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新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

久しぶりに皇居東御苑と国立近代美術館を楽しんだ

2016-02-14 21:23:59 | 美術館・博物館・アート/タウンウォッチング

昨夜からの激しい風雨が、思いのほか早く収まったもので、外出を決行しました。
せっかくの3連休だというのに、一昨日から昨日の午前中まで自宅にはりつかざるを得ない事情があったもので、鬱屈したものがありましたから。

まず訪れたのは、「半年前の信州旅行記(その24)松本編⑥」

皇居(江戸城)もそうですが、お城のお濠に白鳥が似合うのはなぜなんでしょ?

と書いたからではありませんけれど、

白鳥のいる皇居東御苑です。(上の写真、なんだかに写っている…
白鳥お休み中

皇居東御苑にやって来た目的は白鳥ではありませんで、こちら

を観に行ったのでありますよ。

二の丸から本丸に至る、その名も「梅林坂」には心地良い梅の香りが満ちていて、鼻がスースー通っていきます

今朝の暴風にも負けず、けなげに咲いていました。

それにしても、中国語がビシバシと聞こえます。
もしかすると、日本人よりも外国人、それも中国人が多かったかもしれません。
もう春節休暇は終わったはずなのにね…

それはともかく、もう1

今回は天守台に上ることなく、

旧江戸城天守台

北桔橋門(きたはねばしもん)から退出して向かった先は、国立近代美術館(MOMAT)です。
きょうのお目当ては企画展「恩地孝四展」ではなくて、

企画展「ようこそ日本へ:1920‐30年代のツーリズムとデザイン」でした

私、1920-30年代のアート/デザイン大好きでして…

「ようこそ日本へ」展は、期待に違わない楽しい展覧会でしたが(埼玉県立近代美術館好評開催された「旅と芸術ー発見・驚異・夢想」と連携して同時開催したらよかったのに…)、それに勝るとも劣らなかったのが、所蔵作品展「MOMAT コレクション 特集:ちょっと建築目線でみた美術、編年体」

「ようこそ日本へ」展のことは後日書くことにしまして、きょうは「MOMAT コレクション 特集:ちょっと建築目線でみた美術、編年体」から数点ご紹介します。

「建築目線でみた」というところはちょいと上滑りしていた感があったことと、私の嫌いChim↑Pomの「作品」が2点音響つきで展示されていたことを除けば、こりゃ楽しかった

きょう初めて拝見して、一番「お持ち帰り」したかったのは、こちらの作品

中村正義「源平海戦絵巻 第1図(紅白吐霓)」です。
繰り返し描かれるの上に、これまた繰り返し描かれる源氏の小舟と、

これまた繰り返し描かれる平氏の小舟…、

このパターンって、「琳派」が使う手法のような…

   

この記事は、「半年前の信州旅行記」中断して書いているわけですが、そんな我が身にあれまぁ~ と思わせたものが3点ありまして、まず2点の作品がこちらで、

草間彌生さんの「残骸のアキュミレイション(離人カーテンの囚人)」「集積の大地」で、否応もなく松本を思い出してしまいます。(この2点は、1950年作といいますから、草間さんが20~21歳の頃の作品

そして、まったく予想していなかっただけに衝撃的だったのは、こちらの説明板でした

まさかここで藤森照信さんの「神長官守矢史料館」が登場するとは

「神長官守矢史料館」は、「半年前の信州旅行記」を書き綴るうち、100%間違いなく見聞録が登場するはずなんですけど…

ということで、次の記事では「半年前の信州旅行記」に戻る予定です。

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半年前の信州旅行記(その24)松本編⑥

2016-02-14 11:12:50 | 旅行記

「半年前の信州旅行記(その23)松本編⑤」のつづきです。

松本駅前に戻った私は、同じ「松本周遊バス タウンスニーカー」でも、今度は北コース(大きなバスでした)に乗り、松本城へと。

「松本城・市役所前」でバスを降りると、松本城のお濠では白鳥が和んでおりました。

皇居(江戸城)もそうですが、お城のお濠に白鳥似合うのはなぜなんでしょ?
ちなみに、松山城のお濠でも白鳥が飼われているようですが(こちらをご参照方)、私は気づかなかった…

それはともかく、松本城の入口の一つ、太鼓門枡形から入城しました。

すっごくキレイなんですけど・・・

一の門も、

木造部分をみると、「築後数年」のイメージです

説明板によりますと、

城の入り口を固く守るためには様々な工夫がなされた。その典型的なものが枡形門で、石垣・土塀を四角に囲って、内と外に門を二重に構えたものである。松本城には、大手門・太鼓門・黒門の三つの枡形門があった。
太鼓門は、天守築造後の文禄4年(1595年)頃に石川康長によって築造され、それから270年後の明治4年(1871年)11月、旧物破壊の風潮の中で取り壊されたままになっていた。第2次世界大戦後になって文化財保護の思想が高まり、松本城国宝保存工事、黒門の復興等を経て、平成11年(1999年)3月、128年ぶりに太鼓門枡形が復元された。

だそうで、実際に新しかったというわけです。
また、太鼓門から入った正面にその横顔をのぞかせる黒門も再興されたものなんですな

ここで松本城平面図(縄張り図?を載せておきましょう。

内堀に突き当たって左に曲がり、ちょっと歩くと、、、、見えてきました、国宝松本城天守

やはり良いなぁ、黒い城

と、ここで気づきました
私、松本城誰が造ったかを知らない

そこで、本丸に入城する前に、説明板を読み入りました。

5棟が絡み合った「連結複合式」だという松本城天守は、メインの大天守を含む北側の3棟が、先ほどの太鼓門枡形の説明板にも登場した石川康長によるもの(推定1593~4年)で、南側の2棟(辰巳附櫓と月見櫓)は松平直正によるもの(寛永年間:17世紀央)らしい。

でも、石川康長さんって誰? です。

その辺のことは「その25」で書きましょう。

つづき:2016/02/16 半年前の信州旅行記(その25)松本編⑦

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