新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

福岡・アートの旅 初日のこと(その4)

2016-08-16 06:47:14 | 旅行記

「福岡・アートの旅 初日のこと(その3)」のつづきです。

「第二宮・第三宮」は何と読むでしょうか? と質問するからには、まともな読み方であるはずもなく「ていにぐう・ていさんぐう」と読みます。
また、第二・第三があるからには第一もあるだろう、なんですが、宗像大社辺津宮本殿「第一宮」に相当します。

「その2」で書いたように、宗像大社は、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を祀る辺津宮湍津姫神(たぎつひめのかみ)を祀る中津宮、そして田心姫神(たごりひめのかみ)を祀る沖津宮3宮で構成されているわけですが、説明板には以下のように書かれていました。

宗像三女神のうち、長女神(沖ノ島)次女神(大島)は遙か玄界灘洋上に鎮座されており、往古より総社(中心となる神社)である当地・辺津宮を「第一宮(ていいちぐう)」と称し、その境内地に両宮の御分霊をお祀りしてまいりました。そして第二宮と第三宮まで詣でれば、沖津宮と中津宮まで、つまり宗像三宮を拝したと信仰されてきました。

浅草寺「この日にお参りすれば46,000日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られる」四万六千日(しまんろくせんにち)」という超お得(?)な縁日がありますが、それに勝るとも劣らないお得第二宮・第三宮なんですな。

で、その第二宮・第三宮、そのお社を見た瞬間、あれ? 伊勢神宮風 と思いました。

神明造本殿と、それに直角に設けられた柱と屋根だけのシンプルな拝殿は、伊勢神宮の各社殿とそっくりです

それもそのはず、

宗像三女神は「古事記」「日本書紀」にある通り、天照大神素戔嗚尊との誓約(うけい)の際に、天照大神の息吹より誕生されました。
現在の社殿は、その格別の由緒を以って宗像三女神の御親神(みおやのかみ)を祀る伊勢神宮より、第60回神宮式年遷宮に際し下賜されたものです。

だとか。

に載せた第三宮伊佐奈弥宮、下に載せた第二宮伊佐奈岐宮の旧殿だそうです。

オリジナルと違って屋根が萱葺から銅板葺きに変更されているのは、20年ごとの建て替えが予定されている伊勢神宮と違って、こちらは可能な限り社殿として使い続けるためなのだと想像しました。

なにせ、第二宮・第三宮伊佐奈岐宮・伊佐奈弥宮として新築されたのが1953、現在の地に移築されたのが1975年ですから、既に60萱葺屋根では雨水が屋根を腐らせるのは必至です。下の写真は遷宮を終えた伊勢神宮の社殿の屋根。ほとんど「草原」

実際に見ることはできませんでしたが、もオリジナルの掘立柱ではなく、礎石の上に立っているのではないでしょうか?

そんなことを想像しながら、神宝館へ向かいました。

宗像市に着いてから、また、宗像大社の境内で、右に載せた展覧会のポスターを頻繁に目にしました。

“神宿る島”沖ノ島から出土した初公開を含む国宝の数々、一挙公開

という「宗像・沖ノ島 大国宝展」が、9月17日から神宝館で開催される由。

それはそれで構わないのですが、裏を返せば大国宝展開催直前神宝館では、その名に反して、神宝ほとんど展示されていないのではなかろうか という危惧が…

さて、実際はいかに

ということで「その5」に続きます。

つづき:2016/08/17 福岡・アートの旅 初日のこと(その5

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