創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

アルマンド神父のお見舞い

2011年04月30日 | 日記

福島原子力発電所破壊で様々な事実が公になり、また報道でも言われ始めてきた。
太陽光発電は推進しているが、なぜ夜間使えるように蓄電できないのか、のからくり。
東京電力や経済産業省などの結託で、バッテリー開発を邪魔していることの事実。

前回書いた、2秒遅れて届く最新のデジタル放送。
これについては、まだ誰も何も話していない。
このままだと、7月後半から完全にこれまで視聴していたテレビは見られなくなってしまう。
これも太陽光発電と同じく、電気会社と省庁の陰謀か?

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   祭壇

「 矛盾した事実 」を書くべきか、「 祈り 」を書くべきかと迷った25日の日記、
今日は穏やかな気持ちのまま、先日24日に行われた復活祭の様子を書こう。

祭壇の写真は16日夕方、ミサ曲の練習に出向いた時のカトリック金沢教会。
夕日が照らし出すステンドグラスを写してみた。
 

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   パイプオルガン

祭壇の反対側、お御堂の入り口の真上にパイプオルガンが設置されている。
24日の復活祭、聖歌隊の皆さんとパイプオルガンの前でミサ曲を歌った。
練習の賜物か何とか歌え、美しいミサ曲で心も洗われ、平和な世にと祈ることが出来た。

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   チプリアーノ神父

早朝のミサはアルマンド神父が執り行い、
10時からのミサは主任司祭、チプリアーノ神父が執り行った。

説教では東日本大震災で被災された方々の平安を祈る言葉が述べられ、
不幸にも亡くなられた方々への弔いの言葉が心こめて話された。
私にとっても大変お世話になっている東北、被災された方々が一日も早く
復興されることを心から祈った。

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   復活祭 ・ 卵

左は復活祭で私が頂いた黄色の卵、
右の手描きの卵は、東京から来られたSさんから頂いた「 ウクライナ・イースター・エッグ 」。
体調不良のアルマンド神父を見舞いに、25日金沢に来られた。

遠い東京からお見舞いに来られたお心配り、
その優しいお心遣いにアルマンド神父は満面の笑みを浮かべていた。

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   教会の畑

いつもお世話いただいているNさんと共に、2時間あまり近況を話し合った。
帰り際、「 サラダ菜苗を持っていって 」とアルマンド神父。

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   イタリアサラダ菜 ・ 苗

司祭館の横にある畑から、数種のイタリアサラダ菜苗を採取。
畑の隅のプランターには、次に植えるサラダ菜苗が沢山育っていた。

24日復活祭の祈り、翌25日、東京のSさんをお迎えしてアルマンド神父のお見舞い、
次に植えるサラダ菜が元気に育っているように、アルマンド神父の体調も良くなるよう、
そう願いながら、アルマンド神父が植え育て上げたサラダ菜を頂いてきた。

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   畝作り

我が家の畑、夏野菜を植える場所を確保しサラダ菜を植える準備。

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   苗植え

苗、と言ってもかなり大きく育っているチコリアなど数種、
上手く育てば越年して来年も同じ場所で育つだろう。
イタリアサラダ菜は、何故か同じ場所に植えても大丈夫。
連作ができる便利な野菜である。

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   漉す

いくつかこなさなければならない作業があるけれど、
土練機の掃除で出た粘土、捨てるのはしのびがたく、再製作業を行っている。

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   どべ鉢

乾燥させては溶かし、それを漉す。 漉した泥を鉢に入れて水分を抜く作業。
この作業をほぼ毎日行っている。 ひとつ事を片付けなければ次に進めない、
やりくり下手な自分に辟易しながらも、せっかくの粘土、無駄にすることは出来ない、
そう思いつつ、今日も泥作りと調整を行った。


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2秒遅く伝わるデジタル放送の事実。

2011年04月25日 | 日記

大震災が起きてから40日も過ぎてしまった。
少しずつ復旧復興が進んでいるが、それでも苛立たしさを覚えるくらいに作業が遅い。

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   NHKニュース

余震もまだ発生し、被災され避難生活をおくっていられる方々はどれほど辛いことか。
放射能汚染で何もかも置き去りにして避難している方々、やりきれない気持ちで一杯と。

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   テープ付き携帯ラジオ

大地震が起きた3月11日、いつものように歩きの運動に出かけていて、
我が家の敷地に入ったところでイヤホンからニュース速報が入り、
ビックリして家に飛び込んでテレビをつけた。

たまたまNHKラジオを聴いていて、イヤホンを付けたままテレビのスイッチを入れた。
「 テレビとラジオ、同時放送をしています 」とイヤホンからのアナウンス。
でも何か違和感を感じた。  音声がずれて聴こえ、とても聴きづらかった。

ん?何故だろうと思いながら、テレビ、イヤホンの音声を注意して聴いていた。
結果、ラジオの音声が流れた後、テレビの音声が流れてくるのに気づいた。
その差、約2秒・・・・・2秒遅れてテレビの音声が聴こえてきたのだ。

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   ニュース

千葉三越個展は3月1日から7日まで。
個展が終わってから情報収集の為、東京に9日までいて帰宅。
個展で留守の間、いつもお世話になっている電気屋さんにデジタル化のため、
屋根に上って点検をお願いしてあり、9日に帰ってテレビをつけたが映らず。
留守電に、アンテナなど使い物にならなかったので交換しましたとメッセージ。
翌朝来てもらい、室内の配線をしてもらってテレビが見られるようになった。

その二日後の大地震。
デジタル化になれば、あれもこれもすべて便利にもなるし、
災害発生した時にもいち早く情報を発信できる、と宣伝していた政府広報。

しかし私が地震発生速報を聴いたラジオはデジタル放送ではなく、アナログ放送。
家に駆け込んで見聞きしたテレビは留守中に切り替わったデジタル放送。
いち早く情報を発信できるデジタル放送に切り替えを、と言っていた広報は何なんだ?
わずか2秒間のずれ、されど、とても大切な2秒間。

すべてデジタル化され緊急地震速報が流れたとしても、
今までのアナログ電波の方が2秒早く伝わってくる事実。
緊急地震速報が流れたら、一刻も早く避難をと言っているが、
これまでの放送より2秒のずれがあることを、どれほどの人が知っているだろう。

大地震が起きてから今日まで、気をつけてテレビ、ラジオを見聞きしているが、
どの局もコメンテーターも、誰もその事実を話していない、これは何故?

デジタル化を推進しているが、本当に必要なのか?
電波枠が足らないから、万一の時に生命を守ってくれるからと知らしめているが、
果たして本当なのか疑問が湧いてきた。

いち、に、の2秒間は命を守る為には大切な時間である。
2秒もあれば最低限の避難は出来る。 でもデジタル放送は確実に2秒遅い事実。
3月11日大地震が起きたその時、この大きな矛盾に気が付き、今もなお納得がいかない。
貴方はこの事実、どう思いますか?

加えて、アンテナを変えたり配線し直したり、チューナーを取り付けたりで、
6万円くらいの出費がかかった。 テレビは今まで使っている古い型のまま。
薄型テレビに変えれば更に出費がかさむのは必死。

7月からすべてデジタル化され、今のままではテレビなどは視聴できなくなります。
その分国民の皆様に、豊かな情報と安全情報をいち早くお伝えします、
と政府広報。

しかし、どうしても納得がいかない。
0、00秒の時間を競っている現在、2秒も遅く伝わるデジタル放送は何?
何の為???・・・・・本当に必要か???   1秒、2秒・・・天災、被災は一瞬である。


 
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粘土作り ・ 春祭り

2011年04月20日 | 日記

50年くらい前のこと、
桜が咲き、神社の境内の椿も咲きだした頃、
いまほど生活も良くなく、もちろん春祭りも質素に行われていて、
子供だった私達は神社の境内で木に登ったり、かくれんぼしたり。

今もハッキリと覚えていることのひとつ、おやつなど、もらえるような生活環境ではなく、
子供心に何か食べられるものはないかと、境内で遊びながらも食べ物を探していた。

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   神社


   神殿

雪解けの頃から咲き出す椿、その花の蜜が甘いと知り、
かくれんぼや鬼ごっこの遊びに飽きた頃、みんなで椿の木によじ登り、
その花をもいで花の根元をスッと吸っていた。
極わずかの一滴がほのかに甘く、その蜜が何よりのご馳走だった。

花の時期が終わり、種が成長する頃、
今度はその種を採って割り、ゼリー状の実を吸っていた。
花の蜜は確かに甘かったけれど、セリー状の実はどうだったかは記憶が無い。

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   神社から

あんなに広く感じていた境内、
大人になって神社に来てみると、あまりもの狭さにビックリ。

右のあの木に登り、ブランコを作って遊んだなあ、
左の椿の木によじ登り、細い枝にしがみ付いて花を吸っていたなあ、
あの頃と比べるとずいぶんと木も整理され、なんだか寂しさを感じる現在の神社。

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   原料粘土

土練機も何とか分解掃除をし粘土を通してみた。
ただ焼かなければ錆が混入しているか分からない。
これ以上きれいにならない位、一生懸命に錆を落とし洗った。

昨年秋から片付けようと思いつつも、中々整理できなかった土つくり、
土練機の作動と同時に、外で粘土の調整を行った。

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   メッシュ=通し

原料土を長い間水に漬けてあり、それらを撹拌機で粉々にし、
塊がなくなった時点で細かいメッシュで泥水を通し、鉄分やゴミなどを取り除いた。

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   ドベ

かなりの量が出来たが、まだ多くの原料がそのままになっている。
沈殿を待って、次の原料も同じくどろどろにし、メッシュで通す、その繰り返し。

鉄分やゴミの混ざっていない原料土もあるが、
とりあえず片付けなくてはならないことを先にしてからロクロに向かおう、
そのように決め、今は原料土作りと再製の土つくりを優先。

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   荒木田町


   白山神社

数年前までの町内の祭り、春祭りは4月15日、秋祭りは9月15日。
個々の仕事が忙しくなってからは第三土曜、日曜に変わった。

桜満開から散り急ぐ桜の下での春祭り、忙しすぎる毎日が幸せなのか、
これまでどおりの祭りが良いのか。
藪椿が減った境内を眺め散り急ぐ桜を背に、150メートル先の家に戻った。


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憩いの森 ・ 春の香

2011年04月15日 | 日記

日一日と気温も上がってきたような気もするが、
いざ歩きに行こうと外に出てみると、渡る風は北風。
気温は確かに高くなっているのに、体感温度が低く感じる。

3月31日で梯川の嵩上げ(かさあげ)工事も終わり、
いつもの散歩が出来るようになったけれど、野草の姿も減り、
加えて吹き付ける風は北風。 10日前に行った、憩いの森に行くことに決定。

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   木蓮

この前来た時にはまだ蕾が固く、そのうちに咲くだろうと思っていた木蓮、
木々に囲まれた茅葺屋根の近くで、ひときわ大きな花を開いていた。
淡い色合いの憩いの森に一種独特な色で主張しているようだった。

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   白花木蓮

少し離れたところに建っている、もう一軒の茅葺屋根の家、
その横には白色の木蓮が沢山の花を一斉に咲かせていた。
午後の光に照らされて、白さが尚いっそう際立って見えた。

濃い紫色の木蓮、白色の木蓮、
何気に見ているが、よくよく観察すると枝振りが異なっていることに気づいた。

紫色の木蓮の大半は、スッ、スッと花芽が付いた枝が上に伸び、
白色の木蓮は、枝が時にはしだれたり、また上に伸びたりと、自由奔放。
どちらの木蓮も甲乙つけがたいが、それなりに風情があって楽しめる。

木蓮は咲き始めた頃が姿もよく、一番綺麗に見える。
日ごとに気温も高くなり、天気の日が続くと木蓮は姿を変えてしまう。
できるなら今の状態を維持して欲しいが、そればかりは無茶な願いというもの。

以前、蕾を開きかけた木蓮の姿が美しく、
その形を覚えて家に帰ってデザイン画を描き、ロクロ成型し、
辰砂釉薬を掛けて焼成したこともあった。

何となく様になり、ひとつの作品として発表したが、それっきりになってしまった。
今日見た紫の木蓮、そして少し姿の異なった白木蓮、もう一度デザインを描いても良いかも。

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   キクザキイチゲ

この茅葺屋根の近くには様々な山野草が咲いていた。
その中のひとつがキクザキイチゲ=菊咲一華、一輪草。
この一輪草にも白花と薄紫の花があって、今回は薄紫色の花を観察した。

木々を渡る冷たい風の中、空からの優しい春の日差しを受けて揺れていた。
写真に撮ろうと構えてみたものの、華奢(きゃしゃ)な花は中々ジッとしてくれなかった。

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   水芭蕉

さて10日前に来た時に観察した水芭蕉、どれくらい成長したかな?と見やれば、
さほどの変化は見られなかったが、白い花が見事なくらい沢山付いていた。
正確にはこの白い花状のもの、これは花ではなくて葉の変形したものである。
花はその白い葉に囲まれた中心にある、緑色の細長いものが花。

木蓮と同じく、水芭蕉も作品の中に取り入れたことがある。
木蓮、水芭蕉、浮き出る感じに彫りこみを入れ、壷に施してみたことがあった。
一度だけ試してみたが、その後そのデザインは使わなくなった。

ふっと思い出してしまったが、何故止めたのだろうか?
また機会があれば挑戦しても良いかな、そんな気分になった今日の散歩。


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桜咲く

2011年04月10日 | 日記

寒い日、あたたかい日が交互にやって来て、
この頃ようやく暖かい日の割合が多くなってきた

昨日の天気予報通り、今朝から良い天気。
朝いつものように玄関を開け新聞を取り込み、家の向こうの神社を見てみたら、
先日よりも桜の樹がうっすらと赤みを増して見え、新聞を読む前に神社に行ってきた。

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   鎮守の杜

普段の私の朝は7時か7時半に起床。 
「 早起きは三文の徳 」とは言うけれど、窯焚きの日くらいが早起きしている。

就寝時間はといえば、早くて午後11時半。
平均は午前零時を回ってから、やわらと眠りにつく毎日。
いつの間にか生活リズムが変わってしまい、けれど慣れてしまえば特に支障も感じない。

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   白山神社

東京など、ずいぶんと早くに桜開花宣言があったが、
我が町内の鎮守の杜の桜、ようやく咲き始めた。
 

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   土練機

そして個展前より気になっていた、土練機=どれんき。
一年くらい前から急に錆が出るようになり、
作品を素焼きした後、穴が開くほど目を凝らし、錆が出ていないか調べていたが、
個展前、2回焼いた作品のすべてに錆が浮き出てしまった。

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   分解

青磁作品の全面に模様として錆が出るのならいいが、
気まぐれに大きく出たり小さく出たり、ポツンとほくろが一個みたいに出たり。
せっかく作った作品、これでは作品として発表も出来ず、
昨日、そのままにしてあった作品すべてを割った。

青磁作品はあくまでも高貴な出来でなくてはならない。
私が求めている青磁には錆が浮き出ることは許されない。
時として、飛び青磁としての作品ならばそれなりに工夫して鉄分を施すが、
気まぐれに浮き出てくる錆はどうすることも出来ない。

土練機、どこまで自分で分解できるか行ってみた。
筒の接着部分にほんの少しの錆が付着していた。
これ等の錆が悪さをしているのか?と思いつつ、徹底的に錆を洗い落とした。

穏やかな日和の今日、時間がかかったが分解してよかった。
次回粘土をこねるとき、錆が出ないよう祈るのみである。
もし又錆が出るようならば、これ以上の分解は専門業者に任すしか方法がない。
錆がでないよう、錆びないよう祈りながら作業を続けた。

Photo

   桜


   ソメイヨシノ

作業途中、鎮守の杜に目をやれば朝より更に桜が咲いているのが見え、
休憩時間に再び神社に行ってみた。 実際、数時間の間に急に桜が咲きだしていた。
三、四分咲きの桜が今日の真っ青な青空に映り込み、沈みがちだった心を明るくしてくれた。


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