パルコン旅行記

☆マイホーム建築への道のりとパルコンでの生活
(番外編を含む第1章~第5章)
☆寄り道日記

知覧特攻平和会館

2012-12-06 14:31:34 | ちょっと寄り道=お出掛け日記=
 桜島の後は、知覧へ向かいました。

本当は、独特の雰囲気がある「武家屋敷群」の庭園を
ゆっくり散策したかったのですが、
時間の都合上、行き先は、「知覧特攻平和会館」のみ…に絞りました。

 戦争に対しては、
「大まかに知っていれば良い」…くらいにしか思っていないというか、
「戦艦とか、戦闘機とか、戦争指揮官や英雄とか、興味ないし」…というか、
「悲惨な話だから、あまり目を向けたくない」…というか、
それらを伝える施設には、なかなか足が向かない私でしたが、
こちらへ行って来た友達の話を聞いて、
「いつか行かなくちゃ」…と、ずっと思っていました。

 
 私の中では、
特攻隊というのは、飛行機に乗って相手の飛行機に突っ込んで行き、共に散る。
…というもので、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
多分、子供の頃に見た、アニメか何かの印象だと思います。

でも、入口フロアーに設置されているVTRを見たら、全く違っていました。

相手に突進して行く前に、空中で撃ち落とされてしまうんです。
そして、黒い煙になってしまうんです。
飛び立った戦闘機、全てが…。
「敵と共に散る…」なんて、不可能な話。

一体、何のために飛び立たせたのか?
指揮していた人に、作戦や計画性はなかったのか?
ただただ「死んで来い」…という“処刑”だったとしか思えないものでした。

特攻隊員は、ほとんどが20歳前後。
毛筆で書かれた、それはそれは綺麗な字の手紙に、遺書…。
血気盛んに「お国のために」…と書かれたもの。
当時にしては正直に「神を恨む」…と無念が綴られたもの。
思い出や、親兄弟を気遣う言葉。 感謝の言葉…。

教養を感じられる字と文章から、
この方々を失った事は、日本にとって大損害としか思えませんでした。

特攻隊員を送り出す、知覧の方々の話も悲惨でした。
「“頑張って来て下さい”という言葉は、
 “死んで来て下さい”と言っていた様なもの。」
…といった後悔や辛さも公開されていて、
本当に、そんな感じなんだろうな…
なんて酷い話なんだろう…と、
悲しく悔しい気持ちで一杯になりました。

 特攻隊平和会館…、
しっかり見るには、想像以上に時間を要します。
本当は、もう少しきちんと見たかったのですが、
時間の都合上、心残り2割…の状態で、後にしました。


 ランチタイム。
飛び込みで入った、知覧武家屋敷の側の そば茶屋「吹上庵」

天ぷら板そば。880円。(おつゆはとろろ入りです)

このボリュームで、このお値段は魅力的です。

余所者は、取り敢えず「蕎麦」を頼みましたが、
地元の方々は、うどんや丼物など、其々お気に入りメニューを頼んでいました。


 余談ですが、鹿児島の蕎麦屋で、
「郡上踊り(岐阜県)の“かわさき”」が流れていたのには、ちょっと驚きました。
お蕎麦屋の雰囲気を出すには、やっぱりこの類の曲が合うんでしょうね

鹿児島も良い所ですが、
郡上を始め、岐阜県も見どころ沢山で、とても良い所です。
皆様、是非こちらへもいらして下さいね


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 桜島 | トップ | 徳之島① »
最新の画像もっと見る

ちょっと寄り道=お出掛け日記=」カテゴリの最新記事