創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

早朝からの窯焚き

2014年04月30日 | 日記

仙台、藤崎個展作品の最終窯焚きを行った。

Photo

   窯焚き


まだ夜も明けぬ内から火を入れ、徐々に温度を上げていった。
窯の中の温度が高温になるにつれ、放射熱で窯の下まで赤くなってきた。

Photo_2

    煙道


   青い還元炎


焼いている作品は青磁、白磁作品。
計算通りに還元をかけないと、美しく澄んだ発色にならない。
このときばかりは経験がものをいう。

とは言っても、自分の思うように焼き上げることは中々容易ではない。
同じように、積み重ねた資料通りに窯焚きを行っているが、
その時々で焼き上がりが異なってくる。

大量生産ではないので、これでいいと思うが、
窯焚きを行う天候によって焼き上がりが異なってしまう。
いずれにしても慎重に焼き上げたので、良い出来になっていることを願うのみ。

窯の扉を開けるとき、又ハラハラ、ドキドキするのだろうな、きっと。

Photo_3

   夏野菜


気温は冷たかったが、天候もよく母と夏野菜植えを行った。

Photo_4

   スイカの場所


   向こうに玉ネギ


まずはスイカから。

Photo_5

   スイカを植えた


広い畑、母がどこに何を植えるか、ある程度決めていて、
私に再確認して、と植える場所を決めた。

Photo_6

   スイカの養生


今年は大玉スイカと小玉ラグビーボール形のスイカを植えた。
親しくして頂いた方々も遠くに旅立ち、沢山作る必要もなくなってきた。

Photo_7

   トマト


それでも母は自分で植えたトマトの味が好きと、7本も植えた。

Photo_8

   トマトの養生


接ぎ苗(つぎなえ)とはいえ風で痛まないように、
田んぼの肥料袋が養生に役立ってくれ、しっかりと根ずくまで養生させる。

Photo_9

   トマト

   スナップエンドウ

   ナス


ナスやスナップエンドウも順調に育ち、
後はパプリカ、トマト、スイカ、地這えキュウリが根付くのを待つのみ。

Photo_10

  母とお隣さん



  右の方がお隣さん

 母が手を置いているのは空豆


もうすぐ母の日だが、特に何の日だからとは決めない私。
毎日毎日が大切な日と思って過ごしている。
母と昼食をする、それが母へのお礼の日。

母を連れ出し、小松にある回り寿司の昼食をした。
若かった頃と違って、あまり沢山食べられなくなてきた。
二人で12皿、それだけで満腹になった。

昼食後、夏野菜苗を購入。
実家の、母が生きがいにしている畑に殆ど植えた。

丁度お隣の畑のお母さんも来ていて、母とおしゃべり。
作っているもの、育てていないもの、互いに交換して食べている。
母、今年はカボチャは植えないと言う。

Photo_11

   我が家の畑


あっという間に夏野菜苗植えが終わり、
今度は我が家の畑にミニトマトを植えた。

毎年植えているアイコ、今年は本数を減らして5本だけにした。
毎年8本植えていたが、もう沢山育てる必要がなくなった。
冷凍庫には、昨年作り置きしたトマトピューレがかなり残っている。
食事時、解凍してトマトジュースで飲んでいる。特に朝が良い。

我が家の畑にはゴーヤを植えるのみとなった。
と言うのも、ゴーヤの苗だけが売っていなかった。
あと2週間すれば店頭に出すとの事。

藤崎個展の準備をしながら、畑仕事をしている今の私。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

窯焚きの準備

2014年04月25日 | 日記

家の周りの田んぼにも水が満たされ、いよいよ田植えも間近か。
近くに見える山々も、次第に緑色が濃くなってきた。

Photo

   若葉


この前まで玄関で桜を楽しんでいたが、
もう4月も末、いくらなんでも桜の花を愛でる事も出来なくなってしまい、
先日山に出かけ、ほんの少し芽が出始めた小枝を採取してきた。

Photo_2

   楢の木?


採取してきた時は、どのような若芽が出てくるのか全く分からなかったが、
日ごとに芽が大きくなり、若葉へと変化し始め、花まで咲き出した。
さてこの小枝、なんという種類の木だろうか?

Photo_3

   小鉢類


仙台・藤崎個展の作品も順調に焼きあがり、
次は普段使いして頂くための器の焼成準備に取り掛かった。
何点かは毎回同じ作品を出品しているが、これ等はとても便利な器、
ぜひお使い頂ければと窯焚きの準備を始めた。

Photo_4

   工房前のトラ


この時季、良い天気に恵まれ、
工房で作業を進めている私の気配を感じて、
トラちゃんが工房入り口で日向ぼっこ。

Photo_5

   草を食べるトラ


晩秋から脂肪を蓄えてきたトラちゃん、
この頃は食欲も細くなり、すこしほっそりとしてきた。
加えてお腹の調子を整えているのか、草を食べ始めた。

他の家では雑草が生えないよう除草剤を撒いているが、
我が家では除草剤は一切使わない。
万一トラが食べたら大変な事に。

トラも安心して草を食べている。

Photo_6

   荒木田橋


作業の合間、荒木田橋を通る産業道路の下をくぐって歩きの運動で堤防へ。
そのまま西の方角、下流に向かって30分歩き、
折り返し地点の佐々木橋で引き返し上流へ。

荒木田橋まで来れば、我が家までは1キロくらいか。
八重桜が満開となっていて美しい。

この橋を左方面、北へ向かえば金沢へ。
私が金沢に行くときは、いつもこの橋を渡っている。
加賀産業道路が出来てから何年、何十年になるだろうか。
朝夕の時間帯を通らなければ、金沢の中心まで40分ほどで行く事が出来る。

Photo_7

   八重桜


八重桜の近くへ行き、カメラを橋の右の方角、南に向けてみた。
加賀産業道路は南に向かって伸び、西軽海町の小高い丘へと続いている。
田んぼには水が張られ田植えの準備も進み、連休には田植えが始まるだろう。

さあ、時間の許す限り作品の準備をしなくては。
皆様に喜んでいただけるような作品を焼き上げよう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九谷と花、そして復活祭

2014年04月20日 | 日記

Photo

   サイエンスヒルズこまつ


16日、「 九谷と花、選抜出合い展 」が始まった。

Photo_2

   場内案内


Photo_3

   テープカット


午前9時半から開会式があり、
来賓の挨拶の後、恒例のテープカット。
多くの出品者と共に私も開会式に出席した。

Photo_4

   龍生派


私の作品、青磁壷には龍生派の本田祥雲さんがお花を生けてくださった。

3月20日、近隣町内にお住まいの本田祥雲さんから丁寧なお便りを頂いた。
私の作品にお花を生けてくださると書かれてあった。

そして作品との出合い。
お花の流派の事は全くの無知で、どのような姿になっているかと作品を拝見した。
第一印象、「 前進 」、そして「 羽ばたき 」を感じた。
青磁壷が芯のようにも感じた。

どの方が本田さんかと探したが、余りにも多くの来場者で見つけられず。
ご挨拶をと思ったが、開会式ではお目にかかれなかった。

Photo_5

   出品者氏名


同日午後6時からオープニングパーティーが行われ、会場にて本田さんにお目にかかった。
本田祥雲さん、そして師匠の生駒紅雲先生も居られ、ご挨拶させていただいた。

この作品の意図をお聞きしたら、「 包み込みたくなるように感じました。」とのこと。
「 宝物・玉(ぎょく)を抱きしめ前進、飛躍 」、なるほど、青磁はヒスイにも近い趣。
心に感じたまま生け花に表現していただき、とても嬉しく思った。

個展などでお客様にも申し上げている事だが、
青磁だから、白磁だからと決め付けないで、お好きな様にとお話しさせて頂いている。
事実、我が家で何かを生けるとき、その時々の気持ちのまま自由に生けている。

生駒紅雲先生、本田祥雲さんのお話しが心の中にスッと入ってきて、
とても楽しく有意義な時間を過ごさせていただいた。これからも宜しくと申し上げた。
そして来月、仙台・藤崎デパートで個展を開催する事もお話しした。
仙台の、多くの方々にも作品をご覧いただければ幸せに思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Photo_6

  カトリック金沢教会


     聖堂内


今日、4月20日、
金沢市の中心、広阪にあるカトリック金沢教会で復活祭が執り行われた。
あさ早く出かけたが、すでに駐車場は満車状態、
しばらく待って、空いたスペースに車を止めた。

Photo_7

   パイプオルガン


10時半から執り行われる復活祭、1時間以上も時間があったが、
思ったより早く時間が過ぎ、10時半、Cantate Domino からミサが始まった。
ミサ曲の練習を欠かさず出席させて頂いたお陰で、何とか努めることが出来た。

Photo_8

   チプリアノ神父


若いときから今日まで、
ずいぶんと長きに渡って復活祭のお手伝いをさせていただいており、
今日のチプリアノ神父の説教も心に響くものであった。

Photo_9

   タマゴ


特に今年は悲しい別れが続いた。
早く気持ちを入れ替えねば、と思いつつも、
どうしてもその場面が浮かんできて、やりきれなくなってしまっていた。

でも今日のチプリアノ神父のお話しの中で、
先に旅立った方々を偲びつつ、また我々もいつの日にか会いに行く、
そしてそこで永遠の暮らしが出来る、その言葉が心に深く入ってきた。

いま生きている我々も、いつかは必ず旅立っていく。
その時まで悔いの無い豊かな心で生活したい、しなくてはと思った。
素晴らしい青空の下、厳粛な復活祭に参列できた事、
心より幸せに思った。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

窯変鉄耀(天目)作品

2014年04月15日 | 日記

4月11日、窯変鉄耀(天目)作品の窯焚きを行った。
前回の窯変紅彩(辰砂)作品が成功したように、
祈り、願いを込め窯焚きを行った。

Photo

   窯変鉄耀(天目)


そして昨日、窯の温度が下がった昼下がり、
今回もまたハラハラドキドキして窯開きを行った。

この窯変鉄耀(天目)作品、極々わずかの温度差で失敗する作品である。
11日窯焚きを行い、慎重に温度や窯の中の雰囲気を確かめていたが、
わずか5分あまりの時間差で、火をとめる瞬間を超過してしまった。

もしかしたら釉薬がチョコレートのように、ドロっと流れてしまったかも。
昨日あさ、温度が150度くらいあったが、少しずつ扉を開き、
昼前には100度以下になったので、失敗覚悟で全開した。

何と、失敗作品は抹茶盌ひとつだけ。
結晶も綺麗に発色し、重厚な焼き上がりになった。
先日の辰砂同様、長年難しい焼き物に挑戦してきて、
こんなにも良い成績で作品が焼き上がったのは初めてのこと。

今回もS氏が見守ってくれた、心からありがたく感じた。

Photo_8

   玄関の桜


窯変鉄耀(天目)作品を焼成したのは11日深夜から。
翌日12日は、我が町内の春祭り。

Photo_3

   獅子舞


あさ9時過ぎに子供獅子がやってきた。
カメラの準備をしていたが、余りにも舞う時間が短くて、
良い写真を撮ることが出来なかった。
お礼に金一封を包んで渡した。

Photo_4

   鎮守の杜


次は我が家の玄関先にある、白山神社へ。
天気もよく、旗が春風になびいていた。

Photo_5

   白山神社


いつも神社に来ると思う事、
この小高い盛り土、きっと古墳か何かの遺跡ではないのか。
近くの山から直線で2キロ余りも離れているのに、ここだけが小高くなっている。
どう考えても不自然としか思えない。

昔、はるか昔には人々が暮らしていたのだろう。
神社から100メートル北西の田んぼを掘ったら、
いくつかの調度品などが出てきた。井戸囲いも。
ここは当時の、この辺りを治めていた人の墳墓かも。

Photo_6

   桜


子供の頃から遊び場だった荒木田町の神社。
木登りしたり、枝に縄を下げてブランコにしたりして遊んだ。
山椿が植わっていて、やわらかい実が付く頃に実を採り、
中のやわらかいゼリー状の実を食べた事もあった。

私の子供の頃にはおやつなど無く、
自分達で食べられる物を見つけては食べていた。
椿の花の蜜を吸い、そのやわらかい実、桑の実、懐かしい思い出である。

Photo_7

   石階段


健康でいられることに感謝し、
奉納金とお米代を納めて石階段を下りてきた。
桜も散り始め、時代を重ねた石階段が一服の画のよう。

そして土曜夜は金沢広阪カトリック教会へ。
20日に行われる復活祭の、最後のミサ曲の練習へ。
いつもはピアノ伴奏で練習していたが、本番と同じくパイプオルガンでの練習。

練習時間が十分でなかったが、何とか無事に練習も終えることが出来、
20日の復活祭にはきっと上手く歌える、そう願った。

様々な宗教があるが、どの宗教も人々の平和、幸せを願うものと信じ、
朝は日本古来の町内の神社におまいりし、夜はカトリック教会でお手伝いを。

争いの無い平和な日々が続くように、
たった一つの地球にいる全ての生き物、人々の幸せを願い、
心からミサ曲の練習をさせて頂いた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

窯変紅彩(辰砂)作品

2014年04月10日 | 日記

Photo_7

   工房前


情熱の赤、心の思いがほとばしる様な赤、辰砂作品焼成の準備を行った。
天気が良かった先日、工房の前、そして車のトランクの上が乾燥場になった。

辰砂には様々な色合いがあり、私が求める色は複雑に絡み合った赤。
現在の私の心境、熱い心の思いが表現できればと準備を行った。
慎重に、更に丁寧に素焼き作品に釉薬を掛けた。

乾燥が速く進むようにと、釉薬を掛け終えた作品を工房前へ。
愛車の黒い車体も熱を持ち、乾燥が順調に進んだ。
そして6日、日曜日、早朝から窯焚きを行った。

Photo_8

   ミカン樹と富有柿


長時間に渡る窯焚きを終え、後は温度が下がるのを待つだけ。

次の作品焼成の準備をしながら、天候と風の向きを確かめた。
畑のミカン樹、殆どと言っていいほど消毒をしないので、スス病が発生した。
晩秋の収穫時期近くになると、ミカンの表皮が黒くなってきた。

表皮はススがかかったように黒くなってしまうが、中身は普通の甘いミカン。
けれど触ると手が黒くなる。 母が寒風の中一つ一つ洗っていた。
「 頼むから消毒して、」と言われるが、無農薬を押し通している私、
タワシでゴシゴシと冷たい水で洗っている母、その姿に負けてしまった。

Photo_14

   消毒


消毒を撒くには条件があり、
天気の良い日が3~4日続くこと。
そして風が殆ど無い日を選ぶ事。

運よく、朝から良い天気で無風状態が続いた先日、
野菜等に消毒薬が掛からないようにと、ビニールシートを準備し畑へ。

風が無く、のんびりとした春の風情。
近所の畑の人たちも畑仕事にいそしんでいた。

Photo_10

   ブロッコリー


風は無いけど万一を考えて、ミカン樹近くの野菜にシートを被せた。
そして消毒開始。 ミカン樹は全部で4本。全て終わるまで2時間半要した。
消毒は今回で3回目。 あと1回必要な感じもする。
とりあえず様子を見る事にした。

Photo_11

   辰砂作品


さあ、いよいよ辰砂作品の窯出し。
試験発表を見るがごとく、ハラハラドキドキしてしまう。
この辰砂(窯変紅彩と名づけている)、失敗か成功か?

中間の色合いは私が求める作品ではない。
私独自の赤の発色が出ていれば窯焚きは成功。
6日から3日も経過しているのに、まだ200度も温度がある。

どうしても気になるので、ほんの少しの隙間から覗いてみた。
あっ、赤い色が見えた、それも窯変している。 もしかしたら上手くいったか?
すぐ扉を閉め、完全に温度が下がるまで待つ事にした。

Photo_16

   窯変紅彩壷(辰砂)


そして今日午後、窯開きを行った。
なんと、奇跡が起こった。それぞれ趣のある赤い発色の作品が焼きあがった。
同じように釉薬を掛けたが、一つ一つが異なった赤い発色をしていた。

S氏の介護中、何とかして辰砂作品を焼いて欲しいと頼まれた。
ためらったが、S氏の希望を叶えられるようにと願い、心して窯焚きを行った。
この辰砂壷(窯変紅彩壷)初めての趣、そして風情のある焼き上がりになった。
S氏が望んでいた辰砂、早速S氏に見てもらった。

情熱いっぱいの辰砂作品、来月の仙台・藤崎個展に出品する。
思い、願い、生きる、祈り、芽生え、全部が表れた作品、
どなたかの心に響いてくれれば幸せこの上ない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする