「名古屋にSOUL JAZZ旅行 #2-6」のつづきは、いよいよ今年7月初めに決行した名古屋遠征の旅行記の完結編です。
「#2-3」で、
つまり、初期の自動車は、「人を運ぶ機械」ではなく「人が動くための機械」だったということでしょうか?
と書きましたが、もちろん、自動車は、「人(もの)を運ぶ機械」でもあり、「人が動くための機械」でもあるわけで、トヨタ博物館の探訪記の最後はこの観点から強引にまとめてしまいたいと思います。
まずは「人を運ぶ機械」としてのクルマから始めますと、究極の「人を運ぶ」クルマといえば、やはりバスでしょ。
「トヨタ ボンネットバス FB80型」[1963]だそうで、クラシックカー以上にレトロですなぁ。
現代のバスは、車体の後部にエンジンを積むリアエンジン車が主流ですが、これほど車体の前部を大きく占めていたエンジンを、車体の後部に積んでしまおうという発想は凄いものだと思ってしまいます。
ちなみに、競走馬などを運ぶ馬運車は、一見
、バスを改造
したクルマみたいですけれど、運転席の下にエンジンを積むキャブオーバータイプで、トラックを改造
したものといえる車種です。
次は、ある人 を運ぶための専用車。
「パッカード トゥエルヴ [ルーズヴェルト大統領専用車]」[1939]です。
米国の国鳥・ハクトウワシを象ったフードマスコットも輝いていました。
また、「装甲車並み」だという防弾ガラスはいかにも厚そうです。
でも、ボディやガラスを強化しても、オープンカーだというのは、「頭隠して尻隠さず」だと思うんですけれど…
実際、ケネディ大統領が暗殺されたときに乗っていたクルマはオープンカーでしたよね。
一方、こちらのクルマは、窓が異様に小さくて、運転しづらそう
ではあるけれど、乗っけてもらう人は安心
かもしれません。
このクルマは、「イスパノ・スイザ K6」[1935]で、
フランスの高級車メーカー、イスパノ・スイザの最終モデル。佐賀の鍋島家第13代当主、直泰侯がシャシーを輸入し、自らデザインしたボディを日本の職人が製作架装した珍しい車。(長浜市 鍋島直晶様より寄贈)
だそうです。
乗用車の分野でも、シャシーメーカーとコーチビルダーが分離
していたカスタムメイド
の時代のクルマなんですな。
片や究極の「人が動くためのクルマ」はレースカーでしょう。
フレンチブルーも鮮やかなこのクルマは、「ブガッティ タイプ35B」[1926]で、
その独創性と美学で芸術的な設計を残したエットーレ・ブガッティの代表作。量産レーシングカーとして大成功を収めた。ホイールやシャシーなど構造的にも興味深い一台。
だそうですが、このクルマではないけれど(年代が10年ほど違う)、私はこちらで書いたジャック=アンリ・ラルティーグの作品(写真)を連想してしまいます
また、ジャーマン・シルバーの「メルセデスベンツ 300 SL クーペ」[1955]は、
映画「死刑台のエレベーター」を思い出させます
また、この遊園地の乗り物(昔想像した「未来の乗り物」っぽい)のような「メッサーシュミットKR200」[1955]も、「人が動くためのクルマ」ですな。
さらに、「ダットサン フェアレディ SP310型」[1963]とか、
「ホンダ S500 AS280型」[1964]も、「人が動くためのクルマ」ですよね。
ところでこの「ホンダ S500」は、「オートバイで成功したホンダ最初の乗用車」なんですよ
きょう、ホンダのスーパーカブの生産累計が1億台を超えた というニュースが流れていました。
「ホンダ S500」は、ホンダが、通産省(現・経産省)の「ご指導」にもめげず、四輪車に進出したエポックメイキングなクルマだと聞いたことがありましたが、かつてはこれほど尖っていた
ホンダ、今はちょっと丸くなっている
と思うのは私だけでしょうか?
という感じでトヨタ博物館の話を書き続けていたら、際限がなさそうですので、この辺でおしまいにします。
展示車の何台かの下に置かれていたトレイのこととか、ラリックによるフードマスコットの話とか、書き足りない気もするのですが、その辺りは、トヨタ博物館を再訪するときの宿題にしておきましょう。
こんな風にトヨタ博物館を満喫した私は、名古屋市に戻り、昼食
を摂ったのち(コストパフォーマンスの高いステーキを食べました
)、1泊2日の短い名古屋遠征を終えて(ちょいと「MISIA SUMMER SOUL JAZZ」2日目に後ろ髪を引かれつつ
)帰宅したのでありました。(完)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます