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ステンドグラス ・ 21 煌めき展 (きらめきてん) |
「 粉雪のように輝き、そして舞うステンドグラスの光たち 」
志賀町の、ヴィトレの丘マスター、西野さんから展示会のご案内が届いた。
27日は金沢21世紀美術館の会場にいられる、とのことで出かけた。
いくつかある会場の中で、ステンドグラス展の会場だけは照明を落とし、
展示してある作品の放つ、光の妖精たちの世界が広がっていた。
久し振りにお目にかかり、早速作品を鑑賞させていただいた。
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仏塔のイメージか? |
うっかり者の私、作者と題名を確認しないまま、18点あまりの個性豊かな作品を眺めていた。
ステンドグラスと言えば照明器具をすぐに連想してしまう。
確かにアンティークのステンドグラスも重厚さがあって良いが、
今回展示されている作品のそれぞれがとても魅力的で、かつ個性豊かで好感が持てた。
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バラ? |
さりげない空間に、優しさと夢、加えて安らぎを与えてくれる出品者の作品。
あれもこれもいいなあ、その前に家を何とかせねば、と
輝き舞う光に誘われて夢の世界に入って行った。
以前の日記に、ステンドグラスの光を見ると、何故だか寂しさがこみ上げてくると書いたが、
今回見せていただいた作品から感じる思いは、寂しさよりも夢が大きく膨らむものであった。
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虹色の変化 |
題名を聞き忘れ感じたままに展示会の様子を書いたが、
この、あやしくも美しい曲線と、細かい一つ一つのグラスの織り成す光の世界、
十数秒毎に虹色のように光が変化して、まるで虹に溶け込むような錯覚を覚えた、
ヴィトレの丘・西野さんの作品。 お忙しい時間のなか、励まれた姿が垣間見えた。
21世紀美術館を出、カトリック金沢広坂教会の前を通り過ぎて帰宅。
その夜、悲しい知らせが飛び込んできた。
いつもミサ曲を作曲してくださる輪島教会の、ジュリアーノ神父がお亡くなりになられたとのこと。
私の恩人で、友人のベネディクト神父がいつも親しくされていたジュリアーノ神父。
数年前より病気気味とは聞いていたが、まだ82歳。
優しく、心そのものが表現された曲を作られる神父だった。
28日、カトリック金沢教会で、お通夜がしめやかに、かつ荘厳に行われ、
私達聖歌隊もジュリアーノ神父作曲のミサ曲を歌わせていただいた。
私が死んだらこの曲を、のお願いで、
~ Missa " Nimis amara" ~ の中から
・ Kyrie
・ Sanctus - Benedictus
・ Agnus Dei
を心込めて歌わせていただいた。
カトリックの通夜、葬儀の式次第に基づき、厳かにジュリアーノ神父の通夜が執り行われた。
カトリック金沢教会の司祭、クリストフォロー神父が最後にご挨拶され、
同年代の神父が召されたことを悲しみつつ、遠い昔を振り返られながら、
ジュリアーノ神父が生前語っていた話しをされた。
空に七色の美しい虹がかけはしを架ける頃、
私はその虹の光とともに、そっと天国に導かれて静かに消えてゆきたい、と。
クリストフォロー神父の話しは、ジュリアーノ神父を称えるとともに、
先に旅立った宣教師をいつくしむ、心打つ話しであった。
昨秋、ジュリアーノ神父が作曲された曲が私の手元に残っている。
かなり難しい曲で、次の機会に練習して歌おう、と言っていたミサ曲。
・・・・・ ~ Te Deum ~ ・・・・・ 感謝の歌
かなりの難曲だが、アルマンド神父はこの曲の練習をしたいと言うだろう。
私達が住む地球、様々な人々が住んでいるが、人の命に格差は無い。
どのような人も、命の重さは同じである。 せっかくこの世に生まれてきたこの命、
大切に、「 人 」の字が教えてくれているように、支えあって良い人生を送りたいものだ。
そして、美しい虹にいざなってもらい、天に召されたいものだ。
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虹に導かれ |
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