創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

さそわれて、シャンソンライブ

2009年06月30日 | 日記

日曜午後、金沢、「 ロイヤル・パレス・スタヂオ 」 でシャンソンコンサートが催された。 
いつも個展などを手伝ってくれている、S氏が通っているシャンソン教室の発表会であった。

先日焚いた素焼き窯、温度もかなり下がり、そろそろ窯開けをしても大丈夫な状態。
扉を開けようか、もっと完全に冷めるまで待とうか、中の作品が上手く焼けているか、
朝から工房を出たり入ったり、窯の扉に手を当ててみたり。

そうこうしている内に金沢に出かける時間が迫ってきた。
コンサートの開演は2時、その前に知人の写真展にも顔を出したい。
イライラしてもどうにもならぬ、帰ってから窯の結果を確かめよう、そう決め金沢へ。

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   グランドピアノ


金沢21世紀美術館で写真展を鑑賞し、焼け付くようなまばゆい光が溢れる下、
15分前に会場に到着。 中は外とは異なり、パリの香が漂う別世界の空間があった。
すでに多くの方々が来られていて、開演前の一種独特の空気が漂っていた。

目の前には漆黒のグランドピアノ。
いつ始まってもいいように、楽譜、マイク、照明などが準備されていた。
この日の出演者は、女性二人、そしてS氏の三人である。

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   シャンソンの楽譜


それぞれの方々が何を歌われるのだろう、ドキドキしている内、ピアノが奏で始めた。
一部、二部に分けて、それぞれの持ち味を生かした曲、一人6曲、計18曲が歌われた。
シャンソンの歌詞には奥深いものが込められている。
人生、生き様、恋、愛、悲哀、出会いと別れ・・・。

熟年の方々だからこそ歌えるシャンソンでもあるように思える。
ある時は今の情熱を、そして自身が歩いてこられた過去を振り返りつつの熱唱。
プロの歌い手とは違う、目の前のその人、そのものの人生がうかがえる歌であった。

Photo_3

   心込め、シャンソン


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   スタンウエイピアノ


ピアニストであり、ロイヤル・パレス・スタヂオのオーナー鈴木さん、
歌い手のリズムに合わせるよう、歌を盛り上げるよう、
素晴らしいアレンジで、鍵盤の上を指が流れるようになぞっていた。

澄み切ったスタンウエイの美しい音がスタジオ中に満ち溢れ、
その音に乗って三人の方々の歌声が響きわたった。
一部、二部と衣装を変えられての姿を拝見できるのも又たのし。

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  ステンドグラスの灯と共に
      静かに時は流れていく・・・
 


それ程時間は経っていないと思っていたが、気付けばすでに1時間半経過していた。
歌詞の世界と現実の人生。 聴衆の方々の心に去来したものは何だったろう。
Ne Me Quitte Pas = 行かないで。  Gloomy Sunday = 暗い日曜日。
私には、何故かこの2曲が妙に心に残った。

普段の生活と離れた世界にいざなっていただいた、素晴らしい日曜だった。
シャンソンの世界をひきずったまま帰宅し、気がかりだった素焼き窯を開けてみた。
結果、大きな壷2個とも印象深かった2曲の状態になっていた・・・・・暗い日曜日・・・・・。


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なんとなく、イタリアン

2009年06月25日 | 日記

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太平洋側に停滞していた梅雨前線が突然北上し、
恐怖を感じるくらいの雨が降り、庭に溜まった水が家の後ろを流れる用水に勢い良く流れ込み、
片付けなくてはと思っていた草刈機で刈った雑草、豪雨とともに用水に吸い込まれていった。

テレビでは大雨警報を知らせ、空には雷の閃光。
良い天気が続いた日から、一気に天地がひっくり返ってしまったその夜、
まんじりともしないでテレビの画面を見つめていた。

Photo_6

   前庭の畑


翌朝、昨晩の嵐は夢かと思う程の良い天気で、太陽光線がジリジリと肌を焼くほどの好天に恵まれた。
素焼きを行う予定を延ばしていたが、穏やかな日和となり早朝より窯に火を入れた。
今回の素焼き作品は、「 型起こし 」で紹介した線文皿や壷、はし置きなど。

窯の温度を確かめつつ、前庭の畑を点検。
思っていたとおり、たたきつける豪雨でトマトの茎がさまざまな方向へと倒れていたり、
ゴーヤの蔓(つる)が支柱から外れてしまっていた。

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   フルーツトマト・アイコ


からみあった糸をほぐすように、トマトとゴーヤの茎が折れないよう、そっと元の位置に戻し、
シッカリと支柱にくくりつけた。 その間も太陽光線が痛いほどに降り注いでいた。

10本植えたフルーツトマト・アイコ、今年も豊作で沢山の実がなっている。
昨年作って冷凍した、アイコのトマトピューレ、まだ3回分使えるほど冷凍庫に残っている。
もうしばらくするとジャガイモも収穫出来そうだし、ピューレを使った煮物でも作ってみよう。

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   ゴーヤと
     キューリの棚


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   実が付き始めた、ゴーヤ


狭い我が家の前庭の畑、ゴーヤと共に初めてキューリを植えてみた。
ゴーヤは3本植えたが、キューリは1本。 果たして生るか不安だったが、
節なりキューリを植えた為か、本当に一つ一つの節に花が咲き、実も付いている。

全く手入れをしていなかったキューリ、根元の葉を除けてみてビックリ。
なんだこれは! ヘチマと見まごうほどの大きなキューリが姿を現した。
加賀太キューリは有名だが、このキューリとは若干、味も違い調理法も異なる。

さてどうしたものやら、と思いつつメジャーで計ってみた。

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   キューリ


なんと、30センチを超えるほどの太キューリ。
試し掘りしたジャガイモがあるし、それを薄切りしてオリーブオイルで透き通るくらいに炒め、
仕上げにコレストロール・ゼロのマーガリン、岩塩、黒コショウを加えてジャガイモソティーの完成。

本来ならバターを加えて美味しく作りたいところだが、健康面を考え、随分長い間というか、
全くバターを使ったことが無い。 バターを使えば誰でも簡単に間違いなく美味しく出来る。
そこは一工夫して、さまざまなハーブや調味料を加えて、それなりの味に仕上げるのはお手の物。

そして肝心のキューリ、包丁を入れてみたら、みずみずしい普通のキューリ。 皮をむき、
スプーンで種を取り、薄く短冊切りにして同じくオリーブオイルで炒め、仕上げにアイコのピューレ。
ズッキーニならぬ、キューリとトマトの、「 なんとなく、イタリアン 」の出来上がり。

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   ひとかかえもある、
      キューリ


前庭の畑の整理を行いつつの素焼き、
大きな壷も入っている今回の窯、じっくりと時間をかけ慎重に慎重を重ねて温度を上げています。
窯開けの時、壷にヒビが入っていないことを願い、また窯の前を行ったり来たりするのかな?


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玉ネギ・収穫作業

2009年06月20日 | 日記

空梅雨なのか、雨降りの少ない北陸地方。
畑の野菜も順調に育ち、晩秋に植えた玉ネギの収穫時期を迎えた。
「 お前の都合のいい時で良いから手伝って、」と母。

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   母


よくもまあ、一人でこんなに沢山植えたものだと感心しつつ、
玉ネギの植わっている畝を眺めて溜息。

玉ネギと同じ時期に植えてくれた、無臭ニンニク、普通のニンニクも大きく育っている。
玉ネギの収穫が終わった後、しばらくしてからニンニクの収穫もしなくてはならない。
私はニンニクを頻繁に使う。 家での仕事の為、匂いがしても誰にも迷惑をかけることが無い。
無臭ニンニクは香りのあるニンニクと同じ成分だが嫌な臭いがしない。これはスープに良く使う。

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   無臭ニンニクと玉ネギ


さて、玉ネギを引っこ抜かなくてはならない。
空梅雨とはいうものの、いつ雨が降ってくるかと空をあおいでの作業。
畝の隅から一気に抜いていく。 もちろん根が早く乾くように南に向けて引っこ抜く。

母がいつも見回ってくれているお陰で、今年の玉ネギも立派に育った。
一切の消毒をしていないので、そのままでも食べられる。 でもさすがにそればかりは。
以前、中東のある国の映画を見たことがあるが、昼食に配られていたそれは、一個の玉ネギだった。
玉ネギとリンゴ、生徒たちは昼食にそれらを食べていた。 所変われば習慣も変わる、って事かと。

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   玉ネギ抜き


朝からの作業で、玉ネギも全部抜くことが出来、次は一個一個の根を切らなくてはならない。
軍手をしてはいるものの、さすがに指も疲れてくる。 視線を反対側に移すと、黙々と作業している母。
指が痛くなった、などと言っていられない。 私も黙って作業を続けた。

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   根切り作業


天気予報では、数日間は雨の心配がないとのこと。
玉ネギ抜きと根切り作業で、その日の作業は終わり。

翌日、朝から再び玉ネギ整理の作業。
乾いたそれ等をいくつかにまとめて縛る、その作業を行わなくてはならない。
雨に当たらないよう、軒下などにぶら下げ乾燥と同時に保存するための作業である。

風通しの良い、高いところに吊るしてある玉ネギが落ちないよう、固く縛っていく。
私が縛ったものを、次々と母が余分な茎をハサミで落としてくれた。
「 今年も何とか元気で野菜を作ることが出来たけど、来年はどうかなあ、」と母。
「 何をバカなことを言って、」と言いつつ、元気でいてほしいと願い、
年々小さくなっていく母の姿を見ていた。

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   数個ずつ束にする


二日間にわたっての玉ネギの収穫作業。
実家の農機具置き場に運んだり、我が家のいたるところに吊るしたり。
そのようにして今年の玉ネギ収穫も無事終了。

玉ネギを植えてあった隣の畝にはジャガイモの畝。
まだ茎が元気だけど、試しに掘ってみるか、と母。
やはりもう少し日にちが必要な状態。 採れたてのジャガイモは水に浸してこするだけで皮がむける。

「 味噌汁に、」と母。 私はゆでジャガイモにして食べることにした。
採れたてのジャガイモはウマイ。 塩をパラパラと振りかけても十分にウマイ。加えてビタミンが豊富。
「 今度掘る時はまた手伝って、」と母。

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   ジャガイモ試し掘り


野菜を育てつつ、花が大好きな母、少しでも空いている場所があると花を植えている。
「 これ玄関の花瓶にでも生けたら、」とドサッと切ってくれた。
早速家に帰り、青磁壷にドカッと生けこんだ。 玄関の中が一気に華やいだ。

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   アルストロメリア


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   パンジー


アルストロメリアの横には可愛いパンジーが。 その横には数種の都忘れ。
「 これから順々に咲いていくから、いつでも摘んでいったら、」と母。
すべての作業を済ませ、車で帰る車中のバックミラーを見てみると
老人車を押してくる小さい母が映っていた。


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カツオのたたき

2009年06月15日 | 日記

自家菜園の作物は不思議なもので、春を迎えると同時に急に野菜が無くなり、
それを境に夏野菜の苗などを一斉に植える、畑ではそのような光景がついこの前まで見えた。

実家も、我が家の狭い畑でも夏野菜が次第に生長し始め、小さな実を付け始めている。
毎年のことだが、実家の畑ではこぼれたシソの種がそこいらじゅうに芽を出し、
苗を2本だけまとめて植えた。実家では誰もシソを食べるものが居なく、母が私用に植えてくれた。

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   畑のシソ


梅雨入りと同時に気温も高くなり、シソも急に大きく成長し始めてきた。
農薬も何も与えていないのに、立派に育ってきた青シソ、
「 カツオのたたき 」も店頭に出てきたことだし、タップリのシソ葉を使って酒の肴に添えてみた。

サッと洗って使ってもいいのだが、やはりアクが気になり細く短冊にきり、水にさらした。
アクが取れたところで絞り、ショウガの細切りを添えて完成。
調味料は、カツオに付いているダシは使わずに、自己流の三杯酢で頂く。

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  やわらかく大きくなったシソ葉


盛り付けをし、酒は何がいいかと思案。
白ワインもいいけれど、カツオには日本酒が似合う。
そう思って、冷蔵庫で冷やしてあった大吟醸を呑むことにした。

梅雨だというのに、さほども雨が降らない今年の梅雨。
雨音を聞きつつ、盃を傾けるのもいいかと思っていたが、あてが外れた。
それでも獲れたてのカツオのたたきと、摘みたての青シソ、ショウガがうまい具合に調和して、
吟醸酒の旨いことと言ったらありゃしない。

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   カツオのたたき


特に大酒飲みではないが、美味しい酒の味だけはわかるから不思議。
カツオは当たり外れがあり、下手すると生臭い品を食することになりかねない。
こればかりは食べてみないと解らない。 ならばワインは生臭さを助長するので避けることにした。

思い切ってイタリアふうに、カルパッチョにすれば白ワインもピッタリくるだろう。
バルサミコ酢もバージンオリーブオイルも揃っている。 昨日収穫したばかりの玉ネギもドッサリある。
でもカツオと言えばやはりたたき。 今しばらくは日本風に調理して、
それにも飽きた頃には、前庭のハーブなど使ったカルパッチョも良かろう。

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   金結晶ぐい呑み


私の住んでいるところは田舎。 家の周りは田んぼ。
田植えも済み、減反の田に植えてあった麦の刈り取りも終えられ、
夜ともなれば物音も聞こえない。 あれほどうるさい程に鳴いていたカエルの声も聴こえない。

♪ 静かな しずかな 里の秋 ♪ ならぬ今は梅雨である。
じっと耳をそばだててみるけれど、外からの音が全く聴こえない。
いま文字を打ち込んでいる、パソコンの空調モーターの音が聴こえるだけである。

さあ、そろそろ日記も書き終えられそうだし、吟醸酒を味わおうとしよう。
マッタリとした、コクのある大吟醸。 少々辛口だが、青み魚のカツオにはピッタリ。
夕方摘んできたばかりの青シソ葉の香りと、ピリっとしたショウガ。
静かな空間の中、何も考えずボンヤリと過ごすのも良いだろう。


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バーベキューパーティー

2009年06月10日 | 日記

先日の日曜、隣町のドラゴンスクールのバーベキューパーティーが行われた。
いつものように私も参加し、バーベキュー調理の手伝いをした。
今年の参加者は少し減って、大人子供合わせて30人くらい。

ドラゴンスクールは、中国語、英語を教えている教室である。
先生は、中国北部、瀋陽大学で英語を教えていた女性。
現在は日本人と結婚され、小松市の中学校で英語を教えていられる。

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   和田山史跡公園


     開会の挨拶


助田青華先生の御挨拶で始まった。   先生は、右の白い帽子をかぶった方。
この日は曇り空で雨の心配もあったが、皆さんの日頃の行いが良かったのか、
午前11時から終了の午後2時半まで雨は降らなかった。

梅雨にはまだ入っていなかったが、気温が心もち低く、
涼しさを通り越して、肌寒さを覚えた一日だった。

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   ゲスト挨拶


助田先生の同僚か、ゲストとしてオーストラリア、カナダから来ている、
英語の先生二人も加わった、国際色に溢れたメンバーのパーティーだった。

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  小松中華飯店・勝ちゃん


       マスター


小松で中華飯店といえば、勝ちゃん。
美味しいことで知られていて、かなり遠方からもお客さんが来られることで有名。
マスターは70歳を超えていられるが、仕事はもちろんのこと、中国語を勉強されていて、
かなりの会話を操っていられる。 一年に数回は勉学に中国に行かれているとのこと。

毎年この時期に行われる、ドラゴンスクールのバーベキューパーティー、
親睦を兼ねて行われる楽しいパーティーである。
助田先生の計らいで、来られるゲストは毎年違う外国人である。

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   焼肉


バーベキューの手伝いをしながら、ゲストの方々との会話もまた楽しい。
そして今回も同じ質問を投げかけてみた。

日本人は何年も英語を勉強しているのに、ほとんどしゃべることが出来ない。
英文を書くことは習っているので、それなりに何とかなるが、会話が出来ない。
そのことについてどのように思いますか?

答え、日本人にとって外国語を話すことは難しいと思います。
まず話す機会が全くないこと、外国人との交流が無いこと、
外国語をマスターするには話す機会が無くては無理、その点で日本人には難しいかも。

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   調理


私は30数年前にヨーロッパに渡り、若かったことも手伝ってか、かなり早く英語を話せた。
出かける前には会話を習ったが、イギリスへ着いた途端、私の英語は通じなかった。
しばらくショックを受けていたが、私の世話をしてくれたべネツィア出身のママ、ルチアさんの協力で、
一週間ほどで聞き取りも出来るようになり、少しずつではあるが会話も出来るようになった。

今回のゲストの話ではないが、話す必要性が無い日々を送っている一般の日本人、
よほどの事が無い限り、外国語を話すチャンスは訪れない、その結果、話せない。

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   焼きソバ


英語と日本語を交えて色んなことを話していると、少しずつだが単語が出てきた。
けれど文法はメチャクチャ。 優しい方々なので何を話そうとしているのか、耳を傾けてくれた。

私がイギリスに居た頃、ママ、ルチアさんはいつも私に言ってくれた。
「 ただまさ、もっとゆっくり話しなさい 」と。
それがどうだろう、今はゆっくりどころか単語が出てこない、話しても文法がデタラメ。
ゲストが言うように、毎日の生活の中で英語を話すことは全く無いのだ。

ヨーロッパから帰った後も、外国の方々との交流があったのなら言葉も覚えていたろうに、
仕事を優先して、英語を全く話さなくなったのだ。

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   勢い良く燃える炭


巷では日本式英語が氾濫している。
特に気になることの一つとして、報道関係者の英単語である。
さまざまな話題の中で、何を思ってか英単語だけを使っていることである。

先日の夕方NHKのニュースを聴いていたら、ディレクターが・・・イノベーションがどうたらこうたら・・・。
はっ?イノベーション?  その会話の相手が、技術シードがどうたらこうたら・・・。技術シード???
得意満面に英単語だけ使っていることに嫌悪感を覚えてしまった。
あの時のニュース解説での会話、何人の人が英単語を理解できたのだろう。

中途半端な英単語を使っての会話より、美しい日本語を使ってほしい。
それでも英単語を使う必要性があるのなら、会話すべてを英語にすべき、
そのように感じてしまった。

これからは益々国際化社会になってくる。
私達日本人もごく普通に英語や、その他の外国語が話せるようになればと願っている。
ちなみに、バイキング料理と言っているが大間違い。 正しくは「 ビュッフェ 」である。
外国に行って、バイキング料理を食べたいと言っても決して通じない。
特に報道機関の方々は、単語を使うならば正しい単語を電波に乗せて欲しいと思う。

今回のバーベキューパーティー、
肌寒さも手伝ってか、皆さんが窯の周りで暖を取っていることも珍しいことだった。


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