ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」作品55
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音 1944年12月19日ウィーンムジークフェラインザール
(国内盤)GLANDO SLAM GS2005
久しぶりにベートーヴェンの交響曲を聴く。ベートーヴェンの9曲はまさに数ある交響曲の中でも全て最高峰である。その中で私の心の中での頂点の作品は3番である。独創的でスケールが大きく音楽の無限の広がりを感じさせるこの作品は私の心の中でいつも響き渡ります。
私が本当にこの作品にひそむ作曲者の人間離れした精神の高さ、そして狂気を聴きたい時はどうしても録音は古いですがフルトヴェングラーの録音に手が伸びます。本録音は戦後「ウラニアのエロイカ」と言われ著作権で裁判沙汰になった、いわく付きの録音ですが私の持っているCDは見事な復刻で心からこの作品を堪能できます。
第1楽章の冒頭、フルオーケストラが変ホ長調の主和音を2度、力強く奏します。この和音の物凄さ!決してきれい事ではない。まさに指揮者に作曲者が乗り移っているようである。まさにこの作品の幕開けにふさわしいとしか言いようがありません。
最近読んだ本で「カラヤンとフルトヴェングラー」(幻冬舎新書)があります。この2人にチェリビダッケがからんで陰謀と嫉妬の権力闘争が描かれ、私自身、大指揮者がなぜここまでやるのか?何を血迷っていたのか?と思いましたが、ベルリンフィルは絶対自分のオケでなければいけない、ベルリンフィルに対する執着心が強かったのではないかったかと思います。だから後輩指揮者といっても、その地位を脅かす者は絶対蹴落とすという事になったのかもしれませんが、本当の心の中はわかりません。この本の最後の方で興味深い文章があります。
「・・・デジタル録音とそれに続くCDはどうか。フルトヴェングラーの演奏をデジタルできるはずがなかった。音質の点でカラヤンの録音は圧倒できるはずであった。(略)だがカラヤンの期待は裏切られた。(略)CDの時代が来ると、おびただしい数のフルトヴェングラーの録音がCDとして市場に出るようになった。デジタル技術はフルトヴェングラーの過去の傷だらけの録音を新鮮な物に蘇らせるという副産物を生んだ。カラヤンにとって新技術はそんなことの為に利用されるはずでなかった・・・」
私自身、この本に左右される事無く、今までどうりフルトヴェングラーの録音に接するつもりです。残された録音での演奏が活字を吹っ飛ばすほど本当に素晴らしいのだから!
最後に当時のベルリンフィルのティンパニ奏者の言葉。
「フルトヴェングラー以上に自分の内実を開いてみせる覚悟のある指揮者は他に一人もいなかった。」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音 1944年12月19日ウィーンムジークフェラインザール
(国内盤)GLANDO SLAM GS2005
久しぶりにベートーヴェンの交響曲を聴く。ベートーヴェンの9曲はまさに数ある交響曲の中でも全て最高峰である。その中で私の心の中での頂点の作品は3番である。独創的でスケールが大きく音楽の無限の広がりを感じさせるこの作品は私の心の中でいつも響き渡ります。
私が本当にこの作品にひそむ作曲者の人間離れした精神の高さ、そして狂気を聴きたい時はどうしても録音は古いですがフルトヴェングラーの録音に手が伸びます。本録音は戦後「ウラニアのエロイカ」と言われ著作権で裁判沙汰になった、いわく付きの録音ですが私の持っているCDは見事な復刻で心からこの作品を堪能できます。
第1楽章の冒頭、フルオーケストラが変ホ長調の主和音を2度、力強く奏します。この和音の物凄さ!決してきれい事ではない。まさに指揮者に作曲者が乗り移っているようである。まさにこの作品の幕開けにふさわしいとしか言いようがありません。
最近読んだ本で「カラヤンとフルトヴェングラー」(幻冬舎新書)があります。この2人にチェリビダッケがからんで陰謀と嫉妬の権力闘争が描かれ、私自身、大指揮者がなぜここまでやるのか?何を血迷っていたのか?と思いましたが、ベルリンフィルは絶対自分のオケでなければいけない、ベルリンフィルに対する執着心が強かったのではないかったかと思います。だから後輩指揮者といっても、その地位を脅かす者は絶対蹴落とすという事になったのかもしれませんが、本当の心の中はわかりません。この本の最後の方で興味深い文章があります。
「・・・デジタル録音とそれに続くCDはどうか。フルトヴェングラーの演奏をデジタルできるはずがなかった。音質の点でカラヤンの録音は圧倒できるはずであった。(略)だがカラヤンの期待は裏切られた。(略)CDの時代が来ると、おびただしい数のフルトヴェングラーの録音がCDとして市場に出るようになった。デジタル技術はフルトヴェングラーの過去の傷だらけの録音を新鮮な物に蘇らせるという副産物を生んだ。カラヤンにとって新技術はそんなことの為に利用されるはずでなかった・・・」
私自身、この本に左右される事無く、今までどうりフルトヴェングラーの録音に接するつもりです。残された録音での演奏が活字を吹っ飛ばすほど本当に素晴らしいのだから!
最後に当時のベルリンフィルのティンパニ奏者の言葉。
「フルトヴェングラー以上に自分の内実を開いてみせる覚悟のある指揮者は他に一人もいなかった。」