創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

「梨」のコンポート

2007年08月30日 | 日記
ほんの少し、渡り来る風にも秋の気配を感じ始めたこの頃、
仕事が一段落した夕方に堤防を歩くことが楽しみになってきた。
川面を渡る風に背丈を伸ばし始めたススキの穂がユラリユラリ。

西の空に沈み行く夕日は真夏のそれとは異なって、ハッとするくらいに赤く美しく、そして大きい。
この頃の日の入りは6時半頃だろうか、夕日が私の歩く速度よりも速く西の空のかなたへと沈んでいく。
傍らにはやわらかい花びらをつけた月見草、それぞれが夕日を受けて赤く染まったようにも見える。
夕日のてっぺんがスッと西のかなたに沈んだ頃、歩きの折り返し地点に到着。
Uターンして白山を望みながら再び上流へ。

今度はお月さんの出番である。 茜色に染まった白山の右横にはうっすらとまん丸のお月さん。
夕日同様に、月も大きく見える。 天文のことは良く分からないが、光の屈折の関係か地軸の為か、
なぜか両方とも大きく見える、と同時に美しい。

1時間の歩きを終え、シャワーを浴びて気分も爽快。
先日知り合いの方が送ってくださった梨でデザートを作ってみようと思いたった。

Photo_7

  ・ 青磁コンポート
     径   15cm
     高    9cm

作り方は誠に簡単で、かつ美味しい仕上がりのデザートである。
梨一個を半分に切り、それぞれを約5ミリ厚さに切りそろえておく。
切りそろえた半個を器に並べ、ラップをしてレンジで加熱。3分ほどでやわらかくなる。
次に残りの半個を少し深めの器に並べ、赤ワインをひヒタヒタになる位に注ぎ入れ、ラップして加熱。

果物は不思議なもので、熱を加えることによって思いもよらずに甘みが増してくる。
私の作り方は一切の甘味料を使わない。 梨の持つ甘みで充分すぎるほどに甘く変化する。
こうして下ごしらえしたものを冷まし、アイスクリームと共に盛り付け。

食べ物は中心をほんの気持ち盛り上げた方が見た目も美味しく感じる。
ワイン色に染まった梨とそのままの梨をアイスクリームに添って交互に盛り付けていく。
形が整ったところでペパーミントの緑を添えて、さあ出来上がり。

コンポートは夕食後に頂くことにして少しの間チルドで冷やしておこう。
ついこの前まではクーラーをつけっぱなしだったが、網戸から流れ来る夜風は誠に心地良い。
夏前の大きな台風襲来で大変心配をしていたが、温かいお心で慈しまれ育て上げられた梨、
みずみずしい生そのままを味わうとともに、少し手を加えてシャレたデザートとしていただいております。

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フルーツトマトケーキ

2007年08月25日 | 日記
どこからともなく誰かの呼ぶ声がする。
夢の中だろうか、ボンヤリする意識の中で次第にその声の主が分かってきた。
ニャ~ン・・・。二日ぶりにトラが帰ってきた。 午前6時半。

いよいよ8月もあと数日。 何だかアッと言う間に過ぎてしまった感じのする今年の夏。
30度を超える日々が続いて、もう何もかもが干上がった状態の夏だった。
「こんなに厳しい夏はこれまで経験したことは無い」、と毎年のように言っているようにも思える。

案外それは事実みたいで、狭い我が家の畑に植えたカボチャはいくつもの実を付けていたが枯れた。
チコリアは見事に成長したが、前回の日記にあるように花を咲かせるほどにもなった。
この強い照りつけはイタリアの太陽にも似ているかも知れない。
その証拠にフルーツトマトは元気で実も沢山付いた。

Photo_5   ・ 白磁線文皿

  ・ 青磁線文マグカップ

ささやかなプレゼントとして差し上げたフルーツトマト、それは姿を変えていまテーブルの上に。
忙しい仕事の最中に作って下さったケーキ。 それはあふれんばかりの心がこもっている手作り。
クルミ、リンゴ、フルーツトマト、それぞれの持つ自然な甘さが口いっぱいに広がって何ともいえず幸せ。

リンゴパイの大好きな私にとって、この材料の取り合わせは以外に感じた。
ほのかにトマトの香りがする。 聞けばあの小さなトマトの種を丁寧に取り除かれたとか。
親指程のトマトの種を取り除くのは気の遠くなる作業、私にはとてもとても・・・。

しかしどのように思い起こしても過去にトマトのケーキを食べたことを思い出せない。
お菓子の本場の国でも見たことが無い。 トマトがこのように変わるとは・・・。
アイデアあふれるケーキに脱帽すると同時に、至福のひとときを頂いた幸せをかみしめよう。

カリカリ、カリカリ、トラが台所でご飯を食べている。 いったい二日間も何処に行っていたのだろう。
カリカリ、カリカリ、少し食べては寝、また起きては食事。

トラ、クロちゃんはどうしたのかなあ?  もう戻ってこないのかなあ?  何処でどうしているのなあ?
トラ、また出かけるのかい? できるならクロも連れ帰っておいで。

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チコリアの花

2007年08月20日 | 日記
小松と金沢、直線距離にして20数キロ。
作品の仕上げをしつつラジオを聞いていたら、金沢の昨晩は雷が鳴り渡り豪雨だった、とのこと。
窓の網戸が雨に打たれてすっかりきれいになった、とも言っていた。

チリチリ、ジリジリ、どっちの表現が暑さの度合いが大きいのだろうか。
どちらにせよ、お願いだから小松にも雨を降らせて欲しい!
前庭の畑のカボチャ、そろそろ収穫できるかと喜んでいたが暑さと乾燥で枯れてしまった。

収穫したカボチャとアズキを煮ようと楽しみにしていたのに残念!
他の地域のことは分からないが、ここ小松当たりではアズキとカボチャを一緒に煮ることがある。
「いとこ煮」 とその料理の事を名づけている。
カボチャだけを煮ふくめたものも好きだが、アズキを加えたものも贅沢な感じがして好きだ。

ついでに、以前家で頻繁に法事を行っていた頃、甘いアズキ汁に絹豆腐を入れて煮たものがあった。
上品なぜんざいを食べている、そんな感じもしていた。 これは精進料理の一つだろうか。
ある程度歳を重ねてくると、子供の頃に食した食べ物を欲するといわれているが今の自分がそう。

前庭のカボチャでの煮物はできなかったが、市販のカボチャで 「いとこ煮」 を作った。
甘みを抑えた味付けにしたそれは思ったよりも品良く仕上がった。
アズキとからみ合ったカボチャは見た目にもうまそう! 
ぜひお試しあれ。 アズキは豆からでも水煮のものでも大丈夫、ただアクだけはしっかり取り除く。

Photo_8

  ・ 青磁線文壷
     径   9、5cm
     高  21、2cm

そのような乾燥した畑を見ていたら、イタリアサラダ菜・チコリアの花が咲き出していた。
調度 「都忘れ」 のような形と色合いの花である。
花が咲き始める今頃のサラダ菜は、もう硬くなっていて食べてもうまいと感じられない。

ならばせっかくの可愛らしい花、青磁壷に生けてみた。
素人だから花と壷のバランスは良く分からないが、チコリアの丈はこれで精一杯の高さである。
焼け付くような日差しの中で咲いている薄紫の小花は一時の涼感を与えてくれる。

まだ咲き始めているものもあるが、次のシーズンの為にそっとしておこう。
このチコリア、暑さを越し、涼しくなってくると再びやわらかい葉と変化してくる。
そのときはサラダ菜として又摘もうと思っている。

それにしてもこの暑さ、いつになったらおさまるのだろう。
天気予報では明日当たりから曇のち小雨とは言っているが、さて。

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「清涼」

2007年08月15日 | 日記
Photo_2   ・ 白磁輪花青磁線文鉢
   径 30、7cm
   高  6、8cm

もう何日真夏日が続いているのだろうか。
照りつけがあまりにも強烈で日中の堤防を歩くのはそろそろ苦痛になってきた。
良い天気が続いている分、梯(かけはし)川の水かさも随分と減り、また透明度も増してきている。

外の景色は仕事の合間に見ることにして、先日から歩く時間を夜へと変更した。
午後9時少し前より小松市内方面に向かって歩き始めた昨晩、再び流れ星をみた。

ペルセウス座流星群。
普段見る流れ星とは異なり、それは赤く燃え長い尾を引いて流れていった。
夜9時頃は小松空港に到着する最終便がある。 一昨日の夜もそうだったが、赤い流れ星は
あっ、ぶつかる!と思うほどに最終便の横をかすめるようにも感じた。
きっと機内の旅人たちもその様子を見ていたに違いない。

夜空高くを眺めながら歩いていると、はるか上空をいくつかの夜行便が飛び交っていた。
こんな時間に飛ぶ飛行機は国際便だろうか。 チカッ、チカッとライトを点滅させつつ飛んでいた。
その近くをまた流れ星が横切っていった、ひとつ、ふたつ、みっつ・・・。 
自然天体現象と人工飛行物体、そして満天の星々。
歩きながらも自分自身が夜行便の旅人になったような錯覚さえ感じてしまった。

そして旧盆の今日、これまで元気でこれたことの御礼を込め、涼やかなおもてなしを演出してみた。
青い空からは強い日差しが。 庭木からは蝉たちの合唱。
いやおうなしに暑さを感じてしまう環境を少しでも和らぐようにと、かわいい小花を鉢に浮かべてみた。

Photo_3

白磁輪花鉢にきれいな小石と水をはり、それに合った小花を七輪浮かべた。
ささやかではあるが、見た目にも涼しげで心までもがスッキリとするから不思議。

散歩コースの梯(かけはし)川の脇には町内の先祖の方々をお守りしている墓所がある。
お盆でもあることだし夕方からそこを通って歩きにでかけよう。
落日に染まる景色はまた一段と素晴らしいに違いない。

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「ハマ」 作り

2007年08月10日 | 日記
Dsc00003_sh02_1   ・ ロクロで作り上げたばかりの 「ハマ」
  ・ 乾燥したのち、一枚づつにわける

前回の日記からそろそろ一週間。
つくづく思うことであるが、何故にこうも早く日が過ぎていくのだろう。
特に今年の夏はそう思う。

梅雨明けが遅かった分そのように感じるのかも知れないが、8月に入った途端、まるで駆け足を
しているように時計の長針がクルクルと回ってさえ見える。

そのような日々を送っているが、嬉しいこともある。
長雨や曇り空の日からカッと照りつける日に変わったその日を境に、白山が姿を見せてくれている。
前見たのはいつの頃だったかと思い出せないほど天気が悪かったが、いま日記を書いているここからも
その姿が見えている。

頂上当たりにほんの少し白い線が見えているが、残雪だろうか。
私が白山登山をしなくなってからかれこれ20年近くになろうとしている。
高山植物や山野草が好きで、時間があれば一泊二日で白山登山をしたものだ。
今なら 「クロユリ」、「ハクサンフウロ」、「シャジン」など、さまざまな高山植物が咲いていることだろう。
ああ、あの稜線当たリを登山者が、と思いつつ、今日は 「ハマ」 作りをしている。

「ハマ」、特に必要と言うわけでもないが、
私の作品を焼くときには欠かせない小道具の一つでもある。
青磁色を出すには釉薬をたっぷりと掛けないと青い色が発色しない。
厚く掛ける分、熔けすぎたりして流れ落ち、作品をのせてある棚板を傷つけてしまうことがある。
それを防止するための薄い板である。

現在のように電気窯、ガス窯が無かった頃、ハマは必需品であった。
ハマは作品をゆがめずに焼き上げる道具で、どのような品を焼くときにも使っていた。
小さかったころ、このハマを手にして川原へ行き、友達と競い合って投げあいをしていた。

いま私が歩いている 「梯川の堤防」、まだ以前の状態が少し保たれていて、そこを通るたび昔を
思い出している。 まさかその時の遊び道具だったハマを私が作ることになろうとは・・・。

外は痛いほどの照りつけである。
あと数種類のハマを作り上げる頃には太陽も傾くだろう。
「二段飛んだ!」 「三段飛んだ!」 ・・・・・友と遊びに興じた頃を懐かしみつつ歩きに出かけよう。


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