創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

観音山

2007年05月28日 | 日記

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黄砂が舞い降りた翌日、爽やかな風に誘われて近くの 「観音山」 へ出かけてきました。
「観音山」 の麓までは我が家から車で5~6分の所。 
そこには 「仏大寺の霊水」 がこんこんと湧き出ています。いつも各地からたくさんの人々が
霊水を求めて、この観音山の麓までこられています。

いつもは車で出かけている所。 今日は大気もスッキリとして気持ちよく、加えて緑がまぶしく感じ、
自転車でサイクリングを楽しもうと出発いたしました。 観音山は我が家からすぐそこに見えており、
なだらかな山道が続いておりました。 普段車で通り過ぎる道も、自転車では脇に咲いている山野草を
ゆっくりと観察でき、これまでとは異なった感覚でペダルをこいでいました。
ところが途中から足に負荷がかかってきたのです。 車では気づかなかったこの道、ゆるやかですが
観音山までず~っとのぼり道。 距離は6キロあまり。

ほんの近くまでたどり着いたのですが、登り坂も角度が増してきて、とうとう自転車をひくありさま。
普段の運動不足を後悔すると同時に、我が年を考えてしまいました。(プロフィール参照)
フーフー言って到着した 「仏大寺の霊水」。 狭い場所ですが、もう先着がたくさんいて、
車でびっしり。 霊水を汲んでいく人たちも列を作っていました。

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その霊水を汲む、ちょっと上の小川でひと口。 う~ん、まろやか。 やわらかい感じの水です。
自転車で来たのは初めてだけれど、フーフー言って来たかいがありました。
清らかな水が流れ来て、疲れも何処かへ飛んでいきました。

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霊水汲み場のすぐ横からは観音山の登山道。 ここから標高402メートルの頂上まで約30分程。
小学生のころ、遠足で頂上まで登ったことがあり、そこで食べた梅干入りのオニギリが
とてもうまかったことを思い出しておりました。 

ん? でもそんな時分、小学校からここまでの道のり、どのようにして来たのでしょう? 思い出せません。
その頃は道も整備されていなくて大変だったはず。 それよりも子供ごころに登山が楽しかったことと、
頂上で味わった、母がにぎってくれた梅干入りのオニギリ、そして水筒のお茶。
その体験が私を山好きにさせてくれたのかもしれません。 ん? その頃は霊水は無かったはず?

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しばし思いにふけり、近くを散策しておりました。
実は今日ここまで来た目的は、この 「白糸草」 を撮ることだったのです。
途中、とてもとても大変で、白糸草を見つける余裕など無かったのです。
でも来たかいがありました。 清楚で美しい花を見つけることができました。

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午後の山は思いもよらず、早く暮れていきます。 目的は達成できたし霊水も味わえたし。
家路に着くことにしました。 今度はペダルをこぐ必要もなく、道のりをひたすら下って行くだけ。
フッと目に飛び込んできた淡い緑のツル草、アケビが小さな蕾をつけていました。
こんど来る時は違った景色であることを願い、赤くなり始めた西空を見ながら風を受けて帰りました。


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青磁線文鉢

2007年05月24日 | 日記

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ここ数日、青磁線文鉢の製作を行っております。
写真左が乾燥した鉢、この後もう少し線文をクッキリとさせる作業を行います。
写真右が焼きあがった作品。 ・・・ 直径 30,6cm(1尺1分)・・・

粘土から焼き上がり完成品までの間に、約20%縮少いたします。
焼き上げ30cmの大きさの場合、36cmで作ると、ほぼ30cmに焼き上がってきます。
この鉢、青磁の色もあたたかい水色で線文もうるさくなく、程よい大きさに仕上がりました。

ホームパーティーに、そしていろんな料理や美味しいチラシ寿司などを盛ってもピッタリかと。
これに少し似たデザインの小さめの取り皿をあつらえれば、その日の料理はグ~ンとアップ。
貴方は何を盛ったらピッタリと思いますか? 
私は我が家で栽培している、種々の野菜をたっぷり混ぜたスパゲッティーを盛ってみましょう。

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現在、私は九谷作家の依頼で壷や皿などの素地を作ることはいっさい致しませんが、
ロクロ師、K氏は毎日その作業を行っています。 
時折気にかかり、様子を見に仕事場へ行って話しを聞いたり致しますが、K氏は素晴らしく腕の良い
ロクロ師で、その仕事ぶりを感心し、また教えられることも多々あります。

つい先日も出かけていって話してきました。 調度作家からの注文で小鉢を作っておりました。
注文数は50個。 しかし作る数は一割強増しの55~57個。
なぜなら写真のように、乾燥段階中にひび割れすることもあるからです。
又、粘土の中に鉄分が混ざっていることもあり、焼き上がってそれが表面に出ることもあるのです。
ごく小さい鉄粉でも、作家はその品を受け取りません。結局在庫としてたまる一方。

私も修業をしていたとき、同じようなことが何度もありました。
その時も5個壷の注文を受け、作った数は8個。 全部上手く焼きあがったのですが、
作家が買っていったのは5個。 残ったものは他に出したら困る、と言うことで、窯元の在庫に。 
あれから35、6年。 あの時受け取られなかった作家からの注文品はどうなっているのやら。

腕のいいロクロ師は減る一方。 分業制に守られ素地を作って貰っている九谷作家たち、
この現実をどのように考えているのでしょうか? 将来への不安は?
誰が作品の素地(形)を作るのでしょうか? いづれは他産地から買う羽目にもなりかねません。

時代の移り変わりと共に、作品の製造にたずさわってきた方々をたたえるべき、と思います。
せめて素地(形)は誰が作り、上絵は誰が描いたかと。
私の仕事場もそうですが、K氏の仕事場も泥があちこちに飛び散っています。
いつもキレイに片付けているのですが、粘土や泥、釉薬を使うため知らぬ間に汚れてしまいます。
これが現実の陶芸家の仕事場なのです。

せっかく作った写真の皿、底の厚みなど、とても気をつけて削ったのですが、このような状態に。
皿ばかりでなく、小さな盃も同じようになったりもいたします。
ですから陶芸家だったら、盃一つでもいいから、自分で粘土をこね、ロクロをまわして形を作り、
削り、乾燥、素焼き、釉薬掛け、そして高温焼成で焼物として完成品を自分自身で作り上げ、
それに自身の上絵を描いていただきたい、そう思っているのです。

ロクロ師K氏、 次はコーヒーカップ&ソーサーの注文と、直径45,5cm皿の注文が来ています。
また時間を見つけて話しを聞きに行こうと思っています。


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キンランの咲く頃

2007年05月20日 | 日記

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子供歌舞伎で有名な小松お旅祭りが先日行われ、小松市美術作家協会展も開催された。
今年の出品作品は、「窯変鉄燿壷」。
この作品は焼成のつど釉薬が変化し、趣のある景色となって焼き上がる作品でもあります。
テストを何回も繰り返し、これで良し、と決めて釉薬を作り焼成をいたします。

しかしながら予想に反して焼き上がるのが常。 決して同じものが焼き上がらないのです。
うまく焼き上がり、それなりの景色が楽しめられると判断した作品だけをご覧いただけるのです。
今回の出品作品、窯の中の炎の流れも良く、窯変の結晶が見事に現れた作品と思っております。
ご覧下さった方々から、「珍しい作品ですね」 と、うれしいお言葉も頂戴いたしました。

「青磁の作品かと思っていましたが、まったく異なった作品で驚きました」、とも。
ごあいさつ」の中にも書いてありますが、青磁釉薬を試験していた時、偶然にも焼き上がった
鉄釉の一種がこの「窯変鉄燿」。

それ以来テストを重ね、現在に至っております。
青磁を中心に作陶していますが、青磁釉薬を研究していますと、それに付随してさまざまな釉薬が
生まれてきます。 今現在いったいどれ位の種類の釉薬があるのか、数えきれない程です。
せっかく与えられたこの仕事、誰にも真似の出来ないものを、品格のあるものを創れるようにと
日々研鑽に励まねばと思っております。

あわただしく過ごしてきた昨今、我が家の庭には 「エビネ」 がずい分前より咲いていて、
気になっていた 「キンラン」 がどうなっているのか山に出かけて来ました。

ありました! 今年も咲いていました。 
木陰の中にひっそりと上品な黄色い花をつけていました。
誰が名付けたかわかりませんが、薄暗い林の中で鮮やかな黄色い花をつけている姿、
それは宝物を見つけたようにも感じる喜びでもあります。
ときおり木立の間から差し込む光に照らされて浮かび上がった、鮮やかな黄色、
・・・それはまさしく黄金色。

年々近くの山が開発されていき、それに伴って山野草の姿も減り寂しい思いでおりましたが、
今のところ、この 「キンラン」 は無事のようです。 かといって株を家に持ってきても
環境が変われば根付くこともなく、結局絶えてしまうことになり、私が山を荒らすことにもなります。
いつまでも変わらずに、このままの自然が保たれるようにと願うばかり。

この 「キンラン」、とても美しい姿をしております。 もちろん色は言うまでもなく素晴らしい。
両の手を合わせ、そっと口元に持ってきた形がこの 「キンラン」 の特徴です。
やさしいこの姿、何とか作品にと思いつつ観察してまいりました。


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クロはどこへ?

2007年05月16日 | 日記

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あさ、私の起きだす音を聞きつけ、トラが屋根の上で甘えた声でないている。
一年中、それが規則のように玄関戸を開け新聞を取り込む私。
もうトラは玄関まで来ていて更に大きい声で 「おはよう、ニャ~ン」と挨拶をくれる。

「おはよう トラちゃん!」 

台所に入り、勝手口のドアを開けるとトラがすり寄ってきた。
おや、今朝もクロの姿が無い。
かれこれ一ヶ月以上も帰って来ない。
「トラ、クロちゃんはどうした?探しておいで」  「ニャ~ン」

1/11 「ひなたぼっこ」 の時のように、「仲良く一緒にご飯を食べれるといいのにね」  「ニャ~ン」
トラとクロは血縁で結ばれている。 トラはクロの叔母にあたる。 
沢山居たニャンコの中でクロだけが男の子。
この春先、よそから雄ネコ達が昼夜かまわず集まってきて、それはそれはうるさいこと。

その雄ネコたちとようやく戦えるようになったクロ、トラを守るため大きな雄ネコに果敢に向かって行った。
クロは大きく声を出せない障害があり、よその雄ネコのどら声に比べるとまるで赤ん坊のような声。
それでも体も一回りも大きくなって、雄ネコ達と同等に戦えるようになったのです。

ある朝、雄ネコの気配を感じたクロ、朝食半ばで飛び出して行きました。
その日を境にクロの姿を見ることが出来なくなったのです。
それから半月、トラも三日に一度しか帰らないことが続きました。 もしかしたらクロのところへ?
そして一ヶ月も過ぎようとしている今、トラはひとりで私に寄り添ってきています。

「トラちゃん、クロちゃんがどうしたのか知ってるのかい?」  「ニャ~ン」
クロがいなくなってから台所の中まで入ってくるようになったトラ。
この愛くるしい瞳は一体何を見てきたのでしょう。

私が外出から帰って来ると、いつも連れ添って挨拶に来ていたトラとクロ。
ひなたぼっこも眠る時もいつも一緒のトラとクロ。
クロの姿が見えなくなってから、雨の日も風の日も屋根のひさしの隅っこでジッとしているトラ。

「トラちゃん、クロちゃんはきっと帰ってくるからもう少し待っていよう」  「ニャ~ン」
トラちゃんもきっと寂しいと思うけれど、私だってとても寂しいんだ。
だって家族だったんだから。
「他にいいところが見つかったのならしかたないけれど、やっぱり帰ってきてほしいね」 
  「ニャ~ン」


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まいにち母の日

2007年05月12日 | 日記

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三越千葉店・個展におこし下さった杉並区在住、Sさんの心温まるお話しをお聞きし、物語ができました。

「いってきまーす」 大きなランドセルを背に、直人君は学校へ。
学校へはいつも友達とグループになって出かけていました。

「昨日のテレビなにみたあ?」  「あのゲームどうだったあ?」  「宿題してきたあ?」 
ワイワイ、ガヤガヤとみんな楽しく学校に向かっていました。
「あれ?あんなところにちっちゃいお花、なんだろう」 直人君はその花をジッとながめました。
「きれいだなあ、水色のお花がいっぱい咲いている」

「直人君、早くいこうよ、おくれちゃうよ」 友達は直人君に声をかけました。
「わかったあ、すぐいくよお」 すこし先に行った友達のところに急いで走っていくと、
「どうしたの?」 「ううん、何でもな~い」

午前の授業が終わり、昼食の時間。 今日のご飯は何だろう、カレーだったらいいなあ。
今日のメニュウは魚のフライ、野菜サラダ、スープ、そしてご飯だった。
お昼のご飯もおいしいけど、やっぱりカレーがたべたいなあ。
そうして午後からの勉強も終わり、また友達と一緒に家へ帰っていきました。
あさ見たかわいいお花がお日様に照らされていっぱい、あっちにもこっちにも。
「うわあ、キレイだあ」 タンポポもキレイだけど、このお花もかわいい!

「ただいまあ」 「おかえり、学校たのしかった?」 「うん、たのしかったよ」 「そうよかったね」
「おかあさん、きょうのごはんなあに?」 「う~ん、まだ決めていないけど、どうして?」
「ボク、カレーがたべたいなあ」 「そうか、直人はカレーが好きだったよね、じゃあそうしようね」

おいしい晩ご飯を、おなかがふくれるほどいっぱい食べた直人君、
「お母さんのカレー、一番おいしい」  「ありがと、またこんどつくるからね」  「うん、おねがい」
宿題も終わったし、もう寝る時間、「おやすみなさーい」  「おやすみ」
直人君は夢をみていました。 あのちっちゃい花の中であそんでいる夢を。

そして次の朝、また友達と学校へ。 途中、あの花をみつけた直人君、今日はちょっと見ただけで
みんなといっしょに楽しく話しながら歩いていきました。
学校が終わり家に帰る途中、直人君は友達と別れたあと、あの花のところに戻ってきました。
お花の大好きなお母さん、この青いお花をたくさんつんでお母さんにあげよう。
一本二本三本・・・もうつかみきれなくなるほどいっぱいつんだ直人くん、遅れるとお母さんが
心配する、早くかえらなくちゃあ、急いで駆け足で家に帰ってきました。

「ただいまあ」  「おかえり、おそかったのね、どうしたの?」
おかあさんをビックリさせてよろこんでもらおうと、後ろにかくしていた手をサッとお母さんの前に出し、
「プレゼント!」  「えっ、ありがとう」  ところが青いちっちゃな花はどこにも付いていなくて
全部葉っぱに変わっていたのでした。 
「アッ、お花がない、おかあさん、ごめんなさい、いっぱいいっぱいお花があったんだよ」
お母さんはわかっていたのです。この花はつむと落ちてしまうことを。
「ううん、直人ありがとう、このお花お母さんの大好きな花よ、ちゃんと水につけてかざろうね」
花がなくなってしょんぼりしていた直人君、お母さんの嬉しそうな顔を見てニッコリ。

今晩の夕食のテーブルの上には、直人君がつんできた一握りの草がカップの中に入っていました。
「これどうしたの」 とお父さん。 「直人が私にプレゼントしてくれたの」
「そうかあ、直人がつんできたのかあ、お母さんとってもうれしいって言ってるよ」  

よかったあ、お父さんもお母さんもニコニコしてて。
直人君はお父さんとお母さんの顔を見ながら、この花の咲いている様子を一生懸命に話しました。
「直人はいいこだね、これからもやさしい直人でいてね」 とお父さんとお母さん。
「うん、」
今晩の直人君はどんな夢をみるのでしょうか。

・・・ 杉並にお住まいのSさん、私の創作日記、2/18、「雨上がりの午後」 を読まれて
   お子さんの小さい頃の事を思い出しましたと、お話しをしてくださいました。


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