①シューマン 交響曲第1番 変ロ長調 作品38「春」 (1965年録音)
②シューマン 交響曲第2番 ハ長調 作品61 (1968年録音)
③シューマン 交響曲第3番 変ホ長調 作品97「ライン」(1069年録音)
④シューマン 交響曲第4番 ニ短調 作品120 (1960年録音)
以上 オットー・クレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団(④のみフィルハーモニア管弦楽団(EMI盤)
今日も朝からドップリとクレンペラー三昧。「ロマン派交響曲集、序曲集」の10枚組のアルバムからシューマンの4曲の交響曲から1番から一気に聴いていく。
4つの交響曲を聴き終えて何か大きく重いものをズシンと受け止めた気持ちである。そして何か深いものを感じた気持ち。
微動だにしない、ゆっくりとしたテンポから生まれてくる巨大な造形、そして、その中に隠されている静けさと魂の乱舞。
シューマンの交響曲の演奏でよく聴かれるオーケストラを鳴らしまくる演奏とは全く世界が違う演奏。
ゆっくりしたテンポなので、それだけで毛嫌いされるかもしれませんが、私は全く気にならなかった。
第1番の「春」は、けっして春の訪れを喜んでいる演奏ではない。何か作品の中に隠れている暗さを感じるものがあります。
第3番の「ライン」は正に大河の流れ。朝比奈隆の演奏と何か通じるものがあり興味深かった。
第2番と第4番も、どっしりとした落ち着きの中から何かシューマンの叫びが聴こえてきそうである。
それにしても聴きながら、この世を去って40年経とうとしている指揮者の録音を聴くことの意義は何だろうか?と考えるものがありました。
時代も変わって行き、演奏様式も多様になっている中でクレンペラーの録音をまとめて聴いて共感している私は、やはり変なのかな?と思ったりします。
例えばシューマンの交響曲の録音と言えばサヴァリッシュのドレスデンでの録音を誰もがイの一番に挙げられていますが、クレンペラーの録音で聴くと私は指揮者としての格の違いと言うか、大きさの違いを感じてしまいました。定評のあるサヴァリッシュのシューマンよりもクレンペラーのシューマンの方に魅かれる私は、やはりクラシック音楽の変な聴き手なのでしょう。
しかしである。いくら年月が経とうとも、時代が変わろうともクレンペラーの演奏からは聴く者の心を大きく動かしてくれる力と魅力があると確信するものがあります。それを現在、感じることが出来る自分は幸せだと思います。
クレンペラーの録音を聴く時は単に「音楽を楽しむ」と言うのではなく、けっして聴きやすい演奏ではありませんが、クレンペラーの「至高の境地を正面から相対する気持ち」でないと受け入れられないのかもしれません。
今回の10枚組のアルバムは、私自身のクレンペラーの演奏を見直すに大変いい機会だったと思うとともに、この巨匠に対する愛着を、ますます深くするものがありました。
まだ全てを聴き終わっていません。また新しい発見が出来るのでは、という期待感で一杯です。
②シューマン 交響曲第2番 ハ長調 作品61 (1968年録音)
③シューマン 交響曲第3番 変ホ長調 作品97「ライン」(1069年録音)
④シューマン 交響曲第4番 ニ短調 作品120 (1960年録音)
以上 オットー・クレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団(④のみフィルハーモニア管弦楽団(EMI盤)
今日も朝からドップリとクレンペラー三昧。「ロマン派交響曲集、序曲集」の10枚組のアルバムからシューマンの4曲の交響曲から1番から一気に聴いていく。
4つの交響曲を聴き終えて何か大きく重いものをズシンと受け止めた気持ちである。そして何か深いものを感じた気持ち。
微動だにしない、ゆっくりとしたテンポから生まれてくる巨大な造形、そして、その中に隠されている静けさと魂の乱舞。
シューマンの交響曲の演奏でよく聴かれるオーケストラを鳴らしまくる演奏とは全く世界が違う演奏。
ゆっくりしたテンポなので、それだけで毛嫌いされるかもしれませんが、私は全く気にならなかった。
第1番の「春」は、けっして春の訪れを喜んでいる演奏ではない。何か作品の中に隠れている暗さを感じるものがあります。
第3番の「ライン」は正に大河の流れ。朝比奈隆の演奏と何か通じるものがあり興味深かった。
第2番と第4番も、どっしりとした落ち着きの中から何かシューマンの叫びが聴こえてきそうである。
それにしても聴きながら、この世を去って40年経とうとしている指揮者の録音を聴くことの意義は何だろうか?と考えるものがありました。
時代も変わって行き、演奏様式も多様になっている中でクレンペラーの録音をまとめて聴いて共感している私は、やはり変なのかな?と思ったりします。
例えばシューマンの交響曲の録音と言えばサヴァリッシュのドレスデンでの録音を誰もがイの一番に挙げられていますが、クレンペラーの録音で聴くと私は指揮者としての格の違いと言うか、大きさの違いを感じてしまいました。定評のあるサヴァリッシュのシューマンよりもクレンペラーのシューマンの方に魅かれる私は、やはりクラシック音楽の変な聴き手なのでしょう。
しかしである。いくら年月が経とうとも、時代が変わろうともクレンペラーの演奏からは聴く者の心を大きく動かしてくれる力と魅力があると確信するものがあります。それを現在、感じることが出来る自分は幸せだと思います。
クレンペラーの録音を聴く時は単に「音楽を楽しむ」と言うのではなく、けっして聴きやすい演奏ではありませんが、クレンペラーの「至高の境地を正面から相対する気持ち」でないと受け入れられないのかもしれません。
今回の10枚組のアルバムは、私自身のクレンペラーの演奏を見直すに大変いい機会だったと思うとともに、この巨匠に対する愛着を、ますます深くするものがありました。
まだ全てを聴き終わっていません。また新しい発見が出来るのでは、という期待感で一杯です。