本日12月29日は大切な日。荒川静香さんの誕生日です。全日本選手権の放送では的確な解説で私にとって、たいへん良い指針となりました。願わくは八木沼純子さんに悪いのですが、荒川ファンとしては、荒川さんだけの解説で、たっぷりと聞きたかったのが本音です。(八木沼ファンの皆様、ゴメンナサイ)
私は、年明けそうそうの1月8日に大阪へ「スターズ・オン・アイス」を見にいきます。このアイスショーには荒川さんも出演します。私は元旦から仕事なので、これが初詣のようなものです。新春から荒川静香さんを拝むことが出来るとは、来年はいい一年になりそうです。
これからは全くの余談。
先週、母と全日本選手権の男子SPの放送を見ていました。番組の前半、クイズ形式でいろいろとやっていましたが、戦前の話題の時、突然、母が言い出しました。
「(死んだ)お父さんがエッちゃん、エッちゃんとよく言っていた。エッちゃんを見た時の話をよく聞かされた」
いったい何のことかと思いました。そしてエッちゃんて誰?大昔のスケート界に関しては全く無知の私には、その時はサッパリわかりませんでした。そして、いろいろと調べてみました。
亡き父の思い出のエッちゃんの本当の名前は稲田悦子さん(大正13年生 -平成15年没)。稲田悦子さんは父と同じ大阪生まれの大阪育ちである。昭和10年のフィギュアスケートの全日本選手権で女子シングルの初代選手権者になり、昭和12年から昭和16年まで連覇を果たしている。また昭和11年2月、ドイツで行われたガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックに12歳で出場。戦前の冬季オリンピックに参加した唯一の日本女子選手とのことである。正に、日本の女子フィギュアスケートの先駆けの選手である。
上の写真はオリンピックの時のもので、右から2番目が当時12歳の稲田さんである。
調べれば調べるほど本当に驚いた。私は父から生前、稲田悦子さんの話は全く聞いていない。先週のテレビを前にしての突然の母のつぶやきが初めてである。父がフィギュアスケートに興味を持ったのは昭和40年代、今は無くなりましたが四国で初のスケートリンクである高松スポーツパレスの建設に関ってからだと、今まで思っていたので、父の子供の頃の戦前までさかのぼるとは、本当に驚きました。稲田さんも父も大阪生まれの大阪育ち、実際に見る機会が多かったに違いありません。昭和10年代前半、まだ小学生だった父にとって少し年上のエッちゃんは、正にアイドル的存在であったのでしょう。おそらく日本人として最も早い時期に生でフィギュアスケートというものを見ていた人間でしょう。戦前の稲田悦子さんの思い出を胸にしまっていたとは・・・。もし父が生きていたら正に女子フィギュアスケート創生期の話を聞けたはずなので、今となっては本当に残念ですが、しかたがありません。
今回、稲田悦子さんの事を調べていて、改めて痛感したのは現在の女子フィギュアスケート界の凄さである。昭和10年代、このような時代が来るとは夢にも思わなかったでしょう。今年の全日本選手権を父に見せてあげることが出来なかったのは本当に残念である。もし父が元気だったら誰のファンになったかな?たぶん安藤美姫さんかな?いろいろ思いを馳せるものがあります。
以上、全くの余談でした。本当に失礼しました。
さて、これが今年最後の更新となると思います。今年は私自信、3月肺炎になり、たいへん苦しい思いをしながら仕事を続けたり、4月から1番店へ配属先も変わり、激動の一年でした。また音楽面では、たいへん迷いを生じ、不愉快な思いをさせてしまった方もいたのではと今も心苦しく思っています。ただ、今は自分の感性を頼りにCDを聴きこんでいます。ただ、いろいろなことがあった中で、一番嬉しかったのは全日本選手権での浅田真央さんの復活です。演技を見ていて熱いものが込み上げてくるものがありました。人間にとって「感動」することが、生きて行く為の一番の良薬であることを深く痛感しました。
皆様には、今年も、たいへんお世話になりました。
来年もよろしく御願い申し上げます。
何卒、良いお年をお迎え下さい。