残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《剣聖②》第十五回
流石は商売人だ…と、その一挙手一投足の洞察力に感心させられる左馬介であった。
手代が、むさい床机の上へ盆を置いて去ると、左馬介は埃(ほこり)を立てないよう、やんわりと握り飯を手にしようとした。だが、視線が走って手先が汚れていることに気がついた。先ほど迄、地面に座していて、立つ折りに土へ手が触れたことをうっすら思い出した。そんなには汚れていないのだが、素手で握り飯を持つのも憚(はばか)られ、左馬介は辺りに目を遣った。これも上手くしたもので、その時に丁度、都合よく目と鼻の先に井戸があり、しかも、ここで手を洗って下さいまし…とばかりに、水を張った桶に柄杓(ひしゃく)が挿されていた。これ程まで左馬介の想い通りに事が運べば、返って気味が悪くなる。それに、早朝とはいえ、泊り客達が起き出す気配なども届かず、これも気分がよくない。だが、何をするでもなく蟹谷を待つだけの左馬介にとって、氷結した状態で我慢するしかなかった。握り飯を頬張り、沢庵を齧(かじ)って胃の腑へ納めれば、益々もって退屈になってきた。喜平が顔を見せたのは、そんな状態の左馬介が床机から立ち、両手を広げながら大欠伸を一つ打った直後であった。
「どうでございましょう。宜しければ、あちらにお部屋をご用意させておりますが…」