残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《剣聖②》第十三回
左馬介が店へ足を踏み入れた時、主(あるじ)の喜平が偶然、帳場へと出てきたところだった。喜平は、入ってきた左馬介を見て怪訝な表情を浮かべた。というのも、このような朝早い時刻に訪(おとな)う泊り客などあろう筈もなく、かといって、この宿から出立する旅人にも見えないから、どこの者? 更には、何用? という怪訝さが湧いたのである。
「あのう…、どちら様でございましょう?」
愛想のある笑顔で、ひと声、喜平は左馬介へ投げ掛けた。
「堀川の者です。蟹谷さんが来られる迄、待たせて戴きたいのですが…」
「はあ、さようで。堀川道場のお方でございましたか。蟹谷様をお待ちになるので?」
左馬介は黙って首を縦に振った。
「それは、ようございますが、蟹谷様がお越しになられるのは昼過ぎでございますよ? 未だ随分と時もございますが…」
「いいのです。あっ、申し遅れました。私、秋月左馬介と申します」
「へえ。…でしたら、そこの土間伝いに裏へ抜けて戴き、お待ちになって下さいまし。裏は、むそうございますが…」
「はい、そうさせて戴きます。有り難う存知ます」