創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

雨の日曜

2007年09月30日 | 日記

秋の日暮れはつるべ落としのごとく。

つい先日までの落日は午後6時半過ぎだったのに、
この頃は6時位で暗くなってしまう。
仕事が一段落し日課の歩きに出てしばらくすると、もうあたりはドップリと暗くなっている。

    ♪  あの町 この町 日が暮れる 日が暮れる
           いまきたこの道 かえりゃんせ かえりゃんせ  ♪

すっかりと夕日も沈んだ西の空を眺めながら、懐かしい歌詞とメロディーが浮かんできた。

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    白花の芙蓉

数日前、創作の合間に家の周りを眺めていたら、芙蓉が大きい花びらを広げていた。
この芙蓉は夏に咲くものと思っていたが、時季はずれの先日にも蕾も付けてまだ咲いていた。
真っ白で大きく広がったやわらかい花びらは、清楚でうつくしい。

そして今朝、しとしとと冷たい秋雨が降っていた。
これまではTシャツで一枚で過ごせたが、今朝はやけに寒く感じた。 
長袖シャツを着た途端、あの暑すぎた夏が一瞬に思い出と変わってしまった。

この冷たい雨にあの芙蓉はどうなったかと、傘をさして家の周りを見てみた。
やはり急激な気温の変化に耐えられなくて、花も蕾も姿を消していた。
来年、きっと再び真っ白な花を見せてくれることだろう。

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    八重の芙蓉

その白芙蓉の傍らに、八重の芙蓉の木が植わっている。
これは今を盛りにと、たくさんの花を咲かせている。
雨の中、懸命に咲いている姿にいとおしさを覚えた。

個展準備に明け暮れている昨今、今日は知り合いが通っているシャンソン教室の発表会があった。
気分転換にと、お誘いを受けて午後から出かけた。
総勢25人の方々がピアノの調べにのせて、日頃の成果を聴かせてくださった。
先日の白芙蓉、今朝の雨の中の八重芙蓉のごとく、それぞれの心の歌がしみてきた。

あわただしい日々に、そっと頂いた心のうた、明日から又作品の準備をと日記をしたためております。

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ホームページを立ち上げてから。

2007年09月25日 | 日記

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   一年間働いてくれたパソコン

ホームページを立ち上げて早一年。
この間、駆け足をしていた、そんな感じがしています。

平成18年6月より、友人の息子さんに手伝っていただいて出来上がったホームページ、
9月にネットに載せていただいてから一年、ホームページを訪れてくださった方々は
すでに一万人を超えています。

わずかの間にこんなにも大勢の方々にご覧頂けるとは夢にも思っていませんでした。
とても幸せに思っております。 ご訪問頂きまして誠にありがとうございました。

創作日記も、その日その時に閃き思ったことを書いていますが、
お読みいただいてどのように思われましたでしょうか。
日記にはコメントを書いていただけるようには設定しておりませんが、
togei@kind.ocn.ne.jp をクリックしていただきますと私のところにメールが届きます。

作品についてお聞きになりたい、こんなことを知りたい、こんなことも書いて欲しい、等々ありましたら
ぜひご意見をお寄せください。
出来る範囲で極力お答えさせていただきたく思います。

又、作品のページですが、焼物には商標登録制度が守られておりませんので、
残念ながらすべての作品の写真掲載は控えさせて頂いております。
どうぞご理解頂きますよう、宜しくお願い申し上げます。
そのようなときには togei@kind.ocn.ne.jp からメールを頂ければ写真なども送ることができます。

今後、このホームページはどのように変わっていくか分かりませんが、
見やすく読みやすいホームページにしたいと思っております。

創作日記、今はこのように名付けていますが、もっと個性的な名前に変更するかも知れません。
先にも書きましたように、私の日々の生活の事を書いております。
どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます。


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彼岸によせて

2007年09月20日 | 日記

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   朝日を受ける 「彼岸花」

ふっと頭に浮かんできた言葉、 「うだるような暑さ」。
彼岸も近いというのに、この異常な暑さはどうしたのでしょうか?
昼間の気温はまだ30度を超えているありさま。
地球温暖化対策は誰かの利益だけ、という問題だけではなくなってきていると痛切に感じます。

そうすると今私が窯を焚いている、その燃料のガスもまた温暖化に拍車をかけているのかと不安。
私が窯を焚くのは一年間で5~6回くらいだろうか。
1回だろうが何万回だろうがガスを燃やすことには変わりはない、こういうのを 「50歩100歩」。

本当にいいものを厳選して焼きたい、いつもそう願いつつ創作にあたっております。
先に書いたように、こうも暑くては何処かの国では砂漠化の問題も深刻になってきていると思います。
隣国の中国の内陸部は更に深刻な問題となってきていると報道されております。

いま私は生涯の仕事として青磁を焼いています。
その青磁の最高級品が生まれたのは宋時代の中国。
内陸であり、その時代の中国もきっと水が乏しかったことと考えます。

人々はきっと水を求めたに違いない、時の権力者は水の統治を徹底したに違いない、
窯から焼きあがってくる青磁を見ながらいつも水を連想し、そのことを考えてしまいます。
知り合いの中国の方にお聞きしてもヒスイは宝物、とおっしゃいます。 それも無垢のヒスイ。

私が青磁を始めたのも、やはり何処までも青く、魂までもが浄化されるような無垢の自然の青に
惹かれたからです。  青磁には余計な色は必要ない、そのものの青の色が品良くかつ格調たかく
美しければそれで良い、そう思いつつ、今日まで美しい青を求めて試験を繰り返して参りました。

いま、来月に金沢で行います個展に向けて窯焚きの準備を行っています。  そのような日々の中、
いつもの日課で堤防へ歩きに出かけましたら 「彼岸花」 があちらこちらに花芽を伸ばしていました。
あつい、暑い!と言ってはいても季節は巡ってきています。

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   夕日に染まった、昇り龍のような雲

この彼岸花のあでやかな赤のいろ、そして空の青のいろ、夕暮れ染まる西の空、
それ等のすべてが私にヒントを与えてくれます。
10月の金澤画廊の個展に、その自然から学んだものの一つでもいいから出品できればしあわせ、
そう願いつつ、仕事に打ち込んでおります。

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秋祭り

2007年09月15日 | 日記

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白山神社
  我が家の前、約100メートル先

きのうと打って変わって空は青く、はるか上空にに白い雲がポッカリと浮かんでいる。
稲刈りもほぼ終わって、今日は秋祭り。
我が家の前、100メートル先には鎮守の杜がある。

午前9時、おはらいを受けた子供獅子が廻ってきた。
9月15日秋祭りとはいえ、今日の日差しは真夏並の強さである。
神社から近い家を順々に廻っていく子供獅子、我が家は二軒目であるが、もう皆汗ビッショリ。
子供達が奏でる太鼓のリズムと横笛の音に合わせて一生懸命に舞ってくれた。

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  子供獅子

秋祭りといえば何といっても 「柿の葉ずし」。
家の周りに植えてある柿の葉を摘んでキレイに洗い、酢、塩でしめた数種類の魚をその上に置き、
ほどよい味加減にした寿司飯をその又上におき、昆布と干したサクラエビを彩りよく散らし、
それらを寿司おけに順々に詰め、最後に重石をのせて完成。 
すべての材料は下ごしらえがしてあり、味が馴染むまではものの数時間、爽やかな柿の葉の香りと、
具と寿司飯の程よい加減が最高のごちそう。

その 「柿の葉ずし」、おととしまで母が作ってくれていたが、そろそろ大儀になってきたのだろうか、
今年も作ろうと言わない。
加えてアメリカシロヒトリの大発生で、大きく成長した柿の葉が全部食べられてしまった。
しかし 「柿の葉ずし」 は母の味である。 できることならばもう一度食べてみたい。

近くの山には大きな熊笹もある。 こんど母を連れ出して笹でも摘んでこようと思う。
「柿の葉ずし」 は無理としても 「笹ずし」 は作れるだろう。
自分で作ろうと思えばいとも簡単に出来るが、出来るならばぜひとも母に作ってもらいたい。

歳を重ね老いてはいても、まだしっかりとすべての事をこなす母、数年前に大腿骨骨折をしたが、
100坪あまりの畑を埋め尽くすように、さまざまな季節の野菜を植え育てている。
昨日も白菜苗が足らないからと電話がかかり、買いに行ってきた。

帰りぎわ、「何か欲しいものは?」 と聞くと、同居している兄夫婦の食事の足しになるものをと、
あれやこれやと材料を買っていた。
せっかくだから何でも欲しいものを買ったらいいのに、と言うと、「私はいいんや」、と。
9/17は敬老の日。 母の日、父の日、その日だけではなく、毎日がその日であるようにと願う。

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マツムシソウ

2007年09月10日 | 日記

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  マツムシソウの群生
ここしばらく高原に出かけていない。
これまでは初夏、真夏、初秋と、岐阜や長野の高原を訪れていた。
特に長野、松本市から少し上ったところに別天地がある。
私にとってそこは懐かしい、そんな感じのする高原でもある。 長野、美ヶ原高原。

九谷焼き制度の理不尽さに納得いかず、友人のイタリア人、ベネディクトの紹介でイギリスへ渡ったのが
今から34年前のこと。 帰国後、山歩きや高原など、時間があれば出かけていた。

そして訪れたのが 「美ヶ原高原」。
そこは私が住んでいた、イギリス南部イーストボーンにどこか似ている、のどかで空気のきれいな高原。
山また山の地形のところに突然現れた別天地、まさか長野にこのような素晴らしい高原が広がって
いたとは夢にも思わなかった。
石川では白山に登らなくては見られない高山植物が、美ヶ原高原にも咲いていた。
自然の中にいると英知や勇気を分けていただける、そう思って時間があれば山へ出かけていた。

私の創作の課題は 「自己と壮大なる自然との調和」。
自然が創作のヒントを私に教えてくれる。 小さな花でさえしっかりと自分を主張している。
その自然が織り成す造形美、その一つ一つが私にささやきかけてくる。
「私をあなたの作品に表わして」と。

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  マツムシソウと蝶
もう高原は初秋の風が渡っている頃だろう。
ワレモコウ、リンドウ、マツムシソウ、・・・。 
残念ながら今年も出かけられなかったなあ、とアルバムを開いていたら好きなマツムシソウが出てきた。

いまはバイオの技術で平野でも 「マツムシソウ」 を育てられるが、あの頃は高原でしか見られなかった。
高原へ行かなくなったのは、店頭で売られている 「マツムシソウ」 を見てからかも知れない。

数年前、スイスの山巡りをしたときに 「マツムシソウ」 を見て感激したことがあった。
スイスでは山の管理がしっかりとされていて、高山植物を採取しただけで罰せられる。
自然を守る、とはそのようなことだと思った。


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