創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

一年を振り返り

2007年12月30日 | 日記

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  霞のかかった白山

今年も慌しく過ぎた、そんな感じがしている。
毎年この時季になると、きっと同じようなことを書くのだろう、そうも思っている。

いつもの師走だったら大気もすっきりとして、窓の向こうに見える白山もくっきりと空に浮かび上がり、
いよいよ新年を迎えるのだなあ、との思いがつのり始めるのだが、今年はなぜかそのように感じない。
これも温暖化のためなのか、すっきりしない分、気分も何となくダラダラと・・・。

去年の今頃はかなりの積雪があり、香り豊かな八重の野水仙も雪にうずもれてしまい、
新年を迎える準備にと、ぜいたくに青磁壷一杯にドサッと生けようと思っていたことが実現できずに。
今年は今年で、なぜか葉っぱが美しい緑を保っていない、やはりこれも異常気象なのか。
そんな日々の2、3日前、ようやく太陽が顔を出してくれ堤防を歩いた。

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  師走に咲いている
     名前が判明しないタンポポ

白山には霞がかかっているものの、足元は濡れていなくて川面から吹き上がる風も穏やか。
堤防の草むらには夏ごろから咲き続けているタンポポ。
正式な名前は分からないが、大晦日まじかというのに強風の日、雨の日、アラレの日にも負けず、
いつも鮮やかな色の花を見せてくれている。

いつものごとく、師走と共に毎日が慌しくバタバタとして、何がなにやら分からなくなっておりましたが、
天気もさほど悪くもなく、このまま穏やかなままで新年を迎えられそうと思っていた矢先、
昨晩から激しい雷雨となり、今朝からはアラレが降り始めてきました。
明日にかけて平野部でも積もるとの予測。 いよいよ冬か、そう思うと何となく気分も重くなって参ります。

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  庭の手水石とアラレ

そんな師走を過ごしてきましたが、昨日までに今年中にするべきことを終え、
ようやく一年を振り返る時間もでき、パラパラと降り注ぐアラレを見つつ一年の締めくくりをしております。

春3月に千葉三越で個展、大変厳しい経済状況下での個展でしたが、
沢山の方々にお越しいただき、又作品も高く評価していただき、
大変幸せな個展を行わせていただきました。
三越さんからも次の個展企画も頂くことが出来、更なる精進で創作に励まねばと思っています。

そして秋、金沢・金澤画廊にて二年ぶりの個展。
千葉三越同様たいへん心配でしたが、皆様に支えていただき無事に締めることができました。
また新しく試みた作品もご覧下さった方々から高い評価を頂くことが出来、
大変嬉しく幸せに思っております。  作り手にとって皆様から頂くお言葉が何よりの励みです。
手にして良かった、求めてよかった、そう言っていただけるような作品を創れるよう、
日々研鑽をと思っております。

今年もあと一日となり、すぐそこには新しい年が待っています。
あなた様にとって、素晴らしく幸せな年でありますよう、心よりお祈りいたしております。
来る年もご指導ご鞭撻をたまわりますよう、宜しくお願い申し上げます。
ありがとうございました。

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クリスマス

2007年12月25日 | 日記

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   カトリック金沢教会の
          パイプオルガン


   整然と立ち並ぶ
         1553本のパイプ


温暖化が進んでいるのは百も承知のうえではあるが、
日々の天候の悪さに辟易しながらも、積雪の無い年末は大変ありがたいと思う。
いつものことだが雷が鳴り渡り、アラレがうっすらと道路を白く染め始めた先週、
冬用のタイヤに交換し、とりあえず安心。

対馬海流が温暖化の影響を受けて温度が上がり、
その分海面から、これでもかと雲が湧き出してきている。
偏西風に乗ってそれらの雲が日本海側の地域に大量の雪を降らせることにもなっている。

昨日はクリスマス、雪の無いイヴだった。
若い時から教会と関わってきた私、信者ではないが神父、そして皆さんには大変お世話頂いている。
22歳の時、創作活動で悩んでいた私をヨーロッパに連れ出してくれたのも神父。
彼の心遣いで色々なことを各国で見聞し、また外から日本を再認識することもできた。

  ・・・彼の名は べネデット・べスケッティ・・・
イタリア・アドロで生を受け、1960年、27歳で来日。
各地の教会で司祭を務め、また幼稚園園長としても懸命に働いた人でした。
2005年2月、遠くイタリアから離れた石川県七尾市で永遠の旅に出られました。
  ・・・72歳の雪舞う頃でした。・・・

皆様に支えて頂き、ここまで来れたことへの感謝をこめ、今年もミサのお手伝いをいたしました。
クリスマスに歌うミサ曲は夏頃に決められ、私も2曲の楽譜を頂いた。
むずかしい!  日頃歌をうたっていない私には、このミサ曲をマスターできるかと不安がよぎった。

ミサ曲は..... Pastores (パストレス)、Resonet in Iaudibus (レゾネット、イン、ラゥディブス) .....
私の担当はテナー。
それにしても ♯ や ♭ があまりにも多すぎる。 
その分複雑な音階がからみ合ってミサ曲はより厚みがまし、
美しいメロディーをかもし出してもいるのです。
こんにちまで聖歌隊の方々のご協力を頂き、ややこしい音階とラテン語も覚えることができ
クリスマスイヴ夜8時のミサ、そして25日午前零時のミサに無事に歌えました。

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   プレゼピオ=馬小屋

聖堂内の一角に、このキリスト降誕の場面が再現されてあり、
さまざまな表情の人形達がその当時の出来事を見る人に感動を与えてくれます。
約6畳ほどの広さに、そうであったろうと思われるような場面を、毎年趣向を変えて表現してあります。

このプレゼピオの入り口には説明書と共に、
「この一年を振り返り、また来るべき新しい年に向けて心の準備をしたいものです」、
と表記もされていました。

それぞれの宗教の教えの違いはあろうとも、皆の幸せを願っているのは同じこと。
いかなる人々に差別はあってはならないし、
地球に住む私達人類、そしてすべての生き物が平和で暮らせるように、
そう願いつつ、私達20人あまりの聖歌隊はパイプオルガンのまん前でミサ曲を歌いました。

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   淡いライトを受けた低音のパイプ

   このパイプの奥には高音用のパイプがぎっしり

   小さいパイプはほんの小指くらい


クリスマスが終わると同時に、今度は新年を迎える準備が始まっております。
クリスマスの飾り付けはすでに取り外され、神社仏閣の様式に様変わり。
何ごとも臨機応変に多様に受け入れている日本、この平和をありがたく思うと同時に、
他国では今日の食べ物も手に入らない人々が沢山いる事、それを決して忘れてはならない。


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畑の野菜たち

2007年12月20日 | 日記

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   手前が水菜

   その向こうに菜の花

   右がサヤエンドウ

   春採りキャベツ

   右奥にこんもりしているのが人参


ここ数年、我が町内の上空が雷雲の通り道になった感じがする。
と言うのも、久しく雷の落ちる恐怖を忘れていたからでもある。
2~3日に一度は落雷に見舞われている状態のこの頃。

12/15日の日記にも書きましたが、雷が暴れている最中に畑に出かけるのは勇気がいる。
母が生きがいとして育てている野菜畑近辺には、雷をよけるような大きな木も何もないから、
遠くで稲光が見え始めたら、急いで畑から離れなくては危険極まりないのである。

雷の通り道になった原因の一つとして、携帯電話の基地局がほんの近くに建ったことも要因だろう。
それまでは本当に雷が近くを通ることは無かった。
ただ随分昔の事だが、同じ町内の私の実家の前の家に落雷があったことがあった。
さすがにその時はビックリした、と言うか恐怖に近いものを感じた。
それ以来落雷は経験していないが、自然相手の畑仕事をする身には、やはり雷は困り者である。

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   春採りチンゲン菜の苗

毎日のように雨アラレ、何だか久しくお日様を見ていないような気もする。
ほんの一瞬晴れた、と喜んでいると、何処からともなく重く垂れた雷雲が近づいてきている。
本来の私の仕事の土作りは到底無理。 どうしても作業場の中の仕事が中心となってきている。

もちろん予測はして、粘土類などは作業場の中に保管し、いつでも使える状態にはなっている。
しかしマグカップを手に家の周りを見て歩くことや、前庭に植えてあるイタリアサラダ菜、チコリアなどの
変化も観察したいところだが、こうも天気が悪いと気がそげてしまう。

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   手前がほうれん草

   ブロッコリー

   初夏に採集する玉ネギ

   小松菜

   ミカンの木


師走に入ると同時に、畑仕事を手伝う機会も増え、その都度母からお呼びがかかる。
自分の仕事を優先しなくてはならないが、体の弱っている母が空を見上げつつ畑に出ていると思うと
ほっとけなく、一緒に収穫する羽目に。

母が丹精して作ってくれるお陰で、一年中ほとんど野菜は買ったことが無い。
立派に育っている野菜を収穫するたび、いつまでも健康で畑に出ていてくれる母であって欲しいと
願っている。

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採れたてブロッコリーシチュー

2007年12月15日 | 日記

いつやむか、いつ晴れるかと気にかかりつつも中々畑には行けなかった昨今、
ほんの一瞬雲もきれ、薄日が差してきたので急いで野菜の収穫をしてきた。

冷たい初冬の雨の中、初夏から秋口に植えた野菜たちが大きく成長していた。
年老いた母に教えてもらいながら一緒に植えた野菜たち、上手く育つかと心配していたが
見事に大きく立派に育った。

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   母が栽培している ブロッコリー

      直径 20~25cm
 

健康の事を考えて我が家では農薬は全く使っていない。 だから葉物は虫達も喜んで食べている。
白菜はひとかかえ程の大きさになっているが、その3分の1位くらいの葉っぱを捨てている。
もったいないなあ、根っこの白いところは充分に漬物として使えるけど、と思いつつ、
かなりの量を土に戻してしまった。

反面、店頭に並んでいるキレイな野菜たち、形が良く虫食いの葉っぱも見られない。
このようにキレイにするにはそれなりの農薬をかなり散布しなくてはならない。
見た目にもキレイでなければ売れないのだから、ま、それも仕方無いことなのかも知れない。

そんなことを考えつつ、キャベツもしかり、かなりの外葉を捨てた。
自分で食べる分にはどうってことは無いので、キレイに洗ってスライスし、
知り合いから頂いたユズをすりおろし、バージンオリーブ油で作ったドレッシングをかけて食べてみた。
甘い! そう本当に甘いのです。 少々の塩をふりかけても充分に甘いのです。
店頭で買われる方々には絶対に味わえない味覚だと思いつつ、農薬さえ使わなければ
全部食べられるのにと、ビタミンたっぷりのキャベツをバリバリと食べています。

そんな種々の野菜の中、ブロッコリーだけにはどういう訳か虫がつかない。
ただブロッコリーに栄養を与えている大きな葉っぱには虫がついている。
そう、虫は葉っぱが好きなのだ。

直径20cmほどに育ったブロッコリーをうす塩で茹で、
そのゆで汁で人参と冷凍してあったスイートコーンもさっと茹でて皿に取り上げ、
続いてホワイトソース作り。

これも健康の事を考えてバターやオイルは使わず。
コクを出すために荒びきソーセージを回し切りの小口大にして、低脂肪牛乳でじっくりと煮、
味を整えるために塩コショーを加え、前もって水に浸してあったカタクリ粉を加え、
ふきこぼれないように良くかき混ぜながら沸かしてソースは完成。
一度沸かすことで冷めてもとろみがついたままになるのです。

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    窯変鉄耀輪花鉢

    青磁はし置き
 

そうして出来たソースを再び火にかけ、
茹でておいた野菜を加えて温めれば新鮮野菜のあったかシチューの出来上がり。
余計な調味料は加えなくても野菜から旨味成分がたくさん出てきて本当においしい!
あまりにも簡単に、かつ時間もかからずに作れますのでお試しあれ。

・・・・・これからの寒い季節、あなたは何を召し上がりますか?・・・・・

次の日記には畑の種々の野菜が植わっている写真をご覧頂きたいと思います。
春先に収穫できるほうれん草やソラマメ、初夏に収穫する玉ネギもしっかりと根付いています。

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白まゆみ

2007年12月10日 | 日記

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   天の原 ふりさけ見れば白まゆみ

               張りてかけたり夜路はよけむ



    ・・・万葉集   間人大浦 =「 はしひとのおほうら 」・・・

冷たい雨降る中、先日、今日と近くの憩いの森に出かけてきた。
やはり気になる万葉集。
いまだかって 「白まゆみ」 の花を見たことが無い。

真冬は雪が積もっていて、さすがに歩くことはままならないけれど、
春、夏、秋、そして雪が降り積もるまでの初冬の間は歩き続けて来た。
しかし 「白まゆみ」 の姿を見たことが無かった、が先日思いもかけずにその姿を見て、
その愛らしい姿にひきこまれてしまった。

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   白まゆみ

アラレがぱらぱらと降っているのに、こんなに寒いのに、どうしてこれほどにも愛らしい花が咲くのか。
花ひとつの大きさは、ほんのアズキくらいの大きさしかない。
殆どの木々はすでに幹だけになり、紅葉していた葉っぱも色果てて地面にへばりついている。

そんな木々の間に、「白まゆみ」 は、ひっそりとつぶらな花を小枝いっぱいに付け、咲いていたのだ。
先日花を見つけるまでは、まさかこのような花が咲くとは思いもしていなかった。
ただ、何故にこのような名前がついたのか、また短歌がうたわれたのかと、
そればかりが不思議でならなかった。

名前の由来を調べてみたら、この木で弓を作ったともある。
しかし憩いの森の 「白まゆみ」 の木はとてもか細く、弓を作れるほどの太さは到底ない。
ならば本当に弓を作れるくらいに太く成長するのだろうか。
憩いの森を歩き始めてからはかなりの年月も経っているが、記憶の、そして実際に見る限り、
殆ど成長していないように思える。   では弓を作った、という説は事実か、それとも他の理由でも。

真っ白と真っ赤の花の色は実にうつくしい!  今にもこぼれんばかりである。
ついつい食べ物を連想してしまうが、この花には毒があるとも。
この森には種々の渡り鳥が飛来しているが、この花だけは食べられた形跡が全く無い。
ということは、小鳥達は 「白まゆみ」 の花は食べられないということを知っていることになる。
そのような知恵はいったいどのようにして受け継がれてきたのだろう。  それも不思議でならない。

ちなみに、 「白まゆみ」 の花言葉は・・・・・「あなたの魅力を心に刻む」。
触れたいけれど触れられない、そんな無垢の心の中に真っ赤に燃え立つ思いがある、
そのように物語っているのだろうか。

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  名も知らぬ、うつくしい落ち葉

ここ数日の間の出来事を振り返りつつ、再び歩を進めていくと竹やぶの小道へとたどり着いた。
もうすっかり裸の森となっているものと思っていたら、足元には鮮やかな落ち葉。
振り仰いで見ると、まだ沢山の黄色く色づいた葉っぱをつけている。
なんと言う名の木だろうか、ハラハラと舞い落ちる葉は見事にうつくしい黄色をしている。
この色を再現しようとしても到底無理な話し。 自然の織り成す美にはとてもかなわない、
そう思いつつ、強くなった雨を避けつつ急いで森をあとにした。

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