オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

声楽家 中沢桂さんを偲んで。

2016年01月12日 13時20分42秒 | 名演奏家の思い出
今日の朝刊、ロック歌手デビット・ボウイ死去のニュースが大きく報じられていましたが、私は社会面の片隅の訃報欄に目が止まりました。

>中沢桂さん(声楽家、元東京音楽大学教授)
10日、気管支不全で死去。82歳。ソプラノ歌手で、オペラ「夕鶴」の「つう」役で知られた。

ああ、中沢桂さんが亡くられたのかあ。82歳になられていたのかあ。
言いようもない思い。
中沢桂さんには、私にとって、たいへん大きな思い出がある。
私がオペラに興味を持ちだした高校生の時。わが街に今は亡き立川清人さんとやって来て、今はもう無くなってしまった市民会館で、ジョイントリサイタルを開き、私は聴きにいきました。
前半は日本歌曲。後半はモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」のハイライト。
当時、中沢さんは東京の二期会に所属していたバリバリの現役。
私が生まれて初めて聴いたプロの声楽家の歌だった。
初めて聴く本当のソプラノの声。素晴らしいソプラノの声。凄いと思った。
そして「フィガロの結婚」のハイライトは立川さんの絶妙な語り口もあり、本当に楽しかった。
また大学生生活を送った東京で中沢さんが出演した二期会のオペラ公演も見ている。
ドニゼッティの歌劇「ルチア」だった。
あれから、もう40余年の年月が経ってしまった。
私も年を取ってしまった。
そして中沢桂さんの訃報。
また一つ、私の心の中の若き日の思い出が消え去ろうとしている年月の経つことの無量感。

最後に私の大好きな映像。
在りしの日の中沢桂さんがミュージカル「マイフェアレディ」から私の大好きな「踊り明かそう」歌った映像で中沢桂さんを偲びたいと思います。
会場いっぱいに響き渡る中沢さんの歌声。
中沢桂さんのご冥福を、ひたすらお祈りいたします。




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「N響指揮者サヴァリッシュをしのんで」

2013年03月10日 23時33分12秒 | 名演奏家の思い出
本日の昼間、NHKのEテレでサヴァリッシュの追悼番組があり、今、録画を見終えたばかりである。
番組のタイトルは「N響指揮者サヴァリッシュをしのんで」である。
「N響指揮者」というタイトルが、私にとって本当にズシリと来るものがあります。
番組ではN響との最後の演奏会となった2004年の定期演奏会からベートーヴェンの交響曲第7番が放送されました。
正に感慨無量。
N響にも、これがサヴァリッシュの最後の来日になってしまうであろうという予感があったのであろうか。
やはり特別な演奏会だったと言う感を強く感じました。
そして2006年ドイツの自宅でのインタビューでの日本へのメッセージが強く心に残りました。

日本の音楽愛好家の皆さんに語りかけるのは嬉しいことです。
もう長旅は困難になりましたし指揮の仕事も慎重に向き合うようになりました。
オペラとコンサートを指揮した57年の仕事の後、私が申し上げるのはひとつです。
音楽への愛を持ち続けてください。
音楽は芸術のもっとも素晴らしい領域です。
日本の音楽愛好家の皆さん。
数十年間の忠誠への深い感謝の念とともに、ご多幸をお祈り申し上げます。
そしてこれからも、とてもたくさんの歓びを、皆さんがN響と分かち合うことを願っています。

私自身が、サヴァリッシュから受けた多くの恩恵。
生涯、忘れることはないでしょう。
そして、音楽への愛を、これからも持ち続けることを今は亡きサヴァリッシュに誓います。

「マエストロの肖像ウォルフガング・サヴァリッシュ」

2013年03月05日 12時47分10秒 | 名演奏家の思い出

昨晩遅く、NHK・BSで、去る2月22日に亡くなったNHK交響楽団・桂冠名誉指揮者のウォルフガング・サヴァリッシュの追悼番組として、ドキュメンタリー「マエストロの肖像ウォルフガング・サヴァリッシュ~音楽に愛された男」が放送され、深夜遅くまで見ました。
NHK制作の番組ですがN響との関係は一切触れず、生い立ち、学生時代、そしてドイツの歌劇場やアメリカのフィラデルフィア管弦楽団との活動の足跡をたどった番組でした。
2003年に放送された番組の再放送とのことですが、私は見た記憶がありません。
印象に残ったのは番組の最後、撮影当時にグラッサウの自宅で心境を語った言葉。

「(指揮者は)自分の感性を音に託して表現し、それを聴く他の人々に影響を与え、感動を与え、陽気にさせたり悲しみに誘ったりできるのです。
 芸術の一部門として人々の感情を動かし、楽しませたり悲しませたりできる全ての職業の中で最も美しいものの一つなのです」

音楽をやめたら何をしますか?の問いに
「何だって?
 音楽をやめることはありえません。音楽をやめたら私はもう生きていません。
 生きている限り、そして健康が許す限り、音楽に身を捧げていきます」

そして、このインタビューの前に、シューベルトの即興曲・作品142から第2番を淡々と自宅のピアノで弾いているサヴァリッシュの姿が、たいへん心に残りました。
都会の喧騒と全く無縁のミュンヘン郊外グラッサウの素晴らしい自然に囲まれた自宅で、そして地位や名誉などとは別世界の中で、既に亡くなっている夫人の写真の傍らでピアノを弾き、そして音楽を熱く語るサヴァリッシュ。
この、数年、病気や体力の衰えのため指揮台に立つことはありませんでしたが、おそらく、死の直前まで、淡々とピアノを弾いていたのであろうか?そう思うと、何か目頭が熱くなってきました。

私とサヴァリッシュとの初めての出会いは高校1年の時。NHK交響楽団の演奏会でのブラームスの交響曲第1番のテレビ放送。確か、この時、初めてブラームスの交響曲を聴いた時のはず。第1楽章の冒頭で衝撃を受け、第2楽章の美しい旋律、そしてスケールが大きく、雄大な第4楽章。
あれから、たいへんな年月が経ってしまった。

今日、朝起きて、手にしたCDはシューベルトの即興曲集。
演奏は内田光子。1996年録音のPHILPS盤。
シューベルトの音楽からウィーンのロマンをはぎ取って、人間の寂しさや暗さが詰まっていると言える演奏か。
昔、カール・ベームが亡くなって葬儀の時、シューベルトの室内楽が演奏されたと言う話を思い出しました。
ベームの言葉。
「私が死んだら、きっとモーツァルトを私のために演奏してくれるだろう。しかし私としては、シューベルトも忘れて欲しくないね」
今後、私自身、シューベルトの音楽の向き合うことが多くなりそうである。



 




サヴァリッシュの追悼番組

2013年03月03日 22時39分23秒 | 名演奏家の思い出
2月22日に亡くなったNHK交響楽団・桂冠名誉指揮者のウォルフガング・サヴァリッシュの追悼番組が放送されます。

3月4日深夜(3月5日、AM0時45分~AM1時50分 NHK BSプレミアム) ドキュメンタリー「マエストロの肖像ウォルフガング・サヴァリッシュ~音楽に愛された男」

3月7日深夜(3月8日 AM0時~AM3時50分 NHK BSプレミアム)ワーグナー作曲、楽劇「ワルキューレ」(全曲)1989年バイエルン国立歌劇場での公演。

3月10日(PM3時~4時30分 NHK Eテレ)「N響指揮者 サヴァリッシュをしのんで」

10日の放送では最後のN響定期でのベートーヴェンの交響曲第7番も放送されるらしい。
また超一流のオペラ指揮者だったサヴァリッシュ。楽劇「ワルキューレ」(全曲)は絶対見逃せません。
番組を通じてサヴァリッシュを、偲びたいと思います。

  





五月(さつき)の風

2013年02月27日 22時33分44秒 | 名演奏家の思い出
今日、今月3日に亡くなった十二代目・市川團十郎の本葬があり、パソコンに残されていた辞世の句が公表されたそうだ。

「色は空 空は色との 時なき世へ」

新しい歌舞伎座の完成を楽しみにしながらも、何か自分自身の命が終わる予感があったのだろうか?

今となっては、今は亡き團十郎の心の中は、もう分からない。


ドイツの名指揮者ヴォルフガング・サヴァリッシュの訃報を聞いて四日経ちますが、私自身、まだ悲しみが続いている。動揺が続いている。

カール・ベームや朝比奈隆が亡くなった時は、これほどではなかった。何故だろう?

一昨日、R・シュトラウスの歌曲「万霊節」の詩を掲載しました。

なぜ、サヴァリッシュが亡くなった時、この歌曲に心を動かされたのか、コメントしていませんでした。

「・・・そしてまた愛を語り合おう かつての五月のように」

「・・・そして美しい眼でじっと見つめておくれ かつての五月のように」

「・・・私の胸においで、そしてまた抱きしめたい かつての五月のように」

五月!

私が東京で大学生時代を送っていた時、サヴァリッシュは必ず四月末から五月にかけて来日してNHK交響楽団の指揮台に立ちました。

つつじの花が咲き、五月(さつき)の心地よい風を感じている頃、必ず、やって来て私に音楽の神髄を教えてくれました。

東京での四年間、ずっと、そうでした。

サヴァリッシュは、私にとって五月(さつき)の心地よい風のような方でした。

もうすぐ春。そして五月が、また、やって来ます。

しかし、あの方は、もう、やって来ない。

あの方は、もう、この世にいない・・・。






  
 



今日聴いたCD 2月25日

2013年02月25日 13時10分50秒 | 名演奏家の思い出
R・シュトラウス 歌劇「影のない女」より第3幕 (1987年録音 EMI盤)
R・シュトラウス 歌劇「エレクトラ」よりフィナーレ (1990年録音 EMI盤)
以上 ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイエルン放送交響楽団、合唱団
R・シュトラウス歌曲集より ルチア・ポップ(ソプラノ)ヴォルフガング・サヴァリッシュ(ピアノ)(1984年録音 EMI盤)

昨晩、サヴァリッシュの訃報を知ったあと、NHK・BSで放送されたNHK交響楽団の演奏会の録画を見る。
昨年12月のシャルル・デュトワ指揮の定期演奏会。
レスピーギのローマ三部作全曲を一気に聴かせる意欲的なプログラム。
究極のオーケストラ演奏。一糸乱れぬ「ローマの祭り」第四曲ノ「主顕祭」でのアンサンブル。
N響の実力は正に世界のトップレベルと言っていいだろう。そのN響の実力を見事に引き出したデュトワの力量、統率力。
私が東京での大学生時代にN響の定期演奏会に通っていた頃には、想像もしなかった現在のN響の姿である。こんなにオーケストラが変わるとは!改めて時代の流れを感じてしまいました。
もし、現在のN響をサヴァリッシュが振ったら、どんな演奏になるであろうかと思いを馳せてしまった。
特にR・シュトラウスの作品などは凄い演奏になっていたであろうなあ。

一晩明けての公休日。
手に取ったCDはサヴァリッシュのCDばかり。
この数年サヴァリッシュは引退して指揮台には立つことはありませんが、やはり亡くなってしまうと本当に寂しい。本当に私自身にとって大切なものを無くしてしまったと言う気持ちが、たいへん強い。
今日、聴いたなかでは、やはりR・シュトラウスの歌曲「万霊節」が一番、心に響きました。
カトリックの万霊節は日本のお盆にあたると言っていいでしょう。その日(11月2日)に死者がこの世に帰ってくる。
聴いていて、何か迎えきれない感情が募ってくるものがあります。

「テーブルに匂やかなモクセイを生けよう
 最後の赤いアスターもそこに供えよう
 そしてまた赤いアスターもそこに添えよう
 そしてまた愛を語り合おう
 かつての五月のように

  
 手をこちらに出し、それを握らせておくれ
 ひとに見られてもかまいはしない
 そして美しい眼でじっと見つめておくれ
 かつての五月のように

 今日はどの墓にも匂やかな花が供えてある
 一年に一度、死者がこの世に帰って来る日
 私の胸においで、そしてまた抱きしめたい
 かつての五月のように」


  





  

ウォルフガング・サヴァリッシュ死去

2013年02月24日 23時13分15秒 | 名演奏家の思い出
訃報です。

NHK交響楽団の桂冠名誉指揮者でありバイエルン国立歌劇場の音楽総監督やフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を務めたドイツの名指揮者ウォルフガング・サヴァリッシュが22日、亡くなった。享年89歳。

サヴァリッシュの死をもって私の青春時代の全てが終わった。終わってしまった。

私の青春時代は完全に過去の物となってしまった。現在の私と青春時代の私をつないでいた最後の音楽家だった。

東京での大学生時代、サヴァリッシュ指揮のN響の演奏会へはよく通った。生のオーケストラを聴くことに無縁な地方で育った私にとって、その演奏会での体験は、どれだけ私にとって貴重なものだったであろうか!

フィッシャー=ディースカウのリサイタルでのピアノ伴奏やまた大阪で見たバイエルン国立歌劇場引っ越し公演でのモーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」の公演も忘れられません。

初めてサインをもらった時、握手をしましたが、あの手の温もりは今も忘れることが出来ません。

数年前、NHKの番組で自宅で過ごしている様子を見たことがあります。淡々とピアノを弾いていた。その傍らに夫人の写真。

サインを頂いている時、サヴァリッシュの横で、にこやかに私たちを見つめていたサヴァリッシュ夫人の姿を憶えています。

番組を見ていて、「ああ・・・、あの美しい夫人は亡くなられていたのか」と思うと胸が締め付けられるような思いがしました。

そして今、ウォルフガング・サヴァリッシュの訃報。

略歴から見ると、たいへんな指揮者でしたが、私にとっては最も近い存在の指揮者でした。

音楽の神髄を私に教えてくれたサヴァリッシュ。本当に、ありがとうございました。今は感謝の気持ちで一杯です。

ひたすら、ご冥福をお祈りします。








フィッシャー=ディースカウの思い出

2012年05月19日 21時08分21秒 | 名演奏家の思い出
今日の早朝、朝刊でディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの訃報を知りました。
ミュンヘン近郊の自宅で死去。享年86歳。
私にとって正に巨星墜つである。
20世紀最高の歌手の一人。特にドイツ歌曲に関しては彼の存在なくして語ることは出来ません。
当ブログでは、フィッシャー=ディースカウの業績、存在の大きさは誰もが知っていることなので、あえてコメントしません。
彼の歌唱は残された多くの録音で語りつがれることでしょう。
ただ私にはフィッシャー=ディースカウには忘れることの出来ない思い出があります。それも私の大学生時代を東京で過ごした青春時代の忘れることの出来ない思い出。
何と生まれて初めて出待ちをしてサインをもらったのがフィッシャー=ディースカウであった。
生まれて初めてサインと言うものをもらったのがフィッシャー=ディースカウ。初めてサインをもらったのが相手が超大物だっただけに、物凄いインパクトがあり、たいへんな年月が経ちましたが、あの時のことは、忘れることが出来ません。

今、私の思い出の品と言うべきサインをしてもらったNHK交響楽団の機関誌「フィルハーモーニー」を取り出して、久し振りにサインを見つめたところ。
NHK交響楽団の定期演奏会。プログラムはバルトークの歌劇「青ひげ公の城」の演奏会形式。ソプラノは夫人のユリア・ヴァラディ、指揮はヴォルフガング・サヴァリッシュ。
チケットの日付けを見ると1977年5月7日の土曜日、午後2時開演のマチネーである。B席で当時2700円であった。
あれから35年の年月が経っている。

演奏会が終わったあと、私にとって神様のような存在のフィッシャー=ディースカウを間近で見てみたいと思い、NHKホールの楽屋口へ脚を運びました。近くから見ることが出来たらいい、サインなど考えもしませんでした。行ってみると楽屋口でいるファンは、ほんの数人。
しばらくしてサヴァリッシュ、ヴァラディ、そしてフィッシャー=ディースカウが姿を現しました。
そして何とサインをし始めたではないか!
色紙など何も準備していなかった私はN響のプログラムと言うべき「フィルハーモニー」を慌てて開いてサヴァリッシュ、ヴァラディとサインをしていただき、いよいよ私の目の前に、あのフィッシャー=ディースカウが立ちました。
本当に緊張しました。ただ、写真などでは見たことがない、たいへん優しい表情だったことを今も、はっきりと憶えています。
夫人のヴァラディにサインをいただいた時、私が日本語で「ありがとうございます」と言ったら、夫人も日本語で「ありがとうございます」と言い返され2人で笑ったことも忘れることができません。それにしても本当に綺麗な方でした。
そしてサインを終えて車に乗り込んだ3人を見送りました。
それにしても5月の心地よい穏やかな陽気のもと、何となごやかな雰囲気だったのでしょう!
あの空気をもう一度吸ってみたい。そんな思いから、その後、何度か出待ちをしましたが、あの時のような心地よく、胸が一杯になったことは残念ながらありません。
当時、フィッシャー=ディースカウとヴァラディは新婚だったので、特別なものがあったのかもしれませんが、間近で大演奏家の持つ強烈なオーラに触れることが出来た忘れることの出来ない思い出です。
大演奏家のオーラは人を幸せにする。その時、教えてもらったと言っていいでしょう。

以上、私のつたない思い出話でした。
次の公休日には残された録音を聴いて、いろいろと思いを馳せることにしましょう。

新聞に夫人のヴァラディのコメントがありました。
「彼は安らかに永眠した」
改めてフィッシャー=ディースカウのご冥福をお祈りします。

クルト・ザンデルリング死去

2011年09月20日 22時45分58秒 | 名演奏家の思い出
ドイツの名指揮者クルト・ザンデルリングが9月18日、ベルリンで亡くなられました。99歳の誕生日を迎える前日でした。
ブラームスの交響曲での印象が強いようですが、私自身はベートーヴェンとマーラーの録音が気になります。
最近、1980年代にフィルハーモニア管弦楽団と録音したベートーヴェン交響曲全集を手に入れてボチボチと聴いている時なので、その死はショックです。交響曲第6番「田園」の骨太な演奏がたいへん印象に残っていますし、内田光子とのピアノ協奏曲全集も、もっと高く評価して欲しいものです。5番の「皇帝」の演奏は大好きです。この録音は、かねてよりザンデルリングを高く評価していた内田光子の強い希望で実現したと聞いたことがあります。
また、私自身、ザンデルリングの録音で絶対に忘れられない録音にD・クック最終決定版による交響曲第10番があります。もし私が、ザンデルリングの録音を最初に聴かなかったら、この作品の真価に気が付かないままだったでしょう。第1楽章「アダージョ」のみに、こだわっていたかもしれません。
その他にはドレスデンでのフランクの交響曲の録音も良かった。
それにしても、普通の聴き手の多くの方々は、おそらくザンデルリングの録音と言えばブラームスの交響曲全集をイの一番に挙げると思いますが、私はベートーヴェンやマーラー、フランク。やっぱり、私は変?
最後のザンデルリングの追悼の思いを込めて今年の7月のマーラーの交響曲第10番のコメントを再録します。
心よりクルト・ザンデルリングのご冥福をお祈りいたします。

(再録)

(前略)
そしてD・クック最終決定版による交響曲第10番。クルト・ザンデルリンク指揮ベルリン交響楽団による1979年ベルリンでの録音。
本当にマーラーが好きな方は第10番と言えば第1楽章「アダージョ」のみでしょう。マーラーの死後、発表されたクック版など、認めることの出来ないものでしょう。
しかし、私は節操の無いクラッシック音楽の聴き手である。やはり、ぜひクック版による第10番の全曲を聴いてみたいという好奇心が強いものがあり、そして初めて手にしたクック版の録音がザンデルリンク盤でした。今は亡き小石忠男氏による、たいへん詳しい解説書もあり、これが、私にとって、この作品の理解を深めるには、たいへん良かった。また解説書に書かれていますが、1908年マーラー夫妻が初めてニューヨークを訪れた時、ホテルの窓から見た殉職した消防員の葬列を見て、マーラーは泣いたと伝えられています。

D・クックが目指したのは、交響曲第10番を完成させるという意図ではなく、マーラーが残したままの交響曲を演奏可能な版に仕上げるということである。ここが大切なポイントである。
とにかく、マーラーに興味がある方は、一度は聴いて欲しい。そして、聴いてどう思うかは各自の自由である。そして少しでもマーラーを理解するのに役立って欲しい。
さて、最近はクック版による録音はラトル指揮ベルリンフィルなどのCDも発売され、私もラトル盤も聴きましたが、ザンデルリンク盤の方が上である。この作品の持つ巨大さ、複雑さがザンデルリンク盤からストレートに伝わってきます。ラトル盤はスッキリしすぎて物足りない。
改めて、今回ザンデルリンク盤を聴いて、第1楽章「アダージョ」も感動的でしたが、第5楽章の冒頭は衝撃的でした。

マーラーは第5楽章の最後のページに、こう記しているそうです。
「お前のために、生き、お前のために死ぬ。
 アルミッシ(マーラーの妻アルマの愛称)よ!」


カルロス・クライバー

2011年04月13日 19時05分59秒 | 名演奏家の思い出
先々週と先週の土曜日の深夜、NHK BSプレミアムで今は亡き、指揮者のカルロス・クライバーの特集がありました。
先々週はドキュメンタリーとバイエルン国立管弦楽団との演奏会、そして先週は違うドキュメンタリーとウィーンフィルとの演奏会の映像を見る事が出来ました。
ドキュメンタリーはどちらもクライバーのリハーサルの映像もあり興味深々でしたが、面白かったとは思わなかった。私が一番知りたかったこと。あれだけ才能とカリスマ性がある指揮者なのに、なぜ晩年は指揮台に立つことが無かったのか?クライバーの心の中を解き明かすことは出来なかった。
その中で面白かったのはクライバーのプレイボーイ振りで、その中でルチア・ポップの自宅に押しかけて同棲しようとしたエピソードには、びっくりしました。

バイエルン国立管弦楽団との演奏は来日時のベートーヴェンの4番と7番、そしてミュンヘンでのブラームスの4番が中心でしたが、こちらも、あまり面白くなかった。これらの作品は最近、フルトヴェングラーの録音をかなり聴きこんでいるためかもしれません。
それに反してウィーンフィルとの演奏が良かった!
最初1991年の演奏のブラームスの2番。あまり期待していなかったのですが、本当に良かった。第1楽章の旋律を徹底的に歌わせる演奏。そしてウィーンフィルの魅力。久し振りにウィーンフィルを聴いたという気持ちが強い。この頃、ウィーンフィルの魅力を一番出すことが出来たのはクライバーかもしれない。楽友協会の大ホールに並ぶウィーンフィルの指揮台に立つクライバー。本当に絵になります。
翌年の3月ウィーンフィルとの来日公演が予定され、私も大阪公演のチケットを手に入れていたのですがクライバーがキャンセルして指揮者がシノポリに変更されたのが今でも残念である。
後半は1992年のニューイヤーコンサート。生中継を見て以来、久し振りに見ました。
当時のニューイヤーコンサートは華やかさの中にも何か落ち着きを感じるものがあった。現在のニューイヤーコンサートは盛り上がりはあるが、何かイベントのようで、この20年で、このコンサートも雰囲気が変わってしまったようである。

さてクライバーの録音はどれもこれも発売時から絶賛されていますが、私自身、何でもかんでも良いとは思っていません。ベートーヴェンやブラームスなどの交響曲の録音は他の録音に魅力を感じるものが多数あります。
やはり私にとってクライバーはオペラの人である。
1981年、ミラノ・スカラ座の初来日の公演での大阪で見たプッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」は忘れることが出来ません。クライバーの指揮棒から生れてくるプッチーニの美しいメロディ。
また映像状態は良くはありませんがDVDで見ることの出来る1976年、ミラノ・スカラ座でのヴェルディの歌劇「オテロ」の映像。まさに壮絶な演奏である。
ドミンゴのオテロ、フレーニのデズデモナ、カプッチッリのヤーゴという当時最高の配役。特にカプッチッリのヤーゴは本当に凄い!第3幕の最後、気絶したオテロを見ての高笑いは、まさに悪党になりきっている。
1981年のスカラ座の来日公演はNHKのテレビでも放送されましたが、映像は残っていないのであろうか?
ぜひ、もう一度見てみたい。そしてもう一度、カルロス・クライバーの魅力を再発見したいものである。

*最後に本日聴いたCD
ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」 クルト・ザンデルリング指揮フィルハーモニア管弦楽団(1981年EMIでの録音)


レナード・バーンスタイン没後20年

2010年11月25日 23時10分29秒 | 名演奏家の思い出
今年はレナード・バーンスタイン没後20年だそうだ。
本日の夜、NHKハイビジョン放送で「佐渡裕 バーンスタインを語る」という番組があり、興味深く、見ました。
佐渡裕氏はバーンスタイン晩年の愛弟子だっただけに、バーンスタインを語るには、打ってつけの方でしょう。
番組ではバーンスタインの生前の映像も多数紹介されましたが、一番、印象に残った映像は1966年、初めてウィーンフィルに客演時の最初のリハーサルの映像です。
初めて楽友協会の会場に姿を現して、当時のコンサートマスターのボスコフスキーと抱き合う様子が印象的だった。ボスコフスキーの隣にはバリリの姿。
バーンスタインのスピーチ。

「私はまず謝っておかなければなりません。
 これから演奏しようとしているモーツァルトは皆さんの音楽です。
 でも同時に私の音楽であると信じています。
 ただ皆さんにとっては、もっと身近な音楽でしょう。
 あなた方から私はいろいろなことを学びたいのです」

このスピーチは音楽雑誌等で知っていたが実際の映像とバーンスタインの生の声で聴くと心に響くものがあります。こうやってバーンスタインはウィーンフィルの心をつかんだのかと強く思いました。
ピアノを前にしているので、モーツァルトのピアノ協奏曲第15番のリハーサルから始まったのだろう。この演奏はデッカで録音されていて、素晴らしい演奏だと思います。

私自身、必ずしもバーンスタインの熱心なファンではありません。しかし、私の遠い昔の東京での大学生時代、たった一回ずつですがベーム、ムラヴィンスキー、そしてバーンスタインの生のステージに接することができた思い出は、私の最高の宝となっています。
とにかく音楽が体全体から噴き出しているような感じでした。
指揮者としてのバーンスタイン、作曲家としてのバーンスタイン、まだまだ聴き逃しているものがたくさん残っているようである。
昨シーズン、鈴木明子さんが演じた「ウエスト・サイドストーリー」の演技の映像を見ながら、この音楽家を偲びたいと思います。


スウィトナーのモーツァルト。

2010年06月29日 23時04分49秒 | 名演奏家の思い出
毎週日曜日のお楽しみはNHKハイビジョンで早朝、放送されるNHK交響楽団の演奏会である。
この前の日曜は今年の1月亡くなったN響の名誉指揮者オトマール・スウィトナーの追悼番組でモーツァルトの交響曲第39番、第40番、第41番「ジュピター」が放送された。1980年代の映像である。
以前、NHK・BS放送でスウィトナーのドキュメンタリー番組があり、その中でスウィトナー自身が交響曲第39番への思いを語っていたのが、たいへん印象に残っていたので、今回の放送でも第39番の演奏は、どうしても特別な感情で聴いてしまった。やはり第2楽章が美しかった。
昨年か一昨年、放送でアーノンクールが同じプログラムでウィーンフィルを振った演奏を聴きましたが、たいへん疲れた記憶があります。逆にスウィトナーの演奏はもっと聴きたい、もう一度聴きたいという気持ちを強くします。やはり、私はスウィトナーのモーツァルトの方が好きである。
スウィトナーの演奏はけっして刺激的な演奏ではありませんが、何か心に残るものがあります。これがスウィトナーの魅力かもしれません。
それにしても演奏当時のNHK交響楽団のメンバーは懐かしい顔ぶればかりである。
私は東京での大学生時代、よくN響の演奏会に通いましたが、当時が本当に懐かしくなりました。あれから、もう30余年も経っている。
当時のスウィトナーやサヴァリッシュが指揮するNHK交響楽団の映像を、もっと見たいものです。

カルロス・クライバー

2010年06月25日 17時22分50秒 | 名演奏家の思い出
今日は母方の祖母の命日とのことで、早朝より市内の墓地まで私の母の運転手をする。
そして午後からは財務大臣閣下が「買い物へ連れて行け」という命令が下り、郊外の大型ショッピングセンターまで運転手をする。
そしてショッピングセンター内の本屋で大臣閣下の目を盗んで久し振りに音楽雑誌「音楽の友」を衝動買いする。
「音楽の友」を買うのは、おそらく4年振りだろう。高校生時代から欠かさず購読していたが、この数年フィギュアスケート関係の雑誌の購入のための出費のため、購入を自粛していました。
「音楽の友」を読まなくなって世界の音楽事情に本当に疎くなってしまった。
リッカルド・ムーティがシカゴ交響楽団の音楽監督に就任したことすら知らなかった情けない状態だった。
さて「音楽の友」の最新号の特集は生誕80年を迎える指揮者のカルロス・クライバーである。
年譜を見るとクライバーが亡くなったのは2004年7月なので、もう6年も経つのかというのが実感である。
亡くなって年月が経ってもその人気は衰えずという状況のようだ。
私は1度だけクライバーの生のステージを体験している。
1981年、初来日のミラノ・スカラ座の公演を大阪フェスティバルホールで見ている。演目はプッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」だった。私の今までの音楽体験の中で、正に最高ランクの公演と言って良いでしょう。
ただ、私自身、よく音楽雑誌のCDの名盤選びに見られるようにクライバーの録音は全て最高とは必ずしも思っていない。
ヴェルディの「椿姫」はプレートルやムーティの録音の方が好きだし、シューベルトの未完成交響曲はワルター、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」全曲は今だにベームが最高と思っている。
しかし、やはりライブでのクライバーは、スタジオ録音には無い熱気と独特の乗りがあり、特にオペラを振った時、オペラが始まって終わるまで、そのオペラの世界から離れることが出来ない。
スカラ座でのヴェルディの「オテロ」、ウィーン国立歌劇場での「カルメン」や「ばらの騎士」の公演を収録したDVDは何度見ても飽き足らない。まさにクライバーの物凄さの全てを体感することが出来ます。
やはり私にとってカルロス・クライバーはオペラの人である。最高のオペラ指揮者の一人である。
クライバーは1992年にウィーンフィルとの来日公演が予定され、私も大阪公演のチケットを購入していましたが病気を理由にキャンセルされてしまいました。もし実現していたら私にとって最高の音楽経験が出来たのではないかと思うと、現在でも残念でたまりません。

名指揮者スウィトナーの思い出。

2010年01月14日 09時32分43秒 | 名演奏家の思い出
12日の夜遅く、当ブログでも書きましたが、オーストリア出身の名指揮者オットマール・スウィトナーが亡くなりました。
http://www.nhkso.or.jp/topics/pdf/Otmar_Suitner.pdf

スウィトナーはドレスデン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場の指揮者を歴任し、また我が国のNHK交響楽団の名誉指揮者で、まさに名指揮者でした。
1990年代に入って体調を崩し引退してしまったので、最円熟期の演奏を聴く事ができなかったことが、たいへん残念でした。
スウィトナーは元気な時も、たいへんな地位にいるにもかかわらず、けっしてスター指揮者ではなく、指揮振りからもうかがえるように地味な存在だったかもしれませんが、私にとって本当に大切な指揮者の一人でした。
昨年、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団との録音を10枚のCDに収めたアルバムを入手して、やっと全て聴き終えたばかりなので、本当に言葉が出ません。
私の東京での大学生時代、彼の指揮するNHK交響楽団の演奏会には、よく通ったものです。私の過ぎ去ってしまった青春時代を彩った指揮者が、また一人、この世から去り今は本当に寂しくてたまりません。
私がスウィトナーを知ったのはクラシック音楽に目覚めた高校生の時。テレビのNHK交響楽団の放送でした。
曲目もはっきりと憶えています。ベートーヴェンの交響曲第1番と「レオノーレ」序曲、第3番でした。おそらく、まだ聴いたことが無かったベートーヴェンの最初の交響曲がどんな曲なのかという興味からだったかもしれません。第4楽章の冒頭の強奏には、たいへんな衝撃を受けました。また「レオノーレ」序曲はたいへんなドラマチックな演奏で夢中でテレビの画面に見入った事を今でも記憶しています。
また、私にモーツァルトを開眼させてくれたのもスウィトナーでした。
私は二十過ぎまでモーツァルトがたいへん苦手でした。ワーグナーやブルックナーなど分厚い響きを好んでいたいたためかもしれません。
そんな頃、ベルリン国立歌劇場管弦楽団を率いて来日して、当然、私は演奏会に脚を運びました。メインの曲のブルックナーの交響曲第7番が終り、アンコールで演奏されたのがモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲でした。早いテンポの中で、演奏している楽器の表情の一つ一つが豊かで、胸が弾んできて、そしてコーダでリズムの深い刻みを見せ始めたとき私は、たいへんな興奮を覚えました。短い曲ですがモーツァルトの音楽が、こんなに心を打つものかと、やっと知る事が出来、これ以降モーツァルトの音楽が私の耳に心に受け入ることが出来るようになりました。今では当日のブルックナーの演奏がどうだったのか、さっぱり思い出せませんが、「フィガロの結婚」序曲の演奏はしっかりと憶えています。
ですからスウィトナーは私にモーツァルトを開眼させたくれた大恩人と言えます。

スウィトナーは引退して、その名前もほとんど聞かなくなりましたが一昨年だったか、突然NHKのBS2で深夜にドキュメンタリー「父の音楽~指揮者スウィトナーの人生~」が放送され本当に驚きました。
たいへん不自由な体のようでしたがモーツァルトの交響曲39番とヨゼフ・シュトラウスのポルカ「とんぼ」の魅力を熱心に語っている姿を見て、たいへん心を打つものを感じました。
番組では長く連れ添っている奥さん以外に、これまた長い関係の愛人の方と、その間にできた息子さんも登場しましたが、スウィトナーは亡くなる時、この3人に看とめらながら、この世と別れを告げたのかなと思いを馳せるものがあります。
この番組を収録したDVDは私の大切なお宝となりました。

最後に私のお気に入りのスウィトナーの録音を紹介して、この名指揮者を偲びたいと思います。
①チャイコフスキー 「弦楽セレナード」 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(1962年)
②モーツァルト 交響曲第39番、第40番、第41番「ジュピター」 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(1973年~75年録音)
③ドヴォルザーク 交響曲第8番、第9番「新世界より」 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 (1982年、1983年録音)
④モーツァルト 歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」(全曲) ベルリン国立歌劇場管弦楽団(1970年録音)
⑤スッペ 序曲集 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 (1970年録音)
その他、手元にドレスデンで録音したドイツ語によるモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」(全曲)のレコードがあります。この録音はCD化されたのだろうか?
ドレスデン国立歌劇場管弦楽団との録音はその他忘れがたいものも多く、このコンビでの来日が一度も無かったのが残念です。さぞかし渋く、いぶし銀のような響きを聴かせてくれたでしょう。
今日は朝からスウィトナーのCDばかり聴います。今、モーツァルトの交響曲第29番が流れています。一人の音楽家が亡くなって本当に寂しく思ったのは久し振りである。
NHK交響楽団の名誉指揮者に名前を連ねた三大Sも存命なのはサヴァリッシュだけになってしまった。またサヴァリッシュも現在、引退同然で指揮台に立つことはない。
時代がどんどん流れていくのが実感するばかりである。

お断り
スウィトナーの名前の表記には一部スイトナーと表記されていることもありますが、当ブログではNHK交響楽団のHPでの表記に従っていますので、ご了承下さい。

オトマール・スウィトナー

2009年03月26日 13時45分57秒 | 名演奏家の思い出
3月22日の日曜の深夜、NHK・BS2で音楽ドキュメンタリー「父の音楽~指揮者スウィトナーの人生~」が放送されました。2007年ドイツで製作されたドキュメンタリーである。
オトマール・スウィトナーの名前を聞いて懐かしさを憶えるのは私以上の世代であろう。NHK交響楽団の名誉指揮者として頻繁に来日していたが(旧)東ドイツを拠点にしていた為か東ドイツ消滅後、指揮活動の話を聞く事がなくなった。また番組でも紹介されたが病気(パーキンソン病)もあり引退同然になったようである。

スウィトナーは現在も私の好きな指揮者の一人です。彼の名前を知ったのは高校生の時、テレビでのスウィトナーの演奏会の放送であった。曲目はベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第3番と交響曲第1番だった。クラッシック音楽の経験の浅かった私でもその音楽の素晴らしさは伝わってきました。そして東京での大学生時代、彼の指揮するNHK交響楽団の演奏会によく脚を運んだものである。
また、私はスウィトナーにたいへん感謝しなくてはいけないことがあります。私は大学3年までモーツァルトが全くダメでした。何とモーツァルトが苦手でした。そのような状態の頃、大学3年の時、スウィトナー指揮のベルリン国立歌劇場管弦楽団の演奏会を聴きにいきましたが、メインのブルックナーの交響曲第7番の演奏のあと、アンコールでモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲が演奏され、短い曲ですが、たいへん感激しました。早いテンポの中での表情豊かなオケの演奏、そしてじっとしておれなくなるような迫力のあるコーダ。軽く見ていたこの序曲がこんなに凄い曲だったとは!まさに私のモーツァルト開眼の瞬間でした。

スウィトナーは1922年生まれですから現在87歳である。番組では往年の指揮姿の映像のオンパレードかと想像していましたが、見事に予想はずれでした。2007年当時のスウィトナーへのインタビューが中心でした。年齢の為、杖をつき、足元はぎこちない状態ですが言葉はたいへんしっかりとしており、あの眼光も昔のままだったのが本当にうれしかった。そして元気だった頃、指揮台に立ったベルリン国立歌劇場やバイロイト祝祭劇場を訪ねるシーンもありました。またバイロイトのオケのピットからステージを眺める映像もありオペラファンとしても興味深いものがありました。
一番好きな作品を聞かれモーツァルトの交響曲39番とヨゼフ・シュトラウスのポルカ「トンボ」の2作品を挙げたのは以外でした。この2作品を実際にベルリン国立歌劇場を訪ねた際、同オケを指揮した映像は胸を打つものがありました。病とはいえ、しっかりとした指揮振り、そして元気な声でオケに指示している姿をみていると本当に引退はもったいないと強く思いました。NHK交響楽団の名誉指揮者としての名前は現在も残っているので何とかならないものかと思いましたが、どうにもならないのでしょう。引退しているとはいえスウィトナーには、いつまでも元気でいて欲しいと念ずるのみである。

なお、この番組のスウィトナーへの聴き手は彼の一人息子がつとめていますが息子さんはスウィトナー姓ではありません。スウィトナーと彼の正式な奥さん以外の女性との子供である。バイロイトで指揮していた頃、知り合った女子大生との事で、奥さんと別れることなく、その関係は今も続いている。私が大学生時代、スウィトナーにサインをもらいに行った時、彼の傍らに女性が付き添っていましたが、間違いなく奥さんのほうでした。ベルリン国立歌劇場を訪ねた際の映像では何と奥さんと息子さんと、その母親の3人が同行していて、驚くばかり・・・

最後の私のお気に入りのスウィトナーのCDを3点
①ドヴォルザーク 交響曲第8番、交響曲第9番「新世界より」(ドヴォルザーク交響曲全集より) ベルリン国立歌劇場管弦楽団 (1982年、1983年録音)
②ウィンナ・ワルツ集(「美しき青きドナウ」など10曲) ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 (1979年録音)
③モーツァルト 歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」(全曲) ベルリン国立歌劇場管弦楽団 (1970年録音)
特に①のドヴォルザークの録音が大好きです。スウィトナーの表現力の豊かさ、スケールの大きさ、そして当時のベルリン国立歌劇場管弦楽団の底力が見事に合致した名演奏といってよいでしょう。