4月18日に書いた記事「『木のいのち木のこころ―天・地・人』読了」の続編のようなものです。
日本の国土面積に占める森林の比率はどれだけあると思いますか?
正解は66% 国土の2/3が森林という森林大国なんです、日本は。そんな日本の森林が危機に瀕しているんだそうです。
無策な森林伐採が行われているから? いえいえ、逆に、木を伐らないからなんでそうです。もっとも、危機に瀕しているのは、人の手の入ったことのない天然林ではなく、人間が植林した人工林の方。
天然林では、様々な種類(常緑樹も落葉樹も)の木が、様々な樹齢で、様々な間隔で生えていて、背丈も樹の形も様々です。ですから、地面には十分に陽が差し込んで、草が生えるは、動物が暮らすは、微生物も生きています。
広葉樹は秋になると落葉して、それが微生物の力も借りて腐葉土になり、動物の糞ともども木々の栄養になります。また、年老いた木が寿命をまっとうして倒れれば、それまで陽が当たらなかったところに、若木が育つ環境ができます。こんな風に、木々の世代交代が進んで行くんだそうです。
ところが、人工林は、同じ種類で同じ樹齢の木が、密集して生えています。こうした林では、10年も経つと、それぞれの木が枝を伸ばして葉を茂らせ、地面には陽が当たらなくなってしまいます。この状態が続くと、天然林では自然に行われている連鎖が行われなくなってしまい、生えている木は一様にヒョロヒョロの情けない木にしかなれません。ですから、10~15年ごとに、間伐(間引き)して、常に地面まで陽のあたる状況を保ってあげる必要があります。
手もとの資料によりますと、50年前には90%もあった日本の木材自給率が、現在は20%にまで低下しているんだそうな。
この写真は、札幌にある「北海道開拓の村」に復元された「造材飯場=伐木・造材に携わった山子や集・運材作業に従事した藪出し、馬追いなどが山中で寝泊まりした小屋」です。
どうしてこんなに国産材のシェアが下がってしまったのでしょうか。「木を伐らないから日本の森林が荒廃している」というのに…。
要は、旧来の日本の林業では、安い外国産材に対抗できなかったということです。
日本の林業が衰退して日本の森林が荒廃する一方で、日本に木材を輸出している東南アジアや中国、シベリアでは乱伐が問題になっているなんて、矛盾としかいいようがありません。
コスト的に外国産材に勝てない⇒間伐するコストが見合わない⇒高く売れる太い木が育たない⇒外国産材に勝てない、、、の悪循環ができてしまったんですね。
今や、林業につぎ込まれる公的助成額が林業の生産額を上回る妙な状態になっています。いわば、林業は「業」ではなくなっているということです。
では、どうしたら良いのでしょうか。
私が考えるところ、林業の合理化・効率化を進める、
国産材(とりわけ間伐材)の利用を奨励する、この2点に尽きるんじゃないでしょうか。
国民が経済性だけをよりどころに行動すれば、今の状況が続くのは火を見るよりあきらかなことです。ですが、森林の役割とか、間伐の必要性とか、地球環境に及ぼす影響とかを今以上に訴えれば、国民の行動を変えることは可能ではないかと思います。
特に必要だと思うのが、間伐材の利用です。木を間伐することは、間伐される木の生命を残される木に引き継ぐことだと思うのです。また、間伐された木を有効に使うことは、その木の「供養」にもなるのではないでしょうか。
こんな感情的な側面以上に、林業に及ぼす経済的な影響が大きいでしょう。間伐するコストを上回る価格で間伐材が売れれば、ほとんどの林業家なら、間伐に精を出すに違いありません。
とりあえず、国産材(間伐材を使用)の割り箸を使うのはいかがでしょうか。輸入された割り箸より値段は相当高いようですが、日本の森林を守る上でも、エコロジーの観点からも良いことのはずです。近頃はやりの「My 箸」よりも、エコのようですし…。
「木のいのち木のこころ―天・地・人」に西岡棟梁のこんな言葉が載っています。
檜の寿命は二千五百年から三千年が限度ですが、杉やったらこれが一千年、松やったら五、六百年ぐらいですかな。
木の命には二つありますのや。一つは今話した木の命としての樹齢ですな、もう一つは木が用材として生かされてからの耐用年数ですわ。
<中略>
この寿命をまっとうするだけ生かすのが大工の役目ですわ。千年の木やったら、少なくとも千年生きるようにせな、木に申し訳がたちませんわ。
<中略>
生きてきただけの耐用年数に木を生かして使うというのは、自然に対する人間の当然の義務でっせ。そうしたら木の資源がなくなるということはありませんがな。木というものはそないなもんですわ。
感謝を込めて大事に使う(肉や野菜なら、「食べる」)ことって、極めて日本人の感情に合うことだと思うのですが、いかがでしょうか?