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新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

超々久しぶりの千秋公園(その4、まだ寄り道)

2010-09-13 06:32:35 | 日記・エッセイ・コラム

超々久しぶりの千秋公園(その3)」のつづきです。
まだ「佐竹本三十六歌仙絵巻」の話にこだわっております。


佐竹本三十六歌仙絵巻」は、1917年に現在の価値にして三十数億円もの価格で落札されたわけですが、現時点での芸術作品のオークション落札金額のトップは、今年2月7日の記事「今週は東京都現代美術館(その1)」で触れたジャコメッティのブロンズ像「歩く人」(1億430万ドル)です。
ベスト10はこちらのサイトをご参照方。


   


と、ここでまた1918年に「佐竹本三十六歌仙絵巻」を入手した虎大尽・山本唯三郎さんに寄り道


100913_1_1 山本さんが函館の料亭でしでかしたとされる蛮行・愚行をモチーフにした左の風刺画で、成金さんが「どうだ 明るくなったろう」と上機嫌で手にしているのは火のついた百円札
百円札っつうことは、現在の価値にして100万円相当ということか


当時、そんな高額紙幣があったのか? と疑問に思って、調べると、ホントにありました。
Wikipediaによれば、早くも1885年に初代の百円札「旧百円券(通称:大黒札)」に発行されていて、国立印刷局のサイトには下に示した1891年発行の2代目百円札「改造百円券」の画像が載っていました。

100913_1_2


百円札が登場した1880年代当時の国の一般会計の規模は6千万~8千万円程度(今年度は国債費を除くと71兆円)ですから、冗談ではない高額紙幣です。
現代なら、給料は銀行口座に振り込まれて、ある程度の支払いならクレジットカード、大きな金額なら銀行振込で済みますから、1万円札でさえ使う機会が少なくなりましたが、当時は決済手段として超高額紙幣にも存在意義があったのでしょう。
ちなみに、日本最初の手形交換所として大阪手形交換所が設立されたのは1879年だそうな。


それにしても、いくらお大尽とは言え、料亭に出かける時に「100万円札」を財布にいれておくものか?
お釣りを出す方が閉口するに違いありません。
虎大尽・山本さんがお札に火をつけて、それを灯りに靴を探させたことは事実だったとしても、火をつけたのはもっと少額紙幣だったのではないか、風刺絵画家が誇張して描いたのではないか、と私は想像しております。


   


話を「佐竹本三十六歌仙絵巻 切断事件」に戻します。


絵巻が売立(オークション)に出された1917年当時の佐竹宗家の当主は、最後の久保田藩主・佐竹義堯(よしたか)公の孫の義春氏。
当時、旧大名家や旧公家がコレクションをオークションに出すことは珍しい話ではなかったようですが、久保田藩12代藩主・義睦(よしちか)公の正室・悦子さん(諒鏡院)1916年6月に亡くなられたことが、オークション開催の背景にあるのではないかとの見方もあるようです。

悦子さんが、土佐・山内家から義睦公のもとへ輿入れしたと思ったら、同年、義睦公が19歳で早世。末期養子として相馬中村相馬家から迎えられたのが義堯公(佐竹家の血を引いている)だったわけで、当主の義春氏にしてみれば、コレクションをオークションに出したくても、祖父(義堯公)の義母=ご本家のひいおばあさんの存在は結構怖かったかも…
私の眼の黒いうちは、勝手なことを許しません」みたいな…。
完全な私の妄想ですが…


さて、虎大尽・山本さんが売りに出した「佐竹本三十六歌仙絵巻」は、37枚に分断され、品川・御殿山にあった益田孝邸内の「応挙の間」(下の写真が東京国立博物館に移築された応挙館)で新たなオーナーが決められたわけですが、ここで面白いのは、新オーナーの決め方が「指名競争入札」ではなかったこと。


100913_1_3


あらかじめ37枚の絵の価格を決め、参加者がくじ引きで引き取る絵を決めるというやり方です。
お値段は、当時の新聞報道(こちらのサイトをご参照方)によると、4万円の「斎宮女御(さいぐうのにょうご)」を筆頭に、20,050円の「小大君(こおおきみ)」、2万円の「山部赤人」から安いもので3千円と、かなりメリハリが利いています。
また、伊勢1万5千円中務(なかつかさ)が9千円と、女性に高い値がつけられていますな。じゃぁ、生誕地が秋田県湯沢市小野=旧雄勝郡雄勝町(久保田藩の領地)とする説があり、現在も新幹線だと秋田との縁の深い「小野小町」はいくらだったのでしょうか? 当時の新聞報道では「抽籤者が申し合わせて目下交換の相談中」の作品の一つの模様ですが…。
Web上をさまよった結果、広報あきたオンライン版(2004/10/8号)に答を見つけました。
これによると、2番目に高い3万円
やはりねぇ~~。


フェルメールの作品を観るために世界中を巡っている人がいらっしゃるという話を聞いたことがありますが、「フェルメールの現存作品完全制覇」よりも「佐竹本三十六歌仙絵巻の断簡完全制覇」の方が格段に難しいはず。お金時間だけでなく、作品の性格上、も必要ですし…
私は一生の間に何点拝見することができるのでしょうかねぇ。っつうか、私はまだ1点も「佐竹本三十六歌仙絵巻」を生で観たことがないのが悲しい…


と、寄り道はこの辺にしておきまして、次回は話を千秋公園に戻します。


つづき:2010/09/14 超々久しぶりの千秋公園(その5)

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