』展の会期中には書きたい」と思いつつも、それは叶わず、『徒然草』展は1ヶ月近く前に終わってしまいました
でも、つづきを書かないうちは、どうも気持ちが収まりどころを見つけられないモヤモヤした気分なもので、遅ればせながら「後編」を書くことにします。

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日本の公教育では、誰しも中学・高校の国語で古典を勉強する(勉強させられる)わけですが、当事者にとっては、「何でこんな勉強をしなくてはならないんだと思いがちではなかろうか?
少なくとも私はそうでして、特に「源氏物語」退屈の極みでした。主語のない文が多くてそもそも意味が判りづらいし、和歌「源氏」以前の古典の素養がないと、深読みできない…。「枕草子」も、才気ほとばしる官女たる清少納言の作品だけに、読み手に「和歌や古典の素養」が求める点で「源氏」と似たところがあるかもしれません。

ところが、わが「徒然草」は、貴族・武士・僧侶・庶民と幅広い人々が登場するし、一話完結だし(随筆ですから…)、説教くささがほとんど無いし、そして、「笑い話」とも呼べるような話が随所に登場するといった点で、取っつきやすさ古典随一ではなかろうか

この展覧会を観るまで、気にもとめなかったことですが、兼好法師は、同時代人には歌人として知られながら、随筆家(徒然草の作者)として世に広く知れわたるようになったのは、展覧会のHPによれば、

『徒然草』は、鎌倉時代末期頃に成立した後、約100年経った室町時代になってから、次第に歌人や連歌師たちによって、共感をもって迎えられるようになりました。そして江戸時代になると、江戸幕府の学問奨励や印刷技術の発達を背景に、一気に幅広い読者層を獲得しました。

とのことで、特に慶安5年(1652年)に出版された絵入り注釈本「なぐさみ草」松永貞徳筆)が、その後の「徒然草絵を方向付けるとともに、大衆化に貢献した由。
私が高校時代に使った副読本(去年夏の帰省中に書いたこちらの記事にも登場)を読み返しますと、「徒然草の価値」の一つとして、

作者は仏教の説く無常感を高唱するが、それは現世を否定して、来世をあこがれる消極的な無常感ではなくて、かえって人生は無常なるがゆえに、刹那を尊ぶべきだとする肯定的な無常感となっている。これは近世の町人の現実主義的人生と関連あるもので、その点近世人の共鳴を得られる。

と書かれています(筆者は冨倉徳治郎氏)。
なるほどねぇ~ でも、徒然草が江戸庶民に受けた一番の理由は、読んで知的満足感が得られるネタ笑えるネタが渾然一体となって名文(読みやすい・理解しやすい)で語られている点ではなかろうかと思います。

   

と、『徒然草』展のことを書くつもりが、「徒然草」のことばかりを書いてしまいました
でも、「徒然草」をある程度読んで、知っていると、より『徒然草』展を楽しめると思いましたので…。

さて、『徒然草』展の目玉は、海北友雪による「徒然草絵巻」全20巻であることは、衆目の一致するところ、、、というか、サントリー美術館がこの作品を手に入れた記念展が、この『徒然草』展なのだと思います。

実際、「徒然草絵巻」の展示にはが入っていました。
作品が展示されているケースの上には、格段の概要が平易な文章で掲示されていて、鑑賞を手助けしてくれました。

例えばこちらの作品、

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これは「第45段」。短文ですので、原文を全文コピペしましょう。

公世の二位のせうとに、良覚僧正と聞えしは、極めて腹あしき(怒りっぽい)人なりけり。
坊の傍に、大きなる榎の木のありければ、人、「榎木僧正」とぞ言ひける。この名然るべからずとて、かの木を伐られにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。いよいよ腹立ちて、きりくひを堀り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池僧正」とぞ言ひける。

従二位藤原公世の兄といいますから、羽林家のご出身の、それも出家された坊様・良覚僧正が、自分のあだ名に怒って、結局墓穴を掘ったという楽しいお話で、こりゃ庶民にウケます 私もニヤニヤ…

また、絵画としてもなかなか美しい作品で、おなじみ「仁和寺の法師」シリーズ第3弾(第54段こちらの記事にも登場)は、モミジとお稚児さんの袴のが印象的です。

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『徒然草』展はとっくに終わってしまいましたが、サントリー美術館の収蔵品ですので、また公開されることもあるでしょう。機会がありましたら、是非お楽しみあれ
もっとも、サントリー美術館の場合

当館は企画展を中心に開催しており常設展はありません。
ただし収蔵品を企画展のテーマに沿って展示することがあります。

だそうですから、そうそう拝見するチャンスはないのかも…

   

この記事の序盤で、

日本の公教育では、誰しも中学・高校の国語で古典を勉強する(勉強させられる)わけですが、当事者にとっては、「何でこんな勉強をしなくてはならないんだと思いがちではなかろうか?

と書きました。
今にしてふり返れば、古典を勉強したことによって、すぐに生活の役に立つことはほとんどないけれど、その後の人生を楽しくする手段の一つを身につけることができるかもしれない、と思っています。

「評釈 徒然草」に、こんな大学入試問題が載っていました。

次の川柳は、古典のどんな話を材としたものか。
 医者へ行く鼎を犬がやたら吠え (日本女大、島根大)

出題者の意図は何だったんでしょうねぇ…

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