創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

無事に過ごせた事のお礼

2013年04月15日 | 日記

10日朝、10時にホテルをチェックアウトし、すぐに千葉三越に寄った。
個展最終日の夕方からは時間と競争しながら、片付けと同時に作品仕分けを行い、
次の展示の人に引き継ぎ、スタッフの方に挨拶も十分に出来ないまま三越を後にした。

翌あさ再び三越へ。ホテルから千葉三越まで徒歩3分弱の距離。
開店したばかりで、毎日会っている店員さん方に「 いらっしゃいませ 」と声を掛けられ、
何となく恥ずかしい感じもした。

お世話いただいたマネージャー、Hさんもいられ、改めて御礼のご挨拶をさせて頂いた。
また何かと気遣ってくださった女性スタッフSさんもいられ、心こめ御礼を述べた。
「 二年後、またお願いします、」と互いに挨拶を交わして千葉を離れた。

Photo

   日本橋川


せっかくの上京、それも二年ぶりの東京。
上京するチャンスは作ろうと思えば作れるが、かといって簡単ではない現実。
次に控える個展や展示会のことを考えると、どうしても二の足を踏む(出ない)。

何もかも、すべてを私自身で行っているため、どうしてもためらってしまう。
家を出ればそれなりに何とかなるのだが、あれもこれもしなくてはと思うと、
もう一歩が出ないのである。

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    日本橋


そういう意味で、今回のように個展で上京した時が絶好の機会。
窯を焚くときのように、ハラハラドキドキした今回の個展も無事締められ、
情報収集に徹した。

Photo_3

   日本橋から三越


千葉駅から総武線で一直線の秋葉原駅のホテルに宿泊。
ここも至極便利な拠点のひとつ、レム秋葉原ホテルの会員でもあり宿泊したことがあるが、
同じく会員になっているワシントンホテルに宿泊。 こちらのフロント対応がとても感じ良い。

東京到着と同時に行動開始。 山手線で有楽町へ。
銀座から日本橋まで、ひたすら歩き続け、目に付いたビルなどに入ってみた。

二年前に来たときは沢山の中国語を話される観光客でいっぱいだったが、
今回は殆どと言っていいくらい、中国語らしき会話が耳に入ってこなかった。
変わりに英語、ドイツ語、フランス語の会話が多く聞こえた。
政治って一筋縄に行かない、を実感した瞬間だった。

政権が変わり、アベノミクスがはやし立てられているが、
個展に来られたお客様にお聞きしても、殆どの方が首をかしげていられた。
景気回復を、そして未来への展望政策をはっきり示してくれるなら、
それを実感し見えない限り、絵に描いた餅でしかない。

いつもの日本橋も通過し、その光景に再び落胆。
都市計画をする「 お偉いさん達 」は、海外視察をしているはず。
景観を、美観を、街並みを視察してきているはず、なのにこのざま。

日本の政治屋さん達は自由を履き違えているのではないかと疑ってしまう。
毎年莫大な公費(=私達の税金)を使って視察と銘打って外遊へ。
本来の外遊の意味ではなく、字、そのものの、お遊び外遊では話にならない。

などと世界に誇れる、大都会東京の中心地を歩きながら、
私自身が取材で何度も訪れたヨーロッパの国々の街並みを思い出していた。
ただ日本の都市で大変感心できることは、「 ゴミが無い!」こと。 

自然溢れるスイス、国際機関が多く集まっているジュネーブ、
何処を歩いてもゴミが舞っていてガッカリした。でも街並みは整然と美しかった。

いい加減疲れ秋葉原に戻り、いつも行っていた駅横のイタリアンレストランに出向いた。
あれ?確かここにあったはずなのに無い。 いつのまにか閉店したらしい。
仕方ないので真向かいのビル10階のイタリアンレストランで夕食を摂った。
若いカップルが一杯で、しばらく待たされ、ようやく夕食にありついた。
デカンタ・ワインで気持ちよくなり、早々にホテルに戻った。

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   大提灯


11日あさ、ホテル2階のダイニングから秋葉原駅前を歩く人々を眺めながら、
ゆっくりと朝食を頂いた。

歩道を行き来する人々の姿が一様に同じ服装、あるいは色合い。
殆どが黒系統の服装で、2階から眺めていると異様な光景に見えた。
せっかくの春なのに、気持ちの良い明るい服装を着て欲しいなあ、
そう思う私は、皆さんとの感覚がずれているのかな?

11時にホテルを出て、浜松町駅のロッカーに手荷物を預け、
再び有楽町駅へ。 前日と同じコースで歩き始めた。

日本橋三越に寄り、偶然にも千葉三越を紹介して下さったTさんにお会いし、
個展結果を報告、「 良かったですね~」と言っていただき、すぐに横の画廊へ。

Tさんの元で仕事をしていた、顔なじみのHさんもいられ挨拶を交わした。
Hさんは偉くなり、いまは日本橋三越工芸部門の企画担当(マネージャー)をされている。
イスを勧められたが、邪魔すると申し訳ないので、個展結果だけ話して失礼した。

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   スカイツリータワー


三越を出てからも歩き続け、さすがに疲れてしまい、
甘いものが食べたくなって浅草へ。

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   浅草寺


ここでも同じく、中国語らしき会話は殆ど聞こえなかった。
それぞれの国の思惑(おもわく)があろうが、同じアジア、友好は大切にと思い願った。

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   田舎しるこ


東日本大震災からのち、表示されたのか、
「 ここの標高は3、5メートル 」などと電柱に貼り付けてあった。
これまで気付かなかったのか、何故かその表示に目がいってしまった。

浅草に来たら必ず寄る甘味どころ、
田舎しるこを注文。 以前、田舎ぜんざいを注文してビックリしたことがあった。
石川では、しるこもぜんざいも汁が入っている。
東京のぜんざいは汁なしの小豆に餅が乗っているだけ。 これには参ってしまった。

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  甘味店で


   歩数


疲れたときに食べる「 ぜんざい 」、いや「 しるこ 」は最高にウマイ!
一気に疲れが吹き飛んでしまう。

しばらく休んで、いよいよ東京を離れなければならない。
そんなに歩いた記憶は無いのに、我が家に戻って歩数を見たら、
何と、1万8千歩を超えていた。 田舎人間より都会の人の歩きが多いのを納得。

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   白山神社


帰ってくるなり、町内の春祭り。
桜が散っていると思ったが、寒さが続き、まだ随分と散らずにいた。
個展が無事終わったことのお礼を述べた。

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   石灯籠


わが町内の神社は、上空から見ても地上から見ても古墳にしか見えない。
鳥居の延長線が白山方向。

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   石灯籠


この石灯籠が建っている数十坪の地面は、我が家、堂前家の地面であった。
父が他界した平成元年、この地面を町内に寄付させていただいた。
ここは小高い丘の頂上で水の便が悪く、作物を育てることが困難な土地だった。

自家用にお茶の木を植えてあり、新芽が芽生えるといつも手伝いに借り出され、
指先が真っ黒になるまで茶摘をしたことが思い出される。

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   桜


名残の桜が、「 ご苦労様でした、」と言ってくれているように感じ、
出来るだけ早く皆様にご挨拶を、と思っています。


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