創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

一年を振り返り

2013年12月30日 | 日記

今年も大変お世話になりまして、誠にありがとうございました。

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   山茶花(さざんか)


様々なことがあった一年、
すべてのことが昨日のように、つい先日のように感じ、
月日の経過の速さに驚くと同時に、充実した毎日だったかと振り返っています。

今年の大きな行事として、千葉三越個展と金澤画廊個展を行いました。
政権が変わったものの、景気上昇が実感として感じられない経済状況の中、
皆様のご支援を頂き、ふたつの個展とも無事に締めさせて頂きました。

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   雀(すずめ)


私に出来ることは一つ、
良い作品を創造し、一人でも多くの方々のお心に何かを感じて頂く事。
作品を通して少しでもお心が和んでいただければ、の思いで創り上げた作品たち。

今年も作品たちが皆様の元へと旅立っていきました。
明日への明るい希望、幸せな毎日をお過ごしいただければ、
そう願いながら創り上げた作品、きっと明るい展望を開いてくれると信じています。

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   小松菜


私自身の事は、といえば、
これまた様々なことの連続で、
人生とは、を考える一年でした。

私に与えられたもの、試練としてさずかったもの、
すべての出来事が私を成長させてくれるものと真摯に受け止めました。
何故だか慌てず、落ち着いていられたことが不思議に思えてなりません。
これもみな、多くの方々のご支援があればこそ、と幸せに思っています。

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   洗い


あわただしく過ごしながらも、月日は確実に明日に向かっています。
時の流れに逆らうことなく、日々平穏に、平凡に過ごせれば幸せと思っています。

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   水切り


人生、山あり谷ありを実感した一年、
これもまた人生と思えるような心持ちになった年でした。

もうすぐ訪れる新しい年、
あなた様にも良き一年でありますよう、
心よりお祈り申し上げます。

ありがとうございました。


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クリスマス ・ イヴ

2013年12月25日 | 日記

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   カトリック金沢教会


珍しく雪の無いクリスマス・イヴ、
クリスマス・イヴのミサは午後8時から。

ミサ曲の練習に携わっていられるリーダー、Hさんから、
午後7時45分までにパイプオルガンのところにお集まり下さいと言われていて、
深夜ミサにもミサ曲を歌うので、早めに金沢に向かった。

金沢の中心に位置している、カトリック金沢教会、
流行歌でも有名な片町、香林坊、ここを通過すればすぐ教会だが、
何しろ雪の無い、穏やかなクリスマスイヴ、きっと渋滞に巻き込まれると思い、
犀川(さいがわ)に架かっている、一つ上流の桜橋から兼六園交差点を通り、
7時丁度に教会に到着。 さすがにクリスマス ・ イヴだけあって、
早くも教会の駐車場は満車に近い状態だった。

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   幼子


8時に始まるミサまで1時間、時間があったので、お御堂の中に入った。
今年も信徒の皆さんによって、クリスマスの飾り付け、「 プレゼピオ 」が設置されていた。

先週のミサ曲練習も、お御堂のパイプオルガンのところで練習したが、
そのときは飾りつけがなされていなかった。 いつも飾り付けをしているAさんが入院中、
どうなるかと思っていたが、ミサ曲リーダーのHさんが中心になって飾り付けられたとの事。

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   天使


毎年趣向を凝らして設置される、馬小屋(プレゼピオ)、
今年は洞窟の中の様子を表現してあった。

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   博士


これ等の馬小屋(プレゼピオ)用の人形は、
アルマンド神父がイタリアに帰国するたび、様々な人形を集めてきたと聞いている、
リーダーHさんに、ご苦労様でしたと、ねぎらいの言葉をかけた。

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   子供と羊


午後8時、お御堂内の明かりが消され、集(つど)った方々の蝋燭の明かりでミサが始まった。
司祭がお御堂に入ってこられるミサ曲、「 Odie 」から、聖歌隊が荘厳に歌い上げた。

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   羊を運ぶ住民


式が進むにつれ、式次第に基づいてミサ曲を歌った。
式の途中、司祭の説教があり、「 愛を持って生き、世界平和を願う、」の言葉。
まさにその通りで、愛がなければ人を敬(うやま)うことも何も出来ない。

今の、私たちの平和の裏には多くの貧しい人々が生きていられる、
その人々にも寛大な愛を、心をささげたいと、お話しになられた。

約1時間余りのクリスマス ・ イヴのミサ、深夜零時から始まるミサまで時間があり、
信徒の方が私たちのために別館で食事を食べられるよう準備してくださった。
私もお手伝いして、スパゲッティーやサラダを作った。
今回も上出来、皆さん、美味しいと言って下さった。

そして深夜のミサ、さすがに真夜中で訪れる方々も若干少なく、
聖歌隊のメンバーも半数になった。

でも、少ないながらも皆さんで協力し合い、
美しいハーモニーで、深夜ミサを無事終えることが出来た。
「 来年も又よろしく、」と挨拶を交わし、今度は片町の中心を通って帰路に着いた。

司祭の説教にもあったが、世界では今日明日を懸命に生きる人々が・・・の話し。
片町スクランブル交差点では、平和の日本を象徴するかのごとく、
サンタの格好をした若者達が交差点の真ん中でVサインで写真。

歩道ではアルコールが回った酔っ払いたちが奇声を上げていた。
突然飛び出してくる酔っ払いたちに注意を払い、午前2時過ぎ帰宅。

世界には様々な宗教があるが、他を尊重し、
出来る限り隣人を愛し、世界の人々が平和に過ごせることを願うイヴだった。


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MRI ・ CT ・ XRAY 三昧の一週間

2013年12月20日 | 日記

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   やわたメディカル


病院を訪ねる時、
お見舞いに行く方が良いか、付き添いで行く方が良いか、病気で行く方が良いか、
答えはおのずと分かっていて、お見舞いに行く方が良いに決まっている。

とは言うものの、生きる上で自分の意思に反して病院のお世話になることもある。
出来るならば医師と仲良くなっても、病院と仲良くはなりたくないものだ。

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   前景


40歳後半から手術や入院と、何やかやとお世話になっている「 やわたメディカル 」。
今回は病変が進んでいないか、徹底的に調べてもらった。

現在、整形外科主治医先生はこの病院の院長で、私より10歳くらい若いか。
主治医が私のために予約日を決めて下さった日は、12月7日土曜午後3時から。
予約で満杯のところを早めに押さえて下さったが、その日はアルマンド神父の三周忌。
先生にそのことを話し、17日午後からの予約を入れていただいた。
翌日18日、検査撮影の結果を聞きに受診した。
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若いときからロクロの師がいなく、仕事のし過ぎで、肩関節の腱が切れてしまい、
どこの病院を選んだら良いのか迷い、考えに考えた抜いた末、
多くのスポーツ選手を診ていられる実績のことを聞き、
40歳後半にこの病院を訪ねた。

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   こもれび広場


当時、窯詰めを行っていて、重い作品を窯の中に詰め込んでいたとき、
右肩に激痛が走った。「 痛っ!」 一瞬のことで、その後は何もなく仕事が出来た。

たまたまギリシア取材に出かける予定が入っていて、
肩の調子が変だな、何となく腕がストンと抜け落ちるような感覚だったが、
痛みも大したことなく、予定通りギリシアに向かった。

約一ヶ月、重いトランクをゴロゴロと転がしながら、
アテネを拠点に飛行機、フェリーを乗り継ぎギリシア国内を取材した。

帰国し、やはり右腕の調子が変なので、この病院を受診した。
「 私の机の上にあるペンを取ってください、」と主治医。
「 はい、どうぞ、」とつかんで渡した。

「 おかしいなあ、この状態だと痛くて持てないはずだけど、」と主治医。
でも痛くはなく、物は持てるし掴めるし、腕も上げることが出来た。

が、肩関節内にあるアキレス腱のような、腕を持ち上げる腱が切れているのは確か。
「 手術から目が覚めて、腕が万歳の形をしていたら三ヶ月の入院です、」と言われ、
麻酔が覚め、呼び起こされて腕の状態を確認したら右腕が上がっていた。

一ヶ月間、腕も動かせず風呂にも入れず、ひたすらリハビリの先生に任せるだけ。
鎧(よろい)のようなギブスを、一日中ガッチリとはめたままの状態で一ヶ月、
寝るときも同じ状態だった。 体は看護師さんが三人がかりで拭いてくださった。

その間もリハビリの先生が毎日一時間以上、マッサージをしてくださった。
お陰で何とか腕も動かせるようになり、ヤレヤレと仕事が出来るようになった。

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    従来の総合病院


  中央がスポーツセンター


  右が新社屋の総合病院


その数年後、今度は左肩関節内の腱も切れた。
右肩関節の、手術室で行われた麻酔なし神経テストの痛い経験もしており、
痛さを覚悟して入院した。 同じく三ヶ月、手術、入院、そしてリハビリ。
ありがたいことに主治医の素晴らしい手術で両腕も快復し、現在に至っている。
退院後ほぼ毎日リハビリに通った。 また病院が車で3分余りの近さでよかった。

世の中狭いもので、東京でのお客様のご主人が事務長でいられた病院であった。
奥様から、「 もし何かあったら主人が事務長をしているので、」と聞いており、
意を決して受診した病院が、「 やわたメディカル 」。

入院中、何故か事務長に会えず不思議に思ってリハビリから自室に戻っていた。
私の部屋の向かいに出入りされているご婦人、どこかでお見受けしたような?

後で分かったことだが、その方のご主人が重篤の病で入っていられた部屋だったのだ。
新しい病院建設の準備を進めながらも、病と闘っていられ、
婦長さんを通して、私に何でも気が付いたことを書いてください、と頼まれた。

静かな病室で、医療に関すること、医師と患者の信頼関係、看護師と患者、
掃除係りのこと、ナースセンターの患者に対する対応、病室の設備、
リハビリ患者さん達の作品展、療養を兼ねていられる方々に対するサービス、
ピアノもあったので、月一度くらいは音楽会を催しては、などなど、
11ページに渡ってレポートと患者としての思いを書き、婦長さんに渡した。

ある日の真夜中、廊下を走り回る足音で目が覚め部屋の扉を開けた。
真向かいの部屋にいられた事務長さんが亡くなったのだった。
まさか、真向かいの部屋にいられた方が事務長さんとは。
時々すれ違う奥様、東京で会った姿とは違っていて、まさかと。

私が入っていた階には4病室しかなく、入院患者の名前も表示されておらず、
どなたが入っていられるか全く分からなかった。 当然誰も教えてくれず。
こんなくらいなら、思い切って奥様に話しかければよかったと、今も悔やまれる。

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   大きな植木鉢


その時から十数年、今は横に立派な病院が建っている。
志半ばで亡くなった事務長、新しい病院には音楽会も催せる広場と、
広い通路には、作品を展示できるスペースも確保してあり、
いつも何かの展示会が行われている。

事務長さんからの要望で、入院中に書かせていただいた医療に関するすべてのこと、
少しは役に立ったのかと、病院を受診するたび思っている。
でも会いたかったなあ、エッセイを書かれていて、入院中いつも読ませていただいた。
奥様から、すべてが終わった後にエッセイ集が届き、「 私も、もしや堂前さん?」と。
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   MRI


先週は知り合いに付き添って、二箇所の病院を受診し、
本人に代わって医師と病状について話したり。
また、いつも聖歌隊で歌っていられる方の病室を訪ねたり。

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   CT


今週は自分の病状の変化を確認するためのMRI、CT撮影、
翌日は院長になられた整形外科主治医の説明を受けたり。
と、ここまでは順調に進んでいた。

ところが昨日19日、駐車場にて停車中の私の車に女性の車がぶつかってきて。
無防備かつ突然のことで、右肩を運転席の窓ガラスに打ち付けたらしく、
そのときはビックリして何とも無かったが、今朝になって痺れが出てきた。

当然ながら車は修理に出し、加害者さんが加入している保険会社の人に話し、
今日午後から又病院へ。 レントゲンなど撮り診察を受けた結果、
全治10日間。 ああ、これも運命か!


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2013年12月15日 | 日記

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   朝


短い秋が早足で通り過ぎ、
紅葉を愛でるまもなく一気に冬がやってきた。
毎日天気予報を確認し、そろそろタイヤ交換しなければと思い、
先週11日水曜日に交換した。

いつも世話になっている近所のディーラーさんから、
数年前より、新しいタイヤに交換しないと危ないといわれていたが、
今回の冬を無事に走りきり、次の冬に交換しようと考えていたが、
出費が痛かったが、思い切って新しい冬用タイヤに交換した。

と言ってもビュンビュンとスピードを出して運転する訳でなく、
やはり雪道走行は慎重に行わなければならない。
と同時に、他車の運転にも注意を払う必要がある。

雪道走行に不慣れなドライバーが多々おり、
私がいつも走行する加賀産業道路、どういう訳か事故を起こしている車をよくみる。

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   玄関


ここ数週間、毎日荒れた天候で、晴れたと思ったらすぐに雨、アラレ、雷。
運動しなければ、歩かなければと空を見上げて用意するが、
用意している間に空模様が一気に変わり、雷が鳴り出し。

まずいなあ、ずいぶんと歩いていないなあ、と思いつつも、
雷に打たれては大変なので、歩きの運動はまたもや中止。
せっかく買った雨合羽も今年の冬は活躍しそうに無い。
とにかく雷が多すぎる。

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    正午


  鎮守の杜


今日は日曜日、町内会費を納める日。
夜に降った雪も大したことなく、5センチあまりだったろうか。
午前9時からの町会費を納めるため、雨もアラレも降っていなくて、
公民館まで長靴を履いて歩いて行った。

行く時は曇り空で、運がよければ午後から歩けるかな、
と、とりあえず傘を持って数百メートル先の公民館に出かけた。
会費など納め帰ろうとしたら、強風にミゾレが降ってきた。
「 弁当忘れても傘忘れるな、」の言い伝え通りの日曜日。

家の前の鎮守の杜、
流れる雲は大変早く、見ているだけでも寒くなってしまう。
でもこれが北陸の初冬。 これからが本格的な雪の季節となる。
雪の無い、太陽がさんさんと降り注ぐ野原を歩きたい! それが今の希望。

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   金沢中心部


   香林坊交差点


昨晩も大変荒れた天候だったが、
クリスマスミサ曲の練習に金沢に出かけた。

先週土曜7日、アルマンド神父・三周忌には多くの方々が歌いに来ていたが、
昨日はメンバーが思ったより少なかった。 寒いしアラレが降り雷が鳴っているし、
これでは仕方ないことと、集まった方々で練習を行った。

クリスマスに歌う曲目も決まっていて、今回は案外と楽に歌えた。
来週の土曜日はパイプオルガンの伴奏で練習することになった。

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   青磁釉薬、調整


先月末から大変あわただしく毎日を過ごしているが、
一日を振り返ってみると、さて今日一日何をしたのだろうかと思うことしきり。
実際、工房に入る時間が極端に減ってきている。

毎日なにかの用事ができ、その都度作業は中断。
ロクロに向かうには、ゆったりとした時間がなければ作品を作ることは出来ない。
年末だから致し方ないなと思いつつも、焦りの気持ちがふつふつと湧いてき始めた。

こんなときは普段出来ない釉薬の調整を行うに限る、と、
先日から再び青磁釉薬の調整を行っている。


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アルマンド神父 ・ 三周忌

2013年12月10日 | 日記

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   カトリック


   金沢教会


私の22歳の頃からの友人、アルマンド神父がこの世を去って早や2年。

ホームページ、巻頭の「 ごあいさつ 」にも書いてありますが、仲間作りをしなければ、
仕事の他に何かをしなければと強く思っていた19~20歳の時、
外国の方が自転車で回っていて、「 一緒に英語を楽しく話しませんか?」と言われ、
宗教の方だし、どうしたものかと悩み、迷って訪ねたのがカトリック教会だった。

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   祭壇


間違えて訪れたカトリック小松教会、イタリア人の神父二人が出てこられ、
「 ここではありませんが、もし私たちで良かったら、」と声を掛けていただいた。

カトリック小松教会には、デップリと太り、笑顔がとても優しいヨアヒム神父と、
なんでもこなし、小松弁まで話すベネデット神父の二人がいられた。

お二人とも大変朗らかな性格で、よく食事に誘っていただいた。
そして私が九谷の産地の中心で創作活動することに矛盾を覚え、
そのことを相談したのがベネデット神父。

彼のアドバイスを頂き、日本を離れてみる決心がついたのもその頃。
私がヨーロッパから帰国すると、彼らは別の教会に移っていて、
アルマンド神父が新任司祭として小松に来ていた。

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   アルマンド神父 CD


ベネデット神父から教会のことやアルマンド神父については、
ベネデット神父と一月半余り、イギリスで暮らしていた時に聞いており、
帰国して紹介された時、なぜか懐かしい友に会えた感じだった。

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   CD 再生機


あれから40数年あまり、
アルマンド神父とは本当に良いお付き合いをさせていただいた。

仲間を集めてカルテットで様々な曲を歌ったり、
時には小さな発表会でお客様方にお聴きいただいたり。
はたまた車にキャンプ用具を積み込んで東北を一周したことも。

とにかく歌が大好きな神父だった。
7日に行われたアルマンド神父三周忌には、彼の歌声が録音されたCDが流された。
長兄だったアルマンド、当時イタリアでは長男を修道院に入れる慣わしだったとの事。
「 神父にならなかったら何になっていた?」と聞いたら、「 オペラ歌手に、」と。

カトリック金沢教会で録音されたCD、彼が逝去する3年前のこと。
と言うと、74歳頃の歌声である。 若いときの声はオペラ歌手そのものだった。
私も大変音楽が好きで、その点でも共通点があり、更に親しみが増していった。
ただ残念なことは、彼に発声方法を教えてもらわなかったこと。

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   参列者


誰に対してもサービス精神の旺盛な人で、いつも誰かが周りにいた。
でもやはり人間、疲れが溜まると我が家を訪ねてきて休んでいた。
応接間のソファーでジッと目を閉じて一時間余り、そして帰った。

人生には山あり谷あり、
何故か宗教論で討論したことは一度もした覚えはない。
ただ、一人の人間としての生き方について、長時間討論した。
意見が噛みあわず、最長で2年間声も掛け合わなかったことも。

もしアルマンドやベネデット、他の神父から宗教の勉強をと言われていたら、
今日まで、私はどのような人生を歩んでいただろうか。
幸か不幸か、誰一人ともキリスト教について話したことがなかった。

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   アルマンド神父 CD


現在、私の周りには様々な宗教を信心している方々がいる。
焼き物の会員にも、そしてロクロの手ほどきをさせて頂いた若い人たちも。
その方々からは是非に信心をと勧誘されることがあった。

私にとって宗教とは、を考えてみるとき、
ハッキリと言える事は「 人を愛すること、そして愛されること 」。
これに勝るものはないと思っている。

思われるほどに沢山の人と交わってはいないが、
巡り合った方々には心より、「 ありがとう 」と言いたい。

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   イルミネーション


アルマンド神父の三周忌には、多治見市、名古屋市からも親交のあった方々が来られ、
私たちと一緒に彼のためのミサ曲を歌って下さった。
素晴らしい指導者の下で練習されてきた方々、私たちとの相性もよく、
三周忌のミサ、その後のコンサートと、大変質の高いコーラスとなった。

多くの方々に親しみ慕われたアルマンド、
「 こんなにも沢山の方々が参列に来てくださったよ、」と心の中で話した。

「 堂前君、歌ってくれてありがとう、」の声が聴こえた気がして、
教会前の大通りにしつらえてあるイルミネーション、
運転席の窓越しに眺め、家路についた。


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