①ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第2番「ロンドン交響曲」マーガレット・プライス(ソプラノ) (1971年録音)
②ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第3番「田園交響曲」(1968年録音)
③ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第1番「海の交響曲」シーラ・アームストロング(ソプラノ)ジョン・キャロル・ケイス(バリトン)ロンドン・フィルハーモニー合唱団(1968年録音)
エードリアン・ボールト指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
おそらく私の周辺では、私がクラシック音楽を長年聴いていることを知っている方は少ないでしょう。おそらく、そのことを知っても信じる方は、いないでしょう。
「O(私のこと)がクラシック音楽?ウソでしょう!」と
そのくらい一旦、外へ出ると私とクラシック音楽はアンマッチな組み合わせと思われてもしかたがない。
よく家族や親しい人には言うことがあります。
「仕事をしている時の顔は私が生活して行くための顔、しかしクラシック音楽を聴いている時が私の本当の顔」
よくこんなことを言われることがあります。
「昔、学校の音楽の時間は退屈でした。しかし、あなた(私のこと)はその頃から(クラシック音楽が)お好きだったのですか」と。
いえいえ私も小・中学校の時の音楽の時間は、さっぱりダメだった。何ら恩恵を受けていない。
例えば中学の音楽の時間に聴かされたビゼーの組曲「アルルの女」
この音楽は本当は劇音楽であり、ストーリーはアルルの女に恋した村の若者が、最後にファランドールの音楽の最中、その恋の葛藤から窓から飛び降りて命を絶つというストーリーなど授業では一切説明はなかった。
単に眠気を起こさせるために、聴かされていただけである。もしこのストーリーを知っていて聴いていたら、感じやすい中学生の時でなので、また違った気持ちになっていたかもしれません。
そう言えば私の大好きなブルックナー、マーラー、シベリウス、R・シュトラウスなどの作品は全く音楽の時間には無縁で、その頃、存在すら知らなかった。
そう言えば、あの頃、学校と同じ授業用の鑑賞のための音楽だけを集めたレコードを買ってもらって、熱心にお勉強していた優等生がいたな。
今も、その子は音楽を聴いているのだろうか?
逆に音楽の授業が苦手で、劣等生だった私が全く音楽の授業とは、関係ないところでクラシック音楽に興味を持ち、現在でも聴き続けているのは面白い。
いかんグドグドと年寄りの昔話になってしまいました。失礼しました。
さて本日、5枚のCDがセットになったエードリアン・ボールト指揮によるヴォーン・ウィリアムズ交響曲全集(EMI盤)が届く。
送料込で2100円と超お買い得価格でした。
ヴォーン・ウィリアムズの作品も、おそらく学校の音楽の時間には無縁な存在でしょうなあ。
イギリス独特の雰囲気、また時には、それに逆らうような、とっつきにくさがあるヴォーン・ウィリアムズの交響曲。
この一筋縄ではないヴォーン・ウィリアムズの交響曲全曲をイギリス音楽の大家エードリアン・ボールトの指揮で改めて聴き直していくことになります。
今日は第1番から第3番までを聴く。
ボールトの指揮で全体に流れているのは、やはり「風格」
「海の交響曲」の勇壮さ、そして表情豊かな演奏は素晴らしい。
さて余談だが私のCD棚にEMIのロゴのディーリアス、ウォルトン、ホルストのイギリスの作曲家たちの作品全集、そしてバルビローリ指揮によるイギリス音楽全集のCDのセット物が並んでいて、そして今回、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集。
なぜかEMIのロゴに、こだわる私。
御存知の通り今までのEMIの録音はワーナーが取扱い、販売するようになったので、今後、これらのイギリス音楽の録音が、どうなるのか心配である。
また、これらイギリス音楽のCDはワーナーのロゴよりEMIのロゴの方がお似合い?と勝手な私の思いこみ。
そういえばコリン・デイビス指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団によるストラヴィンスキーの三大バレエのCDもデッカではなく、PHILPSのロゴに、こだわりましたなあ。
それにしても販売会社のロゴにこだわるなんて、本当に病的ですなあ。
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②ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第3番「田園交響曲」(1968年録音)
③ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第1番「海の交響曲」シーラ・アームストロング(ソプラノ)ジョン・キャロル・ケイス(バリトン)ロンドン・フィルハーモニー合唱団(1968年録音)
エードリアン・ボールト指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
おそらく私の周辺では、私がクラシック音楽を長年聴いていることを知っている方は少ないでしょう。おそらく、そのことを知っても信じる方は、いないでしょう。
「O(私のこと)がクラシック音楽?ウソでしょう!」と
そのくらい一旦、外へ出ると私とクラシック音楽はアンマッチな組み合わせと思われてもしかたがない。
よく家族や親しい人には言うことがあります。
「仕事をしている時の顔は私が生活して行くための顔、しかしクラシック音楽を聴いている時が私の本当の顔」
よくこんなことを言われることがあります。
「昔、学校の音楽の時間は退屈でした。しかし、あなた(私のこと)はその頃から(クラシック音楽が)お好きだったのですか」と。
いえいえ私も小・中学校の時の音楽の時間は、さっぱりダメだった。何ら恩恵を受けていない。
例えば中学の音楽の時間に聴かされたビゼーの組曲「アルルの女」
この音楽は本当は劇音楽であり、ストーリーはアルルの女に恋した村の若者が、最後にファランドールの音楽の最中、その恋の葛藤から窓から飛び降りて命を絶つというストーリーなど授業では一切説明はなかった。
単に眠気を起こさせるために、聴かされていただけである。もしこのストーリーを知っていて聴いていたら、感じやすい中学生の時でなので、また違った気持ちになっていたかもしれません。
そう言えば私の大好きなブルックナー、マーラー、シベリウス、R・シュトラウスなどの作品は全く音楽の時間には無縁で、その頃、存在すら知らなかった。
そう言えば、あの頃、学校と同じ授業用の鑑賞のための音楽だけを集めたレコードを買ってもらって、熱心にお勉強していた優等生がいたな。
今も、その子は音楽を聴いているのだろうか?
逆に音楽の授業が苦手で、劣等生だった私が全く音楽の授業とは、関係ないところでクラシック音楽に興味を持ち、現在でも聴き続けているのは面白い。
いかんグドグドと年寄りの昔話になってしまいました。失礼しました。
さて本日、5枚のCDがセットになったエードリアン・ボールト指揮によるヴォーン・ウィリアムズ交響曲全集(EMI盤)が届く。
送料込で2100円と超お買い得価格でした。
ヴォーン・ウィリアムズの作品も、おそらく学校の音楽の時間には無縁な存在でしょうなあ。
イギリス独特の雰囲気、また時には、それに逆らうような、とっつきにくさがあるヴォーン・ウィリアムズの交響曲。
この一筋縄ではないヴォーン・ウィリアムズの交響曲全曲をイギリス音楽の大家エードリアン・ボールトの指揮で改めて聴き直していくことになります。
今日は第1番から第3番までを聴く。
ボールトの指揮で全体に流れているのは、やはり「風格」
「海の交響曲」の勇壮さ、そして表情豊かな演奏は素晴らしい。
さて余談だが私のCD棚にEMIのロゴのディーリアス、ウォルトン、ホルストのイギリスの作曲家たちの作品全集、そしてバルビローリ指揮によるイギリス音楽全集のCDのセット物が並んでいて、そして今回、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集。
なぜかEMIのロゴに、こだわる私。
御存知の通り今までのEMIの録音はワーナーが取扱い、販売するようになったので、今後、これらのイギリス音楽の録音が、どうなるのか心配である。
また、これらイギリス音楽のCDはワーナーのロゴよりEMIのロゴの方がお似合い?と勝手な私の思いこみ。
そういえばコリン・デイビス指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団によるストラヴィンスキーの三大バレエのCDもデッカではなく、PHILPSのロゴに、こだわりましたなあ。
それにしても販売会社のロゴにこだわるなんて、本当に病的ですなあ。
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