新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

福岡・アートの旅 初日のこと(その3)

2016-08-15 12:43:34 | 旅行記

「福岡・アートの旅 初日のこと(その2)」のつづきです。

宗像大社(辺津宮)拝殿・本殿は共に戦国時代末期の天正年間に建てられたものだそうで、国の重要文化財に指定されています。

宗像大社辺通宮の本殿と拝殿

説明板によれば、

現在の本殿と拝殿は、約500年前の弘治3年(1557)の焼失により再建したものです。
本殿は戦国時代真っ只中の天正6年(1578)時の大宮司第80代宗像氏貞公が、拝殿は本殿再建の12年後の天正18年(1590)毛利元就の三男で「毛利両川」の一人として知られ、当時の筑前国の領主であった小早川隆景公によって再建されました。

だとか。

本殿色鮮やかで、とても約440年前に建てられたものとは思えません。しっかりと手入れされているんですなぁ。

それにしても、天気が良すぎ

? 棟木の先端に輝くのは菊紋ですか?

宗像大社の神紋は、表紋に皇統守護の神勅を戴く鎮祭の由緒から「菊の御紋」を、裏紋に歴代の宗像大宮司家の家紋である「楢の葉紋」を用いています。

だそうで、こちら「樹齢約550年」と、本殿・拝殿よりも古いご神木
当然、「楢の木」です。

楢の木って、しげしげと見るのは初めてだったかもしれません。
実家の近所に「楢山」という地区があって、「楢」の文字自体には慣れ親しんでいたんですがねぇ。

と、ご神木の幹に、ボロボロになったセミが留まっていました。

後半なんだなぁ…

   

本殿エリアを抜け、「鎮守の杜の道」を通って、高宮祭場・第二宮・第三宮を、まずは高宮祭場を目指しました。

暑いことは暑いけれど、日差し木々に遮られるだけで、かなり助かります

高宮祭場に近づくにつれて、周りの霊力が高まってくるような気がします。

そして、高宮祭場に到着。

高宮祭場というのは、

「宗像三女神降臨の地」として伝わる“高宮祭場”は、間近で直接見ることが出来る全国でも数少ない古代祭場の一つです。
奈良時代以前は社殿が無く、神奈備(かんなび=神々が降りてくる山や杜)としての杜や山や島などを聖なる所と祀られていました。 いにしえの時を今に伝える高宮祭場は、今日では数少ない神籬(ひもろぎ神道において神社や神棚以外の場所において祭を行う場合の対象物)の古代祭場であり、古神道の聖地として多くの崇敬を集めています。

というもので、見えづらいかもしれませんが、写真中央の御幣付きの縄で囲まれているのが「依代(よりしろ)となる神籬ひもろぎ)」です。

高宮祭場では、毎月1日と15日、月次祭(つきなみさい)が行われているそうで、小冊子から写真を拝借

万物に神が宿るとする日本古来の宗教観が、五感(味覚を除く)を通して感じられた気がしました。
こんな聖地、そうそうあるものじゃありませんので、宗像大社辺津宮にお参りしたら、高宮祭場にも足を運ばないともったいないですぞ

高宮祭場の傍らには御守り「セルフ頒布所がありまして、私も御守りを授かりました。

この御守り、真ん中でパッキリと折れるようになっていて、右側は絵馬のように願い事を書いてお供えして、左側は右の写真のように「御守り」になっています。
この御守り高宮祭場と繋がっているような気がして、こりゃ面白い

こうして、かなり満足した私は、石段を下り第二宮・第三宮へと向かったのですが、第二宮・第三宮のお話以降は「その4」で書きましょう。

つづき:2016/08/16 福岡・アートの旅 初日のこと(その4)

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