オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

ザンクト・フローリアンの朝比奈隆

2016年03月04日 12時31分42秒 | 朝比奈 隆(生誕100年記念)
ブルックナー:交響曲第7番ホ長調 (ハース版) 朝比奈隆指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団

1975年10月12日 オーストリア、ザンクト・フローリアン修道院マルモアザールでのライブ録音(Altus盤)


私にとって大切な録音が新マスタリングで完全復活し、私は買い直しました。録音者平澤佳男氏秘蔵のオリジナルマスターテープから初の完全収録での登場とのこと。
1975年、大阪フィルの初めてヨーロッパ演奏旅行した際、ブルックナーが眠るオーストリア・リンツのザンクト・フローリアン修道院でのライブ録音で朝比奈隆を語るには絶対はずせない録音である。
聴いていて流れるような豊かなブルックナーの響きに、ただただ、身を任せるのみである。
またブルックナーの聖地と言える場所での演奏で、オーケストラのただごとでない緊張感も伝わってくる。
今回のCDでは、今までの録音ではカットされていた第1楽章を終えてあと、自然と湧き上がってきた拍手も収録されている。
また今や伝説になっている第2楽章演奏後に奇跡的に聞こえてきた5時の修道院の鐘もきちんと収録されている。
私が初めてこの演奏を聴いたのは1979年に発売された2枚組のLPレコードである。
今日の朝、このCDを聴いたあと我が家のレコードを置いてある物置部屋で探してみるとありました。
解説は音楽評論家の宇野功芳氏。応援団的文章は、発売当時は喜んで読んでいましたが、今はどうもね・・・。
また朝比奈隆氏の記述もあり懐かしく読む。


「楽は堂に満ちて」朝比奈隆

(前略)午後4時、正確に放送のアナウンスが始まり調弦の音が静まる。十分後、係員に促されて舞台へ。いつ、どこから来たのか広間いっぱいの聴衆、一番手前に下手に老修道院長がひとり離れてすわっている。
私はかなり遅めのテンポをとりつつ演奏を進めた。十分な間合いを持たせて第2楽章の和音が消えた時、左手の窓から見える鐘楼から鐘の音が一つ二つと四打。私はうつむいて待った。ともう一つの鐘楼からやや低い音で答えるように響く。静寂が広間を満たした。やがて最後の鐘の余韻が白い雲の浮かぶ空に消えて行った時、私は静かに第3楽章への指揮棒を下した。






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朝比奈隆指揮札幌交響楽団のブルックナー

2015年10月23日 16時32分48秒 | 朝比奈 隆(生誕100年記念)
ブルックナー 交響曲第4番 変ホ長調「ロマンティック」(ハース版)

朝比奈隆指揮、札幌交響楽団(1978年、札幌でのライブ録音 fontec盤)

昨日、会社で、ある女子社員から突然「マネージャー(私のこと)ってクラシック音楽が好きって本当?外見では信じられないんですけど」と言われてしまう。
フィギュアスケートといい、クラシック音楽といい、私と超アンマッチなのかもしれません。
また私は会社では、めったにプライベートや趣味の事は一切喋らない。一切、その片鱗は見せない。また昼休み等でも女子社員に媚びを売らない主義。いったん、職場へ行くと仕事のことのみの人間。仕事を手を抜く人間、仕事しない人間は大嫌い。
しかし、いったん仕事から離れ、素晴らしい音楽を聴いたり、フィギュアスケートの素晴らしい演技を見た時、心が大きく揺れ動いた時の幸福感を感じた時が至福の時。
それで、いいのである。

さてタワーレコード㈱の企画として朝比奈隆指揮札幌交響楽団のライブ録音のCDが発売され、ブルックナーの第4番のCDを手に入れました。
札幌交響楽団と言えば、少し前に入手した尾高忠明指揮によるシベリウスの交響曲第4番と第5番の録音が本当に素晴らしく、このオーケストラの変遷を知る上にも、そして朝比奈隆指揮によるブルックナーと言うことでたいへん楽しみにしていました。
解説書を読んでみると、このオケは1970年代に入ると、毎年1回はブルックナーの交響曲に取り組んでいたとのことなので、朝比奈隆の指揮で、大阪フィルと違ったブルックナーの響きを聴けるものと期待していたのですが・・・。
CDを聴き始めて、響きの固さに閉口する。第1楽章の冒頭でのワクワク感も感じることが出来なかった。響きが豊かでないブルックナーは本当に面白くない。これは朝比奈隆の指揮でも、どうにもなりません。
実際、会場では、どう響いていたのだろうか?全て録音が悪いのであろう。オケの響きを捉えていないのであろう。
朝比奈隆が札幌交響楽団を指揮しましたと言う記録的意味合いのCDとしか言いようがありません。

期待していただけに、たいへん不完全燃焼な状態に陥る。
口直しに、このあとマリア・カラスのEMIに残したアリア集から何曲か聴く。
マリア・カラスの歌に圧倒される。
先般のデル・モナコの歌劇「オテロ」の録音に続いて、人間の声の凄さを改めて思い知る。
夜は久し振りにヴェルディのオペラのDVDでも見ようかなあ~。






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朝比奈隆の「英雄」(1977年ライブ)

2015年06月12日 15時16分07秒 | 朝比奈 隆(生誕100年記念)
ベートーヴェン 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」 朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 (1977年10月東京文化会館でのライブ録音 Victor盤)

今日は私の誕生日。そのためか自分にとって何か特別なものを聴きたくなり、取り出したCDがこれである。
朝比奈隆?と思われる方も多いでしょう。特別なものを聴きたいなら、もっと他のものがあるでしょ!と言われるのは間違いないでしょう。
しかし今日聴いた朝比奈隆の「英雄」の録音は私にとって特別なものなのである。この演奏との出会いがなかったら大きく私の音楽上の好み、興味は大きく変わっていたのは間違いないでしょう。
1977年10月東京文化会館でのライブ録音。当時、東京での大学生時代を送っていた私は当日、この東京文化会館の最前列で聴いてしまったのである。
会場へ入ると既に熱気ムンムン。それまで聴いたオーケストラの演奏会とは、また違った雰囲気だった。
ステージに現れた朝比奈隆は、まだ後年のようなメガネは掛けてなく、正に貫禄十分。当時、まだ68歳。
そして気迫あふれるスケールの大きな演奏に私はぶっ飛んでしまった。
1977年当時はカラヤン&ベルリンフィルやショルティ&シカゴ響の全盛時代。
そんな時代に大阪のオーケストラの演奏に我を忘れて拍手を送っていたのですから、やはり私は当時、変わった大学生だったといえるでしょう。
そして今日、久しぶりに、この時のライブ録音を聴いて、改めてこの交響曲のスケールの大きさ、音楽の大きさを感じることが出来た。
確かに現在と比べてオーケストラの技術が落ちるものがあるのは確かです。しかし、そんな欠点を蹴飛ばしてしまう強さがこの演奏にはある。
演奏に古さは感じさせられるものは皆無である。
晩年の朝比奈隆の人気は凄いものがありました。その頃の熱狂的な聴き手は今も朝比奈隆の録音を大切に聴いてくれているのかな?そんな思いも過ぎるものがありました。(これはカール・ベームにも言えます)
単なるご長寿指揮者と思われるのは私にとって困るのである。
カラヤン&ベルリンフィルやショルティ&シカゴ響の全盛時代、評価がたいへん低かった頃からの朝比奈隆の聴き手の私としては、これから一般の評価がどう変わろうとも朝比奈隆の残した録音を大切に聴いていきたい。今日、ベートーヴェンを聴いてそんな思いを強くしたしだいです。







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朝比奈隆のブルックナー:交響曲第3番

2015年05月19日 11時00分59秒 | 朝比奈 隆(生誕100年記念)
ブルックナー:交響曲第3番ニ短調 (第3稿 改訂版)

朝比奈隆指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団(1996年録音 1996年12月のライブ録音 フォンテック盤)


最近まで若い頃から、あれだけ好きだったブルックナーの交響曲から疎遠な状態だった。何故か距離を置いていた。
理由はいろいろある。シベリウスやグラズノフの作品、そしてエルガーなどのイギリス音楽に傾倒してブルックナーの交響曲を聴く時間が無くなったこともある。
しかし、理由はもう一つある。私にとってブルックナーといえば朝比奈隆なのである。私にとってブルックナーの音楽の恩恵を最高に受けた指揮者は朝比奈隆からなのである。しかし世間様はそうではないのが現実であり、それを私自身、世間様とのズレを強く意識した時、たいへんな自己嫌悪に陥ってしまい、ブルックナーの音楽と距離を置いてしまった。
そして時々はブルックナーの交響曲を聴くこともありましたが、何か私の心の中にあるモヤモヤが払拭できなかった。以前のような気持ちでブルックナーと向かい合うことは出来なくなってしまった。
そんな状態が続いていた中、今年になってルドルフ・ケンぺの録音を10枚のCDに集めたアルバム「ケンぺの芸術」を購入しましたが、その中に収録されていたチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団とのブルックナーの交響曲第8番を聴いて心から、この作品が素晴らしいと思った。目が覚めたような気持ち。久し振りに聴いた交響曲第8番。演奏を聴きながら、何か心の中でブルックナーに対する、それまでのモヤモヤが消えていくのを強く感じ、本当に嬉しかった。
そして今は時間の許す限り再びブルックナーの交響曲をコツコツと聴きなおしているところである。
さて今日、聴いたCD.実は昨年、未発表のお宝録音として発売されたものですが、昔の私だったら迷うことなく購入していたはずですが、躊躇して見送ってしまった。
しかし今、絶対に聴かねばならぬと思い、やっと購入しました。
第1楽章の冒頭、弦のさざなみに乗ってトランペットによる第1主題が流れたとたん本当に美しいと思った。そしてワクワク感。朝比奈隆の瑞々しい心がオーケストラに乗り移って私を最高のブルックナーの世界へ誘ってくれるといっても言い過ぎではない。
やはり私にとっての最高のブルックナー指揮者は朝比奈隆である。これから先、何と言われようとも。
朝比奈隆の交響曲第3番ニ短調 の録音では大阪フィルとの1993年の録音(キャニオンクラッシックス盤)が最高だと思っていたのですが、この新日本フィルとのライブ録音は、それを上回る演奏かもしれない。これからも、とことん聴き直していきたい。
新日本フィルとの顔合わせだと、大阪フィルにはない透明感あふれる演奏。これがまた面白い。
なお解説書によると朝比奈隆は2001年暮、死の直前まで病床で向き合っていたのがブルックナーの交響曲第3番のスコアで、「この曲を振れるのは私だけだ」と言って執着していたのこと。そして死後、朝比奈隆の棺には燕尾服、指揮棒、そしてブルックナーの交響曲第3番のスコアが収められたという。
死を目の前にして朝比奈隆の頭の中では、どんなブルックナーの音楽が響いていたのでしょうか。
今となっては知るよしもない。


7年ほど前、当ブログで朝比奈隆のブルックナーの演奏を交響曲第1番からたどりましたが、もう一度、やってみたいものである。
ただ、現在、あまりにも時間がない。仕事の第一線を引いてからになるのかなあ。






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久し振りに朝比奈隆のブルックナー

2014年07月18日 10時49分22秒 | 朝比奈 隆(生誕100年記念)
ブルックナー 交響曲第8番 ハ短調(ハース版)

朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団(1976年8月、神戸文化ホールでの公開録音、ジャンジャン盤)


久し振りにブルックナーの交響曲を聴いた。私は、若い頃からブルックナーの交響曲が大好きでしたが、最近はご無沙汰であった。
年齢を重ねるごとに、シベリウスの作品やイギリス音楽、そしてオペラの世界に、どんどん入って行ったため、ブルックナーを、あまり聴かなくなったが、ブルックナーに対する愛着は今も変わっていない。
今日は、本当にブルックナーの作品を聴きたいと思い、そしてブルックナーの最高傑作と言っていい交響曲第8番を朝から聴く。
選んだCDはヴァント、クナッパーツブッシュ、シューリヒトといった大家たちのCDを素通りして、やっぱり朝比奈隆の録音。
それも、誰もが褒めた晩年の録音ではなく、1976年録音のジャンジャン盤。
朝比奈隆、68歳の時の録音。今となっては幻となったジャンジャンによるブルックナー交響曲全集からの録音。
まだまだ大阪のローカル的なイメージが強かった頃の録音。しかし、全ては、ここから始まった!
生まれてきた響きは正に壮年期の朝比奈隆の演奏。晩年の録音にはない物凄い気迫、エネルギーに圧倒される。
第1楽章が始まり主題のテーマが盛り上がってフォルテに達した時、何かジッとしてはいられない気持ち、そして全曲を聴いていて、ダイナミックで、何か巨大で物凄い濃いものを見せつけられような気持ちになる。
朝比奈隆が指揮した第8番の録音は、いろいろありますが、そんな気持ちにさせられるのは、このジャンジャン盤しかない。
1976年の録音なので、まだまだオーケストラの技術は現在と比べて劣っているのは確かである。しかし、そんなことを超越したブルックナーの演奏がここにはある。
私が初めて朝比奈隆の演奏を生で聴いたのは1977年。本当に、いい時期に、この指揮者と出会えたものである。
2001年、93歳で亡くなってから、もう13年経ってしまった。
朝比奈隆の最晩年、会場で熱狂していた人たちは今も朝比奈隆の音楽を愛し、CDを聴き続けてくれているのだろうか?(これはカール・ベームにも同じことが言えますが・・・)
他人様の評価など気にせず、自分の好きな演奏家の録音を長年に渡って集め、聴き続ける。
これぞCD収集の醍醐味でしょうなあ。






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久し振りのブルックナー

2011年07月08日 10時29分42秒 | 朝比奈 隆(生誕100年記念)
このところ、私はブルックナーとブラームスの交響曲を封印していた。今まで体験したことがない心の葛藤があった。今まで聴いてきたブルックナーの演奏は私にとって何だったのだろう?ヨッフムより朝比奈隆の演奏に共感する私はブルックナーの最低の聴き手なのだろうか?また私のCD棚にある、多いか少ない分からないが10組ほどあるブラームスの交響曲全集のアルバムが、もう捨てようかと思ったくらいカスに見えてきた。これはいけない!これは私のクラシック音楽を聴くことの根幹を揺るがすことなので思い切ってブルックナーとブラームスの交響曲を封印しました。
特にブルックナーを聴かなくなった分、ベートーヴェンやロシア音楽、イギリス音楽などをよく聴いていましたが、やはりブルックナーに対する愛着は薄れることはありませんでした。
そして今日、私にとって久し振りにブルックナーの交響曲が部屋いっぱいに鳴り響きました。長いトンネルだった。
選んだ作品は交響曲第3番「ワーグナー」である。ブルックナーと言えば第7番以降の作品が有名ですが、私は初期の作品も大好きである。ブルックナーの魅力満載である。
選んだCDは朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団による1993年のスタジオ録音。ノヴァーク版 第3稿による演奏である。
やはり、この響き!私にとって、本当にかけがえのないもの。どんなに笑われても,私にとって大切な響き。



第1楽章の冒頭、弦のさざなみに乗ってトランペットによる第1主題が提示されただけで、胸がいっぱいになる。本当に久し振りにブルックナーを聴いて感動した。
朝比奈隆の演奏は、この第3番を後期の交響曲と同じような充実感、スケールの大きさを感じさせてくれます。こんなブルックナーを聴かせてくれた指揮者は他にはいない。正に何と言われ様てもギュンター・ヴァントと並ぶ最高のブルックナー指揮者。
朝比奈隆には多くのブルックナーの録音があり、それなりに見極めが必要ですが、この1993年の第3番の録音に関しては、まさに最高のブルックナー演奏と言っていい。
もし、この録音を聴いて、オーケストラのアラが気になる、また日本のオーケストラだからと蔑んだりする気持ちになるならば、ブルックナーを聴く資質がない、ブルックナーを聴くのをお止めなさいと言いたくなります。(問題発言?炎上かな?)
次は久し振りに第9番を聴いてみよう。私のお気に入りはギュンター・ヴァントが1998年ベルリンフィルを指揮した録音。壮絶な演奏である。

しばらくブルックナーから離れ、そして久し振りにブルックナーに戻り聴いてみると、改めて何かブルックナーの交響曲の真髄が見えてきたような気がします。




朝比奈隆のベートーヴェン

2010年10月13日 15時25分20秒 | 朝比奈 隆(生誕100年記念)
今日は公休日だが午前中、本社で会議があり、いろいろと言われて疲れきって帰宅する。こんな時はやはり元気の出る曲を聴きたくなる。こんな時は、やはりベートーヴェンの交響曲だ!

ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調 作品60(1995年録音)
ベートーヴェン 交響曲第5番 ハ短調  作品67(1994年録音)

朝比奈隆指揮NHK交響楽団    
(国内盤) fontec  「朝比奈隆/N響 ベートーヴェン交響曲選集」より FOCD9200/3

ベートーヴェンの交響曲と言えば私にとって、やはりフルトヴェングラーの録音が一番手である。ただ録音条件の悪いライブ録音が多いので、いつも聴こうとは思わない。録音の良いCDでベートーヴェンを聴きたい時は、やはり朝比奈隆のCDに手が伸びてしまいます。
私にとって朝比奈隆はフルトヴェングラーと並ぶ最高のベートーヴェン指揮者である。私にとって朝比奈隆を外してベートーヴェンの交響曲は語れません。
ゆったりとしたテンポだが、ほとばしる気迫とエネルギー。そして武骨だが心から湧き出てくる歌心。
私は朝比奈隆が北ドイツ放送交響楽団した録音を収めたアルバムを持っていますが、その中でベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番には驚かされた。(1990年録音)
気品と慈しみ溢れる演奏に尊敬の念を強くするばかりである。こんな指揮者が日本にいたとは信じられない思いである。
さて数多い朝比奈隆のベートーヴェンの交響曲の録音の中で、私はNHK交響楽団との定期演奏会でのライブ録音を集めた3枚組のCDの選集が大好きである。
第5番のスケールの大きい演奏も凄いが、第4番が絶品である。私にとってムラヴィンスキーの東京ライブと並んでベストワンである。これほど、この作品の大きさを感じさせる演奏はない。私は第3楽章の中間部のトリオが大好きであるが、心から歌ってくれている。
朝比奈隆は1970年の大阪で開かれた万国博覧会の閉幕演奏会でN響と第9番を演奏していますが、録音はあるのだろうか?ぜひ、聴いてみたいものである。

ところで、今日の朝日新聞の朝刊で興味深い記事がありました。
16年に渡る宮川彬良指揮の「大阪フィル・ポップス・コンサート」が今年で幕を下ろしたとのこと。
理由は不人気やマンネリの為ではなく、大阪フィルの変化。限界ギリギリの大音量でどっしりしたダイナミックな音量が魅力だった大阪フィルが朝比奈隆の死後、楽員の世代交代もあり、小奇麗で巧みなコントロールが目立ち、それを宮川氏が敏感に感じ取り、自身と今の大阪フィルと共有するものが減ってきたと判断して、この名物シリーズを打ち切ったとの事。
宮川氏も朝比奈隆の作りあげた大阪フィルのサウンドに共感し好きだったのでしょう。
オーケストラの伝統や響き、指揮者の気質を引き継ぐことの難しさを強く感じました。朝比奈隆と大阪フィルによるベートーヴェンやブルックナーの演奏も、過去の遺産となっていくのであろう。



朝比奈隆の素晴らしいハイドン。

2010年06月16日 10時23分15秒 | 朝比奈 隆(生誕100年記念)
ハイドン 交響曲第92番ト長調「オックスフォード」 (1971年録音)
ハイドン 交響曲第99番変ホ長調          (1975年録音) 

朝比奈隆指揮ベルリン放送交響楽団(現 ベルリン・ドイツ交響楽団)

輸入盤 WEITBLICK SSS0106-2

本当に素晴らしいハイドンである。
もし、この録音を指揮者の名前を伏せて聴いたら、朝比奈隆の指揮であるという事を言い当てることは出来ないでしょう。私もおそらく、当てることは出来ない。一瞬「ワルターか!」と思った位である。その位、朝比奈隆のブルックナーやベートーヴェンの演奏から考えれないほど美しく格調高い演奏である。最高のハイドン。いずれも1970年代、ベルリンでの放送用のスタジオ録音である。
まず「オックスフォード」である。私はこの作品が好きでベーム指揮ウィーンフィル盤を愛聴していましたが、朝比奈盤の登場でベーム盤とオサラバである。私にとって朝比奈盤がベーム盤より上という事になってしまったと言う事なのである。ベームのファンでもある私が、そう感じたのだから、これは大変な事なのである。
第1楽章の序奏で弦がゆっくりとしたテンポでの美しいメロディを聴いてだけで、もう決まり!である。全曲、見事に歌い込まれており、指揮者の心の中の乱舞が見事のオケに乗り移っている。この頃の、このオケの指揮者はロリン・マゼールだったはず。ベルリンフィルの陰に隠れていましたが、たいへんなレベルであったことがうかがえます。
そして第99番。心に浸みてくる。特に第1楽章のいじらしいほどの歌わせ方!そして気品、格調の高さ。こんな朝比奈隆の演奏、初めて聴きました。
この2曲のハイドンの録音、いずれも1970年代の録音である。この頃から朝比奈隆がブルックナーの交響曲を積極的に取り組みだしましたが、我が国では、まだ一部のファンしか認知されていなかった頃に、ドイツで、こんな素晴らしい演奏していたとは!この時すでに朝比奈隆は大指揮者だったのだ。
朝比奈隆のファンは他の音楽ファンから見てどう写っているのだろうか?音楽評論家の宇野功芳氏に踊らされているタチの悪い音楽ファンと思われているのであろう。私自身も最近、そう見られているのではないか?と迷いが出て苦しみましたが、今回、このハイドンを聴いて、そんな迷いはぶっ飛んでしまいました。心から、この約30年余り、この指揮者を聴き続けてきて本当に良かった!と心から思いました。
一人の演奏家と出会い、一時期のブームに流されることなく長年聴き続けることの大切さ、喜びを今回のハイドンのCDで本当に痛感しました。
このハイドンの録音、朝比奈隆に対して偏見がある方には、ぜひ聴いて欲しいものです。いかに彼が素晴らしい指揮者だったのか分かって欲しい。
昨年の暮、ベートーヴェンの「英雄」のベルリンでのライブの録音も登場しましたが、まだまだヨーロッパでのお宝録音があるのだろうか?あるのならば早く聴いてみたいものである。

「朝比奈隆と私」(再録)

2010年06月07日 23時40分27秒 | 朝比奈 隆(生誕100年記念)
最近、私自身、どうも約30余年も及ぶ自分自身の音楽遍歴が間違っていたのではないかという思いが強くなり、たいへん苦しんでいました。
しかし、数日前、クナパーツブッシュ指揮ウィーンフィルによるブルックナーの交響曲第5番のCDを聴いてたいへん感動しました。その時、思ったことは、この感動は自分のものであって、他人様の為のものではないと言う事です。
クナパーツブッシュの録音を聴いて心が揺り動かされることの素晴らしさ。やはり、これを大切にしなければいけない!
そして一番ネックになったのは私にとっての朝比奈隆の存在でした。
正統なブルックナーファンになるには朝比奈隆のブルックナーを否定しなければいけないのか?大阪フィルの演奏は否定しなければいけないのか?自分自身のCDの棚を眺めながら本当に苦しみました。
しかし、たどり着いたのは,私が朝比奈隆の演奏から受けた恩恵の尊さ、感動の深さは何といわれても終生、心の中で大切にしなければいけないと言うことである。
ここで初心に帰って2008年に書いた朝比奈隆との出会いの記事を再録して、もう一度、私自身、原点に戻ってみたいと思います。

「朝比奈隆と私」(再録)

今年はヘルベルト・フォン・カラヤン生誕100年(注 2008年当時)という事で所縁のあったレコード会社からいろいろと記念の映像や録音が発売予定のようであるが、同じ100年だったら、私にとってカラヤンと同い年だった、ある日本人指揮者のほうが重要である。
その指揮者の名前は朝比奈隆(1908年生、2001年93歳で没。戦後、大阪フィルハーモーニー交響楽団を設立。死ぬまで音楽監督を務める。)
私のCDの収集でこだわりを持ってコツコツと残された録音を集めている指揮者が3人います。ブルーノ・ワルター、ハンス・クナッパーツブシュ、そして朝比奈隆の3人です。ワルターとクナは私がクラッシック音楽に興味を持った時はすでに故人だったので生のステージに接することは当然できませんでしたが、朝比奈隆の場合は私が大学生活を送った東京でかなりの回数、生のステージで聴く事ができましたし死の1年前大阪で聴く事もできました。ですから私にとってたいへん身近な指揮者だったといえます。
日本人という事、そして終生、演奏の拠点が大阪(東京ではない)だったので軽く見られがちでしたが、まぎれもない大指揮者だったと思います。晩年、来日していたシカゴ交響楽団のマネージャーが彼の演奏を聴いてあまりの素晴らしさに驚き1996年シカゴ交響楽団の客演指揮者に招いた話は有名です(その時、朝比奈隆は88歳)
しかし私は何と言っても彼のおかげでブルックナーを知る事ができた、ブルックナーの魅力を教えてもらった事に一番感謝しています。
今年、生誕100年の記念の年に朝比奈隆への感謝の気持ちとこれからも続くであろう敬愛の気持ちを込めて私なりに合間、合間になると思いますが数回に渡って彼の足跡をたどってみたいと思います。

まずは私が朝比奈隆をいつ知ったかという事ですが、おそらく高校生時代、毎月購読し始めた雑誌「音楽の友」からでしょう。そのころ私は関西の某有名私立大学を目指していました。理由はその大学のグリークラブがよく大阪フィルの第九などの演奏会に出演していて、私もぜひその大学に入学できたらグリークラブに入部して大阪フェスティバルホールのステージに立ってみたい、歌いたいという願望がありました。(当時大阪フィルには合唱団はまだ併設されていなかった)そういう事から大阪フィルの指揮者がアサヒナ・タカシという人である事を知りました。残念ながら当時はレコードもなく、また大阪のオケの放送など絶対無い時代ですので彼の指揮姿、演奏がどのようなものであるか知ることは出来ませんでした。
大学受験の方は私の学力不足で思うように行かず、結果は大阪を通り越して東京の私立大学という事になっていました。
東京へ出て一年後、新宿のプレイガイドに貼られていたコンサートのポスターを見ていると大阪フィルの東京公演のものがあり関西の人間として何か感じるものがありチケットを購入しました。
プログラムはベートーヴェンの交響曲「田園」そして「英雄」の2曲。上野の文化会館の最前列で聴きました。
指揮台に立った朝比奈隆の姿を見たとたん、その風格に圧倒される感がありました。当時はまだ70歳になったばかりで、意気盛ん、まだ晩年のようにまだ眼鏡はかけていませんでした。
「英雄」の演奏にめちゃくちゃ感激し、日本にこんな凄い指揮者がいたとは本当の驚きました。関西の大学へ行かなかった事を悔やんだものです。場内の熱狂も物凄く、それまでよく行っていたNHK交響楽団の演奏会の何かおとなしい雰囲気と全く違うのでこの点も驚いたものです。
この日を境に私の心の中で「アサヒナ・タカシ」が「朝比奈隆」になったと言えるでしょう。
この時以降、私が大学を卒業して東京を去るまで出来る限り朝比奈隆のコンサートには脚を運びました。そしてブルックナーの醍醐味を知るという事になります。


以上です。私の音楽の原点の一つかもしれません。晩年の朝比奈隆の人気は凄まじいものがありましたが、こんな出会いをした人間もいるのです。もし私が朝比奈隆を知る事がなかったら、ブルックナーの魅力に気が付かなかったでしょう。だからブルックナーの演奏では絶対、朝比奈隆ははずせない。
eyes_1975様から頂いたコメントで、私はたいへん気が楽になりました。本当に、ありがとうございました。
>押されて聴くよりも自分の好きな演奏で楽しむのがベストでしょうね。
あさっては公休日。
いろいろ聴いていくつもりです。

朝比奈隆と私。

2010年04月28日 17時05分11秒 | 朝比奈 隆(生誕100年記念)
今日は公休日。今日は、ぜがひともブルックナーの交響曲第8番を聴かねばと思っていた。
ブルックナーの8番を聴く時は本当に胸が高まる気持ちを迎えることが出来ない。まさにブルックナーの作品の中で最高峰と言ってよいでしょう。
私のCD棚には、いろいろと第8番のCDが並んでいる。私はブルックナーの第8番のベストワンを挙げることが出来ない。クナッパーツブッシュも、シューリヒトも、そして朝比奈隆やヴァントも最高なのである。節操のない人間と笑われてもしかたがありません。

さて今日はいろいろあったので朝比奈隆の1976年8月録音のジャンジャン盤を聴き直しました。
1976年の録音の演奏は、現在の我が国のオケのレベルから見ると、へたくそである。こんなものを聴いて喜んでいるとは私の頭の中はどうなっているのかと言われてもしかたがありません。第1楽章や第2楽章は特にである。
しかし第3楽章、第4楽章となると物凄い盛り上がりで、8番を聴く醍醐味を見事に味あわせてくれます。この時、朝比奈隆はまだ60歳代後半である。晩年の演奏では見られない気迫と時には踏み外しもありますが、それでも行き着くところはブルックナーの音楽の素晴らしさである。この時から既に最高のブルックナーを聴かせてくれる指揮者だったと言い切らせていただきます。
次の休みには、死の年の2001年、朝比奈隆93歳の録音を聴き直してみるつもりである。
やはりクラシック音楽を聴く面白さは「聴きくらべ」にあると思う。

さて人それぞれ、いろいろな音楽の聴き方、CDの集め方があると思います。
①往年の名演奏家の録音を聴いて思いを馳せる。時代の古さを感じさせない演奏に感動する。
②今、現役の演奏家の中で、この人と決めて聴き続ける。
③作曲家や作品へのこだわり
その他いろいろ。

私がクラシック音楽を聞きはじめた時は既にクナパーツブッシュやワルターは故人でした。
私にとって①に該当するでしょう。③は私にとってはヴェルディのオペラやグラズノフの作品への思いが該当するでしょう。
そして私にとって②に該当するのが朝比奈隆である。私が初めて朝比奈隆の演奏を聴いたのは1976年である。そして2001年死去する25年間、聴くことが途絶えることは無かった。
ちょうど70年代、朝比奈隆がブルックナーの交響曲に本格的に取り組み始めた頃から晩年のブルックナーの最高の境地に達した演奏を聴かせた時まで、大げさな言い方ですが一緒に齢を重ねることが出来たということは本当に幸せだったと思います。
だから私にとって何と言われても朝比奈隆は大きな存在であり、いろいろ悩みましたが、やはり今後も変わることは無いというのが、やはり結論です。
70年代、けっして演奏レベルの高くないオケを相手にブルックナーやベートーヴェンを指揮している録音も、大切に聴いていきたい。それは私が70年代にクラシック音楽に向き合っていた大きな証であるからです。そして80年代、90年代も同様です。
私がクラシック音楽に向き合っている限り朝比奈隆の存在があると言って良いでしょう。

最後に、今回、朝比奈隆のことを熱を込めて書き込みましたが、誤解を受けたくないのですが朝比奈隆の録音があれば、他の指揮者の録音はいらないと思っていることは絶対に無いと言わせていただきます。それなりの柔軟性を持っているつもりです。


朝比奈 隆の「英雄」その2

2009年07月02日 10時21分55秒 | 朝比奈 隆(生誕100年記念)
本日も、朝から1977年の朝比奈隆指揮大阪フィルによる1977年のライブ録音のベートーヴェンの「英雄」をまた聴く。スピーカーからスケールの大きい豊かなオーケストラのサウンドが、たっぷりと流れてくる。こういうスケールの大きな作品を聴くと、嫌なことも吹っ切れて気分も大きくなったような気持ちになります。
ベートーヴェンの9曲の交響曲の中で私は、やはり「英雄」が一番好きである。多くの方々はベートーヴェンといえば第9番「合唱付」を真っ先に挙げられると思いますが、私は第3番「英雄」である。
この作品の持っているスケールの大きさ、雄大さ、斬新さ、そして高貴さは何度聴いても圧倒されます。これらを全て体現して表現できた最高の指揮者はやはりフルトヴェングラーでしょう。しかしフルトヴェングラーの録音は録音状態で辛い部分があるので私にとって朝比奈隆の録音は貴重であり重要である。
朝比奈隆には1977年以降、1989年の新日本フィルをはじめ優れた録音があり、こちらの方がオケの完成度も高く、こちらの方が本命かもしれませんが、1977年のライブ録音は私が実際、会場で聴いたからだけではありませんが朝比奈隆を語るには絶対、忘れてはいけない録音と言って良いでしょう。
1977年当時、大阪フィルの東京公演には晩年の朝比奈隆のコンサートでは考えられない、自分達のオケの存在を東京の聴衆に問う強い使命感があり、オケの意気込み、気迫がみなぎり指揮者と一緒に熱くなっているように、この1977年の「英雄」のライブ録音から強く感じることが出来ます。

なお今回、ビクターから発売されたCDの表紙の写真はレコードで発売された時の、オリジナルのままで、当時のまだ60代後半のメガネをかけていない朝比奈隆の写真ですが、その他の解説書の写真は後年の白髪の目がねをかけた朝比奈隆の写真(70代後半の頃か?)ばかりである。1977年録音のCDという意義を考えると、録音当時の写真で統一して欲しかった!これが非常に残念でした。

朝比奈 隆の「英雄」

2009年06月29日 14時35分15秒 | 朝比奈 隆(生誕100年記念)
ベートーヴェンの9曲の交響曲。全てたいへん大きな山々である。第1番と第9番では演奏時間、オケの規模など大きな違いがありますが、作品の重さは同じだと私は思っています。その中で一番好きな作品は何番?と聞かれたら、やはり第3番の「英雄」と答えてしまいます。曲のスケールの大きさ、胸のふくらむような広々とした世界に聴くたびに圧倒されます。
さて、私にとって大変懐かしく、また、それからの私の音楽への指針を決定つけた演奏のCDが届きました。

ベートーヴェン 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」

朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団
Victor JM-XR300007 (1977年10月東京文化会館でのライブ録音)

私事で恐縮であるが私が初めて朝比奈隆の演奏を聴いたコンサートのライブ録音である。なぜ、このコンサートのチケットを購入する気になったのか、よく憶えていません。私は関西の人間なので大阪のオーケストラの公演に近親感をかんじたのかもしれません。プレイガイドでの朝比奈隆の写真による公演のポスターを見て、何か凄いものが聴けるという予感があったのかもしれません。またチケット代もNHK交響楽団の定期公演より安かったこともあるかもしれません。
当日の座席は何と文化会館の1階の最前列のほぼ、ど真ん中でした。現在はネットで好きな場所を選ぶ事が出来ますが、当時はプレイガイドへ行ってみなければ、どんな席があるか、わからない時代だったので新宿のプレイガイドでしたが、最前列の真ん中を確保できた時は、びっくりでした。
ベーム指揮ウィーンフィルのコンサートと同じですが、この時も単なる運の良さだけではない「朝比奈隆を初めて聴くなら、ここで聴きなさい」という神様のご配慮があったと今も思っています。

コンサート当日、ステージに登場した朝比奈さんの姿は貫禄十分で、まさに巨匠という雰囲気が十分に伝わってきました。この時、巨匠はまだ68歳!である。また最前列のど真ん中の席だったので指揮者の息使いも伝わってきて、たいへんスリリングでした。これがライブの魅力かもしれません。また後年のようにメガネはかけていませんでした。
プログラムは「田園」と「英雄」でしたが、やはり「英雄」が凄かった!そしてクラシック音楽というものが、こんなに心の中を熱くするものであるという事を初めて思い知らされました。そして、こんな凄い指揮者が日本にいたとは!朝比奈隆という指揮者を知った喜びは本当に大きかった。

これ以降、東京での大学生時代、朝比奈さんの演奏は出来る限り脚を運びましたし、現在までCDの収集は続いていますが、1977年10月の大阪フィルとの「英雄」のコンサートは、私の朝比奈隆の原点であり、一人の音楽家とこのような出会いが出来たことは本当に幸せである。

なお、この時の「英雄」の録音はコンサートの後、数ヵ月後、レコードとして発売され、当然、購入しましたが第2楽章の「葬送行進曲」の途中でA面からB面へ裏返しにしなくてはいけないのが、何か緊張感が途切れるようで興ざめで数回聴いただけで、そのまんまになっていました。今回、マスターテープからのダイレクトカッティングによるCD化で当日の会場の雰囲気が蘇るような見事な復刻で、約30年の年月を感じさせないもの、東京文化会館の座席に座っているような気分でした。

さて1977年頃、朝比奈さんのレコード評はボロクソで、ひどいものでした。まだまだ大阪フィルの演奏も未熟な点もあり、ほとんどの音楽評論家は、それらが気になったのでしょう。当時はカラヤンとベルリンフィルやショルティとシカゴ響の全盛時代だったので朝比奈隆指揮大阪フィルの録音の出る幕はなかったのでしょう。あれだけライブでは素晴らしいのに・・・と思い、現在まで続く音楽評論家不信(数人の評論家は除く)の原因となりました。

晩年の朝比奈さんの人気は凄く、こんな人が?と思う評論家までほめだしました。朝比奈さんの音楽を多くの方々にわかってもらうのは嬉しいのですが、何か複雑な心境でした。「レコード芸術」誌の最新号での「名曲名盤300」選びのブルックナーのページを読みながら、まだまだ真に朝比奈さんの音楽が理解されていないと痛感しました。単なるご長寿指揮者の演奏と思われるのは、たいへん遺憾です。最近の全盲の辻井伸行氏のコンクール優勝の扱いと何か共通するものを感じてしまいます。

やはり私は一時のブームに流されることなくクラシック音楽を聴いて行きたいものです。それを教えてくれたのは、朝比奈さんでした。1977年当時、カラヤンやショルティの時代、晩年には考えられないほど、まだ評価の低かった朝比奈隆という指揮者を知ることが出来たのは私にとって大きな財産となりました。
今後も、一般の評価が、どう変わろうとも朝比奈さんの演奏を聴き続けていくつもりです。

朝比奈隆のブルックナー交響曲第9番

2008年12月29日 09時48分40秒 | 朝比奈 隆(生誕100年記念)
今年は朝比奈隆の生誕100年の節目の年です。カラヤンも同様でしたが、カラヤンの方は全く興味はありませんでしたが・・・
今年の春から朝比奈隆の最も得意としていたブルックナーを第1番からたどっていましたが第0番を含めて10曲なので、もっと早く9番までたどり着けるかな?と思いましたが、甘かった!後期になればなるほど作品の重さを痛感しペースが落ちてしまいました。
今日はやっと最後の第9番です。また今日は特別な日です。この巨匠の命日です。(2001年12月29日没)偶然、私の公休日が重なって、この日にブルックナーの最後の交響曲を取り上げるのは何か身の引き締まる思いです。

ブルックナー 交響曲第9番 ニ短調

第1楽章 壮重に、神秘的に
第2楽章 スケルツォ
第3楽章 アダージョ

ブルックナー、最後の交響曲である。あの傑作の第8番をさらに厳しく、そして荘厳に凝縮したブルックナーの最高傑作になるはずだった。しかし残念ながら第3楽章を書き終えたあと、未完成のままブルックナーは死去。もし第4楽章が書き上げられていたら、どんな凄い作品になっていただろうか?
第3楽章がアダージョでよかった!スケルツォだったら興ざめだったかもしれません。
第1楽章の冒頭は8本のホルンによって演奏される旋律によって、この作品の計り知れない厳しく、雄大な世界に投げ込まれる思いである。この楽章の最後はまさに死を前にしての作曲者の魂のすさまじい激しさなのであろうか!
第3楽章のアダージョは第8番のアダージョと並ぶ最高傑作。演奏時間は8番と比べて短いが本当に厳しい音楽である。ブルーノ・ワルターの言葉に「マーラーは神を見ようとした。ブルックナーは神を見た」がありますが、ブルックナーは、このアダージョで神を見たのであろうか?

私が所持している朝比奈隆の第9番の録音は下記の通り。
①大阪フィルハーモニー交響楽団(1976年4月神戸文化ホールでのスタジオ録音)ジャンジャン盤
②新日本フィルハーモニー交響楽団(1980年6月東京カテドラル聖マリア大聖堂でのライブ録音)ビクター盤
③東京都交響楽団(1993年9月東京文化会館でのライブ録音)フォンテック盤
④大阪フィルハーモニー交響楽団(1995年4月大阪、ザ・シンフォニーホールでのライブ録音)ポニーキャニオン盤詳しくはこちら
⑤NHK交響楽団(2000年5月NHKホールでのライブ録音)フォンテック盤
⑥大阪フィルハーモニー交響楽団(2001年9月大阪・ザ、シンフォニーホールでのライブ録音)EXTON盤

第9番は朝比奈隆のブルックナーの演奏歴の中で一番、最初の取上げられた作品である。(1954年大阪フィルの前身である関西交響楽団)
また⑥はおそらく朝比奈隆生涯最後の録音と思われます。(2001年9月の録音、同年12月死去)
私にとって①④⑥の録音が好きです。その中で一つと言われたら④になります。⑥はどうしても最後の録音という事でどうも普通の感情で聴くことが出来ません。①は熱気溢れる演奏ですがオケの完成度は④や⑥に譲ります。④は、まだ死の影の無い充実しきった演奏で私は定評のあるギュンター・ヴァント指揮ベルリンフィルの録音より好きです。

最後にブルックナーの第9番と朝比奈隆にちなんだ私事の思い出を一つ。
1978年9月朝比奈隆はNHK交響楽団の定期演奏会に客演し第9番を演奏しました。9番の前にショパンのピアノ協奏曲第1番がありソリストは初来日のクリスチャン・ツィマーマン。ショパンとブルックナーという私にとっては変な?プログラムでした。第9番はアダージョが素晴らしかった。N響の充実した弦が鳴り響き絶品でした。N響との録音は⑤がありますが、ぜひ1978年の演奏もCD化して欲しいものです。
さて終演後、私の悪い習性が出てホールの楽屋口に自然と脚を運んでしまいました。そして巨匠が登場してサインを頂いたのですが、その時、巨匠から声を掛けられてしまいました。

巨匠「(大きな)NHKホールで初めて指揮したが、上手く聴こえましたか?」
私 「(驚きながらも)ハイ、素晴らしい演奏でした」

あまりの突然だったので巨匠の意とする答えになっていなかったかと思いますが大切な思い出となってしまいました。

朝比奈隆が亡くなって7年経ちましたが未発表の録音もまだまだCD化され、また1980年の東京カテドラル聖マリア大聖堂でのライブシリーズもセットでCD化されるようで私にとって、この亡き巨匠はますます大きな存在になって行くことでしょう。この半年、かなり集中してブルックナーの録音をききました。朝比奈隆の芸術の素晴らしさもありますが、やはりブルックナーの交響曲の魅力を再認識し、ますますブルックナーの世界に深く、深く入り込んで行く事が出来、幸せでした。

最後に私にとって朝比奈隆のブルックナーの録音で大好きな録音のベスト3を挙げて終わりたいと思います。(番号順)演奏は全て大阪フィルハーモニー交響楽団

①交響曲第3番 ニ短調「ワーグナー」 1993年10月大阪フィルハーモニーでのスタジオ録音(ポニー・キャニオン盤)
②交響曲第5番 変ロ長調 1973年7月東京文化会館でのライブ録音(TokyouFM盤)
③交響曲第8番 ハ短調  2001年7月サントリーホールでのライブ録音(EXTON盤)

朝比奈隆のブルックナー交響曲第8番

2008年11月20日 11時54分19秒 | 朝比奈 隆(生誕100年記念)
朝比奈隆のブルックナーの録音を第0番より、たどっていますが作品の重みの為か、後期の作品に入ってペースダウンしてしまいました。いよいよブルックナーの最高傑作の第8番に入りたいと思います。

ブルックナー 交響曲第8番 ハ短調
 
第1楽章 アレグロ・モデラート
第2楽章 スケルツォ:アレグロ・モデラート
第3楽章 アダージョ:壮重に、ゆっくりと、しかし引きずらないで
第4楽章 フィナーレ:壮重に、速くなく

第1楽章冒頭、第1主題が盛り上がってフォルテシモで達した時、居てもたってもいられなくなるのは私だけだろうか?そして8番の核心といえる第3楽章のアダージョ。チェロが奏でる第2主題の美しさ。そしてブルックナーを聴く至福の時の頂点といえるコーダの素晴らしさ!何度聴いても飽き足らない。

1884~7年に書かれた第1版は演奏もされなかった。1888~90年に第2版を書いたが、92年に出版されたものには、シャルクやハンス・リヒターの意見にしたがったと思われる変更とカットがあるらしい。
ハース版は第2版を基にしながらも、第1版からの引用があるが、ノヴァーク版は第2版の楽譜をそのまま引用している。ハース版とノヴァーク版の違いは第3楽章と第4楽章に見る事ができる。ハース版では第1版から採られた部分がある。
またシャルクやリヒターの意見を参考にした改訂版がありクナッパーツブッシュの録音で聴くことが出来る。
また第1版の録音ではインパル指揮フランクフルト放送交響楽団の録音で聴く事ができ、ハース版やノヴァーク版と別の曲ではないかと思うくらい驚きの演奏である。

朝比奈隆はブルックナーの大家と言われたが8番を初めて振ったのは比較的に遅く1971年の秋である。1950年代から60年代、それまでブルックナーは4番、7番、9番しか演奏していない。70年代に入って5番と8番に巡り会って一気に最高のブルックナー指揮者となった。ちょうど朝比奈隆60代後半の円熟期に入り彼の音楽が一層深くなってきた時期である。彼の8番の録音はどれも名演で最高の遺産といっても良いでしょう。

私が所持している朝比奈隆の録音は下記の通りである。
①大阪フィルハーモニー交響楽団(1976年4月神戸文化ホールでのスタジオ録音)ジャンジャン盤
②大阪フィルハーモニー交響楽団(1976年8月神戸文化ホールでの公開録音)ジャンジャン盤
③大阪フィルハーモニー交響楽団(1980年10月東京カテドラル聖マリア大聖堂でのライブ録音)ビクター盤
④大阪フィルハーモニー交響楽団(1994年7月サントリーホールでのライブ録音)ポニー・キャニオン盤
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⑤NHK交響楽団(1997年3月NHKホールでのライブ映像)NHKエンタープライズ盤
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⑥大阪フィルハーモニー交響楽団(2001年7月サントリーホールでのライブ録音)EXTON盤
詳しくはこちら

⑤はDVDである。①はジャンジャンでの交響曲全集録音の際、最初に録音され指揮者やオケも出来上がりを気にいっていたとの事だが当時のジャンジャンの社長が気に入らないとの事でお蔵になり再度、録音されたのが②である。長い間、幻のブルックナー録音だったが8年ほど前、ジャンジャンの全集がCD化された時、日の目を見た録音である。
私自身、大好きな録音は②④⑤⑥である。甲乙をつけるのは、非常にむずかしい!④の録音を耳にしたとき、これが最高の8番と思ったのだが、死の年の録音の⑥をきいて、これが巨匠のまさに行き着いたブルックナーの最高の演奏を聴いて、ここまで人間は大きく、深くなれるのかと驚愕したものである。
しかしである⑥がまさに最高と思っていたが、昨年の暮れ、⑤のDVDに接して、また驚き!これも最高ではないかと思ってしまった。最高のブルックナー指揮者と我が国最高のオーケストラとのブルックナーの最高傑作の演奏である。大阪フィルとの演奏では第1楽章、第2楽章はやや様子見で第3楽章から本調子というのもありますが、⑤では、さすがN響、第1楽章からエンジン全開である。とくにティンパニの演奏は最高ではと感じました。
②はまだオケの技術が晩年の録音に比べて不十分な点は多々ありますが、1970年代の巨匠のブルックナーの演奏をきくのは大変貴重ですし、馴れのない気迫に満ちた演奏は、この後の録音にはない魅力のがあり、私ははずせません。
私自身、朝比奈隆の8番の演奏を聴く時はその時の気分で録音を選んで聴いているのが実情です。

以下はブルックナーの8番の私のお気に入りの参考CDです。またの機会に取り上げたいと思います。
①ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団「改訂版」(1963年ミュンヘンでのスタジオ録音)ウェストミンスター盤
②ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団「改訂版」(1963年ミュンヘンでのライブ録音)ドリームライフ盤
③カール・シューリヒト指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(1963年ウィーンでのライブ録音)EMI盤
④ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団(1993年ハンブルクでのライブ録音)RCA盤
ヴァントはハース盤、シューリヒトは第三楽章までがハース版、第四楽章がノヴァーク版が基本となっていて、本当にブルックナーの版はややこしい。
ヴァントの録音では晩年のベルリンフィルとの録音が有名ですが私はこちらの方が好きです。

朝比奈隆と「レコード芸術」

2008年10月20日 15時39分58秒 | 朝比奈 隆(生誕100年記念)
ブラームス ピアノ協奏曲第1番二短調 作品15

伊藤 恵(ピアノ独奏)朝比奈 隆指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団

2000年9月サントリーホールでのライブ録音(フォンテック FOCD9221)

今、このCDを聴きながらパソコンに向かっているところである。ブラームスのヴァイオリン協奏曲は大好きであるが、なぜかピアノ協奏曲は、ほとんど聴かない状態であるが、この前の当ブログのご常連であるハルくんのブログで、この作品が取り上げられていて気になるので久しぶりに聴いてみようという気持ちになったしだいである。当CDが発売されたころ、クリスティアン・ツィマーマンのピアノ、ラトル指揮ベルリンフィルの録音のCDも発売され、こちらも買ってしまったが一回聴いただけで、こちらの方が評判がよかったようですが、そのまんまである。よほどの事が無い限り聴く事はないでしょう。
朝比奈隆、死の1年前の録音(92歳)ですが死の影は全く見当たらない。第1楽章冒頭の重厚な序奏からしてラトルと器が違う。伊藤恵のピアノも女流でありながら指揮者に見事に追随している。第2楽章で表現される憧れ、寂しさはなぜ朝比奈隆がピアノ独奏に彼女を起用したのか、わかるような気持ちがする。
朝比奈隆とこの作品には私自身、思い出があり東京での4年間の大学生生活を終え郷里に帰る直前、東京で最後に聴いた演奏会の作品が朝比奈隆指揮のこの作品だった。(ピアノ独奏は園田高弘)またツィマーマンがショパンコンクールに優勝して初来日しNHK交響楽団の演奏会に登場した時の指揮者は朝比奈隆だった。(曲目はショパンのピアノ協奏曲第1番)
この1曲でいろいろと昔のことが思い出されます。

音楽雑誌「レコード芸術」の最新号の特集は生誕100年記念で朝比奈隆の特集である。プッチーニの生誕150年の特集もあり最新号は私にとって読み応え充分である。私が朝比奈隆を聴き出した頃、彼の新譜のレコードは新譜月評の交響曲のページでは、ことごとく当時、音楽評論家の大御所だったO氏にボロクソに批評され私の現在まで至る音楽評論家不信の大きな原因となっています。そして朝比奈隆が亡くなって7年が経とうとしている現在、「レコード芸術」誌の表紙を飾り、そして大きく特集を組まれる時がこようとは昔のことを思うと夢にも思いませんでした。一人の演奏家を周りの風評に惑わされなく根強く、長年聴いていく面白さ、大切さを、朝比奈隆を知って約30年、この齢になってやっとわかったしだいである。
特集ではいろいろなCDが取り上げられていますが、その中で私が秘蔵?している1960年代、北ドイツ放送交響楽団との録音を集めたアルバムが紹介されていました。私はこの録音を聴いたとき、この当時すでに知る人ぞ知るたいへんな存在であったことを思い知らされたものです。アルバムにはモノラル録音ですが私の大好きなフランクの交響曲の録音も含まれており大切にしたいと思います。