居酒屋日記

Takeshi ORION Nishimori

ペパーミントハウス

2009年09月22日 | music


1979年、大学生だった頃。
お茶の水のクロサワ楽器の壁に貼ってあった
「当方ドラムス、バンド加入希望」という
メンバー募集の1枚の紙を発見。

ちょうど新しいバンドを作ろうとしていたので 
即、電話で連絡をしました。

そして、待ち合わせに現れたのが、
当時高校生だったYASSY。

紆余曲折の末出来たバンドがLUCIFER(ルシフェル)です。
ルシフェルはおれとYASSYで作ったバンドでした。
1983年春、YAMAHA主宰のコンテストに出場。
そこでベストドラマー賞を受賞した直後、
バンド活動を引退。

父親になるために、仕事を選んだのでした。

その直後に、地元の越谷に飲食店をオープン。
まるで清里のペンションか?
という外観のパブレストランペパーミントハウスでした。

開店当時は仲間と結構通ったのですが、
仕事も忙しくなり、やはり越谷は遠くて、
気づけば足も遠のき、20年近くご無沙汰状態でした。

ふと思い立ち、首都高速~東京外環自動車道をぶっとばし、
久しぶりの越谷へ。
住宅街に突然現れるディズニーランドのアトラクションのような外観は
当時のまま健在でした。

出迎えてくれたのはYASSYにそっくりな店員さん。
そう、バンド引退を決意させた息子さん!
子供の頃はよく一緒に遊びに行ったりしたけど、
お互い顔を見ても分からないのは仕方ない…
尋ねたら、マスターのYASSYは厨房の中だとか。

久しぶりの再会を喜んでくれたのか、
元々ボリューム満点のメニューをさらにてんこ盛り!
サービスメニューまでどんどん出してくれるのは昔のまま。
でも、胃袋は昔の様にはいきません。
さすがに食いきれないよー、YASSY。

来月の鹿鳴館での再会を約束して、
店を後にしました。

開店時にプレゼントした黒のストラトがまだ置いてあったけど
弦が切れててちょっと可哀想でした~

最後に、店の入口前でYASSY&息子さんと記念写真。
小さい写真は1981年。 お互い老けたよね~