「令和初の関西旅行は、京都日帰り #1」のつづきです。
この日帰り旅行の唯一無二のお目当て、京都国立博物館(京博)での 「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展にやって来ました
この展覧会には、2巻組の絵巻が1919年に分割されて、37幅の断簡となった「佐竹本三十六歌仙絵」のうち、前・後期合わせて31幅も出陳されるというのですから、これは行かずにいらないでしょ
フライヤーには、
(今年は分割から100年を迎える) これを機に、展覧会としては過去最大の規模で、離れ離れとなった断簡37件が一堂に会します。
とあるのですが、「展覧会としては過去最大の規模で」というのがちょいと気になります。
図録によれば、
1921年 (現)東京国立博物館表慶館において右記25幅と4枚が出陳
1940年 (現)京都国立博物館 特別展「藤原信実画蹟展観」:18幅出陳
1986年 サントリー美術館「三十六歌仙絵-佐竹本を中心に」展:20幅出陳
と、確かにこの展覧会の「31幅」は「過去最大の規模」なんですが、さらにこんな記述がありました。
1962年 東京美術青年会30周年記念展観「信実筆三十六歌仙展」
10月20日同会発行の「三十六歌仙絵 佐竹本」には36幅が出陳される記載が
あるが、実際には37幅全件が出陳されたとも伝えられている。
へぇ~ と思う一方、たかだか50年ちょっと前のことなのに、「実際には37幅全件が出陳されたとも伝えられている」という自信の無い書き方はどうしたことでしょうか
「東京美術青年会」というのは美術商関係の団体らしくて、その辺り、この業界ならでは事情があるのかな… などと邪推したりして…。
ところで、今回出陳されない「佐竹本三十六歌仙絵」6幅とその所有者を並べますと、
凡河内躬恒 (おおしこうちのみつね) 個人蔵
猿丸太夫 (さるまるだゆう) 個人蔵
斎宮女御 (さいぐうのにょうご) 個人蔵
藤原清正 (ふじわらのきよただ) 個人蔵
伊勢 (いせ) 個人蔵
中務 (なかつかさ) サンリツ服部美術館蔵
京博は上記6点の所有者捜しあるいは出陳交渉を重ねたんだろうねぇ、きっと。
個人蔵の作品が出陳されないのは、まぁ仕方のないことなのでしょうが、不思議なのは、サンリツ服部美術館所蔵の「中務」
同じサンリツ服部美術館が所蔵する「大中臣能宣 (おおなかとみのよしのぶ)」は出陳されているというのに、なぜに「中務」はNGなんでしょ
と、いぶかしく思いながらサンリツ服部美術館のHPを観ると、おぉ、佐竹本三十六歌仙絵「中務」が、同館での「特別企画展 やまとうた 三十一文字(みそひともじ)で綴る和の情景」の後期展(11/15~12/15)に出展されている
しかも、別のページには、こんな記述がありました
今回が初公開となる重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵 中務像」、かな書の最高峰とされる「高野切 第一種」、三色紙のひとつ「継色紙」など、後期も見逃せない作品を数多く出品予定です。
「今回が初公開」ですって
どういうことなんでしょうねぇ…
フライヤーの「おかえりなさい、中務の君」の惹句も相まって、判らない…
図録の「所蔵の変遷」によると、
山田徳次郎(分割時) ⇒ 山口玄洞 ⇒ サンリツ服部美術館
と、いたってシンプルな変遷なんですけどねぇ…
ただし、山田徳次郎なる人物もまたよく判らない
図録には、この山田氏についての記述がありました。
これほど著名な作品にも関わらず、当初の所蔵者がどのような人物であったのかなど、不明な部分が多いのもこの佐竹本の所蔵者の特徴である。断巻後に「中務」を所持した山田徳次郎(履中軒)もそうした一人で、昭和3年(1928)に所蔵品の売立が行われ、「中務」も売りに出されているが、その素性や職業などについては明らかではない。そういった人物の多くは、茶道具や鑑賞を目的として佐竹本を入手するというよりも、資産として投機目的で所蔵した可能性も考えられる。
ですって。
「出陳されない作品」の残り5点の「所蔵の変遷」も見てみましょう。
凡河内躬恒:武藤山治⇒横井庄太郎⇒横井万太郎⇒?⇒個人
猿丸太夫:船橋理三郎⇒個人⇒個人⇒?⇒個人
斎宮女御:益田孝⇒日野原節三⇒?⇒個人
藤原清正:藤田徳次郎⇒土橋嘉兵衛⇒ ? ⇒個人
伊勢:有賀長文⇒松永安左エ門⇒日野原節三⇒個人
「日野原節三」なる人物が2か所に登場します。実はこの日野原さん、「藤原敦忠」をも所蔵していた時期もあって、いったい「日野原節三」って誰?
となりますが、このお名前、聞いたことがある…
って、昭和電工事件の、あの昭和電工の日野原元社長じゃございませんか
相当なお金持ちだっただけでなく、美術にも興味をお持ちだったんですな、日野原さん。
ただ、昭和電工事件で日野原さんが贈った「賄賂」の中に
丸山二郎(安田銀行常務)10万円、掛軸4本32万5000円
とあるのが痛い…
ところで、複数の「佐竹本」を所蔵したことが明らかな人には、日野原さんの他に、土橋嘉兵衛さんがいます。
前記の「藤原清正」のほか、「素性法師(そせいほうし)」、「平兼盛(たいらのかねもり)」、「藤原興風(ふじわらのおきかぜ)」、「紀貫之」と、合計5点の「佐竹本」を所蔵していたことが明らかになっていますが、土橋さんは画商ですから、さほど不思議ではありません。
このように、100年の間に所有者が何度も変わった「佐竹本」がほとんどの中、所有者がほとんど変わらなかった「佐竹本」もあります。
例えば、こんな具合です。
小大君(こおおきみ):原富太郎⇒大和文華館
大中臣能宣:高橋彦次郎⇒サンリツ服部美術館
在原業平:野崎廣太⇒湯木貞一=湯木美術館
大中臣頼基(おおなかとみのよりもと):益田信世⇒遠山元一=遠山記念館
源信明(みなもとのさねあきら):鈴木馬左也⇒住友吉左衛門=泉屋博古館
平兼盛(たいらのかねもり):田辺岩彦⇒土橋嘉兵衛⇒MOA美術館
住吉大明神:津田信太郎⇒松永安左エ門⇒東京国立博物館
中務:山田徳次郎⇒山口玄洞⇒サンリツ服部美術館
「紀友則」は、ずっと野村さんに大切にされ続けているわけで、凄いですなぁ。
と、展覧会の内容に入る前に、リンクを張りまくって疲れてしまいました
いったい何人の人が登場したんだろ…
そんなわけで、今夜はここまで。
つづき:2019/12/09 令和初の関西旅行は、京都日帰り #3
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