創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

メモリアルコンサート

2009年04月30日 | 日記

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 カルメンコーラス結成30周年記念


    メモリアルコンサート


   ・ 指揮 アルマンド・ビアジニ神父
  ・ 伴奏 吉田珠美
  ・ ゲスト 濱 真奈美
  ・ 伴奏 ジャンフランコ
         イウッツォリーノ


先日から作っている青磁釉薬の調合を続けながら、
29日午後1時半から金沢市で行われる、日本工芸会石川支部総会へと出かけた。
約1時間あまり、スムーズに議案承認や事業計画案の確認など行った。

総会も早い時間に終わり、家に戻り再び釉薬の製造。
同じ日の夜、友人のアルマンド神父が指導しているコーラスグループのコンサートが
カトリック金沢教会でおこなわれ、夕方再び金沢へ。

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    カルメンコーラス


カルメンコーラスの得意とする、宗教曲から演奏が始まった。

・ 主の祈り ・・・・・・・・・・・・・・・・ A.H.Malotte
・ アヴェ・マリア・・・・・・・・・・・・  G.Caccini
・ ミサ曲  Kyrie Gloria・・・・・・・ Fr.Giuliano
         Ssncutus-Bendictus
         Agnus Dei

    ・・・伴奏 吉田珠美

毎週木曜、厳しく、かつ和気あいあいと練習を重ねているだけあって、
女声三部構成ながら、誠に味わい深い響きがお御堂に響き渡った。
三曲目のミサ曲は、カトリック輪島教会の、ジュリアーノ神父の作曲。

4月19日、アルマンドが神父になって50周年記念で歌われたミサ曲で、
そのお祝いのミサには私もジュリアーノ神父のミサ曲を歌わせていただいた。
つい先日のことだったので、邪魔にならないようにパイプオルガンの前でハミングした。

一つの曲を二十数名の方々が心を合わせて奏でるメロディー、
その歌声は教会の高い天井の、その又遥か上まで響くようにも感じられた。
パイプオルガンの所に居て教会全体を眺めつつ、
カルメンコーラスの方々のハーモニーを全身で受けていた。

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 デュエット




 濱 真奈美さん
 アルマンド神父


 伴奏 ジャンフランコ・
        イウッツォリーノ


今回のメモリアルコンサート、一部、二部、三部と歌われ、
一部、三部は吉田珠美さんの伴奏。
二部はジャンフランコ・イウッツォリーノさんの伴奏で
濱真奈美さんの独唱。 アルマンド神父の独唱。 そして二人のデュエット。

宗教音楽からオペラの歌曲、そしてなじみのある軽音楽と
聴衆を魅了した素晴らしい音楽会だった。

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   フィナーレの挨拶


右から、
アルマンド神父。 ジュリアーノ神父。 濱真奈美。 ジャンフランコ・イウッツォリーノ。 吉田珠美。
そしてカルメンコーラスの方々。

素晴らしい歌声と、至福の時間を与えてくださった皆さんに、会場一杯の聴衆から
惜しみない拍手が贈られた。

おりしも金沢では、
金沢 「熱狂の日」 「ラ・フォル・ジュルネ」 音楽祭 2009 が行われている最中である。
古典芸能、西洋芸能、そして日本芸能に触れられる幸せを感じている昨今である。


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青磁釉薬 ・ 製造

2009年04月25日 | 日記

個展前から気がかりに思っていたこと。
青白磁に近い、青磁釉薬がそろそろ底をつき始めてきたことだ。
この釉薬は青色が澄んで、とても美しいと思っている青磁釉薬の一つである。

焼物を志し、ロクロ修業と同時に始めた釉薬研究。
私には、そのいずれも教えてくれる先生は居なかった。

ロクロで成形する修業は、窯元が頼んでいた外注のロクロ師の所へ時々お邪魔し、
世間話を聞きつつ、ロクロの上で回っている作りかけの壷の指跡を目で追っていた。
そして仕事場に戻り、先ほど見てきた壷の指跡を再現することだった。

ロクロ修業と同時に青磁釉薬、窯変鉄釉薬、辰砂釉薬と、とにかく難しい釉薬の
研究をしていた。  そして釉薬テストは窯元の大きな窯の隅っこに入れてもらっていた。
私の修業していた地域は上絵で有名な九谷焼きの産地。
当然ながら私が求めていた焼物の先生が居るはずも無く、
釉薬に関する本が私の先生でもあった。

修業中の身である為、給料は驚くほど少なく、けれど求める焼物を目指すために
釉薬に関する本を何冊も買った。
試験を繰り返すたび、焼き上がってくるテストピースは希望の色合いから益々離れていった。

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   青磁釉薬の素(もと)

       錆(さび)


特に難しい青磁釉薬のテストを繰り返す内、疑問が湧いてきた。
青磁の青色を出すための錆、釉薬調合の本には市販の錆(青磁用)を使うと
書いてあったが、それを使っていては、いつまで経っても私の希望する青磁が
焼き上がらないことが分かってきたのだ。

それ以後、試行錯誤し自分で素(もと)から錆を作る研究を始めた。
何度も失敗を繰り返して、ようやく 「 これ!」 と思える錆が完成した。
現在私が焼いている青磁、そのすべてが写真の錆である。

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    計量はかり


青磁の命は深く澄んだ青であることはもちろんのこと、
加えて品格を要求される焼物の一つである。
独自に錆を作ることは当然ながら、釉薬自体を正確に作ることも一つの要素。
錆作りと共に基礎となる原料探しにも明け暮れた日々だった。

窯元で焼いてもらっていた釉薬テストは、私が窯を持った時からそれ等は使えなくなった。
窯元の窯は5立方メートルの大きさで、私の窯とは比較にならない位の大きさであった。
大きさの違いと同時に、窯の中の雰囲気、還元(酸素量を減らして焼く)が全く異なった。

一応基礎的なことはある程度習得していたので、自分の窯に合ったテストを繰り返し行った。
記録してある青磁釉薬試験結果だけでも1、000に近いほどの数がある。
それ程の数があるのに、納得できる青磁釉薬は、ほんの一握り。

先月の千葉三越個展用に焼いた青磁作品、その殆どが日の目を見ることも無く処分。
その分使った青磁釉薬もおのずと大量になった。
使った分だけ釉薬が減り、今日から青磁釉薬製造に取り掛かった。

青磁釉薬は正確に計算しなくてはならない。
そうすることによって希望する青磁が焼き上がってくる。
今日は錆を計量し、ポットミルに入れて攪拌(かくはん)を始めた。

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    ポットミル



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ヤマブキの花

2009年04月20日 | 日記

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   ヤマブキ
   


何となくボーっと霞んで見える里山。 その山すそに黄色いかたまりが見え始めてきた。
私の好きな色の一種、ヤマブキの花が咲き始めた。

気温もぐんぐんと上昇し、日中に歩くのは少しばかりキツイ感じもするが、
里山の山野草を観察するためには、降り注ぐ太陽光線もガマンせざるをえない。
暖かくなると同時に草花たちも一斉に芽吹き花開き始めた。
時間の許す限り、近くの野や山に出かけようと思う。

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   憩いの森

    鏡橋


晩秋のころ、新しく架け替えが終わったばかりの憩いの森の鏡橋、
あまりにもケバケバしくて、違和感を感じて仕方なかったが、
森の木々にも若葉が芽生え、その派手すぎる橋の木肌を心もち和らいでくれている。

千葉三越個展が終わってからここに来たのは何度目だろうか、
出来ることならば毎日でも歩きたいが、来るためには車で5分はかかってしまう。
けれど遠くの山や高山に出かけなくとも、こんなに近くで山野草を観察できることは幸せ。

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   東屋


憩いの森には灌漑用水の池が二つあり、そのほとりに東屋が建っている。
つい先日までコブシの白い花が見られたが、今は遅咲きの桜が満開。
桜は詳しくないが、この時季に咲く一重の桜は何と言う種類の桜だろう。
色も濃くて芽吹き始めた木々の中で、華やかさを誇っている。

遊歩道の桜の間に間から見え隠れする東屋、
時々、趣味びとが東屋で尺八の練習をしていることもある。
今年になってまだ見かけないが、桜、荒城の月、など奏でて下さると風情が出るのに、
などと手前勝手なことを思いつつ、東屋の脇を通り過ぎた。

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       もう一つの橋


   鏡橋の半分くらいの長さ


ここの桜はやさしい佇まいで花弁もかなり小さく、けれどシッカリと自己主張している桜。
憩いの森の中にある沢山の種類の中で、この桜が一番好きかも。
幹の色は黒に近く、少し濃い目の花の色が春の森に浮かび上がってうつくしい。

黄色のヤマブキも好きだが、この桜の色も大変好みである。
話しは飛躍するが、白のジーンズに、この種の花々の色のシャツを着ることができるなら、
気分も晴れ晴れとし、楽しい毎日を送れそうな気がする。
そろそろ色鮮やかな黄色のTシャツとサーモンピンクのTシャツでも着てみよう。

天気予報では明日は真夏日。 南風が吹き込んで気温も26度になるといっている。
満開の憩いの森の桜、強風に耐え、咲き続けて欲しいと願っている。


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ハーブ・ルッコラ

2009年04月15日 | 日記

時世の流れか、町内の春祭りは第二日曜日に行われることになった。
例年ならば4月15日に行われるのだが、人手が足りず獅子舞にも影響が出てきたらしい。
4月12日、日曜日は町内の春祭りと、カトリック金沢教会での復活祭のミサが重なった。

特に宗教に固執していない私、神社で今日まで平穏無事に過ごせたことのお礼をし、
10時からのミサに間に合うように金沢へと向かった。
8時半に教会に着いたものの、駐車場は車で一杯。どうしたものかと思案しつつ、
車内で練習不足のミサ曲を歌い、車が入れ替わるのを待っていた。

午前10時、復活祭のミサが始まった。
いつものようにパイプオルガンのまん前で数曲のミサ曲を歌った。
三越個展の準備で殆ど練習できなかったが、一緒に歌ってくださる方々のお力を頂き、
何とか歌うことが出来、復活祭のミサは11時半に無事終了。

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   窓辺のマンゲツ

    ( 大モミジ )
   


関東よりも遅くに咲き始めた北陸の桜、
我が家の前の神社の桜も満開の時季を過ぎ、
渡り来る南風に乗って花びらが舞い始めています。

桜が散り始めると同時に、窓辺の大モミジ、マンゲツが愛らしい花を咲かせています。
こんなにも小さく可愛い花、その内にビックリするほどの大葉に成長するから不思議。

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   ルッコラの花
  


なんだかんだと忙しさを理由にして、ほったらかしにしてあった前庭の畑。
個展前には若葉もやわらかく、ゴマの香り高いルッコラの葉を摘んでいたが、
半月たったいま、桜に代わってルッコラが満開となっている。

このルッコラ、葉と同じく花もゴマの香りが豊かで美味しい。
調子に乗って花を摘んで口に入れていたら、胸が悪くなってしまった。
ハーブは添え物、腹一杯に食べるものではない、それを実感。
レストランの料理に添えられているハーブ、「 たったのこれだけ? 」とガッカリしてしまうが、
それくらいが丁度良いのかも。

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   満開のルッコラ


植物は強いなあ、ほったらかしにしていてもシッカリと根付いて子孫を残す準備をしている。
しばらくすれば種をつけ、また自然と生えてくる。  年がら年中収穫できる便利なハーブ。

千葉三越個展が終了したが、後片付けがまだかなり残っている。
個展の後片付けが終わり次第、前庭の小さな畑、ボウボウの草取りもしなくてはならない。
夏野菜も植えなくてはならない。   さて、どれから始めようか。 


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春の陽差しの中で

2009年04月10日 | 日記

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東京から帰って早や10日が経過した。
作品の整理は済ませたものの、お客様方への御挨拶はまだ出来ていない。
留守中に溜まっていた事案を済ませ次第、、皆様方に御挨拶をと思っている。

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   七尾市・港
  


移動性の高気圧に覆われた今日の北陸、小松は朝から真夏日、25、4度を記録した。
金沢で用事を済ませ、昨秋お世話になった志賀町、ヴィトレの丘に向かった。

久し振りに会ったヴィトレの丘、マスター。 変わらずの穏やかな表情で迎えて下さった。
静かな森の中で頂くコーヒー、懐かしい豊かな香りを胸いっぱいに一時間あまりの間、
千葉三越個展のことや互いの近況を話し合った。
そして幸せな気分のまま、中能登を横断し七尾市へと向かった。

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    能登食祭市場
   


数年前、旅立った友人のイタリア人神父を見舞った時に訪れた七尾。
その日と同じく凪ぎの内海はとても静か。
天気は素晴らしく海も静かだが、私の心の中は悲しい思い出がつまっていた。

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   食祭市場内
  


時刻は午後1時過ぎ、昼食をとることにした。
ベネデット神父を見舞った後食事した、2階の和倉温泉の有名なレストラン。
その時の食べ物が悪かったのか、管(くだ)につながれた神父の姿にショックを受けたためか、
その有名なレストランで食した食べ物で、大変なジンマシンが出てしまったことがあった。

再びジンマシンが出たらたまらないので、その横のレストランで昼食をした。
能登の、海の産物が一杯なのに食べたものは肉料理。
折角なのにと思いつつも、一度あることは二度ある、そう思って軽いランチを頂いた。

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   ランチ

昼食後、能登食祭市場の外に出てみた。
頭の上の陽光は強い光を放っていた。
おりしも遊覧船が船着場から離れて行ったばかりである

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   七尾港を離れる
      遊覧船


帰り際、ベネデット神父が住んでいた七尾カトリック教会へ寄ってみた。
主が居なくなった教会の窓が春の日差しに照らされ、まばゆいばかりに輝いていた。
きっと、ここへは二度と訪れることはないだろう、心の中で手を合わせ七尾をあとにした。


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