創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

桜の代わりに

2014年02月25日 | 日記

16日あさ、Sさんが遠くに旅立ってから早や十日になる。
最期を看取ったのがつい昨日のように思われる。

医療センターの主治医、緩和センターの医師、そして病棟の看護師さん達、
感心するほどに連携し、Sさんの病状に合わせて対処してくださった。
看護師長さんも忙しい中、私と話する時間を作ってくださったり。
皆さんの病者に対する姿勢には心から頭が下がった。

若く優秀な主治医、治療について何かと相談をしてくれ、
Sさんから治療方針を一任されている私が主治医と話し合い、
少しでも痛みが少なくなるよう、穏やかに過ごせるようにと治療方針を決めていた。
緩和センターの医師も加わって、3人で話し合ったこともあった。

膵臓がん、ステージ4bは本人も知っていて、治療に専念してくれた。
医療センターチームワークの懸命な治療、私の切なる介護が続いた。

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   青磁花入れと紅梅


治療も何もしなければ二ヶ月、抗がん剤を使っての治療を行えば命は伸びる。
主治医は何通りかの治療方針を考えてくれ、私に相談してくれた。
Sさんも、ここまで来た以上は頑張ると言ってくれた。
そして抗がん剤による治療が始まった。

桜の花が見える頃までは何とか持ちこたえるよう、苦しまないようにと、
皆さんが一丸となって懸命な治療をしてくださった。

若い主治医と話す機会も多々あり、看護師さん達ともよく話した。
あなた方はあくまでも病者の治療に専念することが第一に大切なこと。
けれど病者が抱えている背景もある程度把握しないと病者は立ち直れない。
そのことを知った上での治療なら完璧、といつも話した。

主治医から、堂前さんから色々教えていただき感謝しています。
改めて、末期がんの終末医療を考えさせていただきます、と言っていただけた。

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   八重紅梅


順調に治療が行われていて、体調的にはそれ程苦しむことは無かった。

主治医が懸命に治療方法を考えてくれ、私にこれはどうかと聞いてくれた。
うまくいくかも知れないので、それで頼むとお願いした。事実体調も上向いてきていた。
4月5月までも順調かもと主治医、けれど早すぎた。

桜も見なくちゃ、仙台の個展にも行かなくちゃ、そのためには元気にならなくては。
毎日毎日励まし続けた。緩和センターの医師もその都度病室に来てくださり、
今の気持ち、何をなさりたいとか等々、優しい口調で聞いて下さった。

桜は見ることが出来なかったが、せめて八重紅梅でもと弔いに活けてみた。
互いの健康のため、時々憩いの森を一緒に散歩もした。
植わっている紅梅に美しいなあ、と感嘆の声を上げていた。

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   25日の夕日


Sさんが旅立ってから、今度は私が体調を崩してしまった。
回復見込みの介護ならば、それ程気を遣わなくてもいいが、
死を宣告された介護はとても気を遣う。

私の主治医から、絶対安静を宣告されてしまった。
けれど遅れた仕事をしなくてはならない現実。

昨日から動き始めたが、やはりいつもの私の体調と違う。体重も4キロ落ちた。
とにかく一気に税金申告の計算を済ませ、税務署に申告完了。
だが疲れが取れないでいる。

個展の準備や打ち合わせなど、順々に進めなくては。
いつも手伝ってくれたSさんはもういない。
彼のありがたさが、心に、身にしみる。


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ワシのこと、覚えているかな?

2014年02月20日 | 日記

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   金沢医療センター



毎日朝から夕方まで通った金沢医療センター。
以前の名称は国立病院と呼んでいたが、いつ頃から名称が変わったのだろうか。

今年は殆ど雪が無く、車で金沢に出かけるには楽だった。
せいぜい積もっても、15センチ位で運転に支障は出なかった。

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   医療センター理念



暮れの12月26日、いつも個展などで一緒に活動していただいた、Sさん、
体調を崩して金沢医療センターへ入院。 付き添いで医師と面談したり、
彼の心身状況を詳しくレポートにして医師に読んでいただいた。
結果、即入院。

それまでは金沢の別の総合病院で定期的に検査など受けていたが、
それとは全く異なる症状が出て、見ていても辛くなるように感じ、
思い切って主治医と面談し、私の要望の医療センターに紹介してもらった。

とりあえず医療センター入院が決まってホッとした。
2~3ヶ月の入院で元気になって退院できると思っていた。
けれど甘かった。

年明けに別の科の医師に任され、造影剤による検査が行われた。
1月8日夕方、医師から説明があるので堂前さんも一緒にと看護師長から言われ、
一緒に検査報告を聞くことになった。

嫌な予感が頭をよぎり、Sさんに 何を言われても大丈夫か?
もし聞きたくなかったら止めてもらうし、と言ったら、覚悟は出来ていると。

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   シャンソンコンサート


    高原に蝶が舞い



5月、彼が通っているシャンソン教室の発表会が獅子吼高原であった。
コンサートは一年に3、4回行われているように思う。

センスのいい洋服をいつも選んでいるSさん。
年を重ねても、常にセンスの良い洋服を選び出し、
自身の体形にぴったりと合うように作ってもらっている。

このコンサートの時は若葉が芽生える、すがすがしい時季だった。
どこで探してきたのか、生地から選び、お洒落な洋服をあつらえた。
スパンコールが嫌味なく、品良く着こなしてシャンソンを歌っていた。

一部二部と歌う曲に合わせて洋服を変えていた。
二部はパリの風情タップリの曲を歌い上げた。

もう77歳と6ヶ月、彼のお洒落には舌を巻いてしまう。
ステージごとに衣装を変えるのは大変だろうな、と思いながらも
楽しくシャンソンを歌う姿を写真に収めた。

年を重ねても常に上昇思考をもち、何にでも多感に挑戦しているSさん、
私も負けじと思うが、どういう訳かお洒落のセンスだけは付いていけない。

お洒落、着こなしのセンスは生まれ持ったものだろう。
シャンソン教室には多くのシニアの方々が通っていられ、
出来るだけ誰も歌っていない曲を探し出し、自分の持ち味を生かし歌っていた。

体形のように、太く甘い声が魅力的なSさん、
シャンソンに加えて、最近はタンゴ、ファドの曲まで歌いこなせるようになった。
シャンソン教室の先生が楽譜を起こしてくださり、我が家に来るときも楽譜持参。
練習を頼むと言われれば仕事の手を止め、私のピアノの伴奏で練習してもらった。

さすがに一度に歌えることは出来ず、何度も音程を確かめたりリズムを確認したり。
何事も同じだが基礎は大切。音程とリズムが合っていなければメロディーは成り立たず。
いつもそのことでぶつかり合った。

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   さみしげな

   トラちゃん


5月に仙台で個展がある私、一緒に手伝いをと言ってくれたSさん。
仙台には彼よりご年配の医師夫婦のお客様がいられ、奥様はシャンソンを歌われる。
毎回個展にきて頂き、そのときは奥様とSさんとで会話が弾んでいた。

私は先生と健康のこと、病者のこと、先生がご高齢にもかかわらずに、
週2回、福島県境までタクシーのお迎えで施設入居者の方々を診られている。
いつもその話しをお聞きしていた。 入居者は私より若いんですよと先生。
その横では奥様とSさんがシャンソンの曲目の話しで楽しく会話。

五月には仙台で個展があるんだから、又一緒に行くんだからと励まし続けた。
秋には鎌倉で、歌人の尾崎左永子先生と合同展をするのだから。
頑張ってと毎日励まし続けた。

15日夜帰るときには、明日コーヒーが飲みたいといっていたSさん。
16日薄めのコーヒーと湯冷ましの冷たい水を用意して医療センターに持参した。

何か様子が違う。昨晩何かあったのかと看護師に聞けば特に変わった事は無かったと。
ただ私が7時過ぎに帰った後、奥さんと娘さんが面会に来て、
先生の指示で私たち看護師も立ち会って病室に入りましたと。

声をかけ来たよと言うと、今日は晴れているかと。
とても良い天気だよと答え、何か飲む?と聞けば、後でいいと。
いつも有難う、トラちゃんはワシを覚えているかな?と聞くので、
この前録音したトラの声、聞いただろ、トラも待っているから。

それを聞いたあと急に容態が変化した。次第に意識が薄れ、呼吸回数も減ってきた。
横向きにさせ背中をたたいて、抗がん剤の副作用からの内容物を吐き出させた。
声をかけ続け、薄く開き始めたまぶたを見てみると、瞳孔が開いてきた。
すぐに看護師を呼び一緒に手当てをしたが、ものの数分で静かに息を引き取った。
末期の膵臓がん、ステージ4b。 最悪だった。 痛かったろう、苦しかったろう。
早く楽にしてあげればよかったと、自分を責めている。

せめて兼六園の桜でも見せてあげて欲しいと消化器の主治医に頼んであった。
何とか頑張って治療に専念しますと言ってくれた若い優秀な主治医。
私がSさんの死亡を確認して30分後に病院に到着。 16日は日曜日。

主治医、Sさんは堂前さんが来られるのを持っていられたんですね、と言ってくれた。
何故か急に楽しかったことばかりが走馬灯のように頭の中を回り始めた。
長い間ありがとう、本当にありがとうと、何度も何度も何度も何度も心の中で繰り返した。

ぽっかりと心の中にあいてしまった穴、まだふさぐことは到底出来ない。
トラもSさんの声が聞こえなくなってしまい、雪の無い垣根の下でぽつんと一人。


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確定申告

2014年02月15日 | 日記

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   税務署から


ずいぶん前に届いた税務署からの申告書。
早く計算を済まさなければ、と焦りつつも思うように行かなく。
病室で看病しながらと、いつも持参していくが、結局出来ないことが多い。

とはいえ、確定申告はしなくてはならず、少しずつ計算を行い、
あと数種の科目の計算だけになった。

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   パソコンで


家に帰ってからも片付けなくてはと、パソコンに記録してある費用など見つつ、
伝票と照らし合わせて計算を行っている。

このパソコン、今年4月?でマイクロソフト社からのサポートは終了と。
買ったのは2006年だから、もう8年も使っている。

こんな機械なんて、自分には必要ないものと思っていたが、
時代の流れには逆らえず、結局買う羽目に。
8年も前のパソコン、かなりの重さがあり、
個展などで持参するときは大変。

でもパソコンが無ければ仕事が片付かないことが多くなってきた。
これほど毎日パソコンを使うとは、8年前の買った時点では思いもつかなかった。
こんな物無くても何とかなると高をくくっていた私、一度使うと至極便利。

しかし、まだエクセルは使い切れない。 習う必要があるかも。
いずれにしてもサポートが打ち切られるので、今後はウィルスなどに気をつけなくては。

携帯電話にしても同じ。
殆ど家から出ることがなく、おととしまで携帯を持っていなかった。
けれど個展などで出かけると、デパートのスタッフが困ると言い、買ったしだい。

便利だけど、携帯電話に振り回されているように感じるのは何故だろう。
これも外に居るときだけ持ち出しているが、いつの間にかロクロ場にぶら下げている。
結局パソコンと同じく便利だけど、縛られている感じがする。

持っていなかったときは何も感じなかった。
時代の流れに逆らうのは難しい。

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   費用


陶芸家であり、個人事業主の私、
日本の法律にもあるように、納税の義務がある。
買い物や必要経費は必ず領収書を書いてもらい、
それぞれの項目別に保存してある。

12月31日までは税金の計算は出来ない。
元旦になって初めて昨年度分の集計が出来る。
いつも元旦から計算を始めるのだが、今年は無理。

毎日病院へ持参しているが、簡単には作業が進まない。
何とか回復して欲しいと願い、一緒になって病と闘っている。
あと少し、もう少し頑張ってと願いつつ介抱を続けている。


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おはよう!

2014年02月10日 | 日記

大寒波襲来で、全国的に荒れた週末、
関東では記録的な雪で大混乱していた。

だがしかし、その積雪量を聞いて、
ふ~ん、それくらいで何を慌ててと思う雪国の人々。
確かに雪に慣れていない地域に住まわれている人々にとって、
今回の寒波襲来と積雪には不便だったろう、と思う。

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   玄関で


毎日病院通いし、ほぼ一日を病院で過ごしている私、
疲れて眠れるかと思えば、案外そうではなく、早く寝ても早くに目覚める。

でもトラちゃんのほうが私よりはるかに先に起きていて、
私の日課となっている新聞を取り入れるのを待っていてくれている。
私が起きた気配を感じ、「 おはよう、ニャ~ン 」と呼びかけてくれる。

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   甘えるトラちゃん


玄関を開けると同時に、トラちゃんが擦り寄って甘えてくれる。
可愛い、もう20歳は越えているトラちゃんなのに、こんなにも元気。
トラちゃんの元気、Sおじちゃんにも届いて欲しいね、と体をなでると、
ゴロゴロと喉を鳴らして喜んでくれる。

いとしいトラちゃん、今日も元気を分けてくれてありがとう、
さあ、ご飯だよ、と台所に行けば、トラちゃんも勝手口に先回りし、
「 ニャ~ン、ごはんちょうだい、ニャ~ン、」と。

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   窓の外


しばしトラちゃんの朝食の様子を見、
背中をなでてやると体を伸ばして喜んでくれる。
「 何で家の中に入ってこないのかな? 家の中は暖かいよ、」と言っても
トラちゃんには通じず。

さ、今度は私の朝食の準備を。
と言っても、コーヒーを淹れ、パンを一切れとミカンがあれば一個食べるだけ。
窓の外は15センチほどの積雪。 そういえば早朝から除雪車の音がしていた。

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   向こうに加賀産業道路


15センチくらいの積雪は、我々にとっては当たり前の毎度のこと。
ただ敷地から道路に出る時に困ることが多々あり、今日はどうかな、と心配。
除雪ブルドーザーが敷地の入り口にカチカチに固まった雪の置き土産を置いていくのだ。

午前8時半、昨晩の内に準備した、病室で看病しながらできる仕事をかばんに入れ、
いよいよ車のエンジンを始動した。

道路までは真っ白で、どうなっているか分からなかったが、
除雪ブルドーザーは我が家の敷地入り口には雪の塊を置いていなかった。
車はスムーズに道路に出ることができ、加賀産業道路へと向かった。

朝方は弱い日差しがあったが、西の空は暗い雲がびっしり。
帰りもまた雪が降り積もるのかな、とにかく安全運転で金沢に向かった。

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   金沢城址


加賀産業道路、すっかり除雪も完了して運転は至極楽だった。
ただ日陰付近は凍っていて、試しにブレーキを踏んでみたが効かなかった。
やはりエンジンブレーキを使わなくては横滑りしてかなり危険と判断。

案の定、ここ数日の間に、何台もの車が道路脇に突っ込んでいたり、
中央分離帯に乗り上げていたり。 はたまた一回転している車もあったり。
何度も同じことを書いているが、足で踏み込むブレーキは絶対に禁物。
エンジンブレーキと、踏み込むブレーキを併用しなくては雪道走行は無理。

何とか無事に兼六園下交差点に到着し、
右に曲がって坂道を上りきれば病院に到着。

「 おはよう、」と肩をそっとさすり、声をかけ、
地下階から新鮮な冷たい水を運んで飲んでもらい、
今日も病院での看病の時間が始まった。


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雪のあさ

2014年02月05日 | 日記

昨晩金沢からの帰り道、ツルツルに凍った加賀産業道路、
チョッとブレーキを踏んだだけでも車が横滑りしてしまった。
ブレーキを踏んだのは、どれほどの制御力があるか確認のため。
エンジンブレーキを駆使し、時間を掛けて帰宅した。

道路脇には気温計が表示されていて、マイナス4~5度。
出来るだけ早く帰らねば、でもスピードは絶対に控えめに。
前を走る車から十分に距離をとり、無事に帰宅。
家の全ての水道栓を少しずつ開け、凍結防止した。

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   積雪15センチ


静かな朝、きっと雪が、の予想通り積雪。
積雪15センチほどなので、特に走行には支障は無いが、
凍結と雪道に慣れていない運転手も居ることだろうと、
金沢に向かう前に気を引き締め、とりあえず仕事の下準備を行った。

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   トラちゃん


昨晩よりも冷え込んだ今朝、
ご飯を食べたトラちゃんが工房まで私についてきて。
コロコロに太ったトラちゃん、足は肉球しかないのに、冷たくないのかな?

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   まん丸トラちゃん


私が外で粘土の準備をしていると、
近くに寄ってきて冷たい雪を舐めている。
「 トラちゃん、何で冷たい雪なんかなめるんだ、暖かい牛乳も飲んだら、」
と言っても、私の近くによって来ては雪を舐めている。

そうだ、トラちゃんの声を録音して病院に持っていこう。
この前買ったばかりの小さなデジタル録音機、
トラちゃんの声が入るか試してみた。
「 トラちゃん、こんにちは!」と言うと、「 ニャ~ン、ニャ~ン、」と何べんも甘え、
私の声に応えてくれた。 よし、トラちゃんの声は沢山録音できたし、
今日はトラちゃんの声を聞かせてあげよう、急いで仕事の下準備に取り掛かった。

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   粘土


先日から時間を見つけて粘土を揉もうと思っていたが、
金沢に毎日通うことになり、予定は狂ってしまった。
「 明日もくるか?」と聞けば、「 来て欲しい、」の言葉に午前中から金沢へ。

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   ポリ袋に入れて


硬くなった粘土を再生する為に細かくし、
シッカリとポリ袋に入れ、水を少し加えてやわらかくする、
そうすることで、しばらくするとなじんで揉みやすくなる。

その作業を1時間ほどで済ませた。
トラちゃんは工房の中に入ってきて、私の様子を見ていた。
さあ準備は終わったし、工房の鍵をかけるよ、と言うと、
トラちゃんも一緒に外に出てきた。

金沢に出かける準備をし、トラちゃんの声が入っている録音機も持参し、
車を勢い良く雪だまりに出して道路に出た。 

金沢までの道すがら、昨晩より冷え込みがきつかったのか、
何台もの車が事故を起こしていた。通勤に間に合わせるためにスピードを出したのか。
私は昨晩より更に慎重に、ゆっくりと時間を掛けて金沢へ。

10時前に無事病院に到着。
「 おはよう、来たよ、」と言うと目を覚まし、「 来てくれたんか、」と。
「 さ、トラちゃんが待っているよ、」と録音機を再生して聞かせた。
「 トラちゃん、元気な声で鳴いているな、」と嬉しそう。 そしてまた眠りに付いた。

午後3時、帰り道が怖いので、「 今日は帰るけど、明日はどうして欲しい?」と聞けば、
「 また来て欲しい、」と。 「分かった、明日も同じ時間に来るから、」と言って病院を出た。


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