創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

時季(とき)の流れに、

2007年04月30日 | 日記

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日に日に木々の小枝から新芽が溢れ出し,
山々はうす茶から淡い緑色へと変化し始めている。

4月11日、たまたまカメラを持って出かけていった近くの山、小さな水溜りに花開いたばかりの
「ミズバショウ」 が咲いていた。 今年は雪が少なかったから早くに咲いたのかなあ、そんな思いが
よぎったが、清流の中で真っ白い花を咲かせている姿は、清楚で気品高く、和服を召された方を
連想してしまう。 「お茶でもいかが」 そんな声が聞こえてきそうな気もする。

レースのように、絹の肌合いのように柔らかいその花、白いそれは花かそれとも葉っぱか?
いずれにしても自然がはぐくんだ芸術に変わりはない。
やさしく滑らかな曲線はまるで音楽を奏でるようにも思える。
それぞれがいろいろな表情をして、まるで歌っているようにも感じる。

♪ 夏が来れば思い出す、はるかな尾瀬、遠い空 ♪
ミズバショウであふれる尾瀬、いつかは訪れてみたいと思い続けて、もう幾年経ったろうか。
いまだにそれは実現していない。

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そして今日、あまりにも素晴らしい天気にさそわれ、再びそこへ出かけてみた。
あの可憐な姿は、もう何処にもなかった。 成長しきった青葉がこれでもかと群生していた。
たった二十日あまりなのに、自然は確実に、何事もなかったように時を重ねている。

しかし私の目の中には、あの楚々とした咲き始めたころの姿が焼きついている。
この立派な青葉も力強くていいが、白く、ふれると壊れてしまいそうに感じる花、あのやわらかい線、
その自然の美を作品に取り込めないかと、目の前の青葉へと変化したミズバショウを見ながら
一つのアイデアが浮かんできた。

しばしの間、そこに佇んで構想を練っていた。
風もなく、木々のこすれ合う音もしない静かな里山の水辺。
ふっと目の中に、浅い水面に波紋の広がりが入ってきた。 オタマジャクシが泳いでいる。
彼等も恵まれたこの環境の中で育っているのだ。
この小さな自然、これからも変わらずにと願いつつ、帰路についた。

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タイツリ草

2007年04月24日 | 日記
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我が家の場所は小松の山手、そして加賀平野の米どころでもあります。
家の周りは田園。 この時季になりますと早朝からトラクターが田の中を忙しく動き回っている
音が聞こえて参ります。
と同時にカエルたちも冬眠から起きだし、一斉に合唱しはじめております。

先日刈り取った前庭の畑、石灰はまいたけれど耕すのはちょっと面倒だなあ、と思っておりました。
そういえば確か町内には互助システムがあって、農機具を借りられるのだと気づき、早速係りの人に
お願いして、小さな耕運機を借りました。

扱い方を教えてもらい、早速畑の耕しを行いました。
小気味良いエンジン音で、畑は見事に耕されました。 こんなに楽に出来ることを私は今までせっせと
くわで掘り起こしていたのです。

健康の事を考えるなら、ひと振りふた振りして畑を耕すほうがいいに決まっています。

でも何となく時間もないし心の余裕もないし。 ならばと思ってこの互助システムを利用したのです。
耕運機を操りながらあることを思っていました。
TVの宣伝で、ご婦人が小型の耕運機を、「こんなに簡単」 と、すっと背筋を伸ばして操っている場面。
いま自分がそれをやっていますが、そんな簡単にはいくものではない。 ただひたすらまっすぐに行くなら
それも可能でしょう。 しかし方向転換は必要だしハンドルをしっかり持っていないと危険だし・・・。

狭い畑ですが結構力も使い、疲れもしました。 でもこれで安心。 本当に見事に耕されました。
あとは目的の夏野菜苗を購入して植えつけるだけです。

そんな畑作業をしていて庭を見ましたら、すっかり忘れていた 「タイツリ草」 が庭石のそばで
咲いていたのです。 「チコリア」 と同じく、昨秋何の手入れも出来なかった我が家の庭と畑。
春の芽吹きと共に、このような可愛い花を咲かせてくれました。
そのあまりにも可愛い姿、美しい色、ご覧頂きたくて思わず写真に撮りました。

自然っていいですね、心が和みます。 そのときその時季によってさまざまな姿を見せてくれます。
沢山の種類の花は無い我が家ですが、それでもこうして気持ちを安らげてくれる花々はありがたく、
また幸せにもなります。
もしかしたら、まだ忘れている花がその内に咲き出すかも知れません。

野菜の成長を楽しみながら、また別の花も植えてみたいと思っています。

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グリークサラダ風に

2007年04月20日 | 日記
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千葉三越個展におこし下さった方々へのお礼状も、ようやく書き終えられそうなところまできました。
そのような毎日を送っていますと、お客様からもお便りを頂いたり。
おこし頂いた上にお便りもいただけるのは、本当に嬉しく幸せなことと思っています。
そのお便りにもありましたが、「関東はとても寒く、二月位の気温です」と書いて下さった方もいました。

北陸も同じく、ここしばらくは良い天候が続いてはいますが、やはり気温が低い。
我が家の前の鎮守の杜、その周りをぐるっと囲むように桜が植わっているのですが、
なぜか今年は満開とはならずに、このまま次の季節へと移ろうとしています。
いつもの年は、鎮守の杜が桃色に染まるくらいの桜に覆われるのに、今年は異常気象でしょうか。

それでも今日はせっかくの良い天気、この日を逃すと又雨になるかもしれない。
そう思って、先日の 「忘れな草」 をそっと鉢へと移し変えた。
雑草に繁茂された前庭の畑、良く見たら、あちらこちらに小さい株の 「忘れな草」。
かなりの株が雑草の中で可憐な花をつけていた。

「忘れな草」 と同時に、イタリアのサラダ菜 「チコリア」 も数株見つかった。
これも大事に採取。 そしてエンジンつきの草刈機でキレイサッパリと草を刈り取った。
後は石灰をまいて、しばらくしたら畑を耕す。 その後夏野菜の植え付け。

たまたま昨晩は招待されてパーティーに出かけ、イタリア料理を堪能いたしました。
そこでもサラダが数種作られてあり、「チコリア」 を使ったサラダも出ていた。
今日前庭で採取したものと同じ 「チコリア」。 なぜなら友人のイタリア人がイタリアから持ってきた
同じ種を分けてもらっていたのです。 

本来なら昨秋に種まきをするべきだったのですが個展を控え、とてもそれどころではなかったのです。
まさか 「チコリア」 までもが雑草の中で育っているとは思いもしませんでした。

昨晩のパーティーでイタリア風サラダを頂いたし、同じものを作って食べるのは芸がないし。
それならばと、グリークサラダを作ってみました。
ギリシアで食べたサラダは、もううんざりと言うほどオリーブオイルを使ってありましたので、
今回は健康志向で、ほんの少しのバージンオイル、塩、黒コショウでサッパリと味付け。
もちろんチーズは欠かせません。 ゴーダー と モッツァレラチーズ。

飲み物は? ワインもいいが、今回は黒糖焼酎で頂くことにしました。
ではバックグラウンドミュ-ジックは? せっかくだから地中海のDVDでも見ながらギリシア取材の
ことを思い出しつつ夕食を頂くことに致しました。

心地良い潮風に身を任せ、時間の感覚さえも失いそうになった、ギリシアの島々。
しばしの間、地中海の青い海でも眺めていましょう。 

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忘れな草

2007年04月16日 | 日記
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こまごまとした雑用に追われ、前庭の片隅まで目が行き届かなくなってしまっている毎日、
狭い畑を見やれば草ぼうぼう。 桜開花と同時にすべての植物も成長し始めております。

早く草刈をして、トマト、ゴウヤなどの夏野菜の植え付けの準備もしなければと、その荒れた畑を
見ていましたら、小さな紫の花が。
「忘れな草」 が畑の中に咲いているのです。 いつも植木鉢に植えていましたが、風に乗って種が
畑の方まで飛んできたのでしょう。 草いっぱいの、その中の土が顔を見せている所にほんのひと塊の
「忘れな草」

青春の頃よく聴いた 「忘れな草をあなたに」 のメロディーがふわーっと頭の中いっぱいに広がって
何となく切ない気持ちがわいてきました。
こんなにも小さい花なのに、それから沸き起こるさまざまな胸の、そして心の想い。

春は出会いと別れの季節。 そのような中からこのように小さい花にも心寄せるのでしょうか。
小さいけれどいくつもの小花がかたまって、「私はここに」 と主張しているようにも感じます。
何気なく見過ごしてしまいそうになる花ですが、一つ一つの花の形は誠に美しい。

それに春に咲く野の花は、何故か小さく、紫色が多いように感じられます。
今朝何気なく見つけた 「忘れな草」、2/18の日記、「雨上がりの午後」 のオオイヌノフグリもそう。
これから暖かくなるのにどうして紫色なんでしょうか。

忙しい日々の中、「私はここに」 と教えてくれた 「忘れな草」
畑の手入れの前にそっと植え替えてあげるから、もうしばらくそこで咲いていておくれ。

今年も忘れずに咲いてくれてありがとう。

● 字の薄くなったところにカーソルを合わせてクリックしますと、関連記事をご覧いただけます。
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春爛漫

2007年04月10日 | 日記

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三越千葉店の個展も無事締めさせていただくことができ、
その後、都内で三、四、五日と過ごしてまいりました。

個展期間中、お客様からは桜が満開とお話し頂き、運がよければ東京で花見など、と
期待していましたが、個展終了と同時に真冬並みの寒さと強い雨。 
上野あたりに行きましたが、寒くてどうすることもままならず。 満開だった桜もすでに散り始め、
遊歩上には濡れそぼった花びらが、冷たい春雨に打たれ震えているようにも思えました。

何故かここ数年、桜を見る機会に恵まれていないのです。
予報では今年は早く咲き出すと言っていましたが、上京した三月二十六日にはまだ蕾も固く。
そして個展期間中、一気に気温も上昇し満開となってしまっていたのでした。

東京では桜を見れませんでしたが、四月五日最終便で小松に帰り、タクシードライバーとの会話で、
小松はようやく三分咲きとのこと。 天気も次第に良くなるとの事で嬉しくなりました。

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何年かぶりの桜見、運動不足で3キロも増えた体重も落とさなくてはと近くを歩き回りました。
数日の暖かさも手伝ってか、桜も調度よい見ごろに。

四月に生まれた私、実は桜には格別の思いを持っているのです。
小学校入学式の記念写真には母が写っていないのです。 その当時母は入院中。
真新しい学生服を着た生徒達の後ろには満開の桜。 晴れやかなはずなのに何故か寂しい、
そんな入学式でした。

こんなにも見事に美しく、そして心弾ませてくれるはずの桜が私にとっては少しさみしい花として
記憶されてしまっているのです。 寂しいからこそ、その桜が見たい、とても複雑な感情なのです。

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桜を見ながら歩いていましたら、石積みの間から可愛いすみれ。
ほとんど土も無いところにしっかりと根を張り、可憐な花を咲かせています。 
思わず 「えらいねぇ」  
私もしっかりと地について創作に励まねば、そう思いました。

昨日は三越へ桐箱などを発送したし、後は作品の整理を早く済ませ、お越しくださった方々への
お礼のご挨拶をと思っております。
とても心配した個展でしたが、幸せな結果を頂戴させていただき、心よりありがたく思っております。

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