オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

時津風部屋の事件に思う事。

2007年09月29日 00時32分41秒 | 大相撲
私が大好きだった元大関貴ノ花の先代二子山親方は稽古場外で弟弟子を「かわいがった」弟子をすぐに首にしたという話を聞いた事があります。自身の新弟子時代の「かわいがり」(ある本で一升瓶の酒をラッパ飲みさせられたという記事を読んだ事があります)が凄まじかった経験から、大変な覚悟で弟子を指導していたのでしょう。もし親方が今も健在だったら相撲協会の対応はどうだったかと思ったりします。

時津風部屋は大横綱の双葉山が現役時代、立浪部屋から独立して創設した名門の相撲部屋です。双葉山が現役の間は時津風部屋と言わないで「双葉山道場」と名乗っていました。ですから今でも時津風部屋の事を「道場」と呼ぶ人がいるそうです。「部屋」と呼ばないで「道場」と名乗った双葉山の相撲に対する理想、理念を受け継いでいるものと思っていましたが年月が経ち忘れ去られたのでしょう。
色々な処分が取り沙汰されていますが、この名門相撲部屋を取り潰すくらいの覚悟が相撲協会には必要では無いでしょうか。昔、元横綱の輪島の不祥事で花篭部屋は放駒部屋に吸収された事があり、今回は死者が出た事件。大横綱双葉山が創設した部屋だけに名前は残って欲しい気持ちは強いのですが・・・本当の相撲界はこれからどうなるのでしょうか?

ブルーノ・ワルターとの出会い その5

2007年09月27日 01時20分41秒 | ブルーノ・ワルターとの出会い
(お断り)
ブルーノ・ワルターとの出会い その1からその4は私の旧ブログよりコピーしました。

ブルーノ・ワルターとの出会い その1

私の大好きな往年の大指揮者ブルーノ・ワルターとの出会いを書いていきます。ただ「この録音を聴いてワルターを好きになりました」というだけでは面白くないし、この6月で私も半世紀生きてきた事になるので、この機会にワルターにたどり着くまでの自分自身の歩みをいろいろ思い出しながら振り返るのも良いのではないかと思いました。ぐどぐどと文章を並べる事になりますが、どうかご容赦下さい。

意識してクラッシック音楽を聴き始めたのはいつからであろうか?今は亡き私の父が音楽好きだったので家には映画音楽や歌謡曲などいろいろなジャンルのレコードがありました。(私自身、物心付いた時は自分でプレーヤーを操作して童謡のレコードを聴いていた記憶があります)さて、いろいろあるレコードの中で何故かクラッシック音楽が1枚ありました。曲目はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」演奏はカラヤン指揮ベルリンフィル。父は特に第1楽章が好きだったようで日曜日の朝はしょっちゅう聴いていたので当時小学生の私もこの曲を憶えてしまいました。そしてカラヤンの名前も当然頭の中に入ってしまいました。後年、父から聞いたのですが、この頃カラヤンとベルリンフィルが我が町にやってきたそうで当時、建築会社に努めていた父は丁度その頃カラヤンが泊まったホテルの増築工事を担当していたのでホテルでカラヤンを見た(見に行った?)そうです。夫人も一緒で、たいへんきれいな方だったと聞いた記憶があります。
ただこれらの事が現在に至る私のクラッシック音楽歴の下地になっているかもしれませんが直接大きく関係があったとは思えません。学校の音楽の時間も退屈だった。何か大きなきっかけがあったはずである。それはやはり中学生のときテレビで見た「札幌冬季オリンピック」しか考えられません。初めて見る雪と氷の祭典!夏のオリンピックには無い神秘さ、美しさ、雪や氷といった自然の中での競技や演技。一番感受性に富んだ時期、感じやすい時期だっただけにどれだけ心をとらえたでしょうか?開会式や閉会式も素晴らしかった!今も札幌五輪以上の開・閉会式は無いと思っています。
さてここでクラッシック音楽と札幌五輪との接点である。開会式の直前、テレビで岩城宏之指揮NHK交響楽団が札幌でのオリンピック記念の演奏会の模様を見ました。曲目はベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第三番。(武満徹の「ウィンター」も演奏されたらしいが全く記憶が無い)生まれて初めて聴いたこの作品、本当に衝撃的でした。そしてベートーヴェンには自分の知らない作品がたくさんあるという事を思い知らされました。
話が前後しますが、初めて見た冬季五輪の競技の中で一番心をとらえたのは何といっても「女子フィギアスケート」です。サッポロの恋人といわれたジャネット・リンの登場です。赤い衣装とにこやかな笑顔。そしてフリーの演技の後半使用された曲が何と数日前聴いて感激した序曲「レオノーレ」第三番の劇的なフィナーレ。あの驚きは今も忘れません。リンの演技にも当然魅了されましたが改めてこの曲の大きさ、素晴らしさに感激を新たにしました。

話が長くなりました。本日はこれまで。

ブルーノ・ワルターとの出会い その2


前回、札幌冬季オリンピックまで、やってきました。早くワルターにたどり着きたいのですが、まわり道ばかりで申し訳ございません。
その1でもお判りかもしれませんがクラッシック音楽、フィギアスケート、大相撲など私が大好きな事に関しては私の父親の影響や存在なしでは語れません。私が大相撲に興味を持ったら大阪へ本場所へ連れて行ってくれたり、クラッシック音楽を聴きだしたら我が街の市民会館にNHK交響楽団が来た時には連れていってくれたりで今から思えば絶妙なタイミングで本物を見せてくれました。感じやすい時期に生で本物に接するという事はどれだけ自分自身大きい事だったか本当に感謝するばかりです。
私の父は大阪生まれで終戦まで大阪で過ごし親類縁者にもハイカラな方も多かったらしく幼い時から音楽や映画に身近に接していたそうである。私が中学生の時だったでしょうか。東京出張の時、岸洋子さんのリサイタルを聴いて来て感激したらしく日曜日の朝はいつも岸さんのレコードばかりかけて家族皆閉口したのも懐かしい思い出です。また戦前、大阪の関目というところに国技館があったらしく準本場所がよく開催され父方の祖父が二所ノ関部屋の後援会に入っていたとの事で、しょっちゅう見に行っていたらしいです。ある時、国技館へ行くと祖父が芸者さんを引き連れて升席にいて驚いたという話も聞いた事があります。戦前の良き時代の話でしょう。その頃は双葉山や玉錦の時代で後年よく話しを聞かされ、私の描いている横綱像に大きな影響がありました。今日もテレビのワイドショウーでは朝青龍の話題ばかりで精神科医まで登場して本当に嫌になってきました。
戦後、ある建築会社に就職したのですが私が小学6年の時、県下で初のスケートリンクの工事を担当する事になりました。(ここからは昨年しーぱらの掲示板にも書いた事がありますので重複しますがご了承下さい)社を挙げての大変な工事だったと後年、母から聞かされました。私自身忘れはしないのはある夜、急にほとんど完成された工事現場に連れて行かれました。その夜は初めてリンクに氷を貼る日で父も初めての事で落ち着かなかったのでしょう。初めて見た氷の貼った真っ白い、そして誰も足を踏み入れていないリンクの様子は私のフィギアスケートの原点かもしれません。大変な工事だっただけにオープニングの華やかさは父にとって忘れることの出来ない事だったと、これも母から聞いた事があります。
そんな父も私が高校3年の時、病気で他界。もっといろいろな事を聞きたかったものです。昨年は父が他界してちょうど30年の節目の年で、命日の10日前に荒川静香さんが金メダルに輝き何とも言えない気持ちでした。父が生きていたら本当に喜んでいたでしょう。

今回は父の思い出を語らしていただきました。話がなかなか前へ進みませんが次回は中学生時代から高校生時代に進みたいと思います。いよいよカラヤンからベームに移ります。

ブルーノ・ワルターとの出会い その3

早くワルターにたどりつきたいのですが、まだ見えてきません。話を飛ばしても変なので順を追って行きます。

札幌冬季オリンピックが終わりました。中学生ですがますますクラッシック音楽に興味が出てきました。その頃、私にとって予想もしなかったことが起きました。
それはコーラス部入部です。クラスメートに引きずられたという事もありますが当時好きだった女の子がソプラノで在籍していて追いかけてしまったというのが入部の大きな理由でしょう。いざ入部するとそこは、それまで体験した事のない環境でピアノをバリバリ弾く女の子はゴロゴロいるし、(後年東京芸大をはじめ音大に進学した者も多数いる)、クラッシック音楽に詳しい医者や牧師の息子がいて訳のわからん事を言って来るし、大変刺激的な毎日でした。ちょうどその頃NHKのテレビで「NHKコンサートホール」という番組(今のN響アワーのようなもの。木曜日の夜の放送だったかな?)があり放送の翌日はよく盛り上がっていました。忘れはしないのはベートーヴェンの「皇帝」の放送があり、その時のソリストの弾き方が大変変わっていたので次の日、大変話題になりましたが、その時のピアニストがグレン・グールドだった事を知ったのはかなり年数が経ってからでした。
高校受験は県下でもナンバーワンのコーラス部がある公立高校を目指したのですが見事に失敗!コーラス部のない私立高校へ入学という事になり大学受験勉強以外は音楽を聴くしかないという状態になってしまいました。

暗黒の高校生生活を送っていましたが一番の楽しみは夜のNHKのFM放送を聴く事でレコードを買いまくるほどお金が無かったので最大の情報源でした。
高校1年の秋、カラヤン指揮のベルリンフィルが来日し東京で1週間ほど連続演奏会があり全演奏会がFM放送で生放送され全て聴きました。この来日公演のプログラムはバッハからシェーンベルクまで演奏されるという実に多彩で私自身このとき初めてブルックナー、R.シュトラウス、シェーンベルクの作品を聴きました。ブルックナーはよく解からなかったのですがシュトラウスの「英雄の生涯」には本当に驚かされました。またワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死もこの来日公演の放送で初めて聴き、この来日公演の放送は正に私にとって音楽的視野を広げる大変インパクトのあるものでした。

これ以降しばらくはどうしてもカラヤン中心だったのですが高校3年になる直前の春、それまでの流れをひっくり返す、現在の私の音楽志向につながる私にとっては大変な放送がありました。話が長くなってきたので、また次回に。うっすらと遠くですが、かすかにワルターの姿が見えてきました。

ブルーノ・ワルターとの出会い その4

今日、朝からビデオでワーグナーの楽劇「ニュールンベルクのマイスタージンガー」を観る。最初は冷静に観ていたが第3幕でエヴァがザックスの仕事場に現れるあたりから、だんだん熱くなってくる。歌合戦の場はピークである。まさに自分の音楽!自分の世界!
いつからこの世界に脚を踏み入れたのだろうか?そのきっかけは何だったのだろうか?

高校1年の時FM放送でカラヤン指揮のベルリンフィルの連続演奏会を聴いて以来購入するレコードは全てカラヤンオンリーという時期が続きました。しかし予期しなかった事があり方向転換する時がきました。
高校2年も終わり3年になる直前の3月でした。NHKがベーム指揮のウィーンフィルを招聘し、これも連日放送されました。今では都会ではウィーンフィルの来日は年中行事になっているようですが当時は何年かの1度の事件でした。(私の4年間の東京での大学生時代でも来日は1回だけだった)当時、私自身はベートーヴェンやブラームスの交響曲は全て聴いており知っている(つもり)状況でした。
初日はFMの生放送でベートーヴェンの4番と7番の交響曲を聴きましたが別に何とも思いませんでした。そして・・・今も強烈に記憶が残っています。
2、3日後テレビでブラームスの交響曲第1番を聴き(観)ました。第1楽章の冒頭のティンパニの連打を聴いた瞬間、今迄聞いて来たものと全く違う事に驚き、別世界に連れて行かれるようであった。この作品はカラヤンのレコードを持っていましたが冒頭は単にティンパニを叩きましたという感じでしたが、この日聴いた演奏は指揮者の強い意思、そして気迫がオケに乗り移り物凄い緊迫感を第1楽章で感じました。ベームの指揮ぶりもカラヤンのような外面の良いものではありませんが作品に寄り添っているのがよくわかりました。そして第2楽章では気高さと第1楽章に反するような美しさ!特にコンサートマスターのソロの美しさ!初めてこの作品を聴く感じであった。第3楽章を経て第4楽章。あの有名な主旋律では、ここぞとばかり歌うウィーンフィル。そして速度をあげて力強い響きの圧倒的といえるクライマックス。カラヤン指揮ベルリンフィルのレコードと次元が違いすぎる!クラッシック音楽というものが、こんなに物凄く、決してきれい事でない世界である事を始めて知った!クラシック音楽を聴き初めての感動だったのではないか?
数日後FMでの生放送でシューべルトの交響曲9番も聴きましたがブラームスと同様でした。アンコールでの「マイスタージンガー」前奏曲も素晴らしかった!

それまでは、どちらかと言うと「作品を聴く事」が勝っていたが、べーム指揮ウィーンフィルの演奏を聴いて初めて知った事は今にして思えば「演奏を聴く事」の面白さだったのではないか?

長くなったので続きは次回に。いよいよワルターが近くまで来たようです。

ブルーノ・ワルターとの出会い その5

ベーム指揮のウィーンフィルの来日公演の放送を聴いて知ったのは「演奏を聴く」という事の面白さであった。それまでカラヤン一辺倒でしたが、これ以降色々な指揮者の演奏を聴くようになりました。クナッパーツブッシュ、モントゥー、朝比奈隆といった今も熱心に聴いている面々を知ったのはこの頃でしょう。しかし中心はベームでした。来日公演から少ししてある日、本屋でベームの回想録の「回想のロンド」という本を見つけ迷わず購入しました。音楽の知識があまり無い時代でしたのでまだ理解できない点も多々ありましたが、ベームと親交のあった作曲家のR・シュトラウスやベルクの事を知り、バイロイト音楽祭の事も知り、カラヤン一辺倒だった頃と比べて音楽的視野が広くなっていきました。そして、この本の中で一人の興味深い指揮者の名前を見つけました。「ブルーノ・ワルター」です。この頃になるとワルターの名前は雑誌「レコード芸術」のレコードの広告などで知っていましたが当時、私にとってコロンビア交響楽団という今一つよく解からないオケの指揮者というイメージで全く興味の無い存在だったのでワルターという名前の登場は私にとって、たいへん以外でした。

1916年ベームは郷里のオーストリアのグラーツで指揮者としてスタートし、その後グラーツの歌劇場の主席に着く事が確実になっていた頃ミュンヘンの歌劇場より第三または第四指揮者の契約のためにミュンヘンで指揮してみないかという誘いの電報がベームに届く。電報の発信者は当時のミュンヘンの歌劇場の音楽監督であったブルーノ・ワルターであった。グラーツと縁の深いの当時の名指揮者のカール・ムックがワルターに推薦したらしい。とうとうワルターが私の目の前に登場した。
 
ミュンヘンでの「魔弾の射手」「蝶々夫人」の二つのオペラの試演の後、ワルターは若いベームに「ベーム君、ミュンヘンは気に入りましたか?」とたずねるとベームは「素晴らしく気に入っています。」と答え、ワルターは「ミュンヘンもあなたを非常に気に入っています」と答えグラーツで「フィデリオ」を指揮した事を述べるとワルターは「あなたはここでそれを振る事は無いでしょう。あなたは私の元でまだたくさんの事を学ぶ事ができるのが私の意見です。(中略)私は欲の為にいうのではないが私はあなたに勧めたい。ここにとどまることを。あなたは昇進していき多くの事を学び取る事でしょう。ミュンヘンの席を引き受けなさい。」
1921年ベームは郷里の主席指揮者を約束されたグラーツを去り末席の指揮者としてミュンヘンに移るのである。

「この時から私とワルターとは親密な関係が成立した。私たちは第二次世界大戦中も手紙を交換し友情は彼の生涯の最後まで続いた。」
「何よりも決定的な事があった。ワルターが私をモーツァルトに近ずけてくれた。」
「私はワルターの指揮で行われるモーツァルトの公演は、ほとんど欠かさ無かったし、可能な限り練習も傍聴もした。ワルターは私の興味に気が付きミュンヘンで活動して最初の年なのに、私のような末席で一番若い指揮者に「後宮からの誘拐」(ベルモンテ役はタウバー)がまかされるという信じがたい出来事が生じた」(ベームの生涯最後のオペラのプレミエはミュンヘンでの「後宮からの誘拐」である!)
「ワルターはよく師のマーラーの事を思い出して語った。その際どれほどこの先生に恩を受けているかを強調するのを忘れなかった。」
ワルターの秘蔵っ子のソプラノがミミを歌った「ラ・ボエーム」の公演でワルターはベームに繰り返して言う。「彼女は魅力的な声だが、まだ声量が小さい。彼女はまだ17歳だからね。プッチーニの管弦楽は恐ろしくやかましい。迎えたまえ。極力迎えたまえ。」彼女こそ後年ベームの妻となるテアである。

ベームの回想録を通じてワルターという指揮者に大変興味を持ちマーラーやベートーヴェンなどのレコードを買い求めて聴いてみましたが「レコード芸術」では名盤とされているものも今一ついいとは思いませんでした。

ワルターが私のすぐそばにいるのですが私が彼の芸術に開眼するには、まだ年月が必要でした。続きは次回に。(いよいよ最終回かな?)

今日聴いたCD 9月20日

2007年09月20日 11時42分35秒 | オペラ
マリア・カラスの録音からいろいろ(「ノルマ」「清教徒」「仮面舞踏会」等より)

久しぶりにカラスの録音を聴き胸が一杯になる。今年は没後30年らしい。9月16日が命日でした。
あれからもう30年も経ったのかという気持ちが強い。DVDが登場して私自身、人生が楽しくなった。手軽に、そしてビデオより鮮明な映像でオペラを楽しめるのだから・・・しかし私にとってやはりオペラは聴くものである。生のステージに縁のない地方在住の為かもしれませんが。素晴らしい全曲録音を聴くと映像を伴うDVDよりも満足感を得る事があります。オペラの全曲レコードを対訳書を見ながら何度も繰り返して聴く事の大切さ、面白さがDVDの普及で、お手軽になりすぎて無くなってきたのかな?と思ったりします。作曲者は音楽だけでもドラマを語っています。聴きながら対訳書を読み込む事によってせりふも頭に入り、ト書きによって、その時の情景をつかむことが出来ます。カラスにも確かに映像は残されいますがほんの少ししかありません。状態の良い映像が残っていないからカラスは忘れられていくのでしょうか?否!現在も彼女の録音は繰り返して再発売されています。カラスのオペラの全曲録音を聴くと他の歌手の歌が生ぬるく感じる時があります。ちょっとした短い部分でも胸が張り裂けそうになるときがあります。

ヴェルディ「仮面舞踏会」第2幕でアメリアがリッカルドに言います。

「・・・ si,t’amo・・・ (あなたを愛してます)」

ほんのちょっとのフレーズですがどんなにカラスが思いを込めて歌っているでしょうか?まさに大アリア以上の重要さを訴えて来ます。他の歌手の録音も持っていますが単に歌っているだけで本当にのんきに聴こえます。
オペラは単に聴かせどころのアリアだけを楽しむものではない。オペラは「ドラマ」であるという事を私はカラスから教えてもらったと言い切ってもよいでしょう。私がオペラをリサイタル盤より全曲盤を好むこともカラスの影響でしょう。

オペラは舞台芸術なので当然「観るもの」です。今後、私の所持するDVDの数は間違いなく増えていくでしょう。しかしオペラを「聴くこと、聴きこむこと」という姿勢は崩さないで行きたいものである。そしてマリア・カラスの録音は今後も私にとって大きな指針になるでしょう。

オペラ三昧。

2007年09月17日 18時27分58秒 | オペラ
午前、NHK衛星第2にてパヴァロッティ追悼特集で1988年サンフランシスコ歌劇場でのプッチーニーの歌劇「ラ・ボエーム」の公演の放送がありました。ロドルフォ役はパヴァロッティ、そしてミミ役はフレーニという最高の顔合わせによる映像である。あの風格、そしてあの巨漢な体つきのパヴァロッティがステージでは貧乏な詩人見えてくるのだから不思議である。そしてフレーニのミミ!さすがに初々しさはもうありませんが私にとって最高のミミです。
やはり第4幕はいつもながらジーンとくる。ショナールが部屋を去り、舞台にはロドルフォとミミだけになり、オケによる第1幕の愛の二重唱のメロディが流れます。
「・・・たった一つだけ海のように大きいもの。海のように深く限りない物。あなたは私の愛で、私の命の全て!」
「ああ、ミミ!私の美しいミミ!」
「私はまだ美しいかしら?」
「日の出のように美しいよ」
「あなたは比べるものが違うわ。こう言うべきなのよ。夕日のように美しいって・・・」
このあたりにになるとプッチーニーの美しいメロディにのって、目頭がいつも熱くなります。今日もそうでした。
ビデオテープに録画したので、また涙を流したいと思います。

午後は四国二期会のオペラ公演を観に行く。演目は「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」のヴェリズモ・オペラの2本立て。原語上演である。まさか地元でこのオペラを観る事が出来るとは昔を思い出すと考えられないことである。キャストは東京の二期会と地元勢の混成である。サントゥッツァ役には下原千恵子さん(藤原歌劇団)というビッグネームもあり大いに楽しむ。「道化師」の第2幕ではカニオが劇中劇を経てネッダを刺し最後に「喜劇は終わりました」と語るまでのドラマの緊迫感、盛り上がりは劇場でないとわからないものであると初めてこのオペラを見て痛感する。
都会のオペラ公演に比べると見劣りする点もあるのは事実ですが、これだけのレベルに持って行くのは大変だったと思います。1点だけ、コーラスはよく歌っていましたがまだまだ唱歌を歌っているようでヴェリズモ・オペラの熱さを感じる事が出来なかったので、いかにオペラの雰囲気を身に着けるかが今後の課題でしょう。
最後に今日は祭日で昼間の公演にもかかわらず学生さんなど若い方の姿が会場であまり見る事が出来なかったのが残念でした。数日前の記事で書きましたが商店街のCD店にパヴァロッティのCDが売り場に並んでいないくらいなのだから、残念ながら致し方ないのかもしれません。

モーツァルト、中村富十郎。

2007年09月17日 08時47分11秒 | 音楽
昨晩NHK教育放送で「N響アワー」を見る。レスピーギの「ローマの松」が全曲放送されなかったのは残念だったが、後半のモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」は堪能できた。若い頃はモーツァルトは本当に苦手だった。特に第2楽章のゆっくりしたテンポは本当にダメだったが、今は逆になってしまった。昨年秋、放送でアーノンクール指揮のウィーンフィルの来日公演でのモーツァルトの交響曲第39、40、41番を聴きましたが、面白かったのですがノンヴィヴラート奏法のためか、大変疲れた事を覚えています。今回の放送は古楽器の影響のない演奏で、私にとってはこちらの方がぴったりとします。(ただし古楽器奏法を否定しているのではありません)CDの登場でモーツァルトの最後の3曲の交響曲が1枚のCDに収められる時代になり一気に聴けるようになりました。私もワルター、ベーム、ヴァント指揮の3種類のCDを持っています。3人3様の演奏で今後も聴き込んでいくつもりです。

「N響アワー」に続いて10時より「ETV 歌舞伎俳優中村富十郎 78歳の挑戦」を見る。大変な元気さである。(あんな齢の差の離れた若いきれいな奥さんがいれば当たり前かな・・・?)私自身、最近年齢のためか、体の動きが悪くなり仕事に以前のようなネバリが無くなってきたかな?と感じていましたが天王寺屋さんの舞台にかける意気込み、若い市川染五郎の「船弁慶」を見つめる厳しい目、幼い子供たちを見つめる優しいまなざしを見ると、私などまだまだ若造!仕事でやらなければいけない事がたくさんある!と自分自身を奮い立たせるものがあります。
天王寺屋さんの番組での最後のコメントで「(邦楽も含めて)もっといろいろな音楽を聴いて行きたい」と述べていました。私も同様の生き方をして行きたいものです。

今日聴いたCD 9月13日

2007年09月13日 16時03分16秒 | 今日、聴いたCD
レオンカヴァルロ 歌劇「道化師」(全曲)

ルチアーノ・パヴァロッティ(カニオ)ダニエラ・デッシー(ネッダ)フオン・ポンス(トニオ)パオロ・コーニ(シルヴィオ)
リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団、ウエストミンスター・シンフォニック合唱団
(国内盤)PHILIPS PHCP-5139(廃盤?)1992年2月フィラデルフィアでのライブ録音

今日、ひさしぶりにわが町の商店街のN楽器のCD売り場へ行く。欲しいものが何もなく愕然とする。もっと驚いたのはパヴァロッティのCDが1枚も無い事である。おそらく都会の売り場では追悼コーナーが設置され色々な録音が並んでいることであろう。私の場合CDはネットでしか、もう購入できないのか?CDショップで買い物を楽しみたい時は大阪まで遠征しなければいけないようである。結局何も買わずに店を立ち去る。

帰宅してCDの整理棚を見ていると本CDが目にはいる。おそらく買った時に1度聴いたきりかもしれません。久しぶりに聴いてみました。
まだムーティがフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督の時代の演奏会形式の録音。オケはやはりうまいがコーラスは固い。オペラの雰囲気が感じられない。仕方ないのかもしれない。
しかしやはり1番の聴き物はパヴァロッティのカニオである。第1幕カニオが人々に「なにとぞ23時(7時)にご来場を」と口上を述べる時の声の輝きはやはり彼独自の世界である。改めて失ったものの大きさを痛感しました。
パヴァロッティとムーティ。もう1度この作品を今度はミラノ・スカラ座のオケとコーラスで聞いてみたかったものである。しかし今となっては「見果てぬ夢」になってしまいました。

いよいよシーズン直前。

2007年09月13日 00時14分01秒 | 荒川静香さん
雑誌「ワールド・フィギアスケート」の最新号を購入する。いつもながらカラー写真、満載である。やはりフィギアスケートの選手は氷の上が一番美しい。
表紙を開いて目次のページの写真はプリンスアイスワールド横浜公演での荒川静香さんの写真。ここでもうページをめくる手がしばらく止まってしまう。また野辺山サマーフェスティバルオンアイスの項でも1ページまるまる荒川さんの写真。本当にきれいである。安藤美姫さんや浅田真央さんの写真もいいのですが、やっぱり荒川さんである。そしてダメ押しがFriends on Iceでのにっこり笑った荒川さんのこちらもまるまる1ページの写真。胸がドキドキします。幸せいっぱいである。

最後に今後のスケジュールを確認する。12月26~28日大阪・なみはやドームで全日本選手権。女子フリーは最終日の28日だろう。年末の忙しい時ですがチケットの確保は仕事よりも最重要課題です。安藤さん、浅田さん、中野さんが私を待っている!そして放送席ではおそらく荒川さんが私を待っている!

横綱朝青龍騒動

2007年09月11日 23時31分56秒 | 大相撲
横綱朝青龍の騒動でまたびっくりするニュースを知ってしまった。日本相撲協会が元NHKアナの杉山邦博氏の取材証を剥奪したそうである。本当にびっくりである。杉山氏が民放で協会批判をしたというのが理由であるが私もワイドショーで杉山氏のコメントを聞きましたが批判というよりも正論を言っているように感じたのですが・・・秋場所の初日の協会挨拶で北の湖理事長が今回の騒動に関して一言も触れなかった事のほうがおかしいと思うのですが・・・

杉山氏は長くNHKの大相撲の実況を努め今は亡き相撲解説者玉の海さんとのコンビの放送は私は大好きでした。先代二子山親方の元大関貴ノ花が引退表明した当日のテレビの実況放送では幕の内力士、横綱の土俵入りのあと、「大関貴ノ花が引退しました。」と言ったあと、泣き出した事を憶えています。そのあとすぐに玉の海さんが淡々と貴ノ花をたたえるコメントを言った事は忘れません。杉山氏の実況からは本当に大相撲を愛する気持ちが常に伝わり大相撲アナの中では一番好きでした。そんな杉山氏の発言を真に受け取らない相撲協会。本当に情けない気持ちでいっぱいです。この騒動いったいどうなるのでしょうか?せっかく秋場所が盛り上がっているだけに何とかして欲しいものです。

パヴァロッティ死去

2007年09月10日 11時07分01秒 | オペラ
パヴァロッティが亡くなりました。正直なところ私自身は熱心なファンではありませんが訃報を聞いて、やはり寂しさを感じました。3大テナーの中で一番華があったと思います。また名前をふされても声を聴いただけですぐ彼だとわかる輝かしい声!ただ残念なのは晩年はコンサートが中心でオペラの舞台に立たなくなった事です。私にとってやはりパヴァロッティは「オペラの人」である。ポピュラーソング等を歌っているパヴァロッティにはあまり興味ありません。

熱心なファンではない私ですが私の大切な節目で2度彼が登場します。最初は高校生の時初めて購入したオペラの全曲レコードはプッチーニの「ラ・ボエーム」でしたがロドルフォ役が彼でした。彼の声を始めて聴いたのもこのレコードです。第1幕の「冷たき手を」の素晴らしさは今も色あせません。
2度目はやはり昨年のトリノ冬季オリンピックの開会式!開会式はテレビで見ましましたが最後のパヴァロッティの声しか覚えていません。ステージ上のたった一人の声がこれだけ強烈に人々の記憶に残す「人間の声の素晴らしさ!輝かしさ!」イタリアはやはりオペラの国。まさにオペラ万歳でした。

最後に私が所持しているパヴァロッティのCDでお気に入りの録音を3点。
①プッチーニ 歌劇「トゥーランドット」(全曲)
 ズービン・メータ指揮ロンドンフィルハーモニー管弦楽団
 (輸入盤)デッカ 414274ー2 (1972年録音)
 私が持っているこのオペラの全曲盤の中でも1番のお気に入り。第3幕の「誰も寝てはならぬ」は何度聴いてもしびれます。他のキャストも脇役まで万全である。
②プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」(全曲) 
 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
 (国内盤)私の所持しているCDは20年前の初CD化された時に購入した物なので番号が大きく変わっているはずである。(1972年録音)
 私が初めて手にしたオペラ全曲盤。ミミ役のフレーニ共々このオペラの決定盤だと思っています。
③マスカーニ 歌劇「友人フリッツ」(全曲)
 ジャナンドレア・ガヴァツェーニ指揮コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団
 (輸入盤)EMI 7243 5 67373 2 7 (1968年録音)
 この素敵な全曲盤は国内盤は発売されたのだろうか?ヒロインのスゼル役はフレーニである。二人ともリリコの美声が最高潮の頃の録音。第2幕のさくらんぼうの二重唱は本当に美しい。

余談ながらパヴァロッティのオペラ全曲盤で私はベルリーニの「清教徒」とドニゼッティの「ラ・ファヴォリータ」をまだ手にしていません。レコード会社では追悼盤が発売されるようですがリサイタル盤ばかりのようです。オペラの全曲盤も見直して欲しいものです。 

「課外授業 ようこそ先輩」

2007年09月09日 21時33分30秒 | 荒川静香さん
NHK総合「課外授業 ようこそ先輩」を昨日夜遅くビデオで見ました。
あまりの素晴らしさに舌を巻きました。
番組を見るまでは荒川さんのスケート教室かな?と思っていましたが全くの予想外で本当に驚きました。
私自身、管理職のはしくれとしてチームワークとは何だろうか?と本当に考えさせられる番組でした。番組ではリレーのタイムをどこまで短縮するかですが、これを私に置き換えると、売上などの数値をどう上げて行くかになります。数値を上げるには自分自身だけの力だけでは不可能です。末端の社員までいかに同一目標に向かって進ませるかです。
スケートが初めての生徒に手を貸さない荒川さん。一人一人の甘えを起こさせない指導。実に立派だと思います。脱落者無し。本当に凄い!
今日パート社員の朝礼で言いました。
「同じミス、トラブルばかり起きるのは、あなた方がパートだからと甘えているからです。正社員もパートも関係ありません。仕事の目的は同じです。決められた事は頭の中にたたき込んで下さい。」
まだ1回しかビデオを見ていませんが仕事上のバイブルとして今後も許す限り見て
少しでも荒川さんの境地に迫りたいものです。

お詫び

2007年09月08日 21時44分43秒 | 私事
今までのブログですがパスワードのトラブルの為、使用不能となり急遽「パート2」として新たにこのブログを立ち上げました。昨晩から、このトラブルで大変疲れました。落ち着いたら「パヴァロッティ」から再スタートするつもりです。
いろいろご迷惑をお掛けして大変申し訳ございません。