創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

大晦日を迎え

2012年12月30日 | 日記

本年もありがとうございました。
何だかんだと言いつつも、今年も無事に終わりそうです。

数年に渡って調子が悪かった土練機、
お客様からのご尽力を頂き、修理に出したのが1月23日。
それから今日まで使う側の私にとって知らないことが多々あり、ビックリすることばかり。

友人が手助けしてくれなかったら、何の疑いも持たずに数年後には再修理になる羽目に。
あまりにもずさんな修理、いや分解掃除だけで何十万円もの大金を見積もってくるなんて。

見積額を見ただけで修理(?)に出すか迷っていた数年間、
土練機で練った粘土を使って制作した作品、そのすべてが失敗。
とうとう、どうすることも出来ずに修理に出すことを決めたのが1月。

友人が疑問を持ち、修理?する前に分解した部品すべて見せて欲しいと申し出、
友人と雪降る中、暖房も何も無い工場の中で分解された土練機を点検した。

Photo

     黄色花


友人が、分解したら何も触らずの状態のままにしておいてくれ、と言っていたのに、
私達が出かけて部品を見ると、証拠隠しみたいに数箇所手を入れてあった。
「 何もするな、そのままの状態で見せて欲しいと言っただろ、」と言っても
何やかやと言い訳する鉄工所。

それから友人が中心となって、鉄工所を指導する形で土練機の修理が始まった。
鉄工所が行おうとしていたのは、単なる分解作業、そして錆落としと掃除だけ。
その見積もりが中古自動車が買える金額とは・・・あきれて言葉も出ない。

Photo_2

   花弁


友人の点検で、以前修理に出した時の修理失敗も見つかった。
その当時、土練機の中がそのようになっているとは全く分からず、
高額の修理代金を支払って、修理(?)され戻ってきた土練機を使っていた。

修理(?)されて戻ってきた土練機は試運転されていて、
粘土がぎっしり詰まって、素人の私には修理(?)された痕跡など確かめようがなかった。
ただ鉄工所を完全に信頼し、戻ってきた土練機を使ったまでのこと。

Photo_3

   赤色花


土練機の設計図通りに本来の修理をと友人が指示、
けれど出来上がった肝心かなめの心棒に不具合が発生。
素人の私でも分かるような失敗をしているのに、「 修理できました 」と。
一体この鉄工所は何なのか?

県内で唯一、窯業機械の修理修繕を専門に商っている鉄工所である。
友人が懇切丁寧に説明し、このようにドリルで穴をあける、ここは何ミリ、と
詳しく説明したにもかかわらず、同じ失敗を何度も繰り返してくれた。

今の私にとって自身で粘土を揉むことよりも、
土練機で練ることを優先しなくてはならない環境であった。
だから何としても土練機が元の状態に戻ることを願っていた。

何度も何度も友人の指導で土練機が使えそうになったのは、6月に入ってからの事。
その後も試験を繰り返し行っているが、何処からか小さな錆が発生している。
青磁用の粘土は土練機で練ることは出来ないし、
体と相談して手で粘土をもんできた。

Photo_4

   花弁


今年の作品発表は、仙台・藤崎デパートしかなかったのが幸いしたかは分からないが、
11月末の個展も無事に済ませることが出来、本当に安堵した。

個展が終わったら再度土練機の分解点検を、との計画で、
友人と一緒に我が工房内で、出来る範囲までの分解点検を終えた。
時間をかけ、あらゆる箇所を点検し、たぶん大丈夫だろうとの結論に達した。
クリスマス・イヴ前に再度掃除し、友人と組み立てを行った。

そして昨日、今年最終の土練機を作動させ粘土のテスト片を取った。
これからも一週間ごとに土練機を作動し、その都度粘土片を採取する。

次の作品発表は4月3日からの千葉三越個展である。
私自身、まだ土練機を全面的に信用出来ず、
手で粘土を揉むつもりでいる。

今年の事柄を整理し終わっていないが、
何となく生花が欲しくなってホームセンターに出かけてきた。
好きな黄色花を見つけ即購入。 黄色だけではと、赤も購入。
年々新種が売り出され、名前もややこしくなってきた。
でも部屋の中で美しく咲いてくれる花は、心安らぐ。

様々なつまづきから始まった今年、
それでもこうして年末を迎えることが出来、大変ありがたく感じている。
来る年も一日一日を大切に過ごし、後世に残せる創作をと思っている。


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クリスマス ・ イヴ

2012年12月25日 | 日記

キリスト降誕を祝っての前夜祭、
今年も無事にその日を迎えた。

夏頃から毎週土曜日夜に行われていた、ミサ曲の練習。
11月の仙台・藤崎個展作品制作の追い込みの真っ最中で、
果たして練習に参加できるか、上手く歌えるかと不安をかかえ、
時間調節しながら何とか練習に出かけていた。

11月10日には、アルマンド神父が指導されていた、カルメンコーラスの発表会。
藤村先生と一緒にフォーレ、レクイエムのバリトンパートを歌わせていただいた。
一年に渡って声帯の状態が悪く、声が出るかとハラハラしていたが、
コンサート当日には不思議と元の発声が出来、安堵。

個展が目の前に迫って焦りながらも「 絶対に出来る 」を自身に言い聞かせ、
心配していた個展も仙台の皆様のご支援を頂き、無事に締めることができ、
藤崎からも次回個展開催確約も頂戴し、充実した日々を送らせて頂いた。

個展後の整理も半ばに、
昨年12月7日に亡くなった、友人のアルマンド神父の一周忌のミサが行われた。
このミサ曲の練習には殆ど参加できなかったが、楽譜を暗譜していたので
無事に歌え、アルマンド神父に個展の報告もできた。

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   カトリック金沢教会


クリスマス・イヴには大雪との報道、平野でも40センチあまりの積雪が、と。
前日から心配していたが、思ったほどの積雪もなく金沢へ。

それでも金沢に向かう加賀産業道路には10センチあまりの積雪。
タイヤは冬用に交換してあるし、これくらいの積雪は大したことはない。
それでも大事をとって、早めに家を出て金沢中心部のカトリック教会に出かけた。

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   金沢中心地


     香林坊


金沢市内は融雪装置が設置されていて運転に支障なく、
思ったより早く教会に到着。

祭日と重なったクリスマス・イヴ、
ミサが始まる午後8時まではタップリ時間があり、
教会から歩いてすぐの所にある、金沢中心地、香林坊へ行ってみた。

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   歩道


何でもおおらかに、寛容に受け入れる日本人の私達、
街中の人々はどのような思いでクリスマス・イヴを迎えているのかと、
興味を持ちながら、踏みしめられた雪道を歩いた。

そこかしこからクリスマスソングが流れ、道行く人々の購買意欲をあおっていた。
けれどイヴの日は月曜日、見た限り浮かれはしゃいでいる風にも見えなかった。

クリスマス・イヴはキリスト降誕を祝う前夜祭のこと、
人様の事を言える資格はないが、私は決まった信仰を持っているわけでもない。
しかし、人を敬い愛する心は誰にも引けをとらないと自負している。

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   幼子


ミサの時間も迫り教会へ。
信徒の皆様の協力で、今年も聖堂内に設置された、「 プレセビオ 」。

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   人々


アルマンド神父が中心になって毎年趣向を凝らし作られていた、「 プレセビオ 」。
彼が旅立った昨年のクリスマス、どうなることかと心配していたが、
信徒の皆さんの協力で昨年も今年も見事に再現された。

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    聖堂


午後8時近くになり、多くの方々が教会に集(つど)ってこられた。

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   パイプオルガン


午後8時から始まるミサ、雪も降り道路も凍ってツルツルになっていたが、
聖堂には昨年よりも多くの方々が来られ、一杯になった。

ミサ曲を歌う聖歌隊、女性は20人あまりの方々が歌われるが男性はたったの6人。
声量のバランスが心配だったが、練習を重ねた成果もあり無事に歌い終えた。

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   雪のクリスマス


午後8時のミサはチプリアノ・ボンタッキョ神父が執り行った。
今の世界情勢と人々の生活、時代とともに変化する価値観に憂いを訴えた説教だった。

25日午前零時、深夜のミサは83歳のクリストフォロ・カワルザン神父が執り行った。
彼は8時のミサには七尾教会に出かけてミサを行ってこられた。
高齢にもかかわらず、張りのある声で説教をされた。

キリストが何故誕生したか、そして世界の平和と安泰を願い、
どのようなことがあろうとも、優しく慈悲の心で接することの大切さを訴えられた。

Photo

   家路へ


さすがに深夜のミサは訪れる人も少なく、
私達聖歌隊も人数が半分ほどになった。
けれど、クリストフォロ神父の説得力のあるお話しには、とても共感がもてた。

午前1時15分、今年のクリスマスのミサも無事に終え、
お二人の神父さん、そして皆様と世界平和を願い、
挨拶を交わして金沢を後にした。

降雪が心配だったが、帰りも大したことなく。
ライトに照らされた降り続く雪、すべてのことを白く染めるようで美しく感じた。
凍った道路、ハンドルを握る手にも力が入り、家に着いたのは午前2時を回っていた。


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土練機分解再開 ・点検

2012年12月20日 | 日記

今年の冬の訪れは早く、
11月中旬には大粒のアラレが降り続き、
畑の葉物野菜は全滅、丹精こめた野菜だったが自然現象には逆らえずに。
冬の訪れとともに、庭には花の姿も見えなくなり、何となく寂しい感じがしていた。

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   侘助


降り続くアラレや冷たい雨、
そろそろ山茶花(さざんか)などが咲き始めるのでは、と
庭木の中を覗いてみた。

山茶花の横には侘助。
さて花があるかな?と見ると、可愛い蕾がぷっくりと膨らんでいた。
すでに咲き出している花もあったが、アラレなどに打たれて哀れな姿になっていた。

穏やかな天気が続いてくれれば膨らんだ蕾もキレイに開くのになと思いつつ、
いくつ蕾があるかなと、指折り数えている自分が滑稽に思えた。

Photo_2

   山茶花


侘助の横には山茶花。
蕾の数を数え始めたら、きっと何時間も掛かってしまうだろうと思うほど、
沢山の蕾が鈴なりに付いていた。 

まだ蕾の多い山茶花、それでも一輪二輪と鮮やかな花が咲いていた。
やはり花があるのは気持ちも穏やかになって嬉しいものだ。
その内にこれ等の蕾が一斉に咲きだし、庭も華やかになることだろう。

Photo_3

   土練機


さて問題がありすぎた土練機、
6月、とりあえずの組み立てを行い、その後は時間がある時は作動させていた。

仙台・藤崎の個展が終わってから再度の点検を、との約束で、
12月8日、友人が来てくれて一緒に分解した。
途中、河端鉄工も様子を見にきて、三人で土練機の状態を確かめた。

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   分解


今回の分解は、土練機の部品すべてを取り外すのではなく、
心臓部の真空が掛かる位置までの状態を確かめる分解作業。
見た目では特に異状はなく、このまま使うことにした。
ただ分解最中に、古くなったパッキンが破れてしまい、
友人が部品手配をしてくれることになり、それが届いてから組み立てることに。

それにしても秋の藤崎個展の作品作り、
すべての粘土を手で揉んで、結構体にこたえた。
あまりにも便利な機械のお陰で体も怠けてしまったか。
現在は便利な土練機があるが、機械もない時代の人は大変だったろう、と、
粘土を揉みつつ改めて実感した。

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   新雪


数日前から低気圧が発達し、北陸上空にも寒気が下りてきた。
朝起きて玄関を開けてみると新雪が。
弱々しい朝日に照らされた庭木、見る分には美しいが、
生活する私達には雪は困りものである。

Photo_6

   雪前の山茶花


つい数日前に数えた山茶花の蕾、
数え切れないほどの蕾が付いていたが、雪の朝には寒々しく見えた。

Photo_7

   雪の中の山茶花


同じ枝の蕾を撮ってみたが、
何となく凍傷にかかっているように見えたのは気のせいか。
それでも自然の植物はたくましく、雪の中から真っ赤な花が数輪咲き出していた。


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光回線のように

2012年12月15日 | 日記

あっと言う間に過ぎ去った日々。
でもボーっとしていたわけでなく、細々(こまごま)とした用事が発生するたび作業は中断。

陳列室を兼ねている応接間、
チラッと覗いてはフーっとため息。 いつになったら作品を陳列できるのやら。
いい加減きちっと整理し、掃除も念入りにして作品を並べなくては、と思って
片付けを始めると又用事で外出、やれやれ。

仙台から戻ってから今日まで、毎日が雨、アラレ、そして雷。
今年の冬入りは早い、そう思ったのは11月中旬に激しいアラレが降った時。
母が丹精こめて育てていた葉っぱ類の野菜たち、
大粒のアラレに打たれ、すべてがメチャクチャに。

仙台・藤崎個展が終わってから収穫を手伝う、と母に言っていたが、
私の留守中もアラレなどが降り続き、根菜類だけがかろうじて収穫できたと。
帰ったら手伝うと言っていたのに、母が体の痛みを堪えて全部片付けてしまった。

留守の間に何かあったら困るので、何もするなと言って聞かせたのに、
アラレや雷が止んでいる、ほんの僅かの時間に畑に行っていたそうな。
体に堪(こた)えたらしく、来年から減らしたいと言う。

Photo



80歳後半の母、広い畑を管理し生きがいとして良く働いてきた。
これ以上無理しないで、自分の出来ることだけして欲しいと願っている。

あまりにも良い天気で、収穫した後の畑がどのようになっているかと出かけてみた。
野菜クズも草も何も残っていなく、キレイサッパリと片付けられた畑、なんともはや。

遠くを眺めれば青空にクッキリと浮かび上がった白山。
久しぶりに、本当に久しぶりに姿を現した白山は名の通り、真っ白。
太平洋側ならば太陽が照っているのは特に珍しいことでもなく、当たり前のこと、
しかし雪国の北陸では、このような良い天気は本当にまれでありがたい。

Photo_4

   白山頂上付近


仙台に出かける前に収穫した富有柿、
収穫と同時に剪定も行ったので、来年も沢山の実をつけてくれるだろう。

母の好きなミカンも、手の届く範囲の実は収穫したが、
まだ木の天辺(てっぺん)あたりにはかなりの実が残っている。
早速母からの要求で、雪が降り出す前に収穫してと電話が掛かっている。

自分の仕事の片づけが終わらない限り、何も出来ないと話した。
ミカンも収穫すると同時に、剪定も消毒も行わなくてはならない。
そのうち天気が良くなる日があるだろうから、その時に行うことにする。

それにしても良い天気だった。 それも二日間も。
私が所有しているコンパクトデジタルカメラ、もう6年余り使っているが、
無理無理に望遠を使って撮ってみた。

白山、フランス語ではモンブラン、
シャモニーから急勾配のゴンドラで、一気に3842mまで昇ったエギーユ・デュ・ミデイ、
そこから眺めるモンブランは山と言うより、なだらかな丘の感じがした。
自画自賛だが、石川のモンブラン、白山の方が一段と姿が美しい。

Ip

   IP電話接続機


何やかやと一時(いっとき)に済ませなくてはならない用事、
先週、光回線に接続された我が家の電話とインターネット、
以前と比べ速度の差は感じられるか?と聞かれたら・・・それ程でも、と。

「 回線のスピードが一段と速くなります、」と言われたが、どこが?という感じ。
パソコンを購入してから6年あまり、その後コンパクトデジタルカメラを購入して現在に至った。
五日ごとに日記を書いているが、パソコンの速度が速くなった実感は感じられない。

電子機器も日々進化し、新製品が発売されている今、
6年間も同じ機器を使っているほうが珍しいのかも。
当然ながらテレビも以前のブラウン管テレビのまま。

とりあえず、050で始まる、IP電話番号同士だと電話料金が無料になるとの事で、
これまでと同じくIP電話接続を申し込んだ。 その機器が13日木曜日に届き、
16日、日曜夕方に設定してもらう予約を入れた。

IP電話を使いたいが、電話帳には今までの固定電話番号しか掲載されていない。
無料電話として使うには、相手先のIP電話番号を押さなければ無料にならないと言う。
今回の個展で名刺交換していただいた方々の電話番号には、IP番号は記されていない。
設定していただいて、あまり使うことがなければ契約解除することにしよう。

何だか機械に振り回されているような気がする、この頃。


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あわただしく過ぎた日々

2012年12月10日 | 日記

あれもこれも片付けなければならない事が続いた一週間。
仙台から帰ってから毎日、個展にお越しいただいた方々にお礼状を書いている。

6日夜、小松美術文化協会員の方が市文化賞を受賞されて祝賀会に出席。
7日、朝からNTT、プロバイダーのOCNの人と打ち合わせ。

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   作業トラック


予定通り、午後1時に作業員の方々が我が家に来てくれて、
我が家に引き込まれている電話回線が光回線に変わった。

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   電柱作業


青年二人がすべての工事を行ってくれた。
その様子を撮っていたら、別の車の中から年配男性が出てきて、同じく撮影。
写真を撮っている私の所に来て、「 安全確認のため、一緒に回っている 」と。

「 作業している青年の言葉には関西訛りがあるけれど、なぜ?」と聞けば、
「 人手が足らなく、全国から作業の手伝いに来てもらっているのです。」と。
年配男性いわく、「 私も70歳に近いが安全確認の応援をしている。」と。

「 では我が荒木田町はすべて光回線の工事をされるのか、」と問えば、
「 申し込まれた所だけ回線交換しているが、以前のままの家もあります、」と。
うん? 9月に担当の人が来て契約したが、すべて変わりますと言っていたはず、
何も急いで光回線に変換する必要もなかったのかと疑問がわいた。

Adsl

   ADSL回線


もう工事が始まっているし、今更「 止めます 」とも言うのも大人気ないし、
そのまま仕事を続けてもらった。

アラレ混じりの冷たい雨の中、関西から応援に来た青年達の作業を見つめつつ、
安全確認に一緒に回っている年配男性と、ひとしきり世間話をした。
外での電線接続が終了したので、次は我が家の中に光回線の電線を引き込む作業。

引き込み穴から、以前の回線から光回線に交換。
「 もし上手く電線が通らなかったら、壁に穴を開けさせてもらっていいですか?」。
「 出来るなら、そうならないように前の電線に繋いで引っ張って欲しい、」と注文。

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   光ケーブル


少し手こずっていたが、何とか光ケーブルも貫通し、
いよいよ光回線の接続設定開始。

これまでのADSLモデム機器よりも、何だか複雑。
「 光回線でどのように変わる?」と問えば、
「 インターネットなど、とても早く繋がります。」の返答。

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   設定


青年の一人がパソコンで設定を始めた。
この設定は光回線を取り込む設定で、私のパソコンの設定は明日8日午後。

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   完了


1時から3時までと聞いていたが、雨、アラレが強くなったりで、
その都度作業は中断。 結局4時前にすべての光回線の作業が終わった。

おりしも7日夜、アルマンド神父の一周忌のミサが控えている。
午後5時からのミサ曲のリハーサルで、金沢に行かなくてはならない。
大切な友人の一周忌、体を清めて急いで金沢に向かった。

午後5時丁度にカトリック金沢教会に到着。
ミサ曲のリハーサルを1時間行い、午後7時から追悼のミサが始まった。

祭壇の前には、にこやかな笑顔のアルマンド神父の遺影が。
いつも何かあると、必ず連絡をくれたアルマンド。
7日のミサが終わると彼は埋葬される。

ミサの最中は、彼に届けとミサ曲を歌っていたが、
ミサも終わり、最期のお別れに彼の遺影に聖水を振りかけた、その時、
それまで堪えていた思いが一気に出、不覚にも涙が溢れてしまった。

「 心配してくれた個展も上手く行き、皆様に可愛がって頂いた、」と報告。
いつも心配してくれて本当にありがとう、ありがとうと心から手を合わせた。

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   10日朝8時10分


   うっすらと新雪が


アルマンド神父の一周忌のミサが執り行われたのが金曜日夜、
翌8日土曜夜、クリスマスの為のミサ曲の練習があり、再び金沢へ。

数日前より、全国各地で寒波襲来の報道が出ていて、
金曜午前に普通タイヤから、冬用のスノータイヤに交換していて正解だった。
クリスマスミサ曲の練習が終わったのは午後9時前。

いつもの加賀産業道路を我が家に向かって走っていたが、
道路には7~8センチの積雪。 速度を落としゆっくりとハンドルを握って、
我が家には午後10時に無事帰宅。

まだ個展後の整理は出来ておらず、今日も片付けなど行ったが、
中々進まない。 いつになったら元の我が家に戻るのやら。


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