オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

ベーム指揮モーツァルト交響曲集のDVD

2016年03月01日 14時02分04秒 | カール・ベーム(没後30周年)
今日は私の父の命日である。
父が他界したのは1976年3月1日の午後1時30分である。あれから40年経った。あの日のことは、今も忘れない。
私は高校の卒業式を1週間後に控えていた。妹は高校の受験日直前だった。
この年は今年と同じうるう年。医者から2月29日が山場と言われていた。私は4年に1度しか命日がこないのは嫌だなと秘かに思っていた。
その29日を何とか乗り切って1日の朝、仮眠を取るため自宅へ帰ると直ぐに容体が急変したと病院からTELがあり、直ぐに病院へ。
自転車をこぎながら病院へ。信号待ちが、たいへん長く感じた。そして、涙があふれてきた。
病室へ入って約1時間後、父は逝ってしまった。
今もよく思う。もし父が長生きしてくれていたら私の人生はどうなっていたかと。おそらく今と違う人生を歩んでいたでしょう。
これから成人して世間へ飛び込んでいく時に、父がいなかったというのは本当に辛いものもありましたが、その反面、私を見守ってきてくれた母への感謝の気持ちが一杯である。
ただ、当たり前だが父がいなかったら、私はこの世にいなかった。
また音楽とフィギュアスケートという父が好きだったものを受け継ぐことが出来たことを感謝しなくてはいけない。
音楽とフィギュアスケート。今の私にとってなくてはならぬもので、おそらく死ぬまで付きあい続けるでしょう。
ただ、父に今の日本のフィギュアスケート界を見せてあげたかった。「こんな凄い時代が来たよ!」と。以前、コメントしたことがありますが、戦前の日本フィギュアの黎明期に稲田悦子さん(現在も続いている全日本選手権女子シングル最初の優勝者であり日本女子で初めて冬季オリンピックに出場)を直かに見た父。おそらく喜ぶのは間違いないでしょう。

さて話題を変えます。
1週間前に3枚組のDVDが届く。
カール・ベーム指揮によるモーツァルト交響曲集。
通常売価9612円の商品を3290円の特別価格で入手。以前から欲しかったのだが、やっと破格値で手に入れる。
交響曲第1番、第25番、第28番、第29番、第31番、第33番、第34番、第35番、第36番、第38番、第39番、第40番、第41番。そしてアイネ・クライネ・ナハト・ムジーク、・セレナータ・ノットゥルナ K.239が収録されている。
演奏は第33番と第39番がウィーン交響楽団。それ以外はウィーンフィルである。
1981年に亡くなったベームの名前を聞いて特別な感情を抱くのは私の世代が最後かもしれない。
ベームの死後、モーツァルトの演奏様式も変わっていき、ベームのモーツァルトも時代遅れといわれるかもしれない。
しかし私は厳しさの中にも、作品の奥の深さを感じさせる演奏は、今も私は大好きである。
以前、カール・ベーム・没後30周年「出会い」でコメントそましたが、クラシック音楽の深みに入って行ったことに、3つの転機(3つの大きな扉)がありました。この大きな扉を開ける時、そこにいつもベームの存在がありました。
こと音楽に対しての転機の扉の前に必ずベームが立っていた。
「こら!何処へ行くのだ!こっちへこい!」と大きな声をかけられ、ベームの導かれるまま扉の中へ入って行ったと言っていい。

カール・ベーム・没後30周年「出会い」

さて今回の映像によるベームの演奏。
ウィーンフィルとのライブによる第40番や第41番は、さすがの演奏ですがモーツァルトの若い頃の作品の演奏も強く印象に残りました。
若い頃の作品だから軽くだからとが優雅になどと言う気持ちはなく、第40番や第41番と同じ心構えで演奏されているのが嬉しかった。
特にベーム84歳の時の交響曲第1番の演奏には驚いた。
最晩年を迎えたベームによるモーツァルト最初の交響曲の演奏。たいへん充実感のある演奏である。
また驚かされたのはセレナータ・ノットゥルナ K.239の演奏。
優雅さとは程遠い演奏。何か交響曲を聴いているような気持ち。しかし、まぎれもないモーツァルト。こんな演奏をした指揮者がいたのである。また当時ウィーンフィルのコンサートマスターだったゲルハルト・ヘッツェルのソロを聴けるのも、たいへんな贅沢である。
さて明日は私にとって最初で最後のベーム指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の演奏会を渋谷のNHKホールで聴いてから39年目になります。貧乏学生だったので高額なチケット代を作るためアルバイトに精を出しましたものです。
今もまだ私の心の中にしっかりあるカール・ベームの存在。
今回入手したベームのモーツァルトへの愛情が一杯に詰まったモーツァルトのDVD.
大切にしていきます。

今回は命日を迎えた父のこと、そして私の音楽の父と言うべき指揮者カール・ベームを話題にしました。
私事で申し訳ございませんでした。人生の節目と言うことで、どうかご容赦下さい。





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今日聴いたCD,10月16日

2015年10月16日 17時14分59秒 | カール・ベーム(没後30周年)
ベートーヴェン  交響曲第2番ニ長調 作品36
ベートーヴェン  交響曲第7番イ長調 作品92

カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1980年8月17日 ザルツブルク音楽祭でのライブ録音 ORFEO盤)

 
このところフィギュアスケートの話題ばかりコメントしていましたが、クラシック音楽のCDはコツコツ聴いていました。
またフレンズオンオンアイスも終わり、今は財務大臣閣下の目を盗んで?CDもボチボチと購入している。
さて懐かしい録音がCD化された。
ベーム生涯最後のザルツブルク音楽祭。翌年の8月、ベームはこの世を去ってしまう。
ところで、この録音。この年の暮、NHKのFMで放送され、私はテープで録音していましたが、そのテープは、どこかへ行ってしまった。
それだけに35年後の現在、再び、この演奏を聴けて本当に嬉しい。
ベームは、この2か月後の10月に来日してウィーンフィルと同じプログラムを振りCD化され、私も所持していますが、演奏の覇気、力強さは、今回のザルツブルク音楽祭での録音の方が上である。
特に、第7番の第4楽章のコーダでの叩き込むような迫力、物凄いスピードは、実演で燃える最後のベームを見た思いです。
カール・ベームは私が、たいへん敬愛している指揮者。
亡くなって35年近く経ち、忘れ去られている存在か?と思っていましたが、こうしてお宝録音がCD化され本当に嬉しい限りです。




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38年越しのブラームス

2014年05月01日 12時59分47秒 | カール・ベーム(没後30周年)
昨晩、帰宅すると財務大臣閣下が不機嫌だった。
大臣閣下の目線の先には「ワールド・フィギュアスケート」の最新号と2組のCD.
ネットで手配していた物が、何と間の悪いことに、今日、同じ日に届いてしまった。
娘が一発。
「このオッサン、どうせウチたちの話なんか耳に入らないで、自分の世界に入ってしまうんだから!」
よく、ご存じで!

さてさて届いたCDの一つはブラームスの交響曲全集。
CDとしては10組目のブラームス交響曲全集。
今回、入手したのはカール・ベーム指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の録音。1975年にウィーンのムジークフェラインザールでセッション・レコーディングされたドイツグラモフォン盤。
ベームファンの私が何と、今頃、ベームのブラームスの交響曲全集である。これには何か屈折した訳がある。
この交響曲全集の4枚組のLPレコードのアルバムが発売されたのが1976年。何と38年前。私が高校生の時だった。
当時、発売を知った時、私は欲しいと思った。しかし1万円を超す代物。手が出なかった。
しばらくしてFM放送で、この全集から交響曲第1番が放送され聴いてみましたが、いい印象を持たなかった。1975年3月の来日公演の演奏の印象が強すぎたのかもしれません。
そんな中、音楽雑誌「レコード芸術」の月評では、当時から私が嫌いだった音楽評論家O氏が大絶賛。アマノジャクの私はすっかり購入する意欲を失ってしまい、その時の気持ちが続いていたのか、現在までに至ってしまった。
それにしても音楽評論家の一言は本当に怖いものである。その一言が、良い方に向いたらそれはいいのですが、悪い方に向いたら最悪である。特にクラシック音楽を興味を持ち聴き始た最初の頃は特にである。
ただ、この頃、いろいろなブラームスの交響曲の演奏を聴くにつれ、ベーム指揮ウィーンフィルの演奏だったらどんな演奏になるのだろうか?と思うことが多くなり、また私のCD棚にベームの交響曲全集が並んでいない寂しさを感じることもあり、とうとう重い腰?を上げることとなりました。
今日は交響曲第1番と第2番、そして「アルト・ラプソディ」「ハイドンの主題による変奏曲」を聴いてみました。
まず感じたのはムジークフェラインザールでのウィーンフィルの響きの素晴らしさである。
会場に聴衆のいないセッション録音が良かったのでしょう。
その中で演奏されるブラームスの音楽。
何という心地よさであろうか。安心して、音楽に身を任せることの出来る演奏。
後年、発売された、バーンスタインの特徴ムンムンの同じオケ、同じ場所でのライブ録音と大違いである。
まさにベームとウィーンフィルの成熟しきった演奏が記録されていると言っていい。
こんな気持ちになるのも私が歳を重ねたからであろうか?10代から20代の若造時代では分からなかったでしょう。
聴いていて特に一番印象に残った曲は交響曲第1番の第2楽章と「アルト・ラプソディ」。
正に男のロマン。男の心情。これらがベーム指揮ウィーンフィルの演奏から湧き出るように語られています。
第2楽章のヴァイオリンソロは当時コンサートマスターだったゲアハルト・ヘッツェル。
その甘い調べから、武骨な男が涙する音楽が聴こえてきます。
それにしても、今まで、回り道のように、いろいろなブラームスの交響曲の演奏を聴いて来ましたが、結局、落ち着くところはベームの元と言うことになるのでしょうなあ。

さてブラームスの録音にちなんで1枚の写真。
最近ネットで見つけました。
あの名盤中の名盤、1967年録音のバックハウスのピアノ独奏、ベーム指揮ウィーンフィルによるブラームスのピアノ協奏曲第2番の録音風景らしい。
バックハウスとベーム、コンサートマスターのボスコフスキー。
この3人で、どのような会話が交わされていたのでしょうか?
それにしてもバックハウスの目の鋭さ!
物凄い雰囲気の中での録音だったのでしょう。
あの物凄い演奏が聴こえてきそうです。




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今日聴いたCD 12月23日

2011年12月23日 14時58分50秒 | カール・ベーム(没後30周年)
R・シュトラウス 歌劇「ナクソス島のアリアドネ」(全曲) カール・ベーム指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(1976年ウィーン国立歌劇場でのライブ録音 ORFEO盤)

今年は私の大好きな指揮者のカール・ベーム没後30年の節目の年でした。本当は以前の朝比奈隆の時のブルックナーように、集中的に取り上げたかったのですが、頓挫してしまった。朝比奈隆の時と違って、仕事の配属先が変わり仕事の忙しさも桁違いとなり、余裕が無くなったためかもしれません。モーツァルト、R・シュトラウス、ワーグナー、ベルクとベームには、たくさんの切り口があります。余裕が出たら改めて集中的に取り上げるつもりです。

そして没後30年が終わろうとしている時に、たいへんなお宝録音が登場しました。ウィーンでの歌劇「ナクソス島のアリアドネ」のライブ録音である。ベームのこの世を去る5年前の録音。
グゥンドラ・ヤノヴィッツ、ジェームズ・キング、エディタ・クルベローヴァ、アグネス・バルツァ、ヴァルター・ペリー、エーリッヒ・クンツと言った選び抜かれたそうそうたる歌手たちの顔ぶれ。

このCDを聴きながら数年前に購入したDVDの解説書のコメントを思い出しました。

「ベームほどこのオペラを愛した指揮者はいなかった。ベームほどこのオペラで評価された指揮者はいなかった」

たった37人のオーケストラ奏者と一流歌手たちによって生まれるオペラの世界。R・シュトラウスのオペラの持つ透明感と陶酔感。「オペラ」のフィナーレの高揚感は何と表現したらよいのでしょうか?まさにホーフマンスタールとR・シュトラウスが生み出した魔法の世界。それを誰よりも知り抜いていたベーム。今後も、これだけ知り抜いた指揮者は、もう登場しないであろう。
今回の1976年のライブ録音でも、これらを余すことなく聴くことが出来た。ベームの最晩年を飾る見事な録音である。

歌手では、やはりツェルビネッタ役の若き日のエディタ・クルベローヴァが素晴らしい。「オペラ」で歌われる「偉大な王女様」での超絶的なコロラトゥーラは聴いていて本当に我を忘れます。
また序幕で登場する作曲家役のアグネス・バルツァも最高である。このバルツァにペリーやクンツが絡むのだから、超贅沢である。そしてクルベローヴァとの2重唱は、正に陶酔感の極致である。

昨日、ネットで手配していた何組かのCDが届きましたが、残念ながら一番聴きたかったケンぺ指揮の「ドイツ・レクイエム」のCDが、まだ含まれていなかったので、少々ガックリしましたが、このCDを聴いて、その残念さも吹っ飛びました。
ベームの録音と言えばベートーヴェンやブラームスなどの交響曲の録音ばかりが取り沙汰されますが、私は「R・シュトラウスのオペラを聴かずしてベームは語れない」と声を大にして言いたい。
また私の本音が出てしまいました。申し訳ございません。

カール・ベーム、没後30周年、「バックハウス」

2011年06月17日 16時03分06秒 | カール・ベーム(没後30周年)
ベーム没後30周年にちなんで、ベームの遺したCDをいろいろ聴いていますが、今日は久し振りにブラームスを聴いて心から感動しました。
ただ、ブラームスと言っても交響曲ではない。今回はピアノ協奏曲第2番である。私がブラームスの交響曲を語ることはないだろう。
さてピアノ協奏曲第2番である。ピアノはヴィルヘルム・バックハウス、オーケストラはウィーンフィル。1967年デッカでの録音である。



ベームとバックハウスそしてウィーンフィルとの組み合わせは世界最高と言われていたらしい。
この組み合わせでベートーヴェンの3番やブラームスの3番の名演奏の録音もありますが、モノラル録音。ブラームスの第2番とモーツァルトのK.595のみがステレオ録音で残っている。K.595もたいへんな演奏なので後日、改めてコメントするつもりです。
かなり以前、テレビでベームとバックハウス、そしてウィーン響(もしウィーンフィルだったら・・・)によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番の映像を見た事があります。(どこかに録画したビデオテープがあるはず)
演奏も素晴らしかったですが、何といってもバックハウスの表情に深く引き込まれるものがありました。特に目の表情!この世から超越しているような表情だった。
そんなバックハウスを支えるベームとウィーンフィル。おそらく実際のコンサートでは私の想像を超えた演奏を繰り広げられたに違いありません。
ベームとバックハウスは公私を超えた関係だったらしい。
戦前、ドレスデンでもブラームスの2番を録音しているので長い関係だったようである。
ベームの自伝「回想のロンド」でも書かれていますが、戦時中、スイスに寄宿させていたベームの息子をいろいろと援助していた1人が、すでにスイスの市民権を手にいれていたバックハウスとのことである。

1967年のブラームスのピアノ協奏曲第2番の録音は、この作品というだけでなく多くのピアノ協奏曲の録音の中でも最高峰の録音であると私は固く信じています。正に世界遺産と言ってもよい録音である。
第1楽章の冒頭、別世界のようなコクのあるホルンの響きのあと、淡々としているが、限りなく深く、堂々とした風格と感じさせるバックハウスの弾くピアノ。そしてベーム指揮ウィーンフィルの超ど級というべき演奏。第1楽章の冒頭で全てが決まったという感を強くします。
また第3楽章のチェロ独奏のこの世のものと思えない美しさ!
それをウィーンフィルから引き出したベームに私は心から尊敬の念を禁じ得ません。

カール・ベーム、没後30周年、「エレクトラ」

2011年06月15日 10時02分36秒 | カール・ベーム(没後30周年)
Elektra's death dance (Leonie Rysanek)


クラシック音楽の映像化と言えば、すぐにカラヤンを連想しますが、ベームも多くの映像を残しています。
ベームファンとして忘れてはいけないのはR・シュトラウスの楽劇「エレクトラ」の映像です。
ベーム生涯最後の録音である。ウィーンフィルを前にしての最後の録音が1981年6月11日。そして亡くなったのが同年の8月5日。なお6月11日はR・シュトラウスの誕生日である!
まさにベームの遺言と言うべき録音である。
生涯最後の録音に「エレクトラ」を選んだベーム。生涯に渡ってR・シュトラウスの多くのオペラを指揮を続けてきた中で「エレクトラ」を選び、録音そして映像化した理由は何だろうか?
ベームはギリシャの歴史や文化、哲学にも造詣が深かったらしい。若いころから、それらが体に染み渡っていたらしい。そしてR・シュトラウスの音楽。台詞(せりふ)と音楽の一体化。数多くのオペラの中でも最も規模の大きい管弦楽編成。
生涯、オペラと共に生きてきたベームにとって、やはり「エレクトラ」は特別な作品であり、最高の作品という思いが強かったのかもしれません。

戦後、ウィーンを中心にベームの指揮する「エレクトラ」の公演でのエレクトラ役はビルギッド・ニルソン、クリテムネストラ役はレオニー・リザネクがほとんどでしたが、この録音では長い間ベームのクリテムネストラ役だったレオニー・リザネクがエレクトラ役である。おそらく映像化という事を念頭においての配役でしょう。リザネックはベームの期待通り見事なエレクトラである。とてもエレクトラ初役とは思えません。
リザネックとの最初のピアノリハーサルでベームは言ったそうである。
「言葉が全然聴き取れないじゃないか。テキストはものすごく大事なんだよ」
音楽と台詞(せりふ)。ホフマンスタールのテキストの大切さ。
R・シュトラウスというと、どうしても大掛かりなオーケストラの響きの方へ気が行きがちですが、R・シュトラウスのオペラにとって一番大切なものは何なのか改めて教えてくれた気持ちになります。

クリテムネストラ役はバイロイトでも活躍したワーグナー歌手のカタリナ・リゲンツァ。リゲンツァの扮するクリテムネストラは本当に美しい。乙女の初々しさ、そして強さが伝わってくる。見事な配役といえます。録音や映像に恵まれていなかったリゲンツァだけに、この「エレクトラ」の映像はたいへん貴重です。写真は見た事はありますが彼女の演ずるワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の映像は残っているのだろうか?舞台栄えする見事なイゾルデであったに違いありません。

その他フィシャー・ディースカウ、アストリッド・ヴァルナイ、ヨーゼフ・クラインドル、クルト・ベーメといった名歌手がこの録音に厚みを加えてくれます。
そしてウィーンフィル!
ベームには1960年のドレスデンでのスタジオ録音もあり、こちらも「エレクトラ」を語るには絶対はずせない録音ですが、どうしてもベーム最後の録音ということで、この最後の「エレクトラ」を取り上げました。
このオペラの持つ懐の深さ、作品の本当の真価を私自身、充分に理解できているとは、まだまだ思えません。
ベームが亡くなって30年経ちましたが、これからも演奏と映像を通じて教えてくれるでしょう。


カール・ベーム・没後30周年「R・シュトラウス」

2011年06月08日 10時23分20秒 | カール・ベーム(没後30周年)
R・シュトラウスの作品と言えば、普通の音楽ファンですと「英雄の生涯」や「ツァラトウストラはかく語りき」などの管弦楽曲の作曲家としてのイメージが強いかもしれませんが、私にとってはオペラと歌曲の人である。
よく思う事があります。R・シュトラウスのオペラでは「サロメ」や「ばらの騎士」が特に有名ですが、もし、カール・ベームがいなかったら「ナクソス島のアリアドネ」や「影のない女」は現在まで、きちんと知れ渡っていたであろうか?と。
R・シュトラウスのオペラにはマニアック的要素がたくさんあり、それらの要素、面白さを伝えてくれたベームは正にR・シュトラウスのオペラの伝道師だったと言っても過言ではありません。
ベーム自身、R・シュトラウスと親交が深く、そしてR・シュトラウスとゆかりの深かったドレスデン国立歌劇場の指揮者を務めただけに、単に大編成のオーケストラを単に鳴らすだけの演奏とは次元が違うものがあります。
さて、私自身、R・シュトラウスのオペラの中で一番好きなオペラは「アラベラ」です。残念ながらベームのきちんとした全曲録音はなく、1947年のライブ録音があるらしいですが、私はまだ聴いていません。
ただ、幸運なことにベームが戦前ドレスデン時代に録音した「オペラ名場面集」のCDが復刻され、その中にアラベラとマンドリーカとの聴かせどころが収録されているのが嬉しい。「ばらの騎士」もいいですなー。このCDで聴く当時のドレスデンのサウンドも聴き所ですし、解説書に掲載されている多くの写真を見ると録音当時へのタイムトラベルした気分になります。ベームが世界初演した「ダフネ」の初演メンバーによる録音も収録されていて、私にとって貴重なCDである。


さて、私のベームが指揮したR・シュトラウスのオペラのお気に入りの録音を何点か。

楽劇「サロメ」(全曲) 1972年ウィーン国立歌劇場でのライブ録音

これは、評判のよいカラヤン盤を吹っ飛ばす物凄い演奏である。特に「7つのヴェールの踊り」以降のベームの燃え方はライブ録音ならではある。ベームが自分の娘と呼んだレオニー・リザネックのサロメはまさに迫真のサロメである。

楽劇「影のない女」(全曲) 1977年ウィーン国立歌劇場でのライブ録音

レオニー・リザネック、ビルギット・ニルソン、ジェームズ・キング、ワルター・ベリーの素晴らしい歌唱にしびれるばかり。特に第3幕の巨大なフィナーレは本当に凄い。これを支えるベームの指揮。凄すぎるとしか言いようがない。
さてベームは1974年と1075年にザルツブルグ音楽祭で、このオペラを上演していますが、ライブ録音はあるのだろうか?調べてみなくてはいけないが、あれば、ぜひ聴いてみたい。

歌劇「ナクソス島のアリアドネ」(全曲) 1965年ザルツブルグ音楽祭でのライブ映像。

DVDである。オケはウィーンフィル。映像は白黒ですが全く気にならない。
解説書に「ベームほどこのオペラを愛した指揮者は、いないのではないのか。ベームほどこのオペラで評価された指揮者は、いないのではないか」と記されていたコメントが強く印象に残っています。
1966年のバイロイトでのあの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の録音の前年の演奏。正にベームの絶頂期の演奏を記録したお宝映像である。
パウル・シェフラー、セーナ・ユリナッチ、ジェス・トーマス、レリ・グリストといったザルツブルグ音楽祭ならではの豪華メンバー。特に第1幕の作曲家役のユリナッチは見事!彼女のズボン役は本当にさっそうとしていて素晴らしい。
終演後のカーテンコールでツェルビネッタ役のグリストと2人だけで手をつないでステージに登場した嬉しそうなベームの表情。いかにベームがグリストを、そして、このオペラを愛していたかが強く伝わってくるものがあり熱い気持ちが込み上げてきます。

以上、挙げた3点の録音、全てライブ録音である。

R・シュトラウスのオペラを知り尽くしていた指揮者ベーム。
劇場内の高揚感、陶酔感。正にライブでの燃えに燃えるベームを聴く醍醐味そのものです。

カール・ベーム・没後30周年 「出会い」

2011年06月01日 09時57分19秒 | カール・ベーム(没後30周年)
「カール・ベーム没後30周年」いよいよ本題に入ります。
まずベームの生涯を簡単に記載します。

1894年 オーストリアのグラーツにて生れる。
1917年 グラーツ市立歌劇場でデビュー
1921年 ブルーノ・ワルターの招きでバイエルン国立歌劇場の指揮者に就任。
1927年 ダルムシュタット市立歌劇場音楽監督に就任。歌劇「ヴォツェック」の公演を通じてベルクと知り合う。
1931年 ハンブルク国立歌劇場音楽監督に就任。
1934年 ドレスデン国立歌劇場総監督に就任。ドレスデン時代、R・シュトラウスの歌劇「無口な女」と「ダフネ」を世界初演する。
1943年 ウィーン国立歌劇場総監督に就任。(~1945年)
1948年 ミラノ・スカラ座に初登場。
1954年 再びウィーン国立歌劇場総監督に就任。
1955年 再建されたウィーン国立歌劇場での記念公演を指揮。
1956年 ウィーン国立歌劇場総監督を辞任。後任はカラヤン。
1957年 メトロポリタン歌劇場に初登場。
1962年 バイロイト音楽祭に初登場。
1963年 ベルリン・ドイツ・オペラと初来日。「フィデリオ」と「フィガロの結婚」を指揮。
1975年、1977年 ウィーンフィルと来日
1980年 ウィーン国立歌劇場と最後の来日。ウィーンフィルの公演も指揮。
1981年 ザルツブルクで死去。

私は中学3年生の頃からクラシック音楽に興味を持ち聴きはじめ、現在に至りましたが、クラシック音楽の深みに入って行ったことに、3つの転機(3つの大きな扉)がありました。この大きな扉を開ける時、そこにいつもベームの存在がありました。
ベームを語ることは私の音楽遍歴を語ることになると言えるでしょう。

①1枚目の扉
以前、「ブルーノ・ワルターとの出会い」を特集した時にコメントしていたので再録します。

>高校1年の時FM放送でカラヤン指揮のベルリンフィルの連続演奏会を聴いて以来購入するレコードは全てカラヤンオンリーという時期が続きました。しかし予期しなかった事があり方向転換する時がきました。
高校2年も終わり3年になる直前の3月でした。NHKがベーム指揮のウィーンフィルを招聘し、これも連日放送されました。今では都会ではウィーンフィルの来日は年中行事になっているようですが当時は何年かの1度の事件でした。(私の4年間の東京での大学生時代でも来日は1回だけだった)当時、私自身はベートーヴェンやブラームスの交響曲は全て聴いており知っている(つもり)状況でした。
初日はFMの生放送でベートーヴェンの4番と7番の交響曲を聴きましたが別に何とも思いませんでした。そして・・・今も強烈に記憶が残っています。
2、3日後テレビでブラームスの交響曲第1番を聴き(観)ました。第1楽章の冒頭のティンパニの連打を聴いた瞬間、今迄聞いて来たものと全く違う事に驚き、別世界に連れて行かれるようであった。この作品はカラヤンのレコードを持っていましたが冒頭は単にティンパニを叩きましたという感じでしたが、この日聴いた演奏は指揮者の強い意思、そして気迫がオケに乗り移り物凄い緊迫感を第1楽章で感じました。ベームの指揮ぶりもカラヤンのような外面の良いものではありませんが作品に寄り添っているのがよくわかりました。そして第2楽章では気高さと第1楽章に反するような美しさ!特にコンサートマスターのソロの美しさ!初めてこの作品を聴く感じであった。第3楽章を経て第4楽章。あの有名な主旋律では、ここぞとばかり歌うウィーンフィル。そして速度をあげて力強い響きの圧倒的といえるクライマックス。カラヤン指揮ベルリンフィルのレコードと次元が違いすぎる!クラッシック音楽というものが、こんなに物凄く、決してきれい事でない世界である事を始めて知った!クラシック音楽を聴き初めての感動だったのではないか?
数日後FMでの生放送でシューべルトの交響曲9番も聴きましたがブラームスと同様でした。アンコールでの「マイスタージンガー」前奏曲も素晴らしかった!

ベームの演奏で、カラヤンと全く違う世界が私の前に広がりました。それまでは、どちらかと言うと単に「作品を聴く事」が勝っていたが、べーム指揮ウィーンフィルの演奏を聴いて初めて知った事は今にして思えば「演奏を聴く事」の面白さだったのではないかと思います。
それまでカラヤンの本も読んでいましたが、どちらかと言うとメディアに関することが多かったですが、ベームに関する記事を読むと、カラヤンと全く違っていた。ベームを通じてワルターやクナパーツブッシュを知り、バイロイト音楽祭、ヴィーラント・ワーグナーを知り、そしてR・シュトラウスやベルクまで至りました。ベームをミュンヘンに招いたのがワルターであり、その後任がクナパーツブッシュ。ベームとのつながりで、いろいろと知ることも多く音楽的視野も一気に広がり、クラシック音楽を聴く楽しさも深くなっていくものがありました。

②2枚目の扉
高校生になって特に興味を持った作曲家がワーグナーでした。歌劇「タンホイザー」序曲などはよく聴いていたのですが、特に楽劇「トリスタンとイゾルデ」からのコンサート形式による「前奏曲と愛の死」を初めて聴いた時は、たいへん衝撃を受け、何か異様な世界に引きずり込まされるような気分でした。
楽劇「トリスタンとイゾルデ」の全曲を聴いてみたい、特に第2幕の愛の2重唱はぜひ聴いてみたいという願望を強くしていきました。しかし当時のオペラの全曲レコードは現在のCDでは考えられないくらい、高校生だった私にとってたいへん高額でしたが、コツコツとお金を貯めて、そして、やっと購入しました。
録音はカラヤン盤を見向きもしないで当然ながら1966年のベーム指揮によるバイロイト音楽祭のライブ録音を選びました。ベームの自伝「回想のロンド」を既に読んでいて、ベームのこの作品への愛着の強さ、この録音の意気込みを知っていたので当然でしょう。
手にしたアルバムはズシリと重いものでした。あの初めて手にしたときの重さの感覚は今も忘れられません。あの重さ=作品の重さと言えるでしょう。
我が家のステレオのスピーカーから初めて聴く第2幕の最初の序奏が初めて鳴り響いた時は、本当に感動しました。
楽劇「トリスタンとイゾルデ」という作品が私を音楽の深みにさらに導いてくれた。そして、この作品の真価を教えてくれたのが、またしてもベームでした。



③3枚目の扉
高校生生活を終えた私は大学は東京の某私立大学に進学することとなり東京で4年間を過ごすことになりました。それまで生のオーケストラを聴いたのは中学3年の時のNHK交響楽団の地方公演の1回のみの状態だったので、東京で生のオケの演奏、特に海外のオケの来日公演も聴けるという気持ちが強かった。一番、聴きたかったのは当然ながらベーム指揮のウィーンフィル。しかし当時80歳を超える高齢だったので、もう来日はないだろうと諦めていました。ですから1975年の来日公演の放送を聴いて、もう少し早く生れていたら・・・と何度、思ったことでしょう。
それが何と1977年3月に実現しました。夢のようでした。チケット代は12000円。オーケストラの演奏会のチケット代が1万円を超えたのは、この時、初めてだったのではないでしょうか。アルバイトで貯めたお金を注ぎ込みました。
東京へ出て初めて聴いた外国のオケはチェコフィルでした。期待し過ぎていた為か、ちょっと肩透かしで、残念ながら、海外のオケは、この程度か?と思ってしまいました。
そして2番目に聴いたのがベーム指揮のウィーンフィル。
期待と不安の気持ちが交錯しながら会場のNHKホールに向かいました。座席は1階の前から8番目のほぼ真ん中。田舎の貧乏学生の私が何で、あのような条件のよい場所の席が確保できたのか、今も不思議でたまりません。音楽の神様のおぼし召しだとしか考えられません。
プログラムはベートーヴェンの交響曲第6番「田園」と第5番。アンコールは「レオノーレ」序曲 第3番。
「田園」が素晴らしかった!輝かしく、この世のものと思えないくらい美しかった!現在まで、いろいろと聴いてきましたが全く別次元の演奏でした。
この日の演奏のライブ録音が、後年CDでも発売されましたが、実際、私が聴いた響きは、あんなものではなかった。しかし、これは、しかたがないことでしょう。


超一流の指揮者による超一流のオーケストラの演奏がいかに物凄いか!まざまざと実感するものがありました。一流と超一流の違いの大きさ。
私にとってのベームの生のステージは、この1回だけですが、あの時のウィーンフィルの音色は30年以上たった現在も、忘れる事がなく、しっかりと憶えています。
音楽の永遠性、演奏の永遠性を今も教えてくれています。すべて心に残るもの。
1975年のウィーンフィルとの来日公演を放送を聴き、1977年、NHKホールで生の演奏を聴くまで、たったの3年間ですが、私にとって、たいへん大きな3年間であり、私の現在の音楽観が固まった大切な3年間だったといえます。そして、その中心的存在が指揮者カール・ベームで、ここまで私を導いてくれた(そして、これからも導いてくれている)と言えます。

たいへん長文になってしまいました。次回はR・シュトラウスを語りたいと思っています。



カール・ベーム・没後30周年、初めに。

2011年05月28日 21時42分58秒 | カール・ベーム(没後30周年)
今年は私の大好きな指揮者であるカール・ベームの没後30周年です。
この前もコメントしましたが「レコード芸術」の最新号でベームの没後30周年の特集が
組まれていましたが、何か物足りなかった。面白くなかった。
それは、やはりベームという指揮者が私に与えてくれた影響力の大きさ、私の音楽観を語るにはベームという指揮者の存在は無くてはならない存在。あまりにも私にとって影響力、存在力が大きすぎるため、「レコード芸術」の最新号でのベームの没後30周年の特集が物足りなかったのでしょう。
ベームを語らずして私のクラシック音楽の遍歴は語れません。

話は変わりますがベームの死後、しばらくしてフランツ・エンドラー著高辻知義訳による「カール・ベーム」という本が発売されました。価格は当時で4800円で、私にとって大変な高額な本でした。序文は何とレナード・バーンスタインによるもので、写真も豊富で、たいへん贅沢な本でした。
とくに未公開の書簡や手紙も多く掲載されいてベームファンにとって興味深いものばかりでした。ベームはR・シュトラウスやベルクとの親交は有名ですが、この本ではヒンデミット、コルンゴルド、プフィツナーといった作曲家との手紙も公開され、ベームの存在の大きさを痛感しました。
そして読み終わって強く感じたのはベームの生涯の重さ、そしてベームの生涯そのものがヨーロッパのクラシック音楽の演奏史であるという事ということでした。本当に大きく重たい一生。そして私は、ベームが残してくれた遺産を、まだまだ充分に理解していないのでは?という事でした。

私自身、ベームの没後30周年という節目の年を迎えて、もう一度ベームの音楽や業績を私自身が所持しているCDやDVDを通じて見直して数回コメントして行きたいと思います。
そして、今まで私がクラシック音楽を愛することが出来た感謝の気持ちをベームに込めて!
最初は「出会い」から初めて数回ほど特集して最後はベーム自身が運命のオペラと言ったベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」で終わるつもりです。
たかが数回ですが今年一杯かかるかもしれません。
どうかご容赦下さい。