創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

トマト苗

2017年04月30日 | 日記

毎年この時期になると夏野菜苗を買いに走る。
小松市内には数か所の夏野菜販売所がある。
今年も信頼できる店で苗を購入した。

前庭の畑、フルーツトマト・アイコを植えた。
アイコも皮の硬いものとやわらかいものが出ていて、
それぞれ2種、6本購入した。

定番の、桃太郎も2本買った。

土を中和してあり、いつでも植えられる状態に。
シッカリと養生して、8本植えた。

気温が高くなると同時に、草も勢いを増してきた。
この際だからと、草刈機で敷地内の草を刈り取った。

工房前の敷石、
草も刈り取り、スッキリとした。
しかし草も必死で、すぐに成長してしまう。
あと2回、刈る時が来るだろう。

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一休み

2017年04月24日 | 日記

数日、気温の高い日が続いている。
相変わらずフーフー言いつつ、粘土を揉む作業。
かすみが掛かっているのか、白山がボンヤリ見えた。

レンズを思いっきり手前に引っ張り、頂上を写してみた。
真っ白だった白山も、少しづつ地肌が見えつつある。

窓辺のオオモミジ・マンゲツ、太陽を受けて生き生きと。

数日前に花が開いたと思っていたら、
竹とんぼのような種が沢山付いている。
風が吹くと、クルクルと飛んでいく。

庭には数種のモミジがあり、
この赤みのモミジも美しい。
秋まで色が変わらないから不思議。

小さな葉のモミジ。
同じ種類の、更に小さい葉のモミジが植わっていたが、
残念ながら虫が入って枯れてしまった。

穏やかな日差しを受け、庭木を眺めるのも又たのし。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復活祭

2017年04月20日 | 日記
16日、日曜日、復活祭が行われた。
 
金沢の中心地にあるカトリック金沢教会、駐車場が狭く、
10時半から始まるミサだったが、8時半に教会に着いた。
すでに駐車場は満杯で、隣の市役所に止めた。
 
 
時間があったので、1年半ぶりに兼六園に出かけた。
朝早かったが、すでに多くの観光客でいっぱいだった。
 
 
私も観光客の一人となって、公園内を歩いた。
天気も良く、気温は25度くらいに上がっていて、
歩くだけで汗だくになった。桜も終わりに近づいていた。
 
 
10時半、復活祭のミサが始まった。
この日に集まった聖歌隊、パイプオルガンの伴奏で歌った。
 
 
ミサ曲は、3月の土曜日夜に練習が始まり、
何回か練習を繰り返してきた。
 
初めて歌うミサ曲もあり、練習時間があまり無く、
どうなることかと心配もしたが、本番では歌うことができた。
1時間半のミサ、終わった後、チプリアーノ神父からお礼を言われた。
 
 
どうにか無事に終えることができ、
皆さんと挨拶を交わし、クリスマスに再会を約束した。
 
不穏な世界情勢だが、争いのない世の中になってほしい、
チプリアーノ神父も説教の中で触れていた。
 
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巡回展

2017年04月15日 | 日記
 
第40回 伝統九谷焼工芸展。
石川県立美術館の展示を終え、
現在は九谷資料館で行われている。
 
 
好景気が去って何十年になるだろうか。
資料館のある場所は、通称九谷団地とも言われ、
多くの観光客や九谷焼を買い求める人々でにぎわっていた。
 
ところが現在、ほとんど訪れる人は居なくなった。
門前の九谷焼の店も廃業したり、経営は難しい現状。
 
若い人を育てる施設も完備されてはいるが、
卒業しても受け入れてくれる事業所が無い。
数年前、福岡の青年が私を訪ねてくれ、
現状を話してくれた。
 
石川県に来て2年間、ロクロ、上絵と勉強しましたが、
卒業したからと言って、どこにも就職先のあてもなく、
地元に帰り進むべき道を探します、そう彼は話した。
 
 
何のお手伝いもできなかったが、
何かあれば連絡してくれるよう、伝えた。
九谷で勉強した青年、今はどのように過ごしているのか。
 
 
伝統産業を守る、継承していく、言葉では簡単に表せるが、
実際に行おうとすると、かなり我慢を強いられる。
理想と現実は、あまりにもかけ離れている。
 
ロクロ師も殆どいなくなり、
これから先の九谷焼はどうなるのだろうか。
 
九谷焼=上絵、と世間では知られている。
けれど、その上絵を描くための素地が絶対に必要である。
作品ともなれば、ある程度の大きさを切望し要求される。
 
その素地を作る人を育てなくては、いつかは滅びてしまう。
私は若い時に、素地を作ることから修業を始めたが、
中々収入を得ることができなかった。
毎日毎晩、遅くまで練習し、
ようやくロクロを操れた。
 
さて現在の若者や仕事に就こうとする人たち、
地味な仕事の伝統産業、日々の鍛錬をどこまで我慢できるか、
どこまで踏ん張ることができるか。
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畑のラカン樹

2017年04月10日 | 日記

今年でお別れの畑、
ミカン樹5本、富有柿1本、直径30センチのラカン樹、
これ等ともお別れしなくてはならない。

先日、町内の耕運機を借りて畑を徹底的に耕した。
7月以降は作れなくなる、そのように聞いていたが、
それでも何か作れるかもしれない、
そう思い、細かく耕した。

畑の片隅には直径30cmのラカン樹、我が家の庭にもあるが、
直径は15cmあまり。ここに住み始めて39年。
畑のラカン樹は私が生まれる前からあるということになる。

枝を落とし、どうにか切り倒す段階まで来た。

最初、自前のノコギリで切り始めたが、ラカン樹は生木。
ちょっとや、そっとでは簡単に切れなかった。

町内の大工さんにお願いして斧(オノ)を借りた。
これならすぐに切り倒せると思い作業を進めた。

TV等で見聞きしていた木こりの作業、実は大変な作業と分かった。
わずか30cmのラカン樹、おいそれと簡単には切れない。
と言うより、斧(オノ)が目的の箇所に当たってくれない。
重さ約3キロ、真横に打ち当てることの難しさを実感。

まき割りのように、真上から振り下ろすのなら簡単だが、
直角に斧を打ち当てることは至極むずかしかった。

無意味な時間だけが経過し、疲労も半端ではなかった。
丸一日かかって、ようやく切り倒した。
出来ることならそのままで、は無理。
国の決めたこと、詫びて切り倒した。

お隣のおばちゃん、キャベツ食べんか?と言って下さり、
ありがたく頂いてきた。

おばちゃんや、おっちゃん方には本当にお世話になった。
今年は何とか畑に出ることもあろうけれど、
来年は完全に畑で作物は作れない。

ミカン樹も3本、もらって下さる方が居て安心。
富有柿はどうなるのか。もし行き先が無かったら、
ラカン樹のように切り倒さなくてはならない。
場所を変えてもいいから、生き延びてほしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする