三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

『開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件』(3)

2020年11月12日 | 

月刊『創』編集部編『開けられたパンドラの箱』刊行までの動きを、篠田博之さんが書いています。

ひとつは旧優生保護法のもとで、障害者に対して強制不妊手術が行われていた事実が、手術を受けた人たちの告発によって、次々と暴かれていったことだ。優生思想が背景にあるという意味では、相模原事件とも根はつながっているように見える。強制的不妊手術が、戦前といった昔の話でなく、20~30年前まで行われていたというのは、衝撃的なことだった。


植松聖死刑囚の手記には、優生思想と思われることが書かれています。

人間は「優れた遺伝子」に勝る価値はありません。


障害者の生きる権利を認めず、安楽死という名の虐殺をすべきだという考えは、強制的不妊手術の延長線上にあります。
渡部昇一は「神聖な義務」(『週刊文春』1980年10月2日号)で、血友病の息子を二人持つ大西巨人を名指しして、遺伝性疾患のある子供を産まないようにすることは「神聖な義務」であると主張し、ヒトラーの精神病患者、ジプシーたちの虐殺について肯定的な発言を引用しています。
http://www.livingroom.ne.jp/d/h003.htm

「ホロコースト百科事典」というサイトに、ヒトラーの「安楽死プログラム」について説明されています。
https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/euthanasia-program

1939年、ヒトラーは「安楽死センター」で治る見込みのないとみなされた病人に「慈悲による死」(Gnadentod)を与える命令を下した。
ナチスにとって「安楽死」とは、心身障害患者の組織的な殺害を目的とした秘密の殺人プログラムを意味する。
優生学者とその支持者が「生きるに値しない命」と考えた、重度の精神、神経、身体の障害を持つために、ドイツの社会と国家に遺伝子的・経済的に負担となる個人を排除する試みだった。
ヒトラーは安楽死作戦の企てを「T4」と呼んだ。
T4作戦員は6つのガス施設を設置し、1940年1月、安楽死プログラムに選ばれた患者を集中ガス施設に移送した。
安楽死プログラムは第二次世界大戦末期まで続き、高齢患者、爆撃犠牲者、および外国人強制労働者などにまで拡大され、20万人の命が奪われたと推定される。

「朝鮮人を殺せ」とヘイトスピーチをする人たちは安楽死プログラムを支持しそうです。
もっとも、植松聖死刑囚は優生思想を否定しています。

手紙(2017年8月2日付)

第二次大戦前のドイツはひどい貧困に苦しんでおり貧富の差がユダヤ人を抹消することにつながったと思いますが、心ある人間も殺す優生思想と私の主張はまるで違います。


篠田博之さんとの面会でも同じことを言っています。

植松「ヒトラーと自分の考えは違います。ユダヤ人虐殺は間違っていたと思っていますから」
篠田「じゃあナチスが障害者を殺害したことについてはどう思うの?」
植松「それはよいと思います。ただ、よく自分のことを障害者差別と言われるのですが、差別とは違うと思うんですね」

篠田博之さんによると、植松聖死刑囚には韓国人や中国人とか、障害者以外に対する差別意識はないそうです。

渡辺一史さんは「相模原事件 死刑確定でなにが失われてしまったのか」(「FORUM90」VOL.173)で次のように語っています。

彼(植松聖)はやまゆり園の入所者の人たちのことを、よく「犬猫」に例えるんですね。「ご飯だよ」と言えば、ご飯だとわかるけれども、それ以上の意思疎通は取れないから「人ではない」と。(略)
結局、植松氏は目の前の人たちを簡単に「意思疎通が取れない」と決めつけて、コスパですね、コストがどうこういうことをずっと考えていただけだという感じがします。


安楽死を行う理由は、社会にお金(医療費)と労力(介護)が無駄にかかるからです。
麻生太郎大臣の発言です。

政府のお金で(高額医療を)やってもらっていると思うと、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろ考えないと解決しない。(略)
(延命治療には)月に1千何百万だ、1千500万かかるという現実を厚生省が一番よく知っているはず。(しんぶん赤旗2013年1月22日)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-22/2013012201_02_1.html

2013年の麻生太郎財務相の発言は、社会にとって不要な人間は抹殺すべきだという植松聖死刑囚の考えと同じです。
植松聖死刑囚は個人の考えですが、麻生太郎さんは大臣として法律を作る立場にいますから、麻生太郎さんの発言のほうが怖いです。

渡辺一史さんはこのようにも話しています。

今の日本の財政状況は非常にひっ迫していて「大変らしい」というのは、今では小学生でも何となく感じていることだと思います。だからこし、社会のお荷物に思えるような〝犯人〟を見つけだしてバッシングする。それがある時は公務員だったり、ある時は生活保護受給者だったり高齢者だったりするわけですが、植松氏の場合は障害者だった。障害のある人たちがいることが財政難の元凶ではないかと考え始めたわけですね。


一人ひとりの命が粗末に扱われ、命の選別がなされるなら、植松聖死刑囚のような行動を取る人が再び現れるかもしれません。

コメント
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