創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

あたたかいおもてなしを頂いて。

2007年11月30日 | 日記

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  房総半島から東京湾を望む

久し振りの上京。
千葉三越で御世話になっているお客様が催される音楽会にお招きいただき、千葉へ。
その晩はオークラ千葉ホテル・エリーゼルームにて、お心あふれるおもてなしを頂き、
美味しいお料理と素晴らしいミュージシャン達の演奏に酔いしれてしまいました。

ラテン・ホルクローレ、 ジャズ・トリオ、 フラメンコギター、 イタリアン・カンツォーネ
それぞれのミュージシャンのお話しと演奏。
メインテーブルに席をご用意いただき、ほんの目の前で繰り広げられるミュージシャン達の
超絶なまでのテクニックと息遣いまでが聴こえて来て、数時間がアッというまに過ぎてしまいました。

ご夫妻のお優しいお心とおもてなしに感激するとともに、
今日までのご準備にどれほどのお気遣いとお心遣いをなされたかと、頭が下がりました。
来年は80歳をお迎えになられ、再びの宴をご予定とのお話し。
ぜひにとのお声をいただき、幸せな気分で都内のホテルに戻りました。

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  六本木ヒルズビル

千葉三越のマネージャーから、せっかく上京されたのだから日展を、との事で翌日は六本木へ。
地下鉄日比谷線を降りてすぐに見えてきたのが六本木ヒルズ。
なるほどこれが有名なビル、ああ、そう。 特になんの感慨も沸かなかった、なぜか。

ホテルのコンシェルジュに詳しく教えてもらった地図を手に国立新美術館に向かった、
そのはずだったのに、ややこしい交差点を一つ間違えて全く反対方向へ。
何だかおかしい・・・たまたま配達の人がいて道順を聞いたら、今来た道を戻ってこうしてああして、と。
冷たいビル風に飛ばされそうになりながら、今度は坂道を登ってくたくたになってようやく到着。

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   大量のガラスで囲まれた国立新美術館

テレビなどでよく見た建物が目の前に。  とっさに思ったこと、地震が起きたらこの大量のガラスは?
正直馴染めない、そう思ってしまった。
そこにたどり着くまでに案内標識も少なく、都内に住んでいる方々もきっと迷ってしまうだろう、と
自分がかってに迷ってしまったことを棚に上げて、人様もそうだろうと決め付けてしまった。

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           美術舘内部の大空間
  向こうに見える逆三角形のコンクリートの上がレストラン

    ではそのコンクリートの塊の中はどうなっている? 
        

思ったよりも人出は少なく、すぐに中に入ることが出来、またまたビックリ。  物すごく贅沢な空間。
とりあえず工芸をと展示室に入った。  それにしても暖房の温度設定が高すぎる。
ここに来るまでに一汗かき、中に入って更に汗をかき、そしてあまりにもたくさんの陳列作品。
いい加減疲れてしまい、係りの人を捕まえて知り合いの作品の陳列場所を教えてもらい、
それを確かめて、そう、鑑賞するにはあまりにも窮屈な陳列に頭が痛くなり、そそくさと退散。
 
   ・・・・・ああ、それにしても多すぎる、乱雑、が実感。・・・・・

一つ一つは作家が心込めて創り上げたものだろうが、こんなにも乱雑に陳列してあると
作家の思い、それが生きてこない、伝わらない、そう思ってしまった。

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  エントランス方向からの美術舘

もと来た道を再びの冷たいビル風に吹かれ、早々に空港に。
小松発までの2時間半あまり、静かなラウンジであたたかい飲み物を頂きながらゆっくりと休み、
東京湾に沈みゆく夕日が空を茜色に染め始めた頃、飛行機は定刻に出発。
そしてカゼをひいてしまった・・・。

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寒空にやってきた新しい家族

2007年11月25日 | 日記

いよいよ北陸に冬が到来した。
鳴り止まぬ雷と窓打つアラレ。 パラパラと間断なく窓ガラスを打ち付けている。
ピカッと光が走ると同時にビシッと落雷。 去年はこの雷で何回もパソコンに影響が出てしまった。
友人が落雷防止の避雷器具を取り付けてくれたが、やはり心配でその都度接続ケーブルを
外している。

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  嵐が過ぎ去った後の堤防

暴れ狂った雷も去り、雨アラレも降り止んでもう安心と思ってスニーカーを履いて歩きに出た。
堤防を歩きながら空を観察していると、黒い雷雲は遠くにながれ、そこで閃光を放っている。
ふと気づくと、20メートル先の草の間に白いかたまりが見えてきた。
何だろう? 何かの袋が飛んできて草にひっかかっているのかと思ってしまった。
近づくにつれ、その白いものは動き始めた。

人の気配を感じたのか、草むらの中からヒョイと顔を持ち上げた。
  アッ、子猫。 そう思った途端、シッポをピンと真っすぐに上げて、ニャ~ンとなきながら駆け寄ってきた。
「おチビちゃん、こんな寒いところで何してるんだい?」 聞いてもニャ~ンとすり寄るばかり。
人家は5、600メートルも離れているし、さっきまで雨やアラレが降っていたのに濡れていない。
加えて毛並みもきれい。 ああ、誰かがつい今しがた捨てていったのだ。

どうしよう、このままだと凍え死んでしまう、困った~。
とにかく、いても経ってもいられずに思わず防寒着の中に入れてやった。
甘えてゴロゴロとノドをならし、じっと目を見つめてくる。 ああ、このままにしておけない。
でも、でも・・・。 もしついてくるならばその時はそのときと、子猫を降ろして歩き始めた。

するとどうだろう、私の歩く速度に合わせて必死になってついてくるではありませんか。
いくらなんでも途中で疲れてしまうだろうと高をくくっていたら、何と3キロも後になり先になりして
ついてきた。 ああ困った、と思って少し速度を速めると、何とも言えず物悲しい声でないている。
う~んやっぱり置いていけない、雨が又降ってきた。雷雲も近づいてきた。

速度をゆるめた私を待っていたかのように、子猫は必死になって駆け足で近寄ってきた。
いったい誰がこんな小さい命を見捨てたんだ! 絶対許せない!
せっかく縁があってあんたの家族になったネコを何故に捨てる? 今頃どう思っているんだ!

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  車の上でひなたぼっこ

家ネコだったらしく、全く汚れてもいなくて匂いもない。
しかし我が家にはトラちゃんがいる、ケンカしないだろうか。 この子猫も女の子。
その晩は互いに威嚇し合って大変なことに。 子猫は家の中に入りたがるし膝に乗ってくるし。

友人に話したら、トラちゃんが家の中に入ってこないなら子猫ちゃんを家ネコに、と。
お供してついてきたのだから名前はトモちゃんでいいんじゃないのぉ、と。
また東京のSさんはトボトボついてきたんだからトボちゃんと名付けたら、と。
さあ、どうしましょうか。
赤い鈴つきの首輪を付けて上げて、ノミ予防の薬も付けてニャンコちゃんは家族の一員に。

先般テレビでは姉妹が捨て犬を沢山世話をしていて、付近住民とトラブルになっているとのこと。
このような話題が出るたび、いつも思うことだが一体原因は誰が作ったのか、ということ。
生きとし生けるものを大切に、は我々人間の責任ではないのか?
無責任に動物を飼い、邪魔になったからゴミのように捨てる、これは絶対に許されることではない!
このような行動をとる、その人の心がゴミ!と私は思う。

この子猫は避妊手術を受けていないみたいなので、可哀相だけれど手術を受けさせようと思う。
どうかお願いだから生き物を粗末に扱わないで下さい。
彼らは何も話せないのです。   私達人間を信じているのです。 
いっときの情けはかけないで下さい。 縁があった時はどうか最期まで家族の一員として暮らしてください。

まだ名前の決まっていないニャンコちゃんは、今膝の上で安心してノドをゴロゴロ鳴らしています。
トモちゃん、トボちゃん、それともトコトコ着いてきたからトコちゃん? 
どの名前がこの子にふさわしいでしょうか?


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枯葉舞うガラスの街に

2007年11月20日 | 日記

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  富山市内を流れる用水

アラレが降るかと心配していた初冬の午後、国道を通って富山市へと向かった。
雲行きは怪しいものの、大した天候の変化も無く、何十年ぶりかの国道の旅。
いつもは高速を利用しているが、今回は時間の余裕を持ってゆっくりと車を走らせた。
すっかり忘れてしまっている風景に驚くと同時に、全く別の空間を旅しているような妙な感じさえもした。

今は便利な道案内のナビゲーションの誘導のまま、2時間もかかって富山入り。
シャンソンコンサートの観劇が目的で枯葉舞い散る国道をトロトロと走ってきた。
ゆっくり走ってきたが、それでもまだ充分に時間があるので市内観光とシャレてみた。

久し振りに歩いた富山市内、思ったよりも緑が多く、富山城近辺はかなり整理されていた。
今回初めて気づいたのだが、ガラスで作られたものがいたる所に陳列されていた。
用水にかかる欄干にもしかり。
たまたま入った市民プラザでも色々と作品を並べてあり、係りの人に質問をなげかけてみた。
1985年からガラスの街として、うんぬんと。   なるほど、だからこんなにも多いのかと納得。

夕暮れも迫り、淡い夕日が斜めにそのガラスに映りこみ、何となく哀愁を感じ始めた頃、
道端に落ちている大きなカエデの葉をよけつつ、シャンソン会場へと向かった。

    考える暇もなく
         時は過ぎてゆく

金子由香利のコンサートが始まった。
パリのエスプリを感じさせてくれる歌声、ある時はそっとささやくように・・・。
一曲一曲から、さまざまな思いがわき上がってきて、いやおうなしにその世界に引き込まれてしまった。

伴奏はミュージシャン9人編成で、これまた味があった。
すべての伴奏は電気的な機械を全く通さず、大きな会場なのにサロンで聴いているようだった。
ささやき語りかけ、そして情熱的に歌声は流れ、
ピアノ、コントラバス、アコーディオン、バイオリン、チェロなどが枯葉舞うようにからみ合って・・・。
たっぷりと、しかしアッと言う間の2時間、金子由香利の世界に浸ってしまった。

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  パリのカフェにて

なぜか以前訪れたパリの風景が浮かんできて、妙に懐かしさがこみ上げてきた。
家に戻ってアルバムを開いてみたら、サクレクール寺院近くのカフェでゆっくりしている写真が一枚。

   アン カフェ シルブプレ。

寒い季節のパリなのに店内ではなく、テラスのテーブルでカフェを飲みたくなる不思議な街。
金子由香利の歌うシャンソンは、取材で訪れていた懐かしいパリへといざなってくれた。

    

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かけはし川慕情

2007年11月15日 | 日記

今時分の気候は気まぐれ。
もしやと思い、傘を持って出かけても一度も開くこともない・・・。
青く澄み渡った空を信じて何も持たずに出かけてみると、期待を裏切るように
アラレやミゾレが体を打ち、傘を持ってこなかったことに後悔することしきり。

晩秋から初冬へと確実に移って来たこの頃、たえず空のご機嫌を伺っている。
幾層にも重なり合った雲間からのぞく、僅かな青空が見えると何故か嬉しくなってしまう。
はるかかなたの上空に、サーッと薄くはいたような雲は殆ど動かない。
その下の濃いネズミがかった雲は激しく流れている。
そして地表まじかの黒い雲は反対方向へと動きつつ、雨のカーテンをあちらこちらに垂らしている。

頃合を見計りつつ、今日も出かけなくてはとスニーカーを履いた。
川面に群れ遊ぶ渡り鳥の姿も少なく、枯れ果てたススキだけが
なぜか侘しく揺れていた。

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  くれない染まる 「梯川」

小さい頃に聞いた話しでは、この川にも資材を運ぶ木舟が行き来していたそうである。
実家の隣の家の外壁に、その舟板が打ちつけてあったのが珍しく、それは今も記憶に残っている。
今は浅瀬ばかりのこの川に、一体どうやって舟を浮かべていたのだろう。

先人達は何を運んでいたのだろう。
河口の 「安宅の関」 当たりから何かの海産物でも載せてきたのだろうか。
その時分の 「かけはし川」 は深かったのだろうか。
きっと何処かに資料が残っているとは思うけれど、今の環境からは想像も出来ない。

数年前に完成した国道8号線の立派な橋が 「かけはし川」 を横切り、
通り行く車は何事もなかったように走り抜けて行く。
川面に映るオレンジ色の街灯は、ユラユラと過去から現在の流れを映し出しているようにも思える。
くれない色から紫色へと暮れゆく空だけが、今も昔も変わらずに静かにそれを見ている。

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東尋坊

2007年11月10日 | 日記

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  東尋坊 「遊覧船の船着場」

小春日和と言うにはまだ早すぎる北陸の晩秋の晴れ、
久しく出かけていない海が見たくなり、気分転換をかねて福井県の海岸沿いに車を走らせてきた。

二年ぶり、いや三年ぶりか、ハッキリと記憶が無いほど久し振りに東尋坊にたどり着いた。
駐車場から岸壁にへばりつくように奇怪な岩が林立しているところまでの数百メートル、
狭い道の両側には海産物などの土産店が肩を寄せ合い、観光客を盛んに呼び込んでいた。

今日の東尋坊、耳に飛び込んでくる観光客の会話の多くが中国語だった。
中高年の観光客が大勢来ていたが、その大半が中国語を話していた。
近年台湾からの観光客が増えたと報道されていたので、そちらからの旅行者の団体かも知れない。

私もその中に混じって一人の観光客と化した。
さまざまな品を試食させてくれたり、また通訳を介して東尋坊の案内をしてくれたりと、
いっとき楽しい思いを味わった。

どういう訳か、ここに来ると必ず食べたくなるものがある。 それは 「イカのてっぽう焼き」。
でも何だか前とはどこかが違っていた。 イカのサイズが小さく感じてしまった、いや本当に小さい。
前来た時に食べたそれは、かなりの大きさで食べ応えがあった。
売り子のオバちゃんがしきりに 「美味しいよ!」 とすすめてくれたけど、なぜか買う気にならず・・・。
サイズが小さいのに価格が六百円。 う~ん、少し高いような。
今回は潮の香を味わえれば満足!のつもりで訪れたのだから、イカのてっぽう焼きは次回と決めた。

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  海岸沿いを巡る船

前回訪れた時はスニーカーを履いて来ていて散歩コースを歩いたが、今回は観光だけにした。
東尋坊は荒々しい断崖で有名であるが、もう一つ喜べないことでも有名な観光地でもある。
散歩コースを歩いて行くと所々に立て看板があり、人生を見直しませんか、お話ししませんか、と
優しい言葉が書いてあるのです。 希望を失いかけつつある人に今一度の呼びかけをしているのです。

今日のような穏やかな日に、海に、と思われる人は居ないと信じたいが、
それぞれの人生につまづいた人にとっては天候の良し悪しは問題外であろう。
観光客でにぎわっている傍らで、そのような絶望に陥っている人々がすぐそばにいる、
東尋坊は残念ながらそのような悲しい現実を抱えた観光地でもあるのです。

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  道の駅 「三国」

国際色豊かになった東尋坊をあとにして少し南下すると、三国漁港、そして道の駅。
天気も良いし、普段口にすることの無いソフトクリームを買った。
濃厚な味のソフトクリームは寒くも暖かくも無い今日の気温には、ほど良い味わいであった。

ここも漁港がすぐそこ、ということもあり、海産物が豊富に並べてあった。
私も何かをと物色してみたが、いつも手に入るものばかりだったので買うのはやめた。

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  ラッキョウの花

道の駅にもラッキョウの加工品がたくさんならべてあったが、三国砂丘はラッキョウの産地でもある。
今が見ごろの赤紫の小花が所狭しと咲き競っていた。
車を走らせていると、なだらかな砂丘全体が色づいて見える。 近づくと整然と植えられたラッキョウ。
晩秋から初冬にかけて咲くラッキョウの小花、来年初夏の収穫までにきっと大きく育つのだろう、
そう思いつつ晩秋の晴れ間の今日、久し振りに仕事から離れて三国、東尋坊めぐりをして来ました。

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