ソチ冬季オリンピックが終わりました。今、私のオーディオのスピーカーからチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の第1楽章が大きく鳴り響いています。なぜラフマニノフではなくチャイコフスキーの「悲愴」なのか、よく分からない。ただフィギュアスケートの女子シングルのフリーが終わった直後から、なぜか、この音楽が私の頭の中で鳴り響きだしたのである。雪と氷に閉ざされたロシアの大自然の中で繰り広げられた今回の冬季オリンピック。今の私の心にはチャイコフスキーの音楽がピッタリなのかもしれません。
私自身、今までクラッシック音楽やバレエを通じてロシアの親近感は強かったのですが、今回の冬季オリンピックで、ロシアが、もっと身近になったのは間違いありません。
さてソチ冬季オリンピックは終わってしまいましたが、今も浅田真央さんのフリーの演技の余韻が続いています。
残念ながら浅田真央さんはメダルには届きませんでしたが、メダル以上に大切なことを教えてくれました。そして、それを感動という形で私たちの心に残してくれました。
正に浅田真央という1人のフィギュアスケーターの、これまでの生き様、そしてフィギュアスケートに対する真摯な取り組みとアスリートとしての挑戦。
これらの結晶が今回のオリンピックでのフリーの演技でした。
フィギュアスケートはポイントを争う競技。しかし美しい音楽に乗っての表現の場。だから理屈抜きに見ている者に伝わってくるものがある。
単にポイント稼ぎだけで終わると何も面白くない。何も伝わってこない。
こういう時、どうしても浅田真央さんと対極の存在であるキム・ヨナに触れなければいけない。
今回、キム・ヨナは銀メダル。見事なメダリストである。ただ、私自身、要領良くメダルを獲ったとしか感じなかった。
浅田真央さんにあって、キム・ヨナになかったもの。それは、やはり「挑戦」。少しでもレベルを上げよう、もっと自分自身を、高い境地に押し上げようとする強い意志、そして実行。その差が、メダル云々とは別にフリーで見事に表れていたと言っていい。
ここさえ押さえておけばオリンピックでメダルが獲れる的なキム・ヨナの演技と、失敗のリスクを常に抱えての挑戦的な浅田真央さんの演技とでは、もう次元が違う、世界が違うのである。
だから金メダルのソトニコワとキム・ヨナの差。ソトニコワの斬新的なプログラム、そして後半に見せた気迫の凄さ。この差がメダルの色を変えた!ソトニコワも「挑戦」していたのだ。
今回、キム・ヨナの演技を見て感じたこと。あの真っ白の衣装を着ての「揚げひばり」を演じていた頃のキム・ヨナは何処へいったのか!あの頃は、ひたすら音楽に殉じて演じているキム・ヨナが確かにいた!今は、本当に残念です。
オリンピックと言う大きな場で、自分の持てるものを全て出し尽くしたフリーでの浅田真央さんの演技。
私は、これから何年経っても忘れることはないでしょう。そして「伝説」として語り継いでいくことでしょう。
最後にすっかり有名になってしまいましたが、ソトニコワが金メダルに輝いて一夜明けての、メディアセンターで記者会見での浅田真央さんに関してのコメント。ゴールドメダリストになっても浅田真央さんへのソトニコワの温かい眼差し、そして敬意。
間違いなく浅田真央さんが今まで歩んできた道を理解し、引き継ごうとしている若いスケーターがいる!
私を、そんな気持ちにさせたソトニコワのコメントでした。
浅田真央さんとソトニコワの、これからのスケート人生も、じっくりと見守っていきたい。
「私は真央を心から尊敬している。彼女はとても強い女性。そして、よく練習をする人だと思う。私にとって真央は模範でした。真央は我慢強くて、彼女が背負ってきた困難を乗り越えることができる人。
だって、彼女が母親を失ったとき、彼女は母親のために自分の演技を支えていた。私は真央と一緒の場にいることができて幸せでした。なぜなら、真央が卓越した人だから」
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