新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

令和初の関西旅行は、京都日帰り #2

2019-12-08 21:43:17 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「令和初の関西旅行は、京都日帰り #1」のつづきです。

この日帰り旅行唯一無二のお目当て、京都国立博物館(京博)での 「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展にやって来ました

この展覧会には、2巻組の絵巻1919年分割されて、37幅の断簡となった「佐竹本三十六歌仙絵」のうち、前・後期合わせて31幅も出陳されるというのですから、これは行かずにいらないでしょ

フライヤーには、

(今年は分割から100年を迎える) これを機に、展覧会としては過去最大の規模で、離れ離れとなった断簡37件が一堂に会します

とあるのですが、「展覧会としては過去最大の規模で」というのがちょいと気になります

図録によれば、

1921年 (現)東京国立博物館表慶館において右記25幅と4枚が出陳
1940年 (現)京都国立博物館 特別展「藤原信実画蹟展観」:18幅出陳
1986年 サントリー美術館「三十六歌仙絵-佐竹本を中心に」展:20幅出陳

と、確かにこの展覧会の「31幅」「過去最大の規模」なんですが、さらにこんな記述がありました。

1962年 東京美術青年会30周年記念展観「信実筆三十六歌仙展」
 10月20日同会発行の「三十六歌仙絵 佐竹本」には36幅が出陳される記載が
 あるが、実際には37幅全件出陳されたとも伝えられている

へぇ~ と思う一方、たかだか50年ちょっと前のことなのに、「実際には37幅全件が出陳されたとも伝えられている」という自信の無い書き方はどうしたことでしょうか
「東京美術青年会」というのは美術商関係の団体らしくて、その辺り、この業界ならでは事情があるのかな… などと邪推したりして…。

ところで、今回出陳されない「佐竹本三十六歌仙絵」6幅その所有者を並べますと、

凡河内躬恒 (おおしこうちのみつね) 個人
猿丸太夫 (さるまるだゆう) 個人
斎宮女御 (さいぐうのにょうご) 個人
藤原清正 (ふじわらのきよただ) 個人
伊勢 (いせ) 個人
中務 (なかつかさ) サンリツ服部美術館

京博上記6点の所有者捜しあるいは出陳交渉を重ねたんだろうねぇ、きっと。

個人蔵の作品が出陳されないのは、まぁ仕方のないことなのでしょうが、不思議なのは、サンリツ服部美術館所蔵の「中務」 
同じサンリツ服部美術館が所蔵する大中臣能宣 (おおなかとみのよしのぶ)」出陳されているというのに、なぜに「中務」NGなんでしょ

と、いぶかしく思いながらサンリツ服部美術館HPを観ると、おぉ佐竹本三十六歌仙絵「中務」が、同館での「特別企画展 やまとうた 三十一文字(みそひともじ)で綴る和の情景」後期展(11/15~12/15)出展されている

しかも、別のページには、こんな記述がありました

今回が初公開となる重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵 中務像」、かな書の最高峰とされる「高野切 第一種」、三色紙のひとつ「継色紙」など、後期も見逃せない作品を数多く出品予定です。

「今回が初公開」ですって

どういうことなんでしょうねぇ…
フライヤー「おかえりなさい、中務の君」惹句も相まって、判らない…
図録「所蔵の変遷」によると、

山田徳次郎(分割時) ⇒ 山口玄洞サンリツ服部美術館

と、いたってシンプルな変遷なんですけどねぇ…
ただし、山田徳次郎なる人物もまたよく判らない
図録には、この山田氏についての記述がありました。

これほど著名な作品にも関わらず、当初の所蔵者がどのような人物であったのかなど、不明な部分が多いのもこの佐竹本の所蔵者の特徴である。断巻後に「中務」を所持した山田徳次郎(履中軒)もそうした一人で、昭和3年(1928)に所蔵品の売立が行われ、「中務」も売りに出されているが、その素性や職業などについては明らかではない。そういった人物の多くは、茶道具や鑑賞を目的として佐竹本を入手するというよりも、資産として投機目的で所蔵した可能性も考えられる。

ですって。

「出陳されない作品」残り5点「所蔵の変遷」も見てみましょう。

凡河内躬恒武藤山治横井庄太郎横井万太郎?個人
猿丸太夫船橋理三郎個人個人?個人
斎宮女御益田孝日野原節三?個人
藤原清正藤田徳次郎土橋嘉兵衛⇒ ? 個人
伊勢有賀長文松永安左エ門日野原節三個人

「日野原節三」なる人物が2か所に登場します。実はこの日野原さん「藤原敦忠」をも所蔵していた時期もあって、いったい「日野原節三」って誰?
となりますが、このお名前、聞いたことがある…
って、昭和電工事件の、あの昭和電工日野原元社長じゃございませんか

相当なお金持ちだっただけでなく、美術にも興味をお持ちだったんですな、日野原さん
ただ、昭和電工事件日野原さんが贈った「賄賂の中に

 丸山二郎(安田銀行常務)10万円、掛軸4本32万5000円

とあるのが痛い

ところで、複数「佐竹本」所蔵したことが明らかな人には、日野原さんの他に、土橋嘉兵衛さんがいます。
前記の「藤原清正」のほか、「素性法師(そせいほうし)」、「平兼盛(たいらのかねもり)」、「藤原興風(ふじわらのおきかぜ)」、「紀貫之」と、合計5点「佐竹本」を所蔵していたことが明らかになっていますが、土橋さん画商ですから、さほど不思議ではありません。

このように、100年の間に所有者が何度も変わった「佐竹本」がほとんどの中、所有者がほとんど変わらなかった「佐竹本」もあります。
例えば、こんな具合です。

紀友則(きのとものり):野村徳七野村美術館

小大君(こおおきみ):原富太郎大和文華館
大中臣能宣高橋彦次郎サンリツ服部美術館
在原業平野崎廣太湯木貞一湯木美術館
大中臣頼基(おおなかとみのよりもと):益田信世遠山元一遠山記念館
源信明(みなもとのさねあきら):鈴木馬左也住友吉左衛門泉屋博古館

平兼盛(たいらのかねもり):田辺岩彦土橋嘉兵衛MOA美術館
住吉大明神津田信太郎松永安左エ門東京国立博物館
中務山田徳次郎山口玄洞サンリツ服部美術館

「紀友則」は、ずっと野村さん大切にされ続けているわけで、凄いですなぁ。

と、展覧会の内容に入る前に、リンクを張りまくって疲れてしまいました
いったい何人の人が登場したんだろ…
そんなわけで、今夜はここまで。

つづき:2019/12/09 令和初の関西旅行は、京都日帰り #3

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