創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

青磁釉薬

2007年02月27日 | 日記

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冬前の予報では、今年も大雪になるかもと言われていましたが、
そのような雪降りも無く、いつの間にか二月も過ぎようとしています。

さて今日から小品の青磁釉薬を施す作業を始めております。
青磁の色を発色させるためには、釉薬の中にごく微量の鉄分を配合いたします。
その鉄分が高温還元焼成で変化し、うすい青色となって現れてきます。
うつくしい青色を出すためには、絶対条件として原料を選ぶことから始まります。
次に大切なことは焼き方を工夫すること、等々。

そして私は原料にもこだわりを持っていて、好きな青磁を作るため鉄(錆=さび)を自分で作っています。
やきものを志した当初は何が何だかさっぱり分からず、原料も買っておりました。
しかしより良い青磁を求めはじめましたら、それらの原料では満足のいく青磁は得られないと分かり、
それからは原料をさがし、どうやったら青磁に合う鉄(錆=さび)を作れるかと試行錯誤を繰り返して、
ようやく現在の、私の 「青磁」 が出来ました。

私が思う青磁とは、色、そのものが美しくあるべきと考えます。
もちろん淡い色合いや、水色または緑がかった色など、さまざまな青磁があります。
しかし青磁とはそのものの色が美しければ、何の装飾もいらないと思っております。
そのためにも原料がとても大切になってきます。

どこまでも続く青い空、淡い水色の空、神秘的な湖の色、川、そして海の色。 
そのどれをとっても美しく心洗われる色だと思うのです。
青磁は水を連想させます。 命の源を思いおこさせてくれます。
それゆえに青磁には余計な色は必要ない、そう思い、今の 「青磁」 が出来上がりました。

もちろん現在の青磁に満足しているわけではなく、
そのつど試験を繰り返して更に良い青磁が焼けないかと日々研鑽を重ねております。
そのような青磁が得られましたら、次はその色に合ったデザインを描き、ロクロで形を作っていきます。
工房」 のページがその作業状況です。

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左=素焼き 中央=青磁釉薬がかかった状態 右=焼きあがった作品
ロクロで作ってから素焼きまでに1割小さくなり、その後の高温焼成で更に1割小さくなります。
10センチの口径の作品をと思ったら、2割増しの12センチの口径で作品を作ります。

先にも書きましたが、青磁釉薬にはごくごく微量の鉄分が入っております。 
ごくごく微量ということは、窯焚きにも大変な神経くばり、心くばりをしなくてはなりません。 
いくら青磁釉薬の調合がうまく出来ていても、窯焚きの段階で気を抜くとすべてが哀れな結果に。
ですから窯を焚くまでは私のしごと、あとは窯に美しくきれいな青磁を焼いてくれるよう願い、
窯とともに青磁を焼き上げていきます。

窯焚きを終え、数日間経ってから窯を開け最初に水色が目に飛び込んでくるまでは本当にドキドキいたします。

しかしそのように心配りして焼き上げた青磁作品も、全体の3、4割がうまく焼きあがっていれば成功。
残りは日の目を見ることはありません。 青磁とはそれ程きびしい焼き物なのです。
それゆえに 「青磁」 そのものの色が美しければいいのです。

今日から始めた釉薬がけ、順調に進み心ゆたかに窯焚きが出来るよう精進しなければと思っています。


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冬陽の中で

2007年02月22日 | 日記

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まだ冬だというのに温度計は16度を指している。
この暖かさはいったい何でしょうか。 せっかくのお日様の恵み、今日は外で。
昼前のひととき、作業場の前でコーヒーを一杯。
垣根に囲まれたこの場所は、北風もあたらず調度良い空間なのです。

一日に6、7杯のコーヒーを飲む私、豆はもちろんのこと、当然ながらカップにもこだわってしまいます。
いかに飲みやすいか、口当たりはどうか。 何よりも持ちやすいかが気にかかってしまうのです。
持ち手の形は小さくても細くてもダメ、また大き過ぎても太すぎてもダメ。 
親指と人差し指がすっと入り、違和感無くその形のままカップを口元に持ってこれる、そのようなカップをと
心がけて作っています。

見た目はゴツイ感じですが、とても使いやすいカップでしっくりと手に馴染んでしまいます。
私の作るカップの持ち手は、このマグカップのようにほぼ同じ。 いろんな形のものがありますが一緒です。

友人は、「もっとエレガントに、きゃしゃな持ち手のカップを作ったら」 とアドバイスをしてくれますが、
作っている内にこのような形になってしまうのです、と言うより使い易さを選んでしまうのです。
いつも使うものは飽きの来ない、かつ手に馴染むものを、を心がけているのです。

昼までは一時間半あまり。
素焼きを終え、釉薬を施す段階まできた作業状況の今日、
思いもかけずの暖かい日差しの中でのコーヒータイムを楽しんでいます。

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雨上がりの午後

2007年02月18日 | 日記
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以前、「これ以上太ってはいけません、もっと体重を落としてください」 と主治医からの指示を受けた私。
スポーツジムに通っていたのはどれ位の期間だったろう。 4~5年位だったか定かではない。
もうずい分と前のことにも思う。

その頃の私は確かにふくよかだった、と言うより太っていた。 仕事柄、どうしても家の中に居る時間が
長くなってしまう。 おまけにロクロに向かっていると、時の経過さえも忘れてしまう程であった。
極力ジムに出かけるようにはしていたものの、一週間の内、五、四、三日と次第に出かける日数も減り、
とうとうジム通いはやめてしまった。 その代り、いつでも出かけられる近くを歩くことにした。

荒れた天候の日に歩くのは苦痛を感じてしまうが、天気の良い日など太陽の光を受けているのは身も心も
スッキリと気持ちがいいものである。
加えてその日その季節(とき)を直に味わうことが出来る喜びもある。

降り続いていた雨も昼過ぎには止み、雲間からお日様が顔を見せ始めた。 
素焼き作品はすべて窯から出してしまったし、ゴミ、ホコリを取り除く作業もあとわずかになっている。
北風が少し強く吹き渡っているが、せっかくのお日様の恵み、堤防へと出かけた。

いくら暖冬とは言ってもやはり冬である。 かけはし川から吹き上がる風はつめたい。 

小雨が残した水滴だけが光を受けてキラキラと輝いている。
 
どれくらいの距離を歩いた頃だろうか、とてもちっちゃな花が目に飛び込んできた。
それは米粒2~3ヶ位の大きさの可愛い花。 北風の中でけな気に咲いていた。
一、二本採取して青磁の小壷に生けてみようと花に触れた途端、「ぽろっ」 と花が落ちてしまった。
そうか、採ってはいけないのか、ならば写真を撮らせてもらおうと一枚。

こうして歩くことによって、さまざまな季節の移り変わりを味わうことができ、また小さな発見もある。
普段けっして気づかないこのように小さく可愛い花、この冬空の下、せい一杯に生きている。 
例年だったらきっと春らしくなった頃に花開くのだろうが、少しばかり早く咲き出したのかもしれない。

このような小さな花でさえ、しっかりと根を張り懸命に花を咲かせている。
雨上がりの午後、健康維持にと歩き始めた私、一歩一歩に力を込めて約一時間の堤防の歩きを終えた。

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春待つ、白モクレン

2007年02月14日 | 日記
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まどろみの中、カーテン越しに淡い光が部屋に入ってきている。
今朝も晴れかな、ベッドを出てサッとカーテンをひいてみた。
快晴とはいかないものの、それでも北陸にとっては珍しい冬の晴れである。
このまま一日続いて欲しいと願いつつ、新聞を取りに玄関戸を開けた。

トラちゃんクロちゃんが、まるで飛びつかんばかりに駆け寄ってきて朝の挨拶をしてくれる。
「おはよう」 と呼びかけると 「ニャ~ン」と応えてくれた。
まづはニャンコ達に朝ごはんを、そして私はコーヒーを。
そうして私の一日が始まった。

個展が近づくにつれ、何となく気分が落ち着かなくなってしまう、さてどうしようか。

昨日の内に今日の予定は立ててあるものの、もう一つ気分が乗らない、困ったなあ。
簡単な朝食を済ませ、とりあえづ仕事場に入ることにした。
ああ、それでもまだ気分がたかまってこない。 ならば片付け、掃除をと始めてみた。

ロクロをすると、あちこちに泥が飛び散って何となく汚く感じてしまう。 
雑巾でキレイにふき取った途端、今日はロクロを回すのをやめようと、突然に計画変更。

ドアを隔てた窯場もキレイに掃除しよう、掃除機をかけ、ほうきで掃き、そうしてくまなく掃除を終えた。
先日焼いた素焼き作品は、まだ窯から取り出していない。 いまロクロを回すと又仕事がずれる。
もっといいものが、いい形がと、ついついロクロを回してしまう私。 
でもそろそろ仕上げを行わなければ、掃除をしつつ次の仕事へと切り替えることにした。

明日、素焼き作品を取り出し次の工程へと移る事にした。 
一つひとつ丁寧にホコリなどを取り除き、釉薬をかける準備までを整えた。
さあ、これでいよいよ仕上げの作業へと移ることができる。 まづは一安心。

午後、近くの森に出かけてみた。
行くたびに観察している白木蓮の蕾が、心もちふくらんできたような、そんな感じである。
雪の無い冬を白木蓮はどう感じているのだろうか。 いつかのテレビで植物にも感情がある、と
放映されていたが、もしそうならば聞いてみたいものである。
昨年の冬は多すぎる雪で、とてもここまで歩いては来れなかった。 でも今年は雪なし。

雪の無い冬はとても過ごしやすいが、その後のことを考えるとやはり不安を感じてしまう。
北陸には、それなりの雪があってちょうどいい、春を待つ白木蓮の蕾を見てそう思った。

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木場潟

2007年02月10日 | 日記

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普段の私の散歩コースは、すぐ近くの「かけはし川」の堤防、あるいは「憩いの森」。
少しばかりの気分転換をと思ったときには、車で10分で行ける「木場潟」を歩くことにしている。

たまたま出かけた先日、寒風の中、水面を走る一隻のカヌーが見えた。
日記を書き始めてからカメラを肩に、が癖となった私、急いでカメラをかまえ一枚撮ってみた。
うまい具合に渡り鳥達がカヌーと競争しているようにその真上を飛んでいたが、双方ともかなりの
スピードを出していた。 
さてタイミングよく写っているかと不安も感じたが、現像から上がった写真には動きのある被写体が
写っていた。  そして遠くに見えるのは白山。 私のようにカメラを持っている人の姿もあった。
加えて木場潟は絵を描く人たちにとっても絶好のポイントでもある。

そんな光景を眺めながら、一周6、4 キロを一時間かけて歩いてきました。
やはり今年は暖冬なのか、いつもの年に比べると渡り鳥の数が少なく思いました。
木場潟にはカモやガン類の渡り鳥がほとんど。 しかし何と運のいいことでしょうか、カワセミを
見たのです、それも一瞬。 潟に流れ込んでいる小川に、キラッと光る青いものがものすごい速さで
上流に向かって飛んでいったのです。 あっ、と思ったらもうずいぶんと遠くへ。
コバルトブルー、エメラルドグリーン、なんと表現してよいのやら、とにかくうつくしい!
それはまさしく飛ぶ宝石、「カワセミ」。

これまでもずいぶんと木場潟を歩いていますが、カワセミが見られることは殆どありません。
記憶をたどれば3回目、くらいでしょうか。 カワセミが飛び去った小川をのぞきこむと
小さな稚魚がたくさん泳いでおりました。 この季節に誕生する魚はなんでしょうか。
細長い姿をしていますので、鯉やフナではないはず、では? ウグイか何かでしょうか。

そんなことを思いながら、いつまでもキレイな潟であってほしいと願いつつ、家路につきました。

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