「泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #2-3」のつづきです。
「新潟市歴史博物館みなとぴあ」(以下、みなとぴあ) は、旅行前から行くつもりだった数少ない場所の一つで、前日も、朱鷺メッセから信濃川対岸のみなとぴあを眺めて、「あす行くぞ」と心に誓っていました(大げさ)。
そして、到着しました
みなとぴあは、本館、「旧新潟税関庁舎」とその付帯施設(石庫と荷揚げ場)、旧第四銀行住吉町支店の3つの建物で構成されています。
この3つの建物はどれも魅力的
もっとも古い「旧新潟税関事務所」は、明治2(1869)年に建てられた擬洋風建築で、国の重要文化財。
昭和41(1966)年まで税関として使われ、昭和46(1971)年に竣工当時の姿に復原された由。
切妻の屋根の上に塔屋が乗っかっている姿は、入母屋の屋根の上に塔屋が乗っかっている函館奉行所と似た感じです。
新潟市のサイトによると、
幕末の安政5(1858)年、徳川幕府はアメリカ・オランダ・イギリス・ロシア・フランスの五か国と修好通商条約を結び、新潟・横浜・函館・長崎・神戸の五港を開港することにしました。新潟港は日本海側最大の港町であること、幕府領であることなどが理由で開港地に選ばれました。
しかし、開港が実現しないまま幕府は倒れ、明治新政府が新潟港を開港したのは明治元年11月19日(西暦1869年1月1日)のことでした。
んん? 新潟が幕府領??
確か、信濃川左岸の新潟町は長岡藩領、右岸の、現在の新潟駅の北側にある沼垂(ぬったり)町は新発田藩領だったはずじゃ…?
調べると、天保年間(1834~1844年)に発覚した「唐物抜荷事件(中国産品密輸事件)」をきっかけとして、天保14(1943)年に、幕府が新潟町を長岡藩から上知(=没収)して天領(=幕府直轄地)にしたのだそうな。
ところで、新潟町が長岡藩領だった頃、長岡藩は新潟に町奉行を置いていて、かの河井継之助のご先祖様たちの何人かが、新潟町奉行を務めていたとか。
長岡藩の重要な金づるだった新潟町が、薩摩藩(と新潟の商人たち)がしでかした抜荷事件をきっかけに幕府に取り上げられ、そして北越戦争では薩摩・長州の新幕府軍と激戦を繰り広げるとは、さぞかし河井継之助は薩摩にうらみ骨髄に入って亡くなったんだろうな、と思います
かなり寄り道してしまいました
「旧新潟関税事務所」の北側には、石庫(=保税倉庫)がありました。
石庫も関税事務所(旧称:運上所)と同じ1869年に建てられたものの、老朽化のため、1963年に解体され、現在の建物は1982年に復原されたのだそうな。
なお、MISIAサポーターにとって「聖地」のひとつ、横浜赤レンガ倉庫も「保税倉庫」。こちらは、時代は下って、2号館が1907年、1号館は1908年の竣工です。
下のジオラマ(国立歴史民俗博物館蔵)でいえば、右上が2号館、左下が1号館(関東大震災で半壊して、東半分だけ残存)です。
お次は「旧第四銀行住吉町支店」。
この支店名、、、、そう、「#2-3」に載せたこの写真を撮った場所、私が背にしていた「第四北越銀行住吉町支店」の先代の建物です
みなとぴあにある「旧第四(だいし)銀行住吉町支店」の建物は、建物内の説明板によると、
第四銀行住吉町支店は、1926(大正15)年に開設され、この建物は1927(昭和2)年に新築された。
同支店が建てられた住吉町周辺は米穀株式取引所を中心に卸商や有力な商店が軒を連ね、新潟の商業・金融業の中心地になっていた。地の利を得て発展した住吉町支店は、東京・新発田支店に並ぶ大支店となった。
だそうで、国道7号線の建設(拡幅?)計画のため、2002(平成14)年から翌年にかけて、みなとぴあに移築復原したのだとか。
この建物がかつて立っていた場所は、今、現在はセブンイレブン 新潟住吉町店になっているみたいです。
Googleマップにプロットしてみますと、こんな具合。
Aがみなとぴあ、Bが旧第四銀行住吉町支店跡地、Cが現・第四北越銀行住吉町支店です。
ということは、みなとぴあに復原された建物は、オリジナルからほぼ180°回転しているんですな
で、旧第四銀行住吉町支店の中に入り、説明板を読んだあと、旧営業室に入ると、思わず「ふおぅ~」と声を漏らしてしまいました
もう1枚
最近の銀行建築では、空間をこんなに贅沢に使うことは無さそうですが、昔は、預金者に安心感・信頼感を与えるためにも、こんな風にしたんだろうなと思います。
でも、ふるさとの「秋田市立赤れんが郷土館」(旧「旧秋田銀行」本店)の方がもっと…とか思ったりして (訪問記)
まぁ、あちらは統合前とはいえ「本店」ですし…
話を新潟に戻しまして…
元の建物の筐体の鉄筋コンクリートから、それに貼られた石やタイルや木彫を引っ剥がして、新しい筐体に貼りつけるのは大変だったろうな…
2階に上がると、「不思議な空間」がありました
建物の外観からは想像できないのに加えて、どうして銀行の支店に和室があるんでしょ???
どう使うことを想定して和室を作ったんだ???
私の乏しい想像力では、行員さんのサークル活動(お茶とか生花とか)に使うか、行員さんたちの宴会(仕出しを利用)くらいしか思いつかないんですけど
もしかすると、みなとぴあでの時間貸し用に、和室に改装したのか??
よく判らないまま、「#2-5」につづきます。
こんどこそ「完結編」の予定
つづき:2024/03/12 泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #2-5 【完結編】
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