時の過ぎ行く速度がやけに早く感じたこの一年、
日めくりカレンダーも一枚を残すのみとなってしまいました。
カレンダー、師走に入ってからお付き合いのある所からいくつもいただいた。
それぞれが趣向を凝らしたものや、大きく会社名を入れたものを下さるが、
一番使いやすいのは、毎日の予定やメモを書き込める、数字の大きなひと月単位の物。
このタイプのカレンダーを並べてかけておくと、予定が一目瞭然。
いつもいるこの部屋に、そして工房には同じものを二つ並べてかけてある。
工房のカレンダーは、今月、来月と二ヶ月表示できるようにしてある。
今日中にかけ替えようと思ったが、あしたまで今年。 明日の午後、新しくしよう。
そういえば 「 日めくりカレンダー 」 この頃とんとお目にかからなくなってしまった。
ずいぶん前にいただいたことがあり、あさ起きて昨日の分をビリッと裂くのが日課だった。
でも数日経つと、その小さな作業が億劫になり、ついつい忘れ結局いつの間にか大晦日。
その日めくりには一日一日なにかの諺や教訓めいたことが書き記してあった。
なるほど、そうか、今日はそのように心がけて生活すればいいのか、と毎日楽しみでもあった。
しかし日々の忙しさにかまけていると、二三日、一週間、と、まとめてやぶることになっていった。
加えて365日分だから、かなりの厚さもあったように記憶している。
いま思えば、日めくりカレンダーの面倒な作業も 「 行 」 の一つだったのかも知れない。
単純な作業を続けることの大切さ、そして元気で一枚一枚やぶることの出来る幸せ、
日めくりカレンダーはそれ等を教えてくれていたのかもしれない。
言葉として、「 日めくりカレンダーもあと一枚・・・ 」 と表現しているが、
実際は月ごとのカレンダーと、全面に十二ヶ月が印刷されているものを使っているのが現状。
一枚一枚をめくっていた頃の速度、ひと月、一年単位で生活している現在、
毎日を暮らすことでは、果たしてどちらの方が内容が濃いのだろう。
二十歳代の頃、親やその世代に近い方々の多くが時の経つ早さのことを話していられた。
いま私がその世代。 若い頃は時間の経つのが遅くてイライラしたものだが、
いまは早すぎて焦りを感じるほどである。
朝起きて、昨日のカレンダーをめくることは無くなったが、
日々健康で目覚めることが出来る幸せを感じつつ、
あしたの朝は、心の中の今年一枚の日めくりカレンダーをめくろうと思う。
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前庭の山茶花 |