まだ、心の中が大きく震えている。
生で初めて聴いた、大好きなラフマニノフの交響曲第2番。
あの哀愁のこもった旋律。そして最終楽章の熱狂。まさにロシアのロマン。
地方でのコンサートの場合、本当に自分の好きな作品を生で聴くことは難しい。
NHK交響楽団も、数年に一度は、わが町にやって来ているが、ほとんどが、名前の知らない外人指揮者による地方公演用の何の面白みのない名曲コンサートだったので、本音は行く気がしなかった。だから、東京の大学を卒業して、地元へ帰ってきてN響の高松公演を聴いたのは1度だけ。それも今回の会場の県民ホールが、まだ出来る前、現在、取り壊された昔の市民会館での公演だったので、たいへんな昔である。
しかし、今回はプログラムを見てビックリ。交響曲第2番をメインとするオール・ラフマニノフプログラムである。
ラフマニノフの交響曲第2番を、地元で聴けるとは、私にとって正に奇跡である。
今回のプログラムは指揮者の尾高忠明氏の意向だろうか。尾高さんらしいプログラムである。
プログラムが決まった経緯は、よく分かりませんが、地方公演としては画期的なプログラムで尾高忠明氏とNHK交響楽団に感謝の気持ちで一杯です。
ロシアの作曲家の交響曲と言えば、誰もがチャイコフスキーでしょう。しかし、私はラフマニノフとグラズノフである。
そのラフマニノフの交響曲を生まれて初めて生の響きで聴くことが出来た喜びは本当に大きい。
プログラムの前半の「パガニーニの主題の狂詩曲」は割と冷静に聴いていましたが、後半の交響曲第2番では、やはりいけません。
第1楽章の憂いのある旋律を聴いだけで胸が熱くなって、もう、いけません。
圧巻は第3楽章のアダージョ。あの憧れを込めたような美しい旋律。N響の弦楽器の分厚いサウンドの演奏は凄かった!これを聴けただけでも大満足である。
やっぱりラフマニノフ!
そして第4楽章の、これでもかと押してくる迫力と熱狂。そして思い出したように、ふと流れてくる美しい旋律。
酔いました。
海外のオケが、わが町にやって来た時は、ちょくちょく聴きに行っているが、やはり今回のN響の方が心に残りました。
やはり東京での大学生時代、よく定期演奏会に通っていたので、今も親近感が強いのでしょう。
それにしても、N響の響きは昔と比べて大きく変わったようだ。
私の大学生時代はサヴァリッシュ、スウィートナー、シュタインといったドイツ系の指揮者が中心だったので、重厚な響きの印象が強かったのですが、今日、聴いて、何か色彩感、良い意味での機能性を強く感じました。やはりデュトワが音楽監督を務めたのが大きかったに違いありません。
昔も弦楽器の演奏は定評がありましたが、今回聴いてみて、一段とダイナミックになったように強く感じました。
さて今日の公演のコンサートマスターは篠崎史紀氏。テレビで見るよりも、以外と大柄な方だったのでビックリ。第2ヴァイオリンのトップは山口裕之氏、チェロは藤森亮一氏。彼らの姿を見ただけでN響を聴きに来たと言う実感が湧いてきました。
残念ながらオーボエの池田昭子さんの御姿を見る事が出来なかったのが心残り。
帰りにロビーでN響の機関紙「フィルハーモニー」2月号を購入する。
本当に久し振りに手にしました。
昔の「フィルーハーモニー」と大きく様変わりをしていて、年月の隔たりを強く感じました。
帰り道、次に生のオーケストラの演奏を聴けるのは、いつだろうか?と思いながら帰宅しました。
やっぱり生の演奏はいい!
もっと生のオーケストラの演奏を聴きたい!
生で初めて聴いた、大好きなラフマニノフの交響曲第2番。
あの哀愁のこもった旋律。そして最終楽章の熱狂。まさにロシアのロマン。
地方でのコンサートの場合、本当に自分の好きな作品を生で聴くことは難しい。
NHK交響楽団も、数年に一度は、わが町にやって来ているが、ほとんどが、名前の知らない外人指揮者による地方公演用の何の面白みのない名曲コンサートだったので、本音は行く気がしなかった。だから、東京の大学を卒業して、地元へ帰ってきてN響の高松公演を聴いたのは1度だけ。それも今回の会場の県民ホールが、まだ出来る前、現在、取り壊された昔の市民会館での公演だったので、たいへんな昔である。
しかし、今回はプログラムを見てビックリ。交響曲第2番をメインとするオール・ラフマニノフプログラムである。
ラフマニノフの交響曲第2番を、地元で聴けるとは、私にとって正に奇跡である。
今回のプログラムは指揮者の尾高忠明氏の意向だろうか。尾高さんらしいプログラムである。
プログラムが決まった経緯は、よく分かりませんが、地方公演としては画期的なプログラムで尾高忠明氏とNHK交響楽団に感謝の気持ちで一杯です。
ロシアの作曲家の交響曲と言えば、誰もがチャイコフスキーでしょう。しかし、私はラフマニノフとグラズノフである。
そのラフマニノフの交響曲を生まれて初めて生の響きで聴くことが出来た喜びは本当に大きい。
プログラムの前半の「パガニーニの主題の狂詩曲」は割と冷静に聴いていましたが、後半の交響曲第2番では、やはりいけません。
第1楽章の憂いのある旋律を聴いだけで胸が熱くなって、もう、いけません。
圧巻は第3楽章のアダージョ。あの憧れを込めたような美しい旋律。N響の弦楽器の分厚いサウンドの演奏は凄かった!これを聴けただけでも大満足である。
やっぱりラフマニノフ!
そして第4楽章の、これでもかと押してくる迫力と熱狂。そして思い出したように、ふと流れてくる美しい旋律。
酔いました。
海外のオケが、わが町にやって来た時は、ちょくちょく聴きに行っているが、やはり今回のN響の方が心に残りました。
やはり東京での大学生時代、よく定期演奏会に通っていたので、今も親近感が強いのでしょう。
それにしても、N響の響きは昔と比べて大きく変わったようだ。
私の大学生時代はサヴァリッシュ、スウィートナー、シュタインといったドイツ系の指揮者が中心だったので、重厚な響きの印象が強かったのですが、今日、聴いて、何か色彩感、良い意味での機能性を強く感じました。やはりデュトワが音楽監督を務めたのが大きかったに違いありません。
昔も弦楽器の演奏は定評がありましたが、今回聴いてみて、一段とダイナミックになったように強く感じました。
さて今日の公演のコンサートマスターは篠崎史紀氏。テレビで見るよりも、以外と大柄な方だったのでビックリ。第2ヴァイオリンのトップは山口裕之氏、チェロは藤森亮一氏。彼らの姿を見ただけでN響を聴きに来たと言う実感が湧いてきました。
残念ながらオーボエの池田昭子さんの御姿を見る事が出来なかったのが心残り。
帰りにロビーでN響の機関紙「フィルハーモニー」2月号を購入する。
本当に久し振りに手にしました。
昔の「フィルーハーモニー」と大きく様変わりをしていて、年月の隔たりを強く感じました。
帰り道、次に生のオーケストラの演奏を聴けるのは、いつだろうか?と思いながら帰宅しました。
やっぱり生の演奏はいい!
もっと生のオーケストラの演奏を聴きたい!
N響は確かに昔に比べてエッジの立ったヌケの良い、切れ味の良い音になったような気がします。で、合奏能力の高さは流石ですね。世界の一流オケの一つと言っていいんじゃないかと思っています。
「フィルハーモニー」2月号購入されたとのこと。アドルノのトスカニーニ批判を紹介している記事読まれました?トスカニーニが好きじゃない人たちは、もしかしたらああいうのを読んでいるんじゃないかと思ったりして(笑)。
でも、誰が何と言おうと、自分が良いと思えばそれでいいんです。それがアドルノだろうと誰だろうと、ああいう批評を読んで印象や聴き方が変わるようじゃ、もともと確固たる音楽の鑑賞眼なんかなかったのと同じでしょう。(聴き方が深まる場合はありますが)
次号では、トスカニーニについて、ブラームスの「第4」とベートーヴェンの「第9」の演奏をアドルノがどう批判したかが紹介されるようですね。楽しみですな。
いつもの地方公演ですと、当たり障りのない名曲ばかりがプログラムに組まれているのですが、今回は、私好みのプログラムで大いに満足しました。やはり指揮者が尾高忠明氏だったというのも大きかったのでしょう。
さすがデュトワ、プレヴィン、ノリントンといった現代を代表する指揮者が定期的に指揮するオーケストラでした。今年の秋はロリン・マゼールが指揮するとのこと。放送が楽しみです。
さて「フィルハーモニー」2月号のアドルノのトスカニーニ批判の記事も読みました。
あの記事をよんだところで、私のトスカニーニに対する思いは変わりません。やはり私自身が、トスカニーニの録音を聴いて感じたこと、直観したことが一番大切なことだと思います。今後もトスカニーニの録音を追いかけていくつもりです。
それにしても、「フィルハーモニー」が、あれだけの内容で、たったの300円だとは驚きです。
毎月、購読できるN響の定期の会員さんが本当にうらやましいです。