大相撲三月場所の番付も発表され先場所同様東西の両横綱の優勝争いを期待したいところですが、相撲関係で飛び込んでくるのは朝青龍の合いも変わらず横綱の品格のないニュースばかり。もう、うんざり!2場所の出場停止は何だったのかな?
横綱は強けりゃいいのかな?
以前、朝日新聞から発売されていた週間朝日百科のシリーズに「人間国宝」という物があり、その第3巻に歌舞伎の女方の特集があり、その中で役者の神様と称えられた今は亡き六代目中村歌右衛門が紹介されていました。その中で品格について述べられていました。
「(前略)歌右衛門の芸の目標はその格にあった。(中略)歌右衛門が(息子の)梅玉に要求したものは芸の品格であり、それはまた歌右衛門自身が生涯の目標にしてきたものにほかならなかった。
しかし品格とは、おのずから身につくものであって、計算したり狙って出来るものではない。計算したり狙って出来るものを目標というならば、品格とは目標とすることの出来ぬもの、目標の外にあるものを目指すことによって、初めて芸は磨かれ、その人の生き方そのものが磨かれるものである。
そしてもっとも大切なことは、そういう磨かれ方をしない限り芸は円熟しないということである。目標は努力によって到達できる。努力しても到達出切るかどうか、わからぬものを目標とすることによって初めて芸は円熟する。
歌右衛門は晩年において、この品格によって円熟した。老齢と病気のため体が不自由になってもなお、歌右衛門は初めて近代を超え、歌舞伎の神話を私たちの眼前に示したのである。(後略)」
この文章を読んでいて私が中学生の時、相撲雑誌に当時まだ現役だった横綱大鵬の紹介で「円熟、横綱大鵬」とタイトルがあり母親に「円熟とは何!」とたずねたことを思い出しました。
人間国宝と横綱を一緒にするな!と言われるかもしれませんが、私が持つ横綱のイメージはそれほど高いということかもしれません。
横綱は強けりゃいいのかな?
以前、朝日新聞から発売されていた週間朝日百科のシリーズに「人間国宝」という物があり、その第3巻に歌舞伎の女方の特集があり、その中で役者の神様と称えられた今は亡き六代目中村歌右衛門が紹介されていました。その中で品格について述べられていました。
「(前略)歌右衛門の芸の目標はその格にあった。(中略)歌右衛門が(息子の)梅玉に要求したものは芸の品格であり、それはまた歌右衛門自身が生涯の目標にしてきたものにほかならなかった。
しかし品格とは、おのずから身につくものであって、計算したり狙って出来るものではない。計算したり狙って出来るものを目標というならば、品格とは目標とすることの出来ぬもの、目標の外にあるものを目指すことによって、初めて芸は磨かれ、その人の生き方そのものが磨かれるものである。
そしてもっとも大切なことは、そういう磨かれ方をしない限り芸は円熟しないということである。目標は努力によって到達できる。努力しても到達出切るかどうか、わからぬものを目標とすることによって初めて芸は円熟する。
歌右衛門は晩年において、この品格によって円熟した。老齢と病気のため体が不自由になってもなお、歌右衛門は初めて近代を超え、歌舞伎の神話を私たちの眼前に示したのである。(後略)」
この文章を読んでいて私が中学生の時、相撲雑誌に当時まだ現役だった横綱大鵬の紹介で「円熟、横綱大鵬」とタイトルがあり母親に「円熟とは何!」とたずねたことを思い出しました。
人間国宝と横綱を一緒にするな!と言われるかもしれませんが、私が持つ横綱のイメージはそれほど高いということかもしれません。