オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

「越路吹雪、愛の讃歌スペシャル」

2015年09月29日 16時52分46秒 | ポップス、歌謡曲


今日は公休日。家で昼飯を食べていたら我が家の張り切り婆さん(私の母親らしい)が、やってきて、いきなり「見たんな?見たんな?」(讃岐弁ですみません。見ましたか?の意味)と言ってきて「主語がないぞ」と私が言うと「越路吹雪じゃ」と、やっと意味が分かった。
要は先週の金曜日の夜にBS-TBSで放送された「越路吹雪、愛の讃歌スペシャル」を婆さんが見て、私も見ているのか確認したのである。
幸運にも私も見ていました。そして、しっかりと録画までしていた。
越路吹雪の名前を聞いても若い人で知っている人は、もういないであろう。おそらく私が最後の世代かもしれません。
私死んだ父は、生前いろいろな音楽を聴いていましたが好きだったのはミュージカルとシャンソンだったようだ。(演歌は全く流れてこなかった。レコードもなかった)だから私は越路吹雪の名前は小学生の時から知っていた。
越路吹雪は大正13年生れで昭和55年に56歳で死去。元宝塚歌劇団男役トップスターで、「日本のシャンソンの女王」と称された存在。
番組では彼女のライフワークだったと言える日生劇場でのロングリサイタルの映像が放送され、正に圧倒される思いだった。
スケールの大きさ、表現力、そしてステージマナーの見事さ。
このような歌手(シンガーと言うべきか)はもう今の歌手には見当たらない。いないと言っていいでしょう。
さてさて婆さんの話。
婆さんが小学生の時(昭和20年代前半)、大阪の親類の所へ遊びに行った時に宝塚劇場へ連れて行ってもらい宝塚歌劇団を公演を見て、終戦直後の貧しい時代だっただけに、その華やかさに驚いたとの事。そして、その公演で主役だったのが越路吹雪だったとのことで、今日は昔話をさんざん聞かされてしまった。
最後にお宝映像として昭和47年に日本レコード大賞特別賞を受賞したときの映像のこと。
歌ったのは「誰もいない海」。作曲は越路吹雪のご主人の内藤法美。
物凄い貫禄。会場を圧倒する歌声。
さて越路吹雪と言えば「愛の讃歌」。越路吹雪が歌っていたのは岩谷時子の訳詩によるもの。
「愛の讃歌」のオリジナルはエディット・ピアフが歌っていた曲。オリジナルの歌詞との違いを指摘されることがありますが越路吹雪を知り尽くしていた岩谷時子。当然、私はエディット・ピアフの生涯を知っていますが、私は岩谷時子による歌詞は越路吹雪にふさわしい歌詞だと思っています。
その越路吹雪も昭和28年にパリで初めてエディット・ピアフ聴いた時、たいへんな衝撃を受けたそうだ。
「ピアフを二度聴く。語ることなし。私は悲しい。夜、一人泣く。悲しい、寂しい、私には何もない。私は負けた。泣く、初めてのパリで」と。
それ以降、ピアフは越路吹雪の終生の目標となる。
越路吹雪の圧倒的な歌の力。
また時間があれば録画を見直したいと思います。






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「シーサイド・バウンド」

2014年08月08日 10時58分28秒 | ポップス、歌謡曲
今年1月にNHK・BSで放送された「ザ・タイガース 2013 LIVE in 東京ドーム 」の録画を、今も時々見ている。
それも時の流れを強く意識ながらも録画を見て楽しんでいる。
1967年より1969年にかけ大流行したグループサウンズ(GS)の中で実力、人気とも頂点いたザ・タイガース。
そのザ・タイガースのオリジナルメンバーによる44年振りの復活コンサート。
さて、放送後、昔の全盛時代のザ・タイガースの映像を、いろいろ捜していたが本当に見つからなかった。
しかし、最近、一つだけ見つけた。
当時の音楽番組「若さで歌おうヤァヤァヤング」での映像らしい。1967年の映像か。
私の記憶では毎週日曜の夕方6時からの放送だったかな?テーマ音楽を、うっすらとではあるが断片的に憶えている。
映像状態は残念ながら良くありませんが、たいへん貴重な映像。
「シーサイド・バウンド」を歌う ザ・タイガース。
2013年の復活コンサートの映像と並べてみました。
復活コンサートでの沢田研二の言葉。

「みんな今日まで生きてきました。みんな今日も生きています。みんな明日も生きていきます」

物凄い時の流れの大きさ。
その中を生きてきた私、そしてザ・タイガース。
いろいろな感慨が込み上げてくるものがあります。






ザ・タイガースの「落葉の物語」

2014年01月28日 22時56分07秒 | ポップス、歌謡曲


先週の金曜日の夜、NHK・BSで放送されたザ・タイガースの復活コンサート。
まだ余韻が残っている。昨日も録画を見てしまった。
昨日、私の母が私に言った。
「この前の金曜の夜、ザ・タイガースのコンサート、見たんか?」
「本当に良かった!歳をとったけど沢田研二は本当に甘くていい声。久し振りに聴いた加橋かつみの高音、花の首飾りは最高だった」
これが76歳の婆さんの言葉とは!ビックリ!ビックリ!
私が小学生の時、何も言わないでザ・タイガースのレコードを買ってくれた母。
今にして思えば、ステレオのスピーカーから流れてくるザ・タイガースの歌声を母も楽しんでいたに違いない。
さて「落葉の物語」
1968年(昭和43年)に発表された曲。
今回の復活コンサートで私の一番、印象に残った曲である。
なぜ小学生時代、ザ・タイガースが私を捉えたのか、よく分かりません。
ただ、小学校で隣の席に座っていた女の子が気になりだした頃、これから多感な時期に入ろうとしていた頃、ザ・タイガースの歌う曲が、当時の私の心に丁度、ピッタリだったのかもしれません。
しばらく、この余韻は残るであろう。

ザ・タイガース 2013 LIVE in 東京ドーム

2014年01月25日 22時04分58秒 | ポップス、歌謡曲
昨晩、NHK・BSで昨年12月の「ザ・タイガース 2013 LIVE in 東京ドーム 」の放送を見る。
素晴らしかった!そして感無量!
今年44年ぶりのオリジナルメンバーでの公演とのこと。
若い方々にはザ・タイガースと言っても何のことかわからいでしょう。
1967年より1969年にかけ大流行したグループサウンズ(GS)の中で実力、人気とも頂点いたグループと言うべきか。
この頃、私は小学生の高学年の頃だった。
多くのグループが登場していた中でザ・タイガースは、何か違うものを、私はまだ小学生の悪ガキでしたが感じることが出来ました。
ドーナツ盤(懐かしい)のレコードも数枚持っていました。
あれから、長い年月。
小学生だった私は、今は頭が薄くなった風采の上がらないおじさん。
そんな時に、再びザ・タイガース。
それもオリジナルメンバーでのザ・タイガース。
久し振りに見た沢田研二の姿。やはり歳を取ったなあ。往年の派手なアクションはなく、じっくりと歌っているという感じ。
そして、その横には加橋かつみの姿。真っ白な白髪。
これが44年の年月の大きさ。そして、そんなことを乗り越えて再び聴こえてくるザ・タイガースのサウンド。
しかし往年のヒット曲を聴いていると、昔のあの当時に帰ったような気持ちなるのは、年寄りの郷愁かな?
昔はザ・タイガースなど長髪で、当時としては奇抜な衣装で登場していたグループサウンズはNHKの番組には出演出来なかった。当然、ザ・タイガースは、あれだけヒット曲を飛ばしていたのに紅白歌合戦にも出場していない。
そして今、復活コンサートがNHKで放送された。これも時代の流れか!
小学生時代に買ってもらったザ・タイガースのドーナツ盤のレコード。
我が家のどこかにあるはず。
一度、捜してみよう。





紅白歌合戦の高橋真梨子さん

2014年01月03日 22時02分42秒 | ポップス、歌謡曲


昨年の大晦日恒例のNHK紅白歌合戦。
出場メンバーは団体さんが多く、それなりに彼らのパフォーマンスを楽しみましたが、何か落ち着かない。
やはり私の年代になると、たっぷりと歌を聴いてみたいと思ったりしました。
昨年の紅白で一番印象に残ったのは、やはり高橋真梨子さんの歌った「for you...」
私は「ペドロ&カプリシャス」の時代から高橋真梨子さんのファンです。
1974年の紅白歌合戦でペドロ&カプリシャスのメンバーとして「「ジョニィへの伝言」を歌ってから、たいへんな年月が経ちました。
当時、私はまだ高校生でした。
それだけに久し振りの紅白出演。そして、いきなり紅組のトリ。嬉しかった。
圧巻の歌唱力。物凄い迫力。
派手な演出や舞台装置はなし。ステージ上で高橋真梨子さんを見守るのはご主人のヘンリー広瀬氏が率いるツアーではお馴染みのバックバンドのメンバーのみ。
NHKホールの広いステージに一人、スタンドマイクの前に立った高橋真梨子さん。自分自身の持つ歌の力だけを信じて・・・。
そこに真の歌い手(シンガー)の姿を見た。
若い人たちには高橋真梨子さんの歌を聴いて、どう感じたのであろうか?

藤圭子、死去

2013年08月23日 22時37分53秒 | ポップス、歌謡曲


藤圭子が昨日、亡くなった。

若い世代の方には宇多田ヒカルの母親と言うことの方が、すぐに頭に浮かぶかもしれませんが、私にとっては演歌歌手・藤圭子である。

凄い演歌歌手だった。

「新宿の女」や「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒットした頃、私は中学生だった。

本当にきれいな方だった。そんな、きれいな方が歌った怨み節と言っていい、その歌は、思春期の頃の私にとって衝撃的でした。

マンションからの飛び降り自殺らしい。

何を苦しみ、悩んでいたのだろうか?

ご冥福をお祈りします。




「すみれの花咲く頃」 

2013年05月10日 23時46分36秒 | ポップス、歌謡曲



五十代後半になっても、今も秘かに心に秘めていること。

声楽を習ってみたい。

習い事など、全く無理な環境なのが現実。

毎回、欠席しているので、中学生時代のコーラス部の同窓会の案内状も、とうとう来なくなった。

しかし、もう一度、歌ってみたい。

鮫島有美子さんの歌う「すみれの花咲く頃」

こういうのを聴くと、自分自身の忘れかけたものを思い出します、

まだまだ老いたくない。このまま終わりたくない。

自分自身の心の中に、まだ微かな炎が燃えているようである。



「涙をこえて」合唱版

2013年05月04日 22時02分09秒 | ポップス、歌謡曲


世間様は楽しい楽しいゴールデンウィーク。

私は地獄の日々のゴールデンウィー苦。

本日も散々な一日だった。これも私の人生か!

そんな時に、この曲を聴くと何か救われるような気持ち。何か前向きになれそうな気持にになります。

さて、この曲の合唱曲版があったとは知りませんでした。

歌ってみたい。

さてさて、ここから余談。

私の息子は今、仕事の関係で関東にいますが、こいつが、たいへんなプロ野球の巨人の大ファン。よく水道橋の東京ドームに出没しているらしい。

財務大臣閣下の情報によると、明日(5日)の東京ドームの試合のチケットが手に入ったらしい。それも内野席らしい。

明日は試合前に、たいへんなセレモニーがあります。

一生の思い出になるでしょうなあ。

親父はフィギュアスケート、息子は巨人戦。

お互い忙しいですなあ。

息子よ、長嶋さんに、どうか宜しくお伝えください。




トワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」

2012年10月20日 21時57分03秒 | ポップス、歌謡曲



私にとって、トワ・エ・モアと言えば、やはり何といっても「虹と雪のバラード」である。1972年の曲。たいへんな昔になってしまった。

「虹と雪のバラード」は札幌冬季オリンピックのテーマ曲。

レコードも持っていました。ジャケットの写真が懐かしい。

この曲を聴きながら、まだ見たことがなかった冬のオリンピックへの期待を膨らましていたものです。まだ中学生でした。

そして札幌冬季オリンピックで、私はフィギュアスケートを知りました。

「虹と雪のバラード」は私の人生を変えた曲と言っても言い過ぎではありません。

いよいよフィギュアスケートのグランプリシリーズが始まりました。

羽生結弦君のスケート・アメリカでの素晴らしい知らせ。

ソチ冬季オリンピックが、いよいよ間近になって、今シーズンも、どんな素晴らしい演技に巡り会えるか楽しみです。


「夜明けのうた」

2012年06月29日 13時42分11秒 | ポップス、歌謡曲


今日の午前中、公休を利用して来月1日から出社する新しい赴任先へ引き継ぎに行く。いよいよ新しい生活が始まるという感と強くする。

さて昨晩はネットでザ・ピーナッツのヒット曲を聴いていたのですが、だんだんと脱線して、ザ・ピーナッツ以外の昭和30年代から40年代のヒット曲も、あれこれ聴きました。
その中で見つけたのが岸洋子さんが歌った「夜明けのうた」です。
この曲には、いろいろと思い出があります。
私が高校生の頃、今は亡き父が東京出張の折、日生劇場で岸洋子さんのリサイタルに行ったらしく、帰ってくると、すぐにレコードを買ってきて、仕事が休みの日曜日の朝は、いつも岸さんのレコードをかけていました。
当時、私は受験生で土曜は夜明け頃(正確にいうと日曜の早朝)まで勉強らしきものをしていたので、父がレコードを聴く頃は睡眠中だったのですが、岸さんのレコードでたたき起こされることとなり、毎回、閉口したものです。
その中で、一番心に残った曲が「夜明けのうた」です。
聴いていて何か心の中が一杯になる曲。その気持ちは今も変わりません。
1992年、岸洋子さんが57歳の若さで亡くなった時、彼女が東京芸術大学で声楽を学びプロのクラシックの声楽家を目指していたこと。その声は窓ガラスが震えるくらい凄かったということを初めて知りました。
しかし、病のため声楽家への道を断念。失意の頃、エディット・ピアフのレコードを聴いて感動し、シャンソンの世界へ。
岸さんの歌う「夜明けのうた」そして「希望」などを聴くと、何か自分の歩んできた人生を背負いながら、歌うことの尊さを強く感じます。
今の歌はグループでゴチャゴチャしたものばかり。見た目ばかり。岸洋子さんのように、じっくりと歌を聴かせてくれなくなった。昨日聴いたザ・ピーナッツの歌声。こちらも、やはり凄い。
時代が変わったからだけで済むことであろうか?
こんなことを思ってしまう私は齢をとってきた証拠なのだろうか?自己嫌悪に陥ります。

「また逢う日まで」

2012年06月02日 22時20分18秒 | ポップス、歌謡曲


歌手の尾崎紀世彦さんが亡くなった。
私にとって、尾崎紀世彦さんと言えば「また逢う日まで」である。
私が中学生の時に大ヒットした曲である。
その年の大晦日のレコード大賞の授賞式も憶えています。
レコードも持っていました。おそらく家のどこかに、今も、あるはず。
「また逢う日まで」には、いろいろと思い出が、あり過ぎる。
中学生の時、在籍していたコーラス部で、何かあれば「また逢う日まで」ばかり歌っていた奴がいた。
それが、また頭が痛くなるほど、尾崎紀世彦さんの歌とは、ほど遠い下手くそな歌。
尾崎紀世彦さんの訃報を聴いて、奴の下手くそな「また逢う日まで」の歌声を思い出してしまった。
奴とは、もう30年、会っていない。今、どこで、何をしているのだろうか?
「また逢う日まで」一曲だけで、いろんなことが頭の中を駆け巡ります。

享年69歳。
尾崎紀世彦さんのご冥福をお祈りします。