創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

年年歳歳

2008年12月30日 | 日記

時の過ぎ行く速度がやけに早く感じたこの一年、
日めくりカレンダーも一枚を残すのみとなってしまいました。

カレンダー、師走に入ってからお付き合いのある所からいくつもいただいた。
それぞれが趣向を凝らしたものや、大きく会社名を入れたものを下さるが、
一番使いやすいのは、毎日の予定やメモを書き込める、数字の大きなひと月単位の物。
このタイプのカレンダーを並べてかけておくと、予定が一目瞭然。

いつもいるこの部屋に、そして工房には同じものを二つ並べてかけてある。
工房のカレンダーは、今月、来月と二ヶ月表示できるようにしてある。
今日中にかけ替えようと思ったが、あしたまで今年。 明日の午後、新しくしよう。

そういえば 「 日めくりカレンダー 」 この頃とんとお目にかからなくなってしまった。
ずいぶん前にいただいたことがあり、あさ起きて昨日の分をビリッと裂くのが日課だった。
でも数日経つと、その小さな作業が億劫になり、ついつい忘れ結局いつの間にか大晦日。

その日めくりには一日一日なにかの諺や教訓めいたことが書き記してあった。
なるほど、そうか、今日はそのように心がけて生活すればいいのか、と毎日楽しみでもあった。
しかし日々の忙しさにかまけていると、二三日、一週間、と、まとめてやぶることになっていった。
加えて365日分だから、かなりの厚さもあったように記憶している。

いま思えば、日めくりカレンダーの面倒な作業も 「 行 」 の一つだったのかも知れない。
単純な作業を続けることの大切さ、そして元気で一枚一枚やぶることの出来る幸せ、
日めくりカレンダーはそれ等を教えてくれていたのかもしれない。

言葉として、「 日めくりカレンダーもあと一枚・・・ 」 と表現しているが、
実際は月ごとのカレンダーと、全面に十二ヶ月が印刷されているものを使っているのが現状。

一枚一枚をめくっていた頃の速度、ひと月、一年単位で生活している現在、
毎日を暮らすことでは、果たしてどちらの方が内容が濃いのだろう。
 
二十歳代の頃、親やその世代に近い方々の多くが時の経つ早さのことを話していられた。
いま私がその世代。 若い頃は時間の経つのが遅くてイライラしたものだが、
いまは早すぎて焦りを感じるほどである。

朝起きて、昨日のカレンダーをめくることは無くなったが、
日々健康で目覚めることが出来る幸せを感じつつ、
あしたの朝は、心の中の今年一枚の日めくりカレンダーをめくろうと思う。

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   前庭の山茶花



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クリスマス

2008年12月25日 | 日記

24日クリスマスイヴ、今年もカトリック金沢教会へと向かった。
午後8時、そして時計の針が12時を回った、25日午前零時のミサのお手伝いに出かけた。

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   カトリック金沢教会

教会には、今年もキリスト降誕の場面が再現されていた。
史実に基づき、それぞれの教会が趣のあるプレゼピオを、御堂に設けている。
今年の金沢教会のプレゼピオは、広い世界観を表現しているようにも感じた。

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   キリスト降誕

「今日、私達の為に救い主が生まれた」
馬小屋で生まれたキリスト、神の使いとして人々の平和をつかさどるためにお生まれになった。
式次第に基づいて、クリスマスイヴのミサは荘厳に進まれていった。

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  マリアとヨセフに見守られている

     乳飲み子、キリスト

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    三人の博士

今年のクリスマスに歌う曲目は秋の中頃に決められていたが、
鎌倉芸術祭の準備に追われ、練習もまともに出来なかった。
鎌倉から戻ってから毎週土曜日夜の練習に2、3度出かけただけだった。

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   ミサ曲

今年のミサ曲は、教会にこられている方々と一緒に歌う曲と、
私達聖歌隊がミサの為に練習してきた曲目も4曲含まれている。
カトリック輪島教会のジュリアーノ神父が作曲した、素晴らしい美しい曲も歌った。

グレゴリア聖歌、odie オディエ の歌とともにミサが始まった。
一時間あまりのミサで、ジュリアーノ神父作曲の2曲は、
Natale sull'omde ・・・・・ 海の上のクリスマス。
~Ninna nanna~ ・・・・・ ねむれねむれ

今年もこうして皆さんとともに元気に歌えたこと、幸せに思いました。
世界中に吹き荒れた不景気や紛争問題。
そのような中にも日々元気でいられる喜びを感じつつ、心から歌わせていただきました。

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    金沢・片町

 イルミネーションと雪吊り

金沢に向かった午後7時頃、金沢の、ど真ん中の片町あたり、
クリスマスイヴということもあってかなりの人出が見られた。
しかし、昨年と比べると意外に少なく、平日と不景気が人出を鈍らせているようにも思った。

深夜1時、ミサも終わり金沢の中央、広坂にあるカトリック金沢教会をあとにした。
次回の行事に参加するまで、私は自分の作品作りに励まなくてはと思っている。

それぞれの思い、信仰はあるだろうが、
人々の平安を祈る行事には、多いに参加させて頂きたいと願っている。


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モズ

2008年12月20日 | 日記

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   庭木にとまる  モズ 


けたたましい声で目が覚めた。
何ごとかとカーテンを開けると 「 モズ 」。
毎年のようにやってきて、この枝にとまっている。

このモズは同じ家族なのか、それともこの枝が気に入ってとまっているのか。
いずれにしても今年もまた訪れてくれた。

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   庭から望む 白山

今日は久し振りに良い天気になりそう。
庭から望む白山は凍てついて見える。
里には殆ど雪は降らないが、白山連峰は雪化粧。

先月、ほんの数センチの積雪以来、今年の冬はまだ本格的な積雪が無い。
このままの状態で冬を越して欲しいと願っているが、そうは問屋が卸さない。
天気予報では、今晩当たりから雨、雷とのこと。

この小春日和、外仕事をと思っても、こまごまとした事柄をひたすらこなす毎日。
鎌倉芸術祭が終わったあとの整理もまだ半ば。
加えて年賀状の準備と、ただ気ぜわしい毎日を送っている有様。

こんなに良い天気の日は、太陽の光を体いっぱいに浴びて堤防を歩くに限る。
風も冷たくなく、渡ってくる風はそよ風にも似て。

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   産業道路下から

      観音山
 

幸いに、と言うか産業道路から見える観音山には雪の気配がない。
つい数日前にはうっすらと雪化粧をしていたが、ここ、いちふつかの気温上昇で雪も消えた。
雪国に暮らす身にとっては、ほんのわずかな太陽の光がこの上もなく、ありがたい。

11月下旬から今月初めの十日あまりの鎌倉、東京での生活。
それはまさしく羨ましいくらいの青空と日の光であった。
ガラス越しの太陽光の温かさ、傘をささず、長靴を履かずに歩ける快適さ。
 
どうか今日のこの良い天気が持続して、師走を過ぎて欲しいと切に願っている。
作品作りも庭仕事も、畑のミカンの木の剪定もはかどるに違いない。
文句を言わないから、いまこそ天気予報のはずれる事を祈っている。


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初冬の月

2008年12月15日 | 日記

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       12/7

  銀座から日本橋、有楽町

第三回、鎌倉芸術祭、歌書と陶磁器。 尾崎左永子・堂前忠正展を無事に終えることが出来、
ゆったりとした気分で銀座を歩くことにした。 運よく七日、日曜日は歩行者天国となっていた。
空もスッキリと晴れ渡り、住んでいる北陸との気候の相違に羨ましく思うばかり。

念願だった尾崎先生との二人展、期間中はいろいろとお話しも伺え、誠に有意義な日々を
過ごさせていただいた。 又毎日多くの方々にもお越しいただき、忙しく過ごさせていただいた。
充実感と何となく感じた安堵感の気持ちで歩く銀座は、心地良い日差しが降り注いでいた。

銀座、日本橋と歩き、三越日本橋本店に寄り御挨拶。
仙台三越、新宿三越とたいへんお世話頂いたTさんをお訪ねし、
今回の芸術祭の事をお話しさせていただいた。

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   三越本店、大吹き抜けホール


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   お江戸日本橋の惨めな姿

再び歩行者人(ほこうしゃびと)となって、日本橋まで。
ここにたどり着いて、私の心の中に沸々(ふつふつ)と怒りが生じてきた。
世界に誇れるはずの大都会、東京。 そのシンボルのひとつ、現在の日本橋のこの惨めな姿。

世界に知られている広重の、東海道五十三次で有名な日本橋が、このように何とも哀れな有様。
お偉い政治家達は私達の税金を使い、幾度となく視察と証して海外の都市を回って来ている。
都市作り、伝統を重んじている国々を視察しているはずなのに、何故に自国の伝統を壊すのか?

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      パリ取材から

   パリ、セーヌ川を渡る橋

フランス、イタリア、スイス、オーストリア、その他諸外国の旧市街の街並みを、
「 美しいなあ 」 と、見学してきただけなのだろうか。
私が取材で訪れた、それらの国々、ビックリするほどに厳密に街並みが保存されている。
そこで暮らす人々の日々の生活形態はハッキリしないが、それにしても見事!の一言。

温故知新、ふるきを知り、新しきを知る。
この場合に使う言葉としてふさわしいかは判明しないが、
ふるきを知らずにぶち壊し、ニョキニョキと奇抜な建造物を所かまわずに造っていくわが国。
旧市街を大切に歴史の遺産として守っている国々。  由緒ある建造物の隣にガラス張りの
無機質な建物を平気で建てることを許す日本の行政、政府。
日本橋に来るたび、怒りとともに無能な政治家達にため息をついてしまう。

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  銀座のイルミネーションと月

鎌倉、東京から帰って早や一週間。
まだ半月だったお月さんが、七日経ったいま、ほぼ満月に近くなっている。
遠い空のかなたから、今も昔も変わることなく、ジッと地球の歴史を眺めているのだろう。

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        12/15

   我が家の裏の田んぼから



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鎌倉 ・観光・

2008年12月10日 | 日記

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   交差点に安置されている、六地蔵

鎌倉滞在中は健康の事も考え、3、4回ほど駅前のギャラリーまで歩いた。
途中の交差点に六地蔵が安置されている。
説明書きのたて看板もあったと思ったが、反対車線でもあり、心の中で手を合わせて通りすぎた。

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   午前9時25分


12月6日、片付けと搬出作業。 この日も誠に素晴らしく晴れの朝であった。
昼前にはすっかり片付き、隣の喫茶店で一休み。
尾崎先生と平塚さんから、せっかく鎌倉に来たのだから観光でも、と。

期間中、尾崎先生には毎日何がしかの講義や仕事が入っていて、
その過密なスケジュールがとても心配でもあった。
しかし、片付けが終わり今回の展示会の事などを話しておりましたら、
「 今日は4時まで自由だから一緒に観光でも 」とお誘いを頂いた。
お心は大変ありがたかったが、先生にはぜひ休養をとっていただきたく、辞退申し上げた。

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   鶴岡八幡宮の鳥居
 

搬出日は東京に宿泊予約を入れてあり、午後のわずか数時間の観光となった。
期間中、早く起きて鶴岡八幡宮に参拝しており、その時の一枚の写真。
展示会中は、緊張の連続であり、朝早くに鶴岡八幡宮に来てはみたが、奥殿はさらに向こう。
鳥居をくぐり、段葛を通って山門近くまでいき、そこで参拝をした。

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   長谷駅


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   収玄寺


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   収玄寺の屋根


長谷駅を出てすぐの左手にある収玄寺。
観光案内はガイドブックに任せるとして、私にはこの寺の屋根の形に興味が沸いた。
何と優美な流れだろうか、しばしの間眺めていた。

不謹慎ではあるが、石を投げると寺に当たる、とは誰かが話していられた。
収玄寺を出てすぐの所にあるのが、長谷寺。

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   長谷観音山門

ここに来るまでの江ノ電は、観光客で満杯。 駅に着くや、一気に人々が降り、また乗ってくる。
山門までの数百メートルは、人の流れに逆らって歩けない位の人出であった。

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   青空に映える、紅葉

小高い山の斜面に、種々のお御堂があり、それぞれに仏像が祭ってあった。
古寺を訪れて思うことだが、何故にこのような不便なところに建てる必要性があるのだろう、と。
修行は気持ちの持ち方によって何処でも可能と思うが、やはり煩悩を捨て去るには
このような場所が必要不可欠なのだろうか、今も昔もその思いは同じく連綿としている。

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   卍池

本殿に上りきるまで、かなりの段差があり、お年寄りにはかなりキツイだろうなあと思いつつ、
眼下に広がった由比ヶ浜を眺めていた。

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   長谷観音から由比ヶ浜

歴史や文献を読む暇も無く、しばし休んで次へと向かった。

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   極楽寺駅

小川と言うには深すぎる川が流れているところに、怖いくらいに建っている駅舎。
そこから急な坂道を行ったところが極楽寺。
現代ならば道路も整備され、すぐ近くまで江ノ電が通っていて至極便利だが、
先人達は山谷を越えてたどり着いた所にある極楽寺が、極楽、そのものに思えたに違いない。

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   極楽寺山門

極楽寺と言われているが、かなり質素なお寺である。
特別な装飾品も無く、静かな佇まいで意外に思えた。 極楽とは、「 無 」 が大切なのかも。

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   山門をくぐった境内

なぜか撮影禁止の立て札が。
山門から一枚だけ撮らせていただいた。(断りもせずに・・・)
今は初冬、本殿に向かう石畳を両の掌で包み込むように植わっているのは桜。
春には見事な花爛漫となることだろう。 人々はそれを見て花園、極楽と感ずるのかもしれない。

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   七里ヶ浜駅

今日は素晴らしく天気がいいから、富士を望めるかもとお話し頂き、七里ヶ浜までやってきた。
時間は午後4時少し前。 季節風か、かなりの強風が浜辺の砂を舞い上げていた。

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   七里ヶ浜から由比ヶ浜方面

波頭が立って、穏やかなはずの浜が荒れていた。
北陸の浜辺と異なって、ここの浜辺の砂は黒く細かい。
それが強風にあおられ、目の中に入ってきた。

砂混じりの風に逆らいながら数百メートル先にある、レストハウスに向かった。
確か向こうの稜線が富士では、と思い、従業員に聞いてみた。
「 朝はクッキリと見えていたのですが、午後から季節風が吹いてきて雲の中です 」 と。
折角ここまで来たのだからと、温かい飲み物をとりつつ、姿を現してくれるのを待っていた。

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   雲がかかった、富士山

ねばって、ようやく見えた富士の山。
「 もう一度おいで、その時には美しい姿を見せてあげるよ 」、と言っていると勝手に解釈し、
あわただしい観光を終えた。

三冊のガイドブックは鎌倉に来る前に読んだし、ホテルでも目を通した。
今回のような仕事ではなく、余裕のある時に訪れたい、そう思い江ノ電に乗って鎌倉駅へ。
夕日が沈みかける頃、鎌倉を後にして東京へと向かった。


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