①シベリウス 交響曲第4番イ短調 作品63、交響曲第5番変ホ長調 作品82 尾高忠明指揮、札幌交響楽団(1914年2月、3月札幌コンサートホールKitaraでのライブ録音。フォンテック盤)
②マーラー:交響曲第10番嬰へ長調(デリック・クック校訂版第3稿第2版) ダニエル・ハーディング指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(2007年10月ウィーンでの録音、ドイツグラモフォン盤)
今日も朝から尾高忠明指揮札幌交響楽団によるシベリウスを聴く。
凍りついているような内省的な第4番、そして北欧の大自然が迫ってくるような第5番。
この2つの交響曲を連続して聴ける喜びは私にとって本当に大きい。
シベリウス交響曲全集の決定盤と言われているパーヴォ・ベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィルの私の所持しているアルバムは第5番が第2番のあと、おまけのように収録されている。本当に興ざめ・・・。
シベリウス自身の第5番に対するコメントが残っている。
日はくすみ冷たい。
しかし春はだんだん近づいてくる。
今日は16羽の白鳥を見ることができた。
神よ何という美しさか。白鳥は私の頭上を長いこと旋回して、くすんだ太陽の光の中に消えて行った。
自然の神秘と生の憂愁、これが第5交響曲のテーマなのだ。
シベリウスの交響曲は作品に寄り添い演奏が良ければ良いほど、作品の持つ魅力、そして本質が迫ってくる。
これはブルックナーの交響曲にも共通していると私は感じている。
シベリウスの交響曲の真価を日本人指揮者と日本のオーケストラで知ることができる喜び。
しばらくは、このCDを聴き続けることになるでしょう。
シベリウスのあと何を聴こうかと思案。猛暑の疲れも激しいので何か大曲を聴きたいと思い手にしたのがマーラーの交響曲第10番。それも5楽章に及ぶ
クック版による演奏。
本当のマーラーの交響曲を愛する方々にとってはマーラーの交響曲第10番と言うとマーラー自身がほぼ完成させたいた第1楽章のアダージョのみで、他人の手が入って復元されたクック版など認めることが出来ないのは私自身、承知しています。それをとやかく言う気持ちはありません。
だだ私にとって初めてクック版の10番の録音を手にしたのがクルト・ザンデルリング指揮ベルリン交響楽団による録音でしたが、この録音には、幸か不幸かたいへん読み応えのある解説書があり、マーラーの死後の第10番が、クックが復元するまで、どのように演奏され、そしてどのような過程でクックによって復元されていったか、また、それに対するマーラー夫人だったアルマの反応など本当に丁寧に記されていて、クック版に対する理解を深めには十分すぎるものがありました。もし、これを読んでいなかったらクック版など私も見向きもしなかったかもしれません。
交響曲第9番を完成させたあと、マーラーは何を見ようとしたのか?何を伝えようとしたのか?それらを知るためには、やはりクック版は欠かすことは出来ないのではと思っています。
さて今日聴いたウィーンフィルによる演奏。ハーディング指揮ウィーンフィルの響きの美しさ!
ウィーン・フィルの音色は他には替え難いものがあります。
特に第5楽章の冒頭の重々しさを経ての美しさは、やはり見逃すことが出来ません。
第5楽章の最後のページにマーラーは記している。
お前のために、生き、
お前のために、死ぬ、
アルミッシ(アルマの愛称)よ。
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②マーラー:交響曲第10番嬰へ長調(デリック・クック校訂版第3稿第2版) ダニエル・ハーディング指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(2007年10月ウィーンでの録音、ドイツグラモフォン盤)
今日も朝から尾高忠明指揮札幌交響楽団によるシベリウスを聴く。
凍りついているような内省的な第4番、そして北欧の大自然が迫ってくるような第5番。
この2つの交響曲を連続して聴ける喜びは私にとって本当に大きい。
シベリウス交響曲全集の決定盤と言われているパーヴォ・ベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィルの私の所持しているアルバムは第5番が第2番のあと、おまけのように収録されている。本当に興ざめ・・・。
シベリウス自身の第5番に対するコメントが残っている。
日はくすみ冷たい。
しかし春はだんだん近づいてくる。
今日は16羽の白鳥を見ることができた。
神よ何という美しさか。白鳥は私の頭上を長いこと旋回して、くすんだ太陽の光の中に消えて行った。
自然の神秘と生の憂愁、これが第5交響曲のテーマなのだ。
シベリウスの交響曲は作品に寄り添い演奏が良ければ良いほど、作品の持つ魅力、そして本質が迫ってくる。
これはブルックナーの交響曲にも共通していると私は感じている。
シベリウスの交響曲の真価を日本人指揮者と日本のオーケストラで知ることができる喜び。
しばらくは、このCDを聴き続けることになるでしょう。
シベリウスのあと何を聴こうかと思案。猛暑の疲れも激しいので何か大曲を聴きたいと思い手にしたのがマーラーの交響曲第10番。それも5楽章に及ぶ
クック版による演奏。
本当のマーラーの交響曲を愛する方々にとってはマーラーの交響曲第10番と言うとマーラー自身がほぼ完成させたいた第1楽章のアダージョのみで、他人の手が入って復元されたクック版など認めることが出来ないのは私自身、承知しています。それをとやかく言う気持ちはありません。
だだ私にとって初めてクック版の10番の録音を手にしたのがクルト・ザンデルリング指揮ベルリン交響楽団による録音でしたが、この録音には、幸か不幸かたいへん読み応えのある解説書があり、マーラーの死後の第10番が、クックが復元するまで、どのように演奏され、そしてどのような過程でクックによって復元されていったか、また、それに対するマーラー夫人だったアルマの反応など本当に丁寧に記されていて、クック版に対する理解を深めには十分すぎるものがありました。もし、これを読んでいなかったらクック版など私も見向きもしなかったかもしれません。
交響曲第9番を完成させたあと、マーラーは何を見ようとしたのか?何を伝えようとしたのか?それらを知るためには、やはりクック版は欠かすことは出来ないのではと思っています。
さて今日聴いたウィーンフィルによる演奏。ハーディング指揮ウィーンフィルの響きの美しさ!
ウィーン・フィルの音色は他には替え難いものがあります。
特に第5楽章の冒頭の重々しさを経ての美しさは、やはり見逃すことが出来ません。
第5楽章の最後のページにマーラーは記している。
お前のために、生き、
お前のために、死ぬ、
アルミッシ(アルマの愛称)よ。
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